炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:熊本県

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  オ イ ル 柄 杓

第二竪坑巻揚機室の一隅

閉山時のままに時が止まったかのよう


十年以上経ても、ここには人の手が入ることなく

ただ移ろいゆく時が過ぎていくだけ


今もまだ、巻揚機は息づいている



(つづく)

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  巻  揚  機  操  作  桿

第二竪坑巻揚機室・・・

薄暗い巻揚機室にあって

その操作桿の存在感の大きさを思う


暗く狭い地底の坑底に、この操作桿にて坑夫をおくる


人命をあずかるこの操作桿

巨大な巻揚機の心臓部である




(つづく)

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山  の  神

第二竪坑巻揚機室の北側

今も山の神の石祠(せきし)が残る

坑夫たちは、入坑前にはここで必ず安全を祈願をした

今も万田坑を訪れると、すぐに目に飛び込んでくる

山の神の祠(ほこら)


ここを訪れる者達が、もはや入坑することはないが

やはりここで手を合わさずにはおられない


石祠(せきし)には大正5年、灯籠には大正6・7年・・・

花立てや賽銭箱にも奉納年や奉納者が刻み込まれている




(つづく)

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冬の朝日を浴びる第二竪坑

補修工事が行われる前の第二竪坑

冬の凍てつき澄んだ空気は美しい


そして、100年の齢を重ねる煉瓦も美しい


朽ちた竪坑櫓も美しいと言いたいところだが

やはり現役時代のように生きた感じがしないのは寂しい



廃墟然とした万田坑の姿

2009年1月2日 早朝

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蔦からまる第二竪坑巻揚機室

補修工事が行われる前の第二竪坑巻揚機室

煉瓦造りの巻揚機室北面やこの東面には、閉山以来蔦がはびこっていた

蔦からまるこの景色も、それなりに風情をたたえていたが
現役時代を知るものにとっては、痛ましいことのようにも思えた


時代は経て、世界遺産登録への取組や観光地化がすすんでしまった昨今
補強材が一部外部にむき出しとなり、円形の窓が補修された姿は
かつての万田坑とは明らかに印象が異なる

建設当時の姿に、本当に近づいたのだろうか?
耐震上、致し方ないことだったのだろうか?


どうしてその様なことになってしまったのだろう・・・

以前の写真を見ながら、あらためて疑問に思う



(つづく)


▼現在の万田坑の様子はこちら↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/35808974.html

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▲裸の男衆がぶつかり合う勇壮な祭り “的ばかい”

撮影日:2011年 1月16日
撮影地:熊本県 長洲町

厳寒の日の“的ばかい”を観る

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16日(日)午後、縁あって熊本県は長洲町にある四王子神社のお祭り“的ばかい”に行ってきました。
“的(まと)ばかい”は四王子神社の破魔弓祭(はまゆみまつり)の別称で、850年の歴史を持つ裸祭りです。
神社の解説によると・・・
1160年(永暦元年)筑前国三笠郡四王子嶽(大宰府政庁背後にある山塊)から迎えたご神体を安置した円座を、氏子たちが「我が家のお守りに」と奪い合ったのが起源であるとのこと。
『御祭神が弓道に秀でた神であったことから、円座に似た的を作り、それを弓矢で射て悪魔退散、諸厄災消除、家運長久を祈願したのち、その的を奪い合う神事に発展した』そうです。

ちなみに“ばかい”とは方言で、「奪い合う」という意味とのこと。

▼『 』内は、以下のHPから引用しました↓↓↓
http://wadaphoto.jp/maturi/mato.htm


裸の締め込み姿の男たち約150人が、打ち上げ花火を合図にわらで編んだ“的”を奪い合う(^O^)
「まーと、まーと」というかけ声とともに、裸の体と体がぶつかり合う勇壮な祭りです。

力水もかけられ、体からは湯気が上がります~

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社殿の周りを1時間あまりもみ合いながら練り歩いたのち、神社地先の有明海へ~

神社を抜け出し、一足先に有明海へ行ってみたところ・・・驚きました!(^^)!
なんと、干潟が真っ白で流氷みたいになってます(@_@)
昨夜来の寒気で雪が吹き寄せられ、溜まって固まったようです。
地元の方も「こんなの見たことない」と言っておられましたが、古老によると「80年ぶりのことだ」とのお話。

この日の寒風すさぶ有明海の体感温度、氷点下だったと思います(*_*)
珍しい光景の記念写真を撮ったのは言うまでもありません。

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例年だと、最後に有明海までもつれ込んで祭りが終わるらしいのですが、この日ばかりはそうもいきません。

初めて目にした“的ばかい”と“有明海の白い干潟”に驚きと感動の一日でした。

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最後に、神社に運ばれる“的”をカメラに納めました。神社に戻った“的”は、氏子長老によって16
等分に裁断され、家内安全や無病息災などのお守りとして町内や参拝者に配布されるそうです。

ちなみに、このお祭りには申し込めば参加可能です(^_-)

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第一竪坑櫓コンクリート基礎越しに見る第二竪坑

今も開口している第一竪坑口

その両脇にそびえ立つ堅固なコンクリート基礎

かつて30.7mの竪坑櫓がたっていたこの場所
当時は東洋一とうたわれた高い櫓

第二竪坑櫓の2倍あった櫓
残念ながら、今ここに存在しない

昭和26年、万田坑と三川坑が統合された後
昭和29年に第一竪坑櫓は解体され、北海道の芦別炭鉱第一竪坑に移築


第二の仕事場が見つかったのだが、その姿も今はない・・・



(つづく)

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第一竪坑坑口


深さ273mの坑口が、今も口を開けている

その坑口上の金網に座り込み、深き竪坑をのぞき込む


かつてはこの坑口から石炭が巻き上げられ、選炭場へと運ばれていった
今では、坑口と両脇の堅固な櫓の土台を残すのみ

閉山後、他の坑口はすべて埋められ、コンクリートで封鎖されてしまったが、
ここ万田坑第一竪坑の坑口は、閉鎖されることなく現在もその姿をとどめている

周りをシダで覆われた竪坑の坑底には、地下水が溜まっている
今日のような寒い日は、地熱の関係で蒸気が上がることもあるらしい



万田坑はまだ息をしている・・・



(つづく)

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第二竪坑櫓と巻揚機室


第二竪坑櫓と巻揚機室を、南側の汽罐場跡から望む

現役時代は銀色に輝いていた竪坑櫓・・・
かなり錆びついて、往時の威厳が失われつつあった


一部窓がコンクリートブロックで封鎖され、蔦が繁茂していた巻揚機室・・・

今では補修工事が行われ、封鎖されていた窓に再び日が差すようになったものの
耐震補強の骨材がむき出しになってしまった


荒れ果てた感じがしたこの頃の万田坑・・・
しかしそこには、閉山した当時の雰囲気がそのまま残されていた


修復された今、美しくなったその姿を素直に喜べない自分がここにある


(つづく)

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第二竪坑櫓土台


万田坑第二竪坑櫓の土台部分・・・

長く風雪に耐えてきたであろう、その歴史をここに見る

今も美しい煉瓦アーチと無愛想なコンクリート壁
一部補強や改造の跡であろうか・・・ コンクリート部分は様々な表情を見せる

櫓にばかり目を奪われるところであるが
櫓を支えるこの土台部分にも目を向けたいものである


ちなみに、今はない一坑櫓であるが、その土台部分がオブジェのように残っている
いかにも、土台部分が頑丈に出来ているかを誇っているかのように


二坑櫓の土台部分を見ながら、私はそう思う・・・


(つづく)

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