撮影日:1975年 3月24日
撮影地:北陸本線 福井駅 1番線
当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m 管理人より
管理人“め次郎さん”の手になる『鉄道の部屋』のなかの「トワイライトゾ~ン」に、わが“炭鉱電車”の貴重な記録が掲載されています。このHPに登場する“め次郎探検隊”、実はかくいう私も“め次郎探検隊”の一員でした(*^_^*)当時としては珍しかった、大型のビデオ機材を肩から担いだ管理人こと“め次郎さん”。一緒に三池港から平井行きの“炭鉱電車”に乗ったのでした。その時の乗車記録が、ビデオテープからとられた写真と共に面白くかつ詳細に述べられています。さらにここでしか見れないものに、大牟田川河口にあった南新開竪坑の軌道があります。まるで廃車体のような機関車のポールを「よいしょ」とばかりに架線に引っかけた後に、ななんと動いた(@_@) 光景が今でも目に浮かんできます。現在このHPは都合により更新されていませんが、新しいブログ『蒸気模型日記』が開設されています。こちらのブログに“め次郎さん”の三池炭鉱再訪記と私が撮影したコハの放置車両などの写真がありますので、合わせてご覧下さいませ。ちなみに“め次郎さん”は、凄腕の16番 蒸気機関車モデラーです!(^^)!
古きよき時代の“炭鉱電車”の写真を見たい方は、ぜひこのHPをご覧下さい。三池港駅と三池港車庫にて撮影された、1979年の“炭鉱電車”の写真の美しいこと(@_@)三池港駅の、20t 1号機の優雅な姿が見れますよ。そして何といっても貴重なのは“ガメ電”こと15t 1・8号機の黒色の車体が見れることです。また、三池港駅の信号所がこれまた貴重なのだ。実はこれらの素晴らし写真の数々は、模型作製のための実物資料でございます。 “大之島鉄道”は「架空の鉄道をモチーフにし実物資料と模型の紹介」をしているHPなのです。管理人様は、自作された車両が鉄道模型趣味誌(TMS)に掲載されるほどの腕前の方です。特に、地元の西鉄やJR九州の車両達が見ものです。ちなみに、“大之島鉄道”の最初の路線は「国鉄日豊線宇島(うのしま)駅から黒土(くろつち)を経て有野」へ至る有野線です。 「 」内は、HPより引用させて頂きました
通勤列車晩年の乗車ルポをお読みになりたい方は、ぜひこのHPをご訪問下さい。ここには、1975年(昭和50年)と1978年(昭和53年)のわが“炭鉱電車”乗車記録と写真が掲載されています。当時、平井まで炭鉱電車に乗車された管理人様は、こんな会話を運転手さんとされたそうですよ。「かしこい学卒さんのおかげで、いままで600Vの直接制御だったのが100Vの間接制御になって助かった」「えっ!?、ここ(運転手の手元にあるコントローラー)に600V流れていたんですか?」「ああ、だからここからよく火花が散ってな」「恐かったでしょ」「そりゃあ、だから間接制御になって本当によかった」 (HPより引用)また、このHPには当時(昭和52年10月1日現在)の三池港駅時刻表があります。平日は朝の4時台から夜の0時台まで、平井行きと万田行きの通勤列車が運行されていたんですね。“炭鉱電車”以外にも、貴重な鉄道の記録がたくさん詰まったHPです。
われらが“炭鉱電車”の通勤列車時代の写真は、そうそうHP上で見れるものではありません。見れたとしても、そのほとんどが三池港や西原・原万田駅、または終点の平井駅で撮影されたものばかりです。そこで、植原 誠さんのHPにある“炭鉱電車”の写真は大変貴重なものといえます。玉名支線の原万田~大平間の築堤を行く、往年(1981年3月)の通勤列車の走行写真を見ることができます。大平駅の俯瞰に築堤をゆく通勤列車は、鄙びていい味が出ています。ところで、植原さんの写真の腕前はというと・・・「SL冬の湿原号」のポスターになるほどでいらっしゃいます(@_@)このHPの見所は、このように素晴らしい鉄道写真が満載というだけではなく、模型のコーナーがまた面白いです。南筑軌道の石油発動機関車“ブタ”ちゃんが登場したりします。ブログもあって、話題満載のHPです。ちなみに、わが“炭鉱電車”はこのHPの片隅にある「バックナンバー」をクリックしてご覧下さい。
私が知る限り、われらが“炭鉱電車”の動画が見れる現時点で唯一のHPがここです(^_^)v(You Tubeにあるビコム「レイルリポート8号-懐かしの鉄路特集」海賊版? は除きます)2007年7月撮影の“炭鉱電車”(三井化学専用鉄道)を見ることができます。動画のシーンは、①旭町1号踏切 ②宮浦駅ヤード ③三井化学工場引き込み線 の3つで、それぞれ1分~2分余りのシーンが楽しめますよ。私のお気に入りは、②の宮浦駅のヤードです。その理由は・・・以前に三池鉄道時報で紹介した「東泉町2号踏切」の警報機の音が聞けるからです。“炭鉱電車”が近づき、警報機が鳴り始めます。その鳴りやむところが聞き所です(*^_^*)ところで、このHP管理人 SGIさんの手になる様々な鉄道シーンの動画は、見る者を引きつけてやみません。動画をUPするご苦労もおありでしょうが、今後のラインナップにも期待したいHPです。ちなみに、わが“炭鉱電車”はこのHPの「思いでの記」>「残存線探訪」>「三井化学専用鉄道」をクリックしてご覧下さい。
『里山工房』・・・いい響きです(*^_^*)“里山”という言葉を今のように広めたのは、京都大学の四手井 綱英(しでい つなひで)名誉教授だと思います。四手井教授による生態学研究の中から“里山”という概念が生まれてきました。「今から50年ほど前・・・日本がまだそんなに豊かでなかった頃、人里近くにある低い丘や山が里山と呼ばれていました」に始まる『里山工房』のHPは、このような日本の原風景に触れるこのできる“里山”を「レイアウト上に再現するために」できた工房です。そんな工房のHPの中に、わが三井三池の“炭鉱電車”が、あたかもエネルギー革命以前の雑木林に行きかうように潜んでいます(@_@) (「 」内は、HPより引用させていただきました)管理人の坂内 定比古さん撮影の、1965~1975年頃の〈古い車輌の写真〉は、“里山”につらなる日本の原風景のような鉄道シーンが広がり心なごみます。“アンティーク・オルゴール”の音色をこよなく愛される坂内さんの本領発揮です。
皆さん、HPの名称だけで判断してはいけません。私の知るかぎり、三井三池の炭鉱電車の機関車達が、かくも美しく鮮明に写し出されたHPは見たことがありませぬ!(^^)! 実に美しい機関車達、そして写真であることか(^_^)vここでは、1993年1月1日の日章旗を掲げた炭鉱電車の形式写真が堪能出来ます。客車列車もそうでしたが、正月の炭鉱電車は機関車のキャブ上に日章旗を掲げて走行したものです。本当に懐かしく想い出されます・・・。 (鉄道画像のページ>特殊鉄道ほか>三池炭鉱)さて、HPの名称にあるように「旅客機」と「国鉄」がメインですが、私鉄ありNゲージありの素晴らしいHPです。(実は、かく言う私も隠れYS-11ファンだったりして ?_?)福岡空港にほど近い私の自宅から、あの独特のロールスロイス製のターボプロップエンジン音が聞けなくってもう一年半がたとうとしています・・・。YS-11の1/200スケールモデルを見ながら懐かしんでいます。(あれ? 三池の話はどこへ・・・)
『眠れないマクラギを数えて』・・・はじめてこのブログを拝見して以来、このネーミングの素晴らしさとその意味について、私なりに勝手に想像を巡らしてきました(*^_^*)「眠れないマクラギ」⇒マクラギは、鉄道を支えるいわば“縁の下の力持ち”的存在です。そのマクラギ達は、昼夜を分かたず一時の休まりもなく鉄路の枕となっている。2条の線路はしばしの眠りにおちいるとることもあるが、それを支える枕木(マクラギ)は自ら眠ることはない・・・。鉄路の続く限り、またマクラギもあり。「眠れないマクラギ」を数えながら、列車は先を急ぎ、また人生も過ぎ去る(?_?) とにかく、このネーミングは私にはとても魅力的に響いてくるのです。肝心のブログの内容説明がまだでしたm(_ _)m みなさん、大牟田の三井化学専用鉄道を訪れる際には、まずはこのブログをチェックしましょう!(^^)! どこにもまして、詳細かつ最新の情報がゲットできます。毎週更新されている専用線の状況報告は、必ずやこの鉄道を訪れる方々のナビ役になること間違いなしです。管理人であるUTXCさんの、詳細なる報告に脱帽です。
三井三池炭鉱の専用鉄道をひもとく際には、まずはこのHPをご覧下さい(~o~)管理者である“うしやん”さんによる詳細な三池鉄道の記事・写真を見ることができます。特に『資料のあれこれ』にある、官営時代から始まる年表は必見です(@_@) ここまで詳細な年表は他では見ることはできません。鉄道関係だけではなく、三池炭鉱の歴史を知る上でも貴重な年表です。ぜひ、ご覧あれ。さらに『駅のあちこち』として、三池鉄道の主要なポイント毎に解説付きの写真レポートがあります。晩年の三池鉄道について、きめ細かな観察眼による写真と解説が楽しめます。その観察眼は、地元出身の私でも驚きです!(^^)!これらのレポートは、管理人“うしやん”さんの三池炭鉱関係の文献・地図・絵葉書・出版物などの研究のたまものです。三井三池の鉄道をこよなく愛し、大切にしていらっしゃる気持ちが伝わるHPでもあります。
管理人の“じぇいばぁど”さんは、鉄道ではなく航空関係(?_?)のお仕事をされています。私と同郷で、「中学生の時から特に興味を持ち始めた三池炭鉱専用鉄道の研究においては、後世にこの鉄道を伝えるために、少しでも役に立てるようにと努めて」いらっしゃいます。(「 」は、HPのプロフィールより引用)HPメニューには『三池炭鉱鉄道研究所』があり、歴史・路線図・車両などのコンテンツが設けらています。中でも、路線図は必見です!(^^)! 路線の新設・廃止などが、年代毎にわかりやすく表示されます。三井三池の専用鉄道は、坑口の変遷を中心として貯炭場・採土場・工場引き込み線などなど・・・変化の多い路線です。この変化に富む路線を、年代別に表示するという優れた路線図がこれです(*^_^*)廃線跡の探訪や、三池鉄道の全容を知るには必須のアイテムです。三池の鉄道以外にも、各地の鉄道や航空機の美しい写真が見ものですよ。
大牟田の近代化遺産を知るには、山田元樹さん(大牟田市在住)によるこのHPをご覧下さい。平成11年から順次UPされた貴重な報告が、坑口をメインとして分かりやすく分類されています。それぞれのメニューをクリックしていくと・・・現在の様子はもとより、貴重な昔の写真や航空写真の画像、更には各建物の内部や機械・設備などの詳細な写真と解説を見ることができます。おまけに新聞記事のスクラップまでもあり、このHPを見ればあなたも大牟田の近代化遺産については一端の専門家になれます(^_^)vわが炭鉱電車(三池炭鉱専用鉄道)についても、ももちろん解説があります。ここでしか見れない貴重なものとしては、『三池炭鉱専用鉄道運転信号保安規程』なる冊子の一部があります。また、橋梁やガードの紹介・かつて三井グリーンランドにて保存されていた蒸気機関車の写真など必見です。個人的には、三池港・宮原坑・電化カーバイト工場にある大正15年の地図がお気に入りです。
“異風者(いひゅうもん)”・・・熊本弁で「変わり者」といった意味があるそうですが、決して「変わり者」なんかではありません。このHPの管理人である前川俊行さんは、現在滋賀県に住んでおられます。「昭和27年 熊本県荒尾市にあった三井鉱山緑ヶ丘若葉社宅で生まれ育ち、父は三池闘争の結果三池炭鉱をクビになり、一家で三池を去る」といった経験をされ、今も「三池に生きた父や母たちが私たちに語り残したかったこと」は何だったのかを探し求め、このHPが日々更新されています。(「 」内は、HPの初めにより引用)かく言う私は、祖父を1963年11月9日の三川坑炭塵爆発で亡くしています。職場では、一組合員としての活動もしていますが、その原点にあるのは、やはり三池労組の活動であったり荒木栄の労働歌です。実際の三池争議や三川坑炭塵爆発の記憶はほとんどない私ですが、襟を正してこれらの歴史と向き合うことが必要だと思っています。
「大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ」は、「異風者からの通信」の前川さんがいわば生みの親といえる存在です。(詳しくは、ファンクラブの活動状況のコーナーをご覧下さい)“このまちへの思いや、懐かしい風景を大切にしよう”“まちをまるごと博物館にしよう”を目的に、2001(平成13)年に“まちを愛する仲間”が集まり立ち上がってできた市民主体のNPO組織です。(結成説明会のパンフより引用 - 現在の会員数は97名)その活動の趣旨通り、現在に至まで大牟田・荒尾の産業遺跡の保存活動の中心的な役割を担ってこられました。また、活動の理念としてのキーワード「世間遺産」(=「伝承遺産」の具体的な姿)を掲げる「九州伝承遺産ネットワーク」の加盟団体でもあります。さらに、荒尾市の施設である万田炭鉱館の管理・運営を平成18年度より3年間任されいます。このHPには、このようなクラブの活動報告はもちろんですが、詳細なる三池炭鉱関係の資料館があり必見です。なお、リンク先のブログでは、最新情報がえられます。