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四ッ山グラウンドでのソフトボール大会

▲1968(昭和43)年頃
*写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます
提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)【四ッ山グラウンドでのソフトボール大会】
これは少し時代が下って
昭和43年の頃のようです
場所は四ッ山グラウンド
山吹町の少年ソフトボールチームとして大会に出場した時に、
同時に行われていた成人の部を撮ったもののようです
背後の大きな建物は何の建物なのでしょうか?
これは少し時代が下って
昭和43年の頃のようです
場所は四ッ山グラウンド
山吹町の少年ソフトボールチームとして大会に出場した時に、
同時に行われていた成人の部を撮ったもののようです
背後の大きな建物は何の建物なのでしょうか?
◆このようなグラウンドは、新港町や勝立に最近まで残っていました。
草茫々の中に、バックネットだけがそそり立つ・・・
かつて、そこがグラウンドであった証のようにです。
(管理人)
草茫々の中に、バックネットだけがそそり立つ・・・
かつて、そこがグラウンドであった証のようにです。
(管理人)
真夏の四ツ山界隈散歩 その3 ~県境を歩く~

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
四ツ山駅に残る架線柱や踏切跡を見た後に、またまた県境へともっどて来ました。
ふと、大衆食堂「長崎屋」の壁に目がとまった管理人・・・
ふと、大衆食堂「長崎屋」の壁に目がとまった管理人・・・
手書きの地図にしばし見入ります。
しげしげと眺めた理由は ⇒ もちろん鉄道表記でございます(*^_^*)
しげしげと眺めた理由は ⇒ もちろん鉄道表記でございます(*^_^*)
どこに目がいったかというと、
荒尾駅の東から半円形にのびて三池鉄道と重なり?
玉名支線へとそのまま連なる様に描かれた線路です。
荒尾駅の東から半円形にのびて三池鉄道と重なり?
玉名支線へとそのまま連なる様に描かれた線路です。
戦時中は、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所への引き込み線があった荒尾駅。
戦後は、荒尾市営電気鉄道として存続したこの引き込み線でした。
で、先の壁地図・・・
戦後は、荒尾市営電気鉄道として存続したこの引き込み線でした。
で、先の壁地図・・・
すでに荒尾市営電気鉄道の線路は描かれていませんが、三池鉄道との連絡線は描かれています。
火薬製造に携わっていた東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所と、大牟田の化学工場との関連は想像できますが、はたしていつまでこの連絡線が存在したのか?
火薬製造に携わっていた東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所と、大牟田の化学工場との関連は想像できますが、はたしていつまでこの連絡線が存在したのか?
この手書き地図、いつ時点の地図なのか調べてみたくなりました(^_-)
さてさて、県境界隈の探索報告も終わりです。
「産交バス」に「万幸堂」のメロンパン、
そして県境食堂のラーメンに回転万十などなど・・・
「産交バス」に「万幸堂」のメロンパン、
そして県境食堂のラーメンに回転万十などなど・・・
今だ四ツ山は、色々な表情を見せてくれる街でございますよ~(^_^)v

▲大衆食堂「長崎屋」

▲「猿渡食品」から発電所の煙突を望む

▲ヤミ市があった場所から「中尾鮮魚店」を望む

▲同じく、現在の国道389号線沿いの「中尾鮮魚店」

▲県境のラーメン&回転万十屋さん

▲熊本県荒尾市は「産交バス」ですよ

▲メロンパンが評判の「万幸堂」 土産に買いましたメロンパン
(おわり)
四ツ山神社の鳥居

▲1964(昭和39)年頃
*写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます
提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)【四ツ山神社の鳥居】
四ッ山神社
昭和39年頃のようです。
(四ツ山には) なんか何もないという感じで、木々も茂ってないですね・・・。
四ッ山神社
昭和39年頃のようです。
(四ツ山には) なんか何もないという感じで、木々も茂ってないですね・・・。
◆当ブログの関連記事はこちら↓↓↓
①四ツ山に登る その1 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/9530643.html
②四ツ山に登る その2 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/11093611.html
③四ツ山に登る その3 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/12239282.html
④四ツ山に登る その4 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/13645404.html
②四ツ山に登る その2 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/11093611.html
③四ツ山に登る その3 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/12239282.html
④四ツ山に登る その4 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/13645404.html
荒尾市立緑ヶ丘小学校

▲1971(昭和46)年 卒業アルバムより
*写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます
提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)【緑ヶ丘小学校】
1971年の卒業時のアルバムからです。
前年は大阪万博一色で、クラスから1人見に行ったのを自慢していた子がいました。
新幹線も無い時代ですから、大阪に行くのは大変なことです。
写真は中表紙の学校正門。
教室は驚くほどたくさんありましたが、
炭鉱に見切りをつけて市から出て行く人がかなり多く、使われていない教室がほとんどでした。
1971年の卒業時のアルバムからです。
前年は大阪万博一色で、クラスから1人見に行ったのを自慢していた子がいました。
新幹線も無い時代ですから、大阪に行くのは大変なことです。
写真は中表紙の学校正門。
教室は驚くほどたくさんありましたが、
炭鉱に見切りをつけて市から出て行く人がかなり多く、使われていない教室がほとんどでした。
緑ヶ丘山吹町への道

撮影日:1964(昭和39)年
撮影地:荒尾市 緑ヶ丘山吹町 *写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます
撮影地:荒尾市 緑ヶ丘山吹町 *写真をクリックすると、より鮮明な画像にてご覧になれます
提供者:“くろしお”さん(写真・解説文ともに)
【緑ヶ丘山吹町への道】
グリーンランド正門から緑ヶ丘山吹町へ到る主要道路です。
西鉄バス倉掛バス停を経由して荒尾市営バスが走っていました。
中央に見える煙突のある建物は共同浴場で、
三井関連会社従業員および家族は無料で使用できました。
敷島町と山吹町の住人が利用していたと思います。
中央から左へかけての家は山吹町の一部です。
その手前の窪地にはグラウンドがありました。
グリーンランド正門から緑ヶ丘山吹町へ到る主要道路です。
西鉄バス倉掛バス停を経由して荒尾市営バスが走っていました。
中央に見える煙突のある建物は共同浴場で、
三井関連会社従業員および家族は無料で使用できました。
敷島町と山吹町の住人が利用していたと思います。
中央から左へかけての家は山吹町の一部です。
その手前の窪地にはグラウンドがありました。
真夏の四ツ山界隈散歩 その2 ~草生す 旧三池鉄道 西原駅~

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
県境の街並みを散策して、かつての三池炭鉱専用鉄道の西原駅跡にやってきました。
ご覧のように、真夏のこの時期は草々が繁茂し、まるでこんもりした緑の絨毯状態です(@_@)
ご覧のように、真夏のこの時期は草々が繁茂し、まるでこんもりした緑の絨毯状態です(@_@)
かろうじて、駅のホームに至る通路入り口付近だけは、往時のよすがが偲べる状況です。
ホームへの階段や手摺が、昔のままに残っています。
かつては、万田や平井方面の社宅からの買い物客で賑わっていた、ここ西原駅。
ホームへの階段や手摺が、昔のままに残っています。
かつては、万田や平井方面の社宅からの買い物客で賑わっていた、ここ西原駅。
今は、つわものどもが夢の跡・・・
駅入り口近く、大きなバルブがオブジェのように佇んでいます。
この町が、かつては炭鉱で栄えていたことの証であるかのように・・・
この町が、かつては炭鉱で栄えていたことの証であるかのように・・・
鉄道は消えて無くなってしまいましたが、いまもここを生きたパイプラインが通っています。
そして、鉄道敷き上に連なるあの鉄塔も昔のままです。
そして、鉄道敷き上に連なるあの鉄塔も昔のままです。
次は、四ツ山駅方面に廃線跡を辿ってみることにしましょうか。

▲西原駅 その2 ~ホームはずれから四ツ山を望む~'

▲西原駅 その3 ~線路敷き跡のパイプラインと鉄塔~

▲西原駅 その4 ~西原駅への入り口付近~

▲西原駅 その5 ~原万田方面行きホームの階段~'''

▲西原駅 その6 ~上下線のホームを望む~

▲西原駅 その7 ~駅入り口横のパイプラインバルブ~'''
西原駅から、かつての四ツ山登山道入り口近くの踏切跡を過ぎ、旧四ツ山駅付近にやってきました。
この付近の線路敷きは、コンクリート枕木がいまも残されたままとなっています。
しばらく歩みをすすめると、懐かしい光景にいくつか会うことができました。
この付近の線路敷きは、コンクリート枕木がいまも残されたままとなっています。
しばらく歩みをすすめると、懐かしい光景にいくつか会うことができました。
ふみきり表示のある鉄柱
草むらにひっそり佇む「リバー」のロットを支えていた鉄の部品
草むらにひっそり佇む「リバー」のロットを支えていた鉄の部品
しばし、旧四ツ山駅にて昔の痕跡を捜し求めた管理人でした。

▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その1 ~コンクリート枕木が残る廃線跡

▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その2 ~駅に至る踏切跡~

▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その3 ~今も残る傾いた架線柱~

▲旧四ツ山駅付近の鉄道敷き跡 その4 ~ポイント切り替えの「リバー」跡~
(つづく)
4.空をゆくパイプライン

撮影日:2009年 8月17日
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
かつての三池炭鉱専用鉄道 四ツ山駅 への踏切付近
幾線かの鉄路を渡っていた 踏切入り口跡・・・
今も、低く天空をゆく一本のパイプラインがある
手を伸ばせば届くようなところをゆく このパイプライン
途中で少し折れ曲がっていているようで、何だか愛嬌があるのである
そこかしこに残されている かつて鉄道があった証に囲まれ
今も現役であろうパイプライン
何をか語りかけようぞ
架線柱に踏切表示
(つづく)
真夏の四ツ山界隈散歩 その1 ~大牟田・荒尾の県境を歩く~

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山
わが三池鉄道の跡は・・・
TOPの写真からは、草に覆われて見る影もありません。
ここは旧西原駅ホームの先、原万田側にあった踏切から四ツ山を仰いだ図です。
TOPの写真からは、草に覆われて見る影もありません。
ここは旧西原駅ホームの先、原万田側にあった踏切から四ツ山を仰いだ図です。
線路を跨いでいた高圧鉄塔のみが、かつての鉄道敷きの証。
さて、コメントにて話題になっていた“和光”に行ってみたいと思います(*^_^*)
まずは、県境の十三間道路の様子から・・・
まずは、県境の十三間道路の様子から・・・
ここはかつての市内電車の終点ですね。
戦後はバラックが建ち並び、闇市があった付近です。
戦後はバラックが建ち並び、闇市があった付近です。
左手の道路は、三川坑方面に通じる道路。

▲県境の十三間道路 大牟田方面を望む
大牟田の北部(倉永小校区)に住んでいた私は、四ツ山界隈で買い物をしたことはありませんでした。
時々、十三間道路を通ったり、四ツ山の虚空蔵さんに行ったくらいです。
県境の賑わいは記憶に残っていますが、お店の名前などは分かりません・・・。
時々、十三間道路を通ったり、四ツ山の虚空蔵さんに行ったくらいです。
県境の賑わいは記憶に残っていますが、お店の名前などは分かりません・・・。
とりあえず、話題になっていた“和光”を訪ねてみました。
荒尾は、ちょうど梨の時期をむかえていて、露店にて梨を売っていました。

▲和光 その1 和光と発電所の煙突

▲和光 その2 荒尾ナシの露店
“和光”がある通りから、さらに南側の通りにやってきました。
この通りには鮮魚店が3軒くらい軒を連ねているんですね。
この通りには鮮魚店が3軒くらい軒を連ねているんですね。
お店を覗きながらボチボチ歩きます(^_^)v
西田鮮魚店がある建物の裏側にまわってみたところ・・・
何だか昔映画館なんぞがあったような感じですね~
何だか昔映画館なんぞがあったような感じですね~
今では蔦がからまる建物となっています。

▲鮮魚店が連なる街並み その1

▲鮮魚店が連なる街並み その2

▲西田鮮魚店を裏側から見ると・・・
今でも、ちょっと路地裏に入ってみると・・・
このように、狭い通路をはさんで
肩を寄せ合うように建ち並んだ家並みがつづいています。
肩を寄せ合うように建ち並んだ家並みがつづいています。

▲今も軒を寄せ合って立つ家並み
(つづく)
2009. 4 今月の一枚 万田坑の小宇宙

撮影日:2009年3月15日
撮影地:万田坑
補修工事が進む万田坑
そのすぐそば
天空に開かれた小宇宙が広がる
この小宇宙
荒尾市が発行している万田坑パンフレット
の表紙も飾っている
私のお気に入りの場所の一つである
