炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:自動車

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▲ 9年ぶりの“炭鉱バス”  ◇レトロ大牟田カメラお散歩  番外◇  
 
  撮影地 : 大牟田市
  撮影日 : 2016.9.10

 

久々の~ レトロ大牟田カメラお散歩 でございます(*^_^*)
今回は、9年ぶりにカメラにおさめた“炭鉱バス”を紹介しましょう
(前回のつづき~本町1丁目のその後はまた後ほど~

今もまだ姿をとどめていましたよ
三港運輸の“炭鉱バス”は、まわりの風景にとけ込むようにして佇んでいました(^-^)
やっぱり、前回訪れた時よりも屋根の腐食が進んでいるかな・・・

どれどれ、反対側から車体を眺めてみましょうか


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前回UPした2007年の画像と比べてみますか?

▼2007年の記事はこちら

やっぱり、車体の腐食が進んでいますね・・・
ただ、折りたたみのドアが今の方が良く見える位置に

もっと近くから車体を見てみましょう(^O^)
まずは、Hinoのエンブレムがある前面から

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三港運輸のマークが立派に残っています(^_^)v
どれどれ、側面のマークも見てみましょうか~

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なんとか、青色の三港運輸の文字が残っています(*^_^*)
後にもまわってみましょう~

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そういえば、前回この廃車体の写真をUPしたときには、バスの型式が話題になったんだった(^O^)
後部には、RLとありますね

この車体も、何とか整備して“炭鉱電車”の脇に持ってきて、“炭鉱バス”として展示したらいいなと思いますが、このような状態では無理かな・・・

三池炭鉱関連の交通遺産として、できるだけ長生き?してほしいものです(^-^)

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     ▲今月(7月)の一枚 : 三港運送の “炭鉱バス”
       撮影日:2007年 1月 1日


「炭鉱電車」があるなら「炭鉱バス」もあり(@_@)

1968(昭和43)年、宮浦坑の閉坑にともなって宮浦~東谷間(3.3辧砲両[線廃止が決定されました。

この頃のフクニチ新聞記事を繙くと(昭和43年12月8日付)・・・

「勝立線廃止と宮浦坑の三川坑への移管にともない、勝立線が廃止された」という内容の記事中に、三港運送が「特定旅客自動車運送事業の免許を得た」という記述があります。

勝立線の通勤列車の廃止と宮浦坑の閉坑にともない、勝立方面の社宅から三川坑への通勤が不便となったため、三港運送によるバス運行が始まったのではないかと思います。

私の記憶の中にも、この写真にある塗色のバスが残っています。
“炭鉱バス”というのは私の造語ですが、大牟田市内を西鉄バスとは別に、この三港運送のバスが走っていたのでした。

いまも残るこの廃車体は、往時を物語る貴重な記録でもあるのです。

    

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