◆ 残そう! 大牟田市庁舎本館 続報 ② ◆
『残そう! 大牟田市庁舎本館 続報①』を報告して以来、いつのまにか1ヶ月もの日々が流れました・・・
この間、保存・活用に向けた様々な動きがありましたが、当ブログでは詳細を報告することができませんでしたm(_ _)m
そこで~詳しくは、以下の【大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ】のブログにて確認をお願いします↓↓↓
なお、【国登録有形文化財 大牟田市庁舎本館の保存と活用をめざす会】が、3月14日より「国登録有形文化財市庁舎本館の保存と活用を求める署名」を開始しています。先のファンクラブブログより、署名用紙がダウンロードできますので、趣旨に賛同される方は、ぜひご活用下さいませ<(_ _)>
さて、今回は大牟田市庁舎本館に関して、最近いただいた別書庫へのコメントから少しだけ記事にしたいと思います。
題して “かつて市役所からも定時に音楽が流れていた”
“かつて市役所からも~” も、というのは、もちろん大牟田松屋のミュージックサイレンを意識したものであります(^O^) 「松屋のミュージックサイレン」記事に寄せられた、ある方からのコメントは以下の通りです。
朝日新聞でミュージックサイレンの記事を読み、大牟田駅から初めて東京に旅立った日のミュージックサイレンを思い出しましたので検索してみたら、このブログがヒットしました。 昭和32年高校を卒業した年の3月末か4月初めだったか今は定かではありませんが、夜行列車の出発時刻に鳴っていた「椰子の実」のミュージックサイレンの音色は今も忘れられない思い出の音です。その時のミュージックサイレンが松屋のものかどうか知りませんが、大牟田のミュージックサイレンはこのブログの冒頭に書いてある昭和33年よりもっと前から鳴っていたのは事実です。
このコメントが寄せられた記事はこちら↓↓↓
このコメントをいただいて直ぐに思い起こしたのが、以下の昭和40年1月19日付の西日本新聞 筑後版記事です
この新聞記事をもとにして、先のコメントに次のようなお返事をさせていただきました・・・
早速ですが、再度資料を調べましたところ、松屋のミュージックサイレンの担当者の方の証言によると、昭和34年から流れていたようです。
(参考にした資料は、次のHPにある証言記載です→http://bougaku.fc2web.com/)
ところで、松屋のミュージックサイレン設置以前の昭和33年に、市役所屋上に“愛の鐘”と称したサイレンが設置されいたようです。このサイレンは、朝7時に“ウエストミンスターの鐘”、夕方5時に“椰子の実”、夜10時に“ブラームスの子守歌”のメロディーを流していました。管理人はまったく記憶がないのですが、松屋のミュージックサイレンよりは音量が小さかった?(ちなみに、管理人は倉永小校区の住人でした)昭和40年1月9日発行の西日本新聞筑後版に、「鳴る日はいつ“愛の鐘”」という記事が掲載されています。市役所のサイレンが壊れて鳴らなくなったようで、そもそもの設置者であった防犯協会が復活させて欲しいと要望を出している旨の記事です。昭和40年頃まで、市役所屋上(正確には塔屋の屋上)にサイレンが設置されていたことは明らかです。
(参考にした資料は、次のHPにある証言記載です→http://bougaku.fc2web.com/)
ところで、松屋のミュージックサイレン設置以前の昭和33年に、市役所屋上に“愛の鐘”と称したサイレンが設置されいたようです。このサイレンは、朝7時に“ウエストミンスターの鐘”、夕方5時に“椰子の実”、夜10時に“ブラームスの子守歌”のメロディーを流していました。管理人はまったく記憶がないのですが、松屋のミュージックサイレンよりは音量が小さかった?(ちなみに、管理人は倉永小校区の住人でした)昭和40年1月9日発行の西日本新聞筑後版に、「鳴る日はいつ“愛の鐘”」という記事が掲載されています。市役所のサイレンが壊れて鳴らなくなったようで、そもそもの設置者であった防犯協会が復活させて欲しいと要望を出している旨の記事です。昭和40年頃まで、市役所屋上(正確には塔屋の屋上)にサイレンが設置されていたことは明らかです。
TOPに掲載した絵葉書は、おそらく昭和30年頃の市庁舎本館と思われます。この絵葉書には、市庁舎本館の正面向かって左屋上に大きなサイレンがあるのが見て取れます。このサイレンと、新聞記事の“愛の鐘”は明らかに別物で、塔屋屋上に設置されたもののようです。(新聞記事に掲載されている写真に、塔屋屋上にそれらしきサイレンが写っています)
管理人は、市庁舎本館のミュージックサイレンはまったく記憶にないのですが、聞き覚えのある方いらっしゃいますか