炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

タグ:キハ82

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撮影日:1973年8月
撮影地: 大牟田駅

1973年 鹿児島本線 列車カタログ(11) キハ82 “なは”

『1973年 鹿児島本線 列車カタログ』その11は・・・
大牟田駅にて撮影した キハ82 “なは” です。
大好きな車両だった キハ82。“まつかぜ”“日向”につづいて“なは”の登場です。1973(昭和48)年の9月までは、小倉にて“日向”と合体(^-^)  それぞれ、鹿児島・宮崎から大阪を目指したのでした。
1973(昭和48)年10月のダイヤ改正で、“なは”は電車化されてしまい大好きなキハ82を大牟田では見れなくなってしまいました。                  しかし、1年後の1974(昭和49)年4月には、博多~宮崎間(肥薩線経由)の“おおよど”がキハ82で登場(^_^)v  再び大牟田にて、キハ82の勇姿を見ることができたのでした。

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撮影日:1973年8月
撮影地: 小倉駅

1973年 鹿児島本線 列車カタログ(9) キハ82 “日向”

『1973年 鹿児島本線 列車カタログ』その9は・・・
小倉駅にて撮影された キハ82 “日向” です。
大好きな車両だった キハ82。“まつかぜ”につづいては“日向”の登場です。  1973(昭和48)年の9月までは、ここ小倉にて“なは”と合体(^-^)  それぞれ、宮崎・鹿児島から大阪を目指したのでした。
1973(昭和48)年10月のダイヤ改正で、相棒の“なは”は電車化されてしまいますが、この“日向”は翌年(1974)の4月までDC特急として活躍したのでした。 日豊本線電化も間近に控え、最後の活躍をつづたキハ82“日向”でした。

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撮影日:1973年8月
撮影地: 小倉駅

1973年 鹿児島本線 列車カタログ(8) キハ82 “まつかぜ”

『1973年 鹿児島本線 列車カタログ』その8は・・・
小倉駅にて撮影された キハ82 “まつかぜ” です。
キハ82は大好きな車両でした。“なは”に“日向”、そして“かもめ”・・・      昼行ディーゼル特急が、まだまだ山陽路を駆け抜けている頃の話です。     そのキハ82の仲間で、1985(昭和60)年の3月まで博多と大阪を結んで活躍したのは、この“まつかぜ”でした。
今では、懐かしいキハ82 気動車特急達であることよ(^O^)

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     撮影日:1975年 2月16日
     撮影地:山陽本線 下関駅


はるばる来ました下関駅!(^^)! その16
キハ82 下り 特急 1D“かもめ”号 下関15:29着です
気動車特急“かもめ”号 健在(*^_^*)
この先、小倉からは鹿児島本線経由の長崎行きと、筑豊本線経由の佐世保行きに分割運転されます 
そういえば・・・長崎行きの“かもめ”は鳥栖駅通過だったことを思い出しました
ちなみに、長崎本線では、1D長崎行きの約8分後(佐賀駅時刻にて計算)を4001Dの佐世保行きが通過します

今回まで、“にちりん”の写真です。
(あさかぜ様は、次回にまた登場予定)

5番線には、博多駅終着の“にちりん”1号が、
そして、6番線からは始発のキハ82系の“にちりん”3号が独特の音と煙を残して発車していきます。

両者が、ちょうどホームの端で顔あわせ(^-^)
(ひとりごと・・・鉄ちゃん仲間が隣のホームにもいたんですね)

DCとEC“にちりん”の2ショット

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5番ホームにやってきました。
485系の“にちりん”号も撮りましょうね。

ボンネット特急健在なり

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こんな斜めの構図はいかがですか?
新幹線のホームも望めますし、博多の駅名標も入ります。(^_^)v
そして、JNRのマークが輝いてみえます。

今年開業の新幹線も仲間に入れてやろうかな

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撮影日:1975年10月26日
撮影地:博多駅4,5,6番ホーム

今回は、“あさかぜ”様は運休です(^_-)

かわりに、“あさかぜ”様ご到着の前後の博多駅をご覧にいれましょう。

トップバッターは、“金星”でしょう。
9レ“あさかぜ”1号の到着前の8番線におわすは、名古屋から10:11到着の21M“金星”号です。

実は、写真を撮影した年の3/10のダイヤ改正(新幹線博多開業)では、かの“月光”が廃止されてしまいました。
新幹線網の拡大により、《581・583系の使命の終わりが近づいてきたことを告げる象徴的なできごととなりました》(鉄道ファン1995年3月号 P49より引用)

また、従来の“きりしま”が運転区間を変更して“なは”に改称された年でもあります。
そして583系の寝台特急としては“彗星”がその代表格となりました。

名古屋から583系“金星”号の到着

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さて、6番線に目を移してみましょう。
そこには、キハ82特急“にちりん”3号 10:39発が、今や遅しと発車をお待ちかねです(^O^)
(ひとりごと・・・それにしても、ホームにほとんど人がいませんね?!今では考えられません)

当時は、1往復のみ西鹿児島行きのDC特急“にちりん”がまだ生き残っていました。
(S54.10.1でDC編成は廃止)

キハ82特急健在なり“にちりん”3号

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そこへ、7番線に長崎行きキハ58急行“出島”3号 10:47発のお出まし。
仲良く2ショットです(~o~)

まあ、20系ブルトレにDC急行・特急そして583の寝台特急と、たったの30分間に堪能いたしました。

キハ58急行“出島”と並ぶ“にちりん”

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撮影日:1975年10月26日
撮影地:博多駅8,7,6番ホーム

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