炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:熊本県

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1年後の 第二坑 坑口

2009年の11月3日・・・

連載中の写真からちょうど1年後の 万田坑 第二坑


今年は快晴の天気にも恵まれ、補修工事が完了した万田坑第二坑の竪坑櫓が一段と輝いて見える
前回の写真にある坑口の縁から、竪坑櫓を見上げる

美しく塗装し直されたイギリス製の鉄製櫓が初々しく感じられた
その間隙から、やわらかい秋の日差しが漏れ落ちてくる・・・

しばしの間、竪坑櫓をフィルターにして天空を見上げる



(つづく)

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▲1968(昭和43)年頃
 *写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます

提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)

【四ッ山グラウンドでのソフトボール大会】
これは少し時代が下って
昭和43年の頃のようです
場所は四ッ山グラウンド

山吹町の少年ソフトボールチームとして大会に出場した時に、
同時に行われていた成人の部を撮ったもののようです

背後の大きな建物は何の建物なのでしょうか?



◆このようなグラウンドは、新港町や勝立に最近まで残っていました。
 草茫々の中に、バックネットだけがそそり立つ・・・
 かつて、そこがグラウンドであった証のようにです。
 
 (管理人)


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▲「長崎屋」の壁の手書き地図

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山 

真夏の四ツ山界隈散歩 その3 県境を歩く

真夏の日に、福岡・熊本両県の県境の街を歩いてみました・・・最終回です。

四ツ山駅に残る架線柱や踏切跡を見た後に、またまた県境へともっどて来ました。
ふと、大衆食堂「長崎屋」の壁に目がとまった管理人・・・

手書きの地図にしばし見入ります。
しげしげと眺めた理由は ⇒ もちろん鉄道表記でございます(*^_^*)

どこに目がいったかというと、
荒尾駅の東から半円形にのびて三池鉄道と重なり?
玉名支線へとそのまま連なる様に描かれた線路です。

戦時中は、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所への引き込み線があった荒尾駅。
戦後は、荒尾市営電気鉄道として存続したこの引き込み線でした。
で、先の壁地図・・・

すでに荒尾市営電気鉄道の線路は描かれていませんが、三池鉄道との連絡線は描かれています。
火薬製造に携わっていた東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所と、大牟田の化学工場との関連は想像できますが、はたしていつまでこの連絡線が存在したのか?

この手書き地図、いつ時点の地図なのか調べてみたくなりました(^_-)

さてさて、県境界隈の探索報告も終わりです。
「産交バス」に「万幸堂」のメロンパン、
そして県境食堂のラーメンに回転万十などなど・・・

今だ四ツ山は、色々な表情を見せてくれる街でございますよ~(^_^)v


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▲大衆食堂「長崎屋」



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▲「猿渡食品」から発電所の煙突を望む


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▲ヤミ市があった場所から「中尾鮮魚店」を望む


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▲同じく、現在の国道389号線沿いの「中尾鮮魚店」


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▲県境のラーメン&回転万十屋さん


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▲熊本県荒尾市は「産交バス」ですよ


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▲メロンパンが評判の「万幸堂」 土産に買いましたメロンパン




(おわり)

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▲1964(昭和39)年頃
 *写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます

提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)

【四ツ山神社の鳥居】
四ッ山神社
昭和39年頃のようです。
(四ツ山には) なんか何もないという感じで、木々も茂ってないですね・・・。



◆当ブログの関連記事はこちら↓↓↓

①四ツ山に登る その1 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/9530643.html
②四ツ山に登る その2 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/11093611.html
③四ツ山に登る その3 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/12239282.html
④四ツ山に登る その4 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/13645404.html 

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▲1971(昭和46)年 卒業アルバムより
 *写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます

提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)

【緑ヶ丘小学校】

1971年の卒業時のアルバムからです。
前年は大阪万博一色で、クラスから1人見に行ったのを自慢していた子がいました。
新幹線も無い時代ですから、大阪に行くのは大変なことです。

写真は中表紙の学校正門。
教室は驚くほどたくさんありましたが、
炭鉱に見切りをつけて市から出て行く人がかなり多く、使われていない教室がほとんどでした。

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撮影日:1964(昭和39)年
撮影地:荒尾市 緑ヶ丘山吹町    *写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます

提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)

【緑ヶ丘山吹町への道】

グリーンランド正門から緑ヶ丘山吹町へ到る主要道路です。
西鉄バス倉掛バス停を経由して荒尾市営バスが走っていました。

中央に見える煙突のある建物は共同浴場で、
三井関連会社従業員および家族は無料で使用できました。
敷島町と山吹町の住人が利用していたと思います。

中央から左へかけての家は山吹町の一部です。
その手前の窪地にはグラウンドがありました。

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▲草生す 旧三池鉄道 西原駅

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山 

真夏の四ツ山界隈散歩 その2

真夏の日に、福岡・熊本両県の県境の街を歩いてみました・・・つづきです。

県境の街並みを散策して、かつての三池炭鉱専用鉄道の西原駅跡にやってきました。
ご覧のように、真夏のこの時期は草々が繁茂し、まるでこんもりした緑の絨毯状態です(@_@)

かろうじて、駅のホームに至る通路入り口付近だけは、往時のよすがが偲べる状況です。
ホームへの階段や手摺が、昔のままに残っています。
かつては、万田や平井方面の社宅からの買い物客で賑わっていた、ここ西原駅。

今は、つわものどもが夢の跡・・・

駅入り口近く、大きなバルブがオブジェのように佇んでいます。
この町が、かつては炭鉱で栄えていたことの証であるかのように・・・

鉄道は消えて無くなってしまいましたが、いまもここを生きたパイプラインが通っています。
そして、鉄道敷き上に連なるあの鉄塔も昔のままです。

次は、四ツ山駅方面に廃線跡を辿ってみることにしましょうか。


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▲西原駅 その2 ~ホームはずれから四ツ山を望む~'



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▲西原駅 その3 ~線路敷き跡のパイプラインと鉄塔~


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▲西原駅 その4 ~西原駅への入り口付近~


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▲西原駅 その5 ~原万田方面行きホームの階段~'''


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▲西原駅 その6 ~上下線のホームを望む~


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▲西原駅 その7 ~駅入り口横のパイプラインバルブ~'''


西原駅から、かつての四ツ山登山道入り口近くの踏切跡を過ぎ、旧四ツ山駅付近にやってきました。
この付近の線路敷きは、コンクリート枕木がいまも残されたままとなっています。
しばらく歩みをすすめると、懐かしい光景にいくつか会うことができました。

一つだけのこる架線、昔の光景が脳裏を横切りました。
⇒昔の光景 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/9511118.html

ふみきり表示のある鉄柱
草むらにひっそり佇む「リバー」のロットを支えていた鉄の部品


しばし、旧四ツ山駅にて昔の痕跡を捜し求めた管理人でした。



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▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その1 ~コンクリート枕木が残る廃線跡


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▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その2 ~駅に至る踏切跡~


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▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その3 ~今も残る傾いた架線柱~


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▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その4 ~ポイント切り替えの「リバー」跡~



(つづく)

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▲空をゆくパイプライン

撮影日:2009年 8月17日
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山 


かつての三池炭鉱専用鉄道 四ツ山駅 への踏切付近

幾線かの鉄路を渡っていた 踏切入り口跡・・・
今も、低く天空をゆく一本のパイプラインがある

手を伸ばせば届くようなところをゆく このパイプライン

途中で少し折れ曲がっていているようで、何だか愛嬌があるのである


そこかしこに残されている かつて鉄道があった証に囲まれ

今も現役であろうパイプライン 


何をか語りかけようぞ


架線柱に踏切表示


(つづく)

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▲草生す 旧三池鉄道敷きと四ツ山

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山 

真夏の四ツ山界隈散歩 その1

真夏の日に、福岡・熊本両県の県境の街を歩いてみました。

わが三池鉄道の跡は・・・
TOPの写真からは、草に覆われて見る影もありません。
ここは旧西原駅ホームの先、原万田側にあった踏切から四ツ山を仰いだ図です。

線路を跨いでいた高圧鉄塔のみが、かつての鉄道敷きの証。


さて、コメントにて話題になっていた“和光”に行ってみたいと思います(*^_^*)
まずは、県境の十三間道路の様子から・・・

ここはかつての市内電車の終点ですね。
戦後はバラックが建ち並び、闇市があった付近です。

左手の道路は、三川坑方面に通じる道路。


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▲県境の十三間道路 大牟田方面を望む


大牟田の北部(倉永小校区)に住んでいた私は、四ツ山界隈で買い物をしたことはありませんでした。
時々、十三間道路を通ったり、四ツ山の虚空蔵さんに行ったくらいです。
県境の賑わいは記憶に残っていますが、お店の名前などは分かりません・・・。

とりあえず、話題になっていた“和光”を訪ねてみました。

荒尾は、ちょうど梨の時期をむかえていて、露店にて梨を売っていました。


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▲和光 その1   和光と発電所の煙突 



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▲和光 その2   荒尾ナシの露店


“和光”がある通りから、さらに南側の通りにやってきました。
この通りには鮮魚店が3軒くらい軒を連ねているんですね。

お店を覗きながらボチボチ歩きます(^_^)v

西田鮮魚店がある建物の裏側にまわってみたところ・・・
何だか昔映画館なんぞがあったような感じですね~

今では蔦がからまる建物となっています。


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▲鮮魚店が連なる街並み その1



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▲鮮魚店が連なる街並み その2


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▲西田鮮魚店を裏側から見ると・・・


今でも、ちょっと路地裏に入ってみると・・・

このように、狭い通路をはさんで
肩を寄せ合うように建ち並んだ家並みがつづいています。

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▲今も軒を寄せ合って立つ家並み




(つづく)

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 ▲今月(4月)の一枚 万田坑の小宇宙
      撮影日:2009年3月15日
      撮影地:万田坑


補修工事が進む万田坑

そのすぐそば
天空に開かれた小宇宙が広がる

この小宇宙

荒尾市が発行している万田坑パンフレット
の表紙も飾っている


私のお気に入りの場所の一つである

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