炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:急行

イメージ 1

                    ▲  14系 急行 “阿蘇” 稲穂垂れる秋晴れ
 
                         撮影日:1975年10月19日
                         撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)



懐かしい国鉄時代の画
久々のUPでございます(*^_^*)
今回は~14系 急行 “阿蘇” 稲穂垂れる秋晴れ

ちょうど季節的に今頃の風景ですね~
ED76牽引の14系座席車の急行“阿蘇”が駆け抜けていきます

たぶん、たわわに実る稲穂を強調したかったのでしょう!(^^)!
縦アングルの、いつもの実家近くのお立ち台からの撮影ですね
当時の撮影メモによると・・・
高校の中間考査の時だったらしく、「明日は、物理・英語の試験なので今からがんばらなくてはー」

どうも、テスト勉強の合間の気晴らし撮影だったようです




イメージ 1

▲ ED76牽引 下り203レ 急行 “阿蘇”
 
   撮影日:1975年 9月14日
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬駅付近



懐かしい国鉄時代の画
久々のUPでございます(*^_^*)
今回は~ED76牽引の下り203レ 急行 “阿蘇” でございます

小高い丘から列車を俯瞰してみました(^O^)
14系座席車12両を連ねた編成がいいですな
当時のブルートレインにも見劣りしない、立派なお姿でございます~

手前の空き地は、その後海苔製造工場になったと思いますが今も操業してるのかな?



(つづく)

イメージ 1

▲ 14系座席車12連 “阿蘇” 
 
   撮影日:1975年 7月頃
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)



懐かしい国鉄時代の画
久々のUPでございます(*^_^*)
今回は~早朝の14系座席車12連でございます

いつもこのシリーズでは、管理人の「「鉄道写真記録」簿とネガから撮影日などを割り出しているのですが・・・
今回のスキャン画像の記録が見あたらない(?_?)
おそらく、この14系座席の編成と時間帯からすると~“阿蘇”でしょう

当時の時刻表を繙くと・・・
新大阪19:15発、大牟田着8:16、終点熊本に9:07着
オール14系普通車指定席の“阿蘇”でございますね

門司までは荷物車(マニ37)が付いたようですが、そのお姿は拝見したことはありませんでした(*_*) 1978年には“くにさき”と併結、そして1980年10.1時刻改正で廃止になった“阿蘇”でした。





(つづく)

イメージ 1

▲ これは貴重な記録 ☆ 475系急行 “しらぬい”
 
   撮影日:1970年頃
   撮影地:鹿児島本線 撮影場所不明



懐かしい国鉄時代の画
突然ですが、1970年頃の鹿児島本線にタイムスリップ

前回の475系 急行“有明” に続いて、今回は急行“しらぬい”が登場
実は、この二つの475系急行列車は親子みたいな存在でございます(*^_^*)
その訳は・・・・

1967(昭和42)年10月1日ダイヤ改正にて、九州島内発着初となる特急が鹿児島本線に新設されることになった
この時、列車名が公募されたのですが、そこで選ばれたのが“有明”号でありました~そして、これまでの電車急行“有明”は、“しらぬい” と改称されたのでした

ということで、この二つの475系急行列車は親子みたいな存在なのであります
さて、岡山と熊本を結んでいた475系 急行 ”しらぬい” ですが、わずか4年半の短命に終わってしまいます(*_*)
1972(昭和47)年3月ダイヤ改正において、岡山と九州を結ぶ急行列車の名称が“玄海”に統一されてしまった

今回も、たったの4年半の短い期間の貴重な記録、475系の急行電車のお話でした・・・最後にもう一枚、TOPも下の写真も中学の時のお友達、Tくんからいただいたもの 
撮影日、撮影場所は不明です~ どなたか背景の様子から場所がお分かりでしたらお知らせ下さいませm(_ _)m ちなみに、Tくんは北九州からの転校生で、おそらく北九州地区で撮られたものと思います



イメージ 2








イメージ 1

▲ これは貴重な記録 ☆ 475系急行 時代の “有明”
 
   撮影日:1967年頃
   撮影地:鹿児島本線 上熊本駅



懐かしい国鉄時代の画
突然ですが、1967年頃の鹿児島本線にタイムスリップ

いろいろと写真を整理していたところ・・・
高校時代の恩師H先生からいただいた貴重な写真が出てきました(*^_^*)
以前、熊本駅のカニ22“みずほ”号の写真を、同じくH先生からいただいたものからUPしていました  http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/40507899.html

今回は、カニ22と同じ頃に撮影された475系の急行“有明”でございます
475系の急行“有明”・・・
あれ~そのような“有明”が走っていたの  (?_?) と思われる方が結構いらっしゃるのではないでしょうか

実は、2年間という短い期間だったのですが、熊本~岡山間を1往復走っていた時代があったのですよ(^O^)
“有明”という名称は、根っからの九州管内特急列車のイメージがありますが、九州から抜けだし岡山まで行っていた

恩師のH先生は非常な読書家で、おそらく休みのたびに大牟田から熊本の紀伊国屋書店に通っていらしたのではないかと思います。(当時は、福岡に紀伊国屋書店はなかった・・・)そこで、H先生は写真左側に写っている列車に揺られて熊本へお出かけされた~
そしてその時、上熊本にて熊本11:58発岡山行きの急行“有明”とすれ違うところを、果敢にカメラを構えてシャッターを切られた・・・

かつて、高校の図書館にて写真を見ながら鉄道談義をしたことを懐かしく思い出しました




▼追加で、もう一枚UPしておきます。もちろん、撮影は恩師H先生です(^O^)


イメージ 2





▼“有明”についての詳しい歴史はこちらへ


(つづく)


イメージ 1

▲ 475系のヘッドマークつき急行 “玄海” 号 がゆく 
    
    撮影日:1973 
    撮影地: 鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)
 


 
まだUPしていなかった、キハ82系気動車特急“なは”号の写真発掘
プリントのスキャナでございます~ネガは行方不明(*_*)    その4

“なは”はひとまず終了して~
発掘写真スキャナのお次は、475系の急行“玄海”号登場

これまたこれまでと同じような構図で線路際のきわどい撮影(>_<)
この写真の価値は~何といってもヘッドマークがついとう
めったにお目にかかることができなかったんです!(^^)!

当時は、鹿児島本線のブルートレにもマークはなく、非常に寂しい思いをしていました・・・。その様な中、時々やってくるマーク付きの475は非常に貴重な存在

朝の熊本行きの“ぎんなん”編成が、熊本発岡山行きの“玄海”になることから、博多側にマークがついてることを確認したら、可能な限り上りの“玄海”撮影にGO
この日は、たまたま休日かなんかだったんでしょう(*^_^*)

めでたく、マーク付きの“玄海”号を撮影でき、当時は満足だったに違いない




(つづく)


▼ ヘッドマーク付きの475系はこちらにも↓↓↓
  (ぎんなん、ゆのか、玄海の3種)

▼ モノクロの“玄海”編成はこちら↓↓↓

▼ 475系の急行“かいもん”はこちら↓↓↓


イメージ 1
 
▲ED72牽引の臨時列車 “天草”52号 
 
   撮影日:1975.1.5
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
ED72牽引の臨時列車 “天草”52号 (*^_^*)
 
1975年3月10日の新幹線博多開業で廃止される急行“天草”号ですが、
この年の正月には臨時列車も走っていたようです
下りが新大阪発の23:28で、もちろん筑豊本線経由で大牟田着が12:13、
終点の熊本着は12:54となってます
 
そこで疑問点が一つ・・・
DD51牽引ではなかったの?
定期列車の“天草”も、後に登場する“明星”もDD51牽引だったのに・・・
まさか博多経由の“天草”号?
 
当時の時刻表(交通公社1974年12月号)をめくって確認してみると~
ありました、年末年始の臨時列車掲載の薄緑のページに “天草”52号
やっぱり、筑豊本線経由だ
ということは、鳥栖で機関車付け替えたんだろうな
それにしても、もうちょっとましな写真が撮れなかったものか・・・
 
おまけに、先の薄緑の臨時列車のページにある東京・大阪方面から九州への臨時列車名を、下りの列車名にて以下にあげておきましょう
もちろん? すべて客車の夜行臨時急行列車でございます(~o~)
(失礼~、一本だけ夜行急行電車があった
 

 
9213 屋久島52号・ひとよし 大阪~西鹿児島・人吉
9217 屋久島53号 大阪~西鹿児島(熊本からは普通車自由席)
9207 させぼ 岡山~佐世保
8215 屋久島2号 京都~西鹿児島
9113 くまもと 名古屋~八代(1/1~1/6は米原始発)
9207M 玄海51号 岡山~博多
8211 屋久島54号・西海51号 新大阪~西鹿児島・佐世保
     (西海は鳥栖から普通列車)
8113 はかた 東京~博多
8213 天草52号 新大阪~熊本(筑豊線経由)
8605 あまみ2号 名古屋~西鹿児島
9611 阿蘇51号 名古屋~熊本
8207 五島 名古屋~長崎(鳥栖から普通列車) 
 

 
すごい
驚きの列車数と列車名の数々でございますm(_ _)m 
 

イメージ 1
 
▲ED76牽引の旧客編成 急行 “阿蘇”号 
 
   撮影日:1974.12.22
   撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
今回は旧型客車編成時代の急行 “阿蘇”号(*^_^*)
 
新幹線博多開業を翌年に控え、記録的な写真をと思い撮った一枚。
(これも構図的には失敗作品ですな(*_*)
旧型客車にグリーン車、10系寝台車からなる編成は魅力的ですね
 
以前にUPした京都からの急行“天草”と、この名古屋からの急行“阿蘇”は同じようなコンセプトの列車でした。ただ、“天草”は筑豊本線経由のDD51牽引で、編成も“阿蘇”よりは長い編成でした。
新幹線博多開業時に“天草”は廃止となりましたが、“阿蘇”はその後も新大阪発熊本行きとして1980年まで生き残り~
 
車両は14系座席車となって、かつての様な趣はなくなってしまいましたけど、しばらくは九州と大阪を結ぶ夜行急行列車として活躍したのでした(^_-)
 

イメージ 1
 
 ▲DD51牽引の急行 “天草” 号
 
   撮影日:1974. 11.23
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 
■この写真は、以前にUPしたものの再録です(^-^)ただし、スキャンし直したものでございます。あえて、前回の解説のままにここに掲載いたしますm(_ _)m
(ただし、一部修正&絵文字の追加あり)
 
 
 特急列車にブルートレインばっかり追いかけていた頃・・・珍しく旧客編成の急行列車 “天草”号を撮影した
この写真の撮影時の記録を調べてみたら、記録をつけ始めて4回目の撮影だった。このころは、オリンパス35だったかな(^O^)
コンパクトカメラでの撮影です。(どうにか見れる写真にはなっとる)  
実は、“天草”の撮影は、この写真が唯一無二のものであります(@_@) 
(実はもう一枚ありました。しかし、編成が写っているのはこの一枚のみ) 
今となっては、旧型客車と10系寝台の魅力的なこの編成も、当時の中学生(高校1年生でした)にはほとんど関心がないものでした。
筑豊本線経由のDD51牽引、しかも冷水峠では蒸気の補機付きだった時代・・・ 
 
できることなら、もう一度この目で見てみたい列車の一つです
 

 
 
 
▼元記事はこちら↓↓↓
1974.晩秋の九州路 急行“天草”号
 
▼もう一枚の急行“天草”の写真はこちら↓↓↓
1974. 夏の終わり・・・急行“天草”

イメージ 1
 
                      ▲キハ58 急行 “ちくご”     
 
                           撮影日:1974. 4.
                           撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
今回は キハ58系 急行 “ちくご”
それにしても~手前の草といい、キハ前面にかかったポールといい~
つたない写真にて失礼いたしまする
 
ただ~この写真には、キハ以外に石造りの橋が写し出されていることが貴重かな(^_-)
この石造りの橋は、明治初期頃に架けられた橋で「学校橋」って呼ばれていました。我が母校の倉永小学校に通う小学生が多く渡ったのでこの名がついたようです。橋は花崗岩で造られ、いたってシンプルな構造です。
残念ながら橋の片方が落ちて壊れ(写真右側)、コンクリート橋に掛けかえられ現存しません
 
さて、肝心の急行“ちくご”について・・・
写真撮影当時、キロを含む4両編成のDC急行だった“ちくご”は、佐賀線を通る唯一の急行列車でした。熊本発長崎行きの列車で、佐賀駅に到着したのちは小倉発の急行“いなさ”と併結運転となります。ちなみに、急行“いなさ”には島鉄の加津佐行きキハ26がくっついてましたし、佐賀駅では博多駅で併結した佐世保行きの“弓張”を切り離す・・・DC急行運用の面白さ満載の列車でした
 

 
(つづく)
 
 

↑このページのトップヘ