炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:小倉駅

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▲  小倉駅の キハ82系 特急“日向”号
 
   撮影日:1974年4月
   撮影地:鹿児島本線 小倉駅



懐かしい国鉄時代の画
今回は~1974年の小倉駅にタイムスリップ その2

今回も、前回の“かもめ”と同様、中学生の頃にお友達Tくんからいただいた写真でございます(*^_^*)
時は同じく1974年4月の小倉駅で、たぶん4番線に停車中の上り大阪行き32D“日向”号なり

1974年4月ですから、これは単独編成のDC特急“日向”でございますね(^_^)v
前年の10月ダイヤ改正で、相棒だった“なは”が電車化され、“日向”も単独となって10両編成(内8~10号車の3両は大分、大阪間)となったのでした

当時の列車編成を見ると~宮崎寄りの2号車がグリーン車、3号車が食堂車だったんですね
そういえば、“なは”の鹿児島寄りも同じ編成順の7両でしたから、そこに新たに3両増結したということですな(^O^)

このDC特急“日向”も日豊本線宮崎電化完成後は電車化されますが・・・
ちょっとまった
日豊本線宮崎電化で“日向”が電車化されたのは・・・1974年4月25日
ということで、これは電車化直前の写真ということになります

付け加えると~1975年3月10日の新幹線博多開業により、他の在来線特急と共に“日向”も廃止されてしまいます(*_*)




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▲  小倉駅の キハ82系 特急“かもめ”号
 
   撮影日:1974年4月
   撮影地:鹿児島本線 小倉駅



懐かしい国鉄時代の画
今回は~1974年の小倉駅にタイムスリップ

この写真は、中学校時代のお友達Tくん撮影でございます(*^_^*)
周りの風景からすると~
小倉駅の6番線ホーム、上り2D“かもめ”号ではないかと思います

いつものように、当時の時刻表を繙くと・・・
上りの長崎発10:38の2D“かもめ”号、小倉駅到着は13:51
そして、もう一つの“かもめ”号~佐世保10:50発、筑豊本線経由4002D“かもめ”号の小倉駅到着は13:54

小倉駅で両“かもめ”号の併結を完了しての発車は、14:00ちょうど
めでたく、13両フル編成となった京都行きの2D“かもめ”号(^O^)
終着駅の京都駅には、22:24着 の長旅でございました
始発駅から乗車したとして・・・
車内にて、昼食と夕食の2食を食することになりますね

2度も食堂車は贅沢かな(^_-)
昼食は座席で駅弁にして、やはり夕食を9号車の食堂車でいただくとしますか




(つづく)

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撮影日:1973年8月
撮影地: 小倉駅

1973年 鹿児島本線 列車カタログ(9) キハ82 “日向”

『1973年 鹿児島本線 列車カタログ』その9は・・・
小倉駅にて撮影された キハ82 “日向” です。
大好きな車両だった キハ82。“まつかぜ”につづいては“日向”の登場です。  1973(昭和48)年の9月までは、ここ小倉にて“なは”と合体(^-^)  それぞれ、宮崎・鹿児島から大阪を目指したのでした。
1973(昭和48)年10月のダイヤ改正で、相棒の“なは”は電車化されてしまいますが、この“日向”は翌年(1974)の4月までDC特急として活躍したのでした。 日豊本線電化も間近に控え、最後の活躍をつづたキハ82“日向”でした。

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撮影日:1973年8月
撮影地: 小倉駅

1973年 鹿児島本線 列車カタログ(8) キハ82 “まつかぜ”

『1973年 鹿児島本線 列車カタログ』その8は・・・
小倉駅にて撮影された キハ82 “まつかぜ” です。
キハ82は大好きな車両でした。“なは”に“日向”、そして“かもめ”・・・      昼行ディーゼル特急が、まだまだ山陽路を駆け抜けている頃の話です。     そのキハ82の仲間で、1985(昭和60)年の3月まで博多と大阪を結んで活躍したのは、この“まつかぜ”でした。
今では、懐かしいキハ82 気動車特急達であることよ(^O^)

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