炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:長崎県

イメージ 1

▲今月の一枚 : 黒島天主堂 
撮影日:2013年11月10日 
撮影地:長崎県佐世保市黒島
  


5月4日~
文化庁は、日本が世界文化遺産に推薦していた「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」について、登録の可否を事前審査する国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が「登録が適当」とユネスコに勧告したと発表

今月のTOPは、この「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の一つである「黒島の集落」にある天主堂
フランス人マルマン神父の設計・指導、そして黒島カトリック信徒の献金・労働奉仕で、1879(明治35)年に完成
レンガ造り(一部木造)の天主堂で、フランス製の鐘やステンドグラスが当時のまま残る貴重な教会である
 

イメージ 1


    ハウステンボス     シルバーウイーク カメラ散歩 









イメージ 2

雨傘の回廊









イメージ 3

秋の空









イメージ 4

夜のホテル









イメージ 5

虹の運河










イメージ 6

光の動物園









イメージ 7

風の汀




(おわり)





イメージ 1

▲ 佐世保重工業のハンマーヘッド型起重機
 
  撮影日 2015.8.19
  撮影地 佐世保市立神町 佐世保重工業 佐世保造船所



ちょうど1年程前に、三菱重工業長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」を紹介しました。今では世界遺産となった、日本初の電動ハンマーヘッド型起重機でございます↓↓↓

▼ブログ内リンク先はこちら


今回は、その世界遺産のクレーンに勝るとも劣らない、これまた現役である電動ハンマーヘッド型起重機を紹介いたしましょう
それは~TOPの写真にあるSSK(佐世保重工業)のクレーンです(*^_^*)
長崎のそれに習って、少しだけこのクレーンの紹介をいたしましょう・・・

この起重機~英国製でグラスゴーにあったサー・ウイリアム・アロル社(Sir William Arrol & Co.1873~1969)から輸入されたもので、1911(大正元年) 年9月に起工、翌年10月に竣工したものです。(電動機はウェスティングハウス社製)
長崎造船所と同じ形態のクレーンであることは一目瞭然ですが、比較してみると~どちらがより吊り上げ能力が大きいと感じますか 
リンク先の写真を参照下しながら、それぞれのクレーンの巾(水平ジブ部分)に注目ですぞ

そうです~佐世保造船所の方が巾が大きいように思われますね(^o^)
実は、SSK佐世保造船所の吊り上げ能力は250トンで、三菱長崎造船所の150トンを100トンも上まわっているのです

三菱長崎造船所に遅れること3年・・・
当時の佐世保海軍工廠にて軍艦の艤装工事を行うために、立神係船池の艤装岸壁にこのクレーンは設置されました。ということで、1912年竣工のこの起重機~完成後すでに103年を経てなお現役の起重機ということになります!(^^)!
世界遺産となった三菱長崎造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」は、わが国初の電動ハンマーヘッド型起重機、しかも現役として貴重な存在ですが、それと同等の価値を有するSSK佐世保造船所の「ジャイアント・カンチレバークレーン」と言えるではないでしょうか

ちなみに、当時、横須賀と呉の海軍工廠にも同様の200トン起重機が設置されましたが、すでに解体撤去されて現存しません。また、この起重機は2007(平成19)年に経済産業省から近代化産業遺産に認定され、さらに2013(平成25)年には、文部科学省より国の登録有形文化財の指定を受けています。




◆追伸
「立神係船池」について、少しだけ触れておきます。
立神係船池の建設工事は、「明治時代における海軍最大の土木工事」と言われるほどの大工事でした。その工法は、管理人が三池築港百話で取り上げている三池港船渠(ドック)のそれと基本的には同様のものと言えます。三池港船渠の繋船壁は花崗岩ですが、その土台にはコンクリートが使用されています。立神係船池の岸壁はコンクリートでできていますが、このコンクリートの技術に関してもまた、両者についての関連性が指摘できます。詳しく知りたい方は、以下のリンク先をぜひご覧下さいませ。

①三池築港百話については、当ブログ内の以下の記事をご覧下さい↓↓↓

②立神係船池に関する詳細については、「広報させぼ」記事をご覧下さい↓↓↓



イメージ 2





イメージ 3

★この起重機は、赤レンガ倉庫とともに佐世保のシンボル的存在であり、また貴重な稼働資産です








イメージ 1
 
▲三菱重工業長崎造船所ハンマーヘッド型起重機
 
  撮影日 2013.11.29
  撮影地 長崎市飽の浦町 三菱重工業長崎造船所

 
 
今朝の西日本新聞朝刊をめくっていたら・・・
ある小さな記事が目にとまりました(*^_^*)
 
 
 政府は11日、三菱長崎造船所(長崎市)の大型機械「ジャイアント・カンチレバークレーン」が、英国スコットランド行政府による文化財の記録事業の対象に選ばれたと発表した。クレーンは国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録を目指す「明治日本の産業革命遺産」の一部で、政府関係者は登録への弾みになると歓迎している。
 内閣官房地域活性化統合事務局によると、クレーンはスコットランドで造られ、1909年に長崎造船所に設置、現在も稼働中だ。
******************************************
 
 
 新聞記事にある「ジャイアント・カンチレバークレーン」は、わが国初の電動ハンマーヘッド型起重機であります。
この起重機~英国はスコットランドのマザーウェル・ブリッジ社から輸入されたもので、三菱造船所飽ノ浦の艤装岸壁にて1907(明治40)年9月から基礎工事に着手して、1909(明治42)年12月に完成したのもです。1945(昭和20)年8月9日には原爆も体験しましたが、爆風にもびくともせず残ったとのこと。1961(昭和36)年には、水の浦岸壁に移設され現在も現役で稼働中です。
 
 据付以来100年以上の歳月が経過した今もなお、船舶エンジン、船用プロペラ、船用ボイラーや艤装類、陸用原動機などの積み出しに活躍し続けています。
ちなみに、高さ62m、長さ73m、吊り上げ能力は150トン(^O^)
 
 坂の街長崎の高台から見渡すと、その堂々とした姿に威厳さえ感じます!(^^)!
今もばりばりの現役~イギリス生まれの起重機は、長崎の街を見下ろしながらお仕事をしています
 
 
 
 
▼おまけだよ
 
イメージ 2
 
 すぐ近くには、三菱重工業長崎造船所資料館があります。ここにも是非立寄っ  て下さいませ

 
 

イメージ 1
 
▲黒島天主堂 佐世保市黒島をさるく (1)   2013.11.10 

 
 
縁あって、11月に長崎県佐世保市の黒島に行ってきました
そこで3回ほどに分けて、黒島をさるくプチ旅のご報告をいたします(^-^)
 
黒島は、長崎県北部の北松浦半島西沖合にある佐世保市の離島でございます。
面積は約5.3㎢、周囲約12.5㎞で人口は500人ほど
 
何が有名かというと~
TOPの写真にある教会でしょう(*^_^*)
 
今年、大牟田の三池炭鉱を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」と「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の2つが、共に2015年夏の世界文化遺産登録を目指して競っていたことは記憶に新しいことです。黒島天主堂は、もちろんこの「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部に含まれております
 
さて、黒島に行くには、相浦港(最寄り駅は松浦鉄道相浦駅)からフェリーに乗り、
途中高島を経由して、所要時間約50分の船旅でございます。
11月10日は、あいにくの曇天&小雨の朝でしたが、自宅より高速道路を利用して相浦港に到着(^O^)早速、船に乗り込みました
 
 
イメージ 2
 
▲車は駐車場に駐め、いざニューフェリー“くろしま”に乗船~運賃は往復で1,330円なり

 
 
 
ここで、長崎や黒島のキリスト教史を繙きたいところですが~、ずいぶんと長いことになりそうなので今回は割愛いたします(というか、管理人には解説は無理(>_<)
 
興味のある方は、HP「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」にて学習して下さいな。
 
 
黒島港に着いてからは、港のすぐ南側の高台を周回する道路を目指します。
今回はガイド付きのツアーに参加したのですが、到着するやいなや手作りの饅頭をいただきました(*^_^*)
お饅頭の名は~「ふくれまんじゅう」
ふっくらした生地の中に、手作りあんこがみっちりと詰まっていて、とっても美味しかったですよ。“サツマサンキライ”の葉に包まれた「ふくれまんじゅう」をほお張りながら、のんびりと黒島をさるきます
 
めったに車は通ることはないし、まるで歩行者天国でございました!(^^)!
 
 
イメージ 3
 
▲道路からの眺めです~小島は左が伊島、右が幸ノ島、奥にうっすらと見えるは平戸島なり

 
 
イメージ 4
 
“サツマサンキライ”の葉に包まれた、手作りの「ふくれまんじゅう」は素朴で美味でした!(^^)!

 
 
 
しばらく歩いてやってきたのは島の南側~
蕨(わらべ)集落です。
黒島には、本村(ほんむら)・東堂平(とうどうびら)・古里(ふるさと)・日数(ひかず)・根屋(ねや)・名切(なきり)・田代(たしろ)、そして蕨(わらべ)の計8集落があります。その内、港近くの本村と島の北東端にある古里は仏教徒の方々が多く、その他の6つの集落にすむ方々はほとんどがカトリックであるとのこと
 
このカトリックの6つの集落は、黒島にバラバラに散らばって位置しています。それには理由がありまして、江戸時代の禁教令下の寛政12(1800)年頃、迫害と食料難から逃げるために「潜伏キリシタン」が黒島に移ってきた時に、彼らはむかしからの住人である仏教徒の集落に遠慮して、村外れの荒れ地に住みつき、開拓をして集落を形成していったとのこと・・・
そんな集落の一つが、蕨(わらべ)の集落です(^o^)
 
 
時代によって状況が違うので、研究者の間では次のように使い分けがされているようです。
・キリスト教伝来(1549)~徳川禁教令(1614頃)‥‥キリシタン
・徳川禁教令下の潜伏時代(1614~1873)‥‥潜伏キリシタン
・キリスト教解禁後、カトリックに復帰した者‥‥復活キリシタン
・キリスト教解禁後、カトリックに復帰せず、潜伏時代の信仰を守り通した者‥‥かくれキリシタン
⇒一般的には「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」をまとめて‘隠れキリシタン’とされていますね(^-^)
 
 
イメージ 5
 
蕨(わらべ)集落~実は集落といっても一軒一軒は離れていて散村のような感じです(^O^)


 
イメージ 6
 
         ▲防風林のアコウの木の内側に年老いたヤギの姿を見つけたぞ~

 
 
イメージ 7
 
▲蕨(わらべ)集落は、このような切り立った断崖に防風林に守られてありました(^-^)

 
 
ご覧になったように、海・防風林・家屋・畑の順番に海岸線から順番に配置されていて、開墾の様子が歴史的景観として残っているところが面白い!(^^)!
しかも、移住してきた方々(主に西彼杵半島の外海地区などから渡ってきた人が多いらしい)には分家の習慣があったらしく、次々と家々が散らばっていって、現在の集落を形成してきたらしい
黒島は、単に天主堂を見るだけでなく、景観にもいろいろな歴史が読めて面白いところです。また、暖流である対馬海流の影響で温暖であり、植生的には亜熱帯系の植物が多く自生しているところも面白い(^_^)v
そこで、先ほど紹介した“サツマサンキライ”~漢字で書くと“薩摩山帰来“でして、分布地は九州南部から沖縄でござーい
聞くとlこによると~黒島が“サツマサンキライ”の北限らしい(^O^)
 
そこで“サツマサンキライ”~、さるく道すがら見つけましたよ“サツマサンキライ”
 
 
イメージ 8
 
▲名の由来は~薩摩地方に多い“サンキライ“(サルトリイバラの別名)が由来らしい

 
 
 
蕨(わらべ)集落を後にした管理人~
こんな瓦を目にしながら、天主堂にだんだん近づいていったのでした(*^_^*)
 
というところで、今回はお開きでございます。
続きは、またその内に・・・
 
 
イメージ 9

 
(つづく)
 
 
 
 

↑このページのトップヘ