炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:20系

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▲ 夏の早朝~富海を行く9レ 20系フル編成の“あさかぜ”1号 
 
   撮影日:1976 8.19
   撮影地:山陽本線 富海駅付近



懐かしい国鉄時代の画
またまた突然ですが・・・1976年にタイムスリップ(*^_^*)
早朝の山陽本線をゆくフル編成の20系 寝台特急 “あさかぜ”1号

1976(昭和51)年~高校の夏休み期間中・・・
思い立って12系の臨時夜行列車に揺られて山陽本線まで出かけました
後にも先にも、下関より先の山陽本線にてブルートレインを撮影したのはこれっきりです

当時乗車した臨時夜行列車とは~西鹿児島発大阪行きの8204レ急行“屋久島”51号なり
大牟田駅を深夜0:06発でした(~o~)
実は、この列車の乗る前に警察官に呼び止められたのを思い出しました!(^^)!
深夜に高校生が一人で夜行列車に乗るとこを見かけたら~「こいつ怪しい・・・家出少年かも(?_?)」なんて思われたのでしょうね

たぶん~「列車の撮影に出かける(^_^)v」なんて答えたかも
とにかく、12系の臨時列車に乗車して、夜な夜な列車の車窓にまとわりつくように見えたお月さんを愛でながら、一人感傷にふける高校生は富海を目指した

当時の時刻表をめくると~“屋久島”51号は、5:06に防府駅に到着~防府発5:41の一番列車にて、お隣の富海駅5:48着
なぜ富海だったかって
それは~1975年1月号の鉄道ファン、P44,45の写真を見てここだと決めたその写真というのは、C62牽引の20系“みずほ”号が、海岸縁を驀進する様子を撮影したのもで、「ここにいけば、いい写真が撮れそう」なんて、当時思ったから

さて、当日撮影したネガは行方不明になってしまい、この写真1枚だけが手元に残った(^O^) これ以外の写真は~実は失敗ばかりでろくなできではなっかた
当時の撮影メモを繙くと~
「8/19の撮影は、はっきり言ってちっとも楽しくなかった。目の前を、あこがれのヘッドマーク付きのブルートレインが続々と通り過ぎていくにに、どうして楽しくないのだろう?(中略)後に残ったのは“きつかった”ということだけ・・・せっかくここまでやってきてという感じだ(後略)」

大学受験などを前にして、最後の撮影行と思って行ったにもかかわらず、思い通りに写真は撮れないし、なんだか悶々とした気持ちだけが残っていたようですな

あれもこれも、今となっては青春の思い出1ページといえるかな
ということで、この日撮影した中で、唯一UPできそうな写真となった1枚




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▲ これは貴重な記録 ☆ ED72 6号機牽引 20系 “はやぶさ”
 
   撮影日:1970年頃
   撮影地:鹿児島本線 大牟田駅付近



懐かしい国鉄時代の画
突然ですが、1970年頃の鹿児島本線にタイムスリップ

前回までの475系 急行シリーズに続いて、今回はブルトレが登場
20系編成の“はやぶさ”号を、ヘッドマークも誇らしげにED72が牽引します(*^_^*)

20系ブルートレイン黄金時代、そして九州を代表した鳩胸の赤い電気機関車に丸いお椀形のヘッドマークとくれば、何も申し上げることはありませぬ
管理人が鉄道写真を撮り始めた頃、鹿児島本線ではすでにブルートレインのヘッドマークはなくなっていました(*_*)
本州のヘッドマーク付きEF65牽引のブルートレインの羨ましかったこと

わざわざ、段ボールで原寸大ヘッドマークを手作りし、大牟田駅に停車中の荷物列車の機関車に付けさせてもらい悦にひたった時代でした・・・

▼手作りヘッドマーク記事はこちら↓↓↓

今回も、高校の恩師H先生からいただいた写真をUPしています
撮影場所は、大牟田駅を出発してすぐの、いまの白金陸橋あたりを通過する下り“はやぶさ”号です。都合3枚の写真をH先生は残されました~
残りの2枚を次にUPしておきましょう(^_-)

後に復活をとげた九州ブルートレインのヘッドマークですが、この3枚の写真を見るにつけ、蒸気機関車牽引の時代から引き継がれた優等列車の威厳が漂っている、と管理人には思えます



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 ▲ 20系  “あさかぜ”         2015 12.25  鉄道博物館








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 ▲ 20系  “あさかぜ”    車掌室の電話が時代を物語ります~ お隣の展望室に佇んでみたい 








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        ▲ 20系  “あさかぜ”    車掌室の影達が想い出を語りはじめます・・・  








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▲ 20系  “あさかぜ”    昼間のB寝台のセッティングの様子~ 寝台のセットは手作業でした 






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        ▲ 20系  “あさかぜ”    寝台セット~ 車掌補が乗務していました 






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         ▲ 20系  “あさかぜ”    ドアも手動でした~ けっこう重たかった



 



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▲ 20系  “あさかぜ”    再び巡り逢えてよかった~ できることならもう一度乗車してみたい


 

(つづく)









               ▲ 20系  “あさかぜ”         2015 12.25  鉄道博物館








 ▲ 20系  “あさかぜ”     大好きな車輌の一つ~ 懐かしい海坊主に会えました(*^_^*) 








 ▲ 20系  “あさかぜ”     博多駅で撮影して以来・・・ 40年ぶりに目にしたテールマーク








 ▲ 20系  “あさかぜ”    この曲線美がたまりません~ 小さなワイパーが付いてたんですね








 ▲ 20系  “あさかぜ”     この角度から見た20系もいいな~ 丸い列車名表示もまたよし








 ▲ 20系  “あさかぜ”    この車輌~ 14号車★一つのB寝台、博多行きでございますよ




(つづく)










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▲夕暮れ時の 20系 “はやぶさ”号 
 
   撮影日:1974.12.29
   撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
暮れもおしせまった夕暮れ時の 20系 “はやぶさ”号です(*^_^*)
 
この場所は管理人のお気に入りの場所でよく自転車で通いました
今も同じような風景が広がってます
しかし、ブルーの車体が通ることはありません(*_*)
 
 
この頃は、ED76の1000番台の牽引機でヘッドマークなし
しかし、20系の優雅な車体は大変魅力的でした
夕陽が車体に当たるものなら、ますます高貴な車輌に見えたものです!(^^)!
 
ななつ星の様なしゃれたエンブレムや内装はないものの、ブルーの車体には威厳が感じられました
 
20系は本当に大好きな車輌の一つでした・・・
 

 
(つづく)

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▲あれ~、大失敗の20系 “はやぶさ”号 後追い写真 
 
   撮影日:1974.12.21
   撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
今回は大失敗の 20系 “はやぶさ”号(*_*)
 
冬の夕暮れ時・・・
線路際にて、オリンパス35を構える
露出もシャッタースピードの設定もないおもちゃのようなカメラ
 
迫ってくるED76牽引の20系“はやぶさ”号を撮った後
果敢に後追い写真に挑戦
 
しかし・・・結果はご覧の通り
手前の架線柱にはピントが合っているようですな(?_?)
大好きな20系のフォルムが伝わってくるのが、せめてもの救いかな
 

 

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▲懐かしい ED761000番台牽引の20系 “はやぶさ”号
 
  撮影日:1974年2月頃
  撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 
編成はちぎれた写真だし、おまけにカビが・・・
こんな拙い写真でも、40年前ということでお許し願います
 
冬晴れの、稲の切り株が並ぶ田んぼの先を、20系が通過していきます~
本当に安物カメラで撮影した一枚ですが、20系のブルーの車体が本当に美しい
 
Nゲージを始めた時に真っ先に購入したのは、TOMIXのED76とKATOの旧20系でした。線路もコントローラーもなかったのですが、とりあえずこの写真にある20系の“はやぶさ”号を再現したい一心でした(~o~)
 
棚に飾って眺めては・・・
「かっこいい~」と一人悦に入りながら、あれこれ見る角度をかえながら楽しんだものです。KATOの20系も進化をとげ、立派なNゲージモデルとして再登場してしばらくたちます。手持ちの旧モデルのカニさんは、解体されマヤに変身しましたが、未だに残骸は捨てずにとってあります。
 
20系客車・・・本当に優雅で素晴らしいフォルムをした客車です!(^^)!
 

 
 
▼解体され、マヤに変身したカニはこちら↓↓↓
 
 
 

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 ▲ED76牽引の20系“はやぶさ”号
 
   撮影日:1973.9.
   撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時) 

 
懐かしい国鉄時代の画像
花粉症にて、外出がままならぬこの時期を利用して
昔のネガをスキャンし始めました
 
ブログを始めた当初に公開した国鉄時代の写真は、7年前にスキャンした画像でしたが、今回その一部も再度スキャンし直しています。
これから徐々にお見せする国鉄時代の写真は、1973年9月の撮り鉄から始じまってます。管理人が中学校時代のもので、どれも稚拙なものばかりですが、40年前ということでお許しを
 
新スキャンのトップバッターは、大好きだった20系の“はやぶさ”です。
この頃の牽引機はED761000番台
 
ブルーの車体にきりりと締まった3本の白帯、グレーに縁取られた窓枠、食堂車ナシ20などなど・・・
往年の名列車、ブルートレイン“はやぶさ”号の貫禄を十分感じさせてくれる後追いの一枚です(*^_^*)
 

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▲“あさかぜ号”牽引の銀ガマ EF81302号機 ~門司駅にて~ 
  
     撮影日:1976年 6月13日
    撮影地:鹿児島本線 門司駅


 
もう一枚、銀ガマ302号機のプリント写真が出てきました(*^_^*)
 
▼下関駅 1975年2月 (1) 11レ あさかぜ2号
 
昨日UPした、正真正銘の銀ガマ&上記過去記事のつづきです。
 
つたないプリント写真のスキャナーで申し訳ありませんね~。
機番が見えないと思いますが、20系時代の“あさかぜ1号”を牽引しているのは、まぎれもなく正真正銘の銀ガマEF81302号機でございます。
 
手前に停車中の客車に乗り込んで、たぶんデッキあたりから撮ったのだと思います。門司駅の4番ホームですかね?
20系フル編成のブルートレインを牽引してホームに進入してくるその姿は、とても貫禄があります。
 
この写真からは、カニ21のディーゼル音が聞こえてきそうですよ(*^_^*)
うっすらと、紫がかった煙が吹き出しているのに目がいきました。
 
そういえば、下関側の直流区間と、この門司側の交流区間ではパンタグラフの高さが違っているんですね。先の2枚の写真とこの写真を見比べると、かなり印象が違うようにおもいます(^O^)
私は、高く上がった交流区間のパンタグラフの方がカッコいいと思いますが、皆さんはいかがですか?
 
 
 

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  撮影日:1976年 6月13日 
  撮影地:下関駅 6番ホーム

20系 寝台特急 “あさかぜ”号 4号車表示

「20系の寝台特急 はやぶさ号」の写真をUPしながら、同じく20系の寝台特急“あさかぜ”号のことを思い出していました。何せ、20系と言えば“あさかぜ”号が老舗でございます(*^_^*)
以前にもこの書庫で、博多や東郷駅近くでの写真を紹介しましたが、今回の舞台は下関です。当時の“あさかぜ”は、2往復の設定があり、下り2号はここ下関止まりでした。(半分の車両は広島にて切り離し)
20系の丸いフォルムに合わせて、行き先・列車名・号車などの各表示も、丸みをおびた楕円形もしくは円形となっていました。★マークが付いたのが目新しいころの、20系車両です。

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