炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

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             ▲ キハ82系 気動車特急 “なは” がゆく 【その2】
    
                 撮影日:1973 
                撮影地: 鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)
 


 
まだUPしていなかった、キハ82系気動車特急“なは”号の写真発掘
プリントのスキャナでございます~ネガは行方不明(*_*)   最終回

このシリーズ最終回は~これまた至近距離での 超危険 撮影(>_<)
以前にUPしたのは、同じ場所のヨコバージョンでしたが、今回はタテバージョン

今にしてみれば、おもちゃのようなカメラでよく撮れたなって思います(^O^)
トリミングはしていませんので、よくぞ画面にバッチリおさまったものです

“なは” がたいそうお気に入りとはいえ、やはり無謀な線路際撮影(>_<)
運転士さんから見たら、列車に接触するように見えていたことでしょう・・・反省




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   ▲ キハ82系 気動車特急 “なは” がゆく 
    
        撮影日:1973 
       撮影地: 鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)
 


 
まだUPしていなかった、キハ82系気動車特急“なは”号の写真発掘
プリントのスキャナでございます~ネガは行方不明(*_*)    その2

昼間の上り“なは”です~まったくの逆光ながら、良く撮れた方かな
それにしても・・・この至近距離で標準レンズのカメラで撮影するとは
超危険

タイホーン開いてないことからすると~警笛は鳴らされなかった
いやいや、そこの鉄ちゃん小僧~どうみても危険(>_<)

望遠は持たなかったころ、安易に迫りくる大好きな特急列車を大きく撮りたかったんでしょうね・・・きっと
ちなみにトリミングなんぞしておりません(^O^)

それにしても、お顔にピントがぴったし合っとう




(つづく)

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          ▲ キハ82系 気動車特急 “なは”  大牟田駅到着
    
                 撮影日:1973 夏
                 撮影地:大牟田駅1番ホーム
 


 
まだUPしていなかった、キハ82系気動車特急“なは”号の写真発掘
プリントのスキャナでございます~ネガは行方不明(*_*)

大阪発西鹿児島行きの“なは”号 大牟田駅1番線に到着
確か夕方5時頃着だったと思うのだけど・・・
“なは”が電車化されてからの時刻表(1973年10月)しか手元にないよ~

当時最もお気に入りの列車であった“なは”
キハ82のお顔が大好きでした(*^_^*)
たぶん、チャリンコをこいで大牟田駅にかけつけて撮った一枚~

当時は、大阪からの長旅だったんです




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▲ 583系 寝台特急 “なは”号 ~雲仙を遠くにみて~
 
   撮影日:1975 7.3
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)



懐かしい国鉄時代の画
久々のUPでございます(*^_^*)
そこで・・・今回は早朝の583系 寝台特急 “なは”号

季節は7月上旬~
さわやかな初夏の空気感が漂ってくる写真ですね
当時の撮影メモを見てみると~ 雲仙岳を画面におさめたかったらしい!(^^)!

画面奥の列車の先に、頂上が雲に覆われた雲仙岳が写ってます
なかなか上手い具合に画面に入れれなくて、苦労した模様(>_<)

後追いの写真ではありますが、撮影当時の臨場感が伝わってくる、管理人にとっては懐かしい一枚でございます



(つづく)

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▲ 下り1M 485系 “なは”号 が行く
 
   撮影日:1975.2.17
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 

懐かしい国鉄時代の画
またまた、久々の再開でございます・・・
再開第2号は~485系“なは”号でござ~い

当時の列車番号は1M 
“なは”は、大阪発西鹿児島行きの優等列車でありました
これまでにも“なは”の写真はたくさんUPしてきましたが、
なかなかこれぞ という写真がありません・・・

同様のことは、この頃盛んに撮影していた“つばめ”号やブルートレインにも
言えることです。まあ、望遠なんて優れものも持っていなかったし、このような
単調な写真ばかり撮っていましたので仕方がないかな

それでも、このように新たにスキャンしてみると、往時の様子が偲ばれてきて
それなりにいいと言えるか~なんて、自己満足している次第です




 

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ピッカピカの485系300番台 “なは”号 (つづき) 
 
   撮影日:1975.2.9
   撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
今回は、 ピッカピカの485系300番台 “なは”号~つづき(*^_^*)
 
前々回の、下り“なは”号の翌日上り列車でございます
これは、後追いの写真ですね(^_-)
もちろん? 愛称名はありませぬ
 
当時のメモを繙くと・・・
「例の“なは” (北陸線に使用されているであろう車)の上りを写した。やはり、名称は入っていなかった。番号を見たところ、先頭車が481-319であった。」
 
481-319&国鉄で検索してみると~
TOMIX 485系 スーパー雷鳥 クハ481-319  が沢山表示された
 
やっぱり、北陸本線で活躍したんだね(^O^)
 

 

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  ピッカピカの485系300番台 “なは”号 
 
   撮影日:1975.2.8
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
今回は、 ピッカピカの485系300番台 “なは”号(*^_^*)
 
写真からも、ピッカピカの感じが伝わってくるでしょう
実は、非貫通式の300番台“なは”号には、3回お目に掛かってます
この写真ではよく見えませんが、先頭車の列車名は表示されていません(*_*)
300番台では、200番台よりも列車名表示が大型となりましたが、新造時の字幕には“なは”の列車名はなかったのかな
残念ながら、ただの真っ白な表示となったままでした(>_<)
 
ところで、背後の丘にある看板に目がいきますね~
右側の大きい看板には達磨の絵が~
そうです(*^_^*) 大牟田の皆さんにはおなじみの「だるまわた」
中央の小さな看板は~「カクイわた」
 
くしくも、両方とも“わた”製造会社の看板ですな
手前の藁積みの風景といい、時代を感じさせてくれる一枚です(^O^)
 

 
 
 

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                     ▲485系ボンネット  “なは”号 の勇姿
 
                  撮影日:1975.2.2
                  撮影地:鹿児島本線 銀水~渡瀬(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
481系“つばめ”号に引き続き、485系の“なは”号(*^_^*) 
 
クリーム色のスカートが、あか抜けて見えますね
大阪発西鹿児島行きの1M “なは” 号~
優等列車の貫禄をたたえて、堂々の走行でございます(^O^)
 
ところで、この時代は運転士が2人乗務していました
写真の運転席にも、2人の人影があるでしょ
 
2人乗務は、その後に保安装置と乗務員無線が完備され1人乗務に
国鉄合理化と、国労や動労のストライキが頻発した時代と重なりますね・・・
 

 
 

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▲冬の夕方どき 485系11両編成 “なは”号 
 
   撮影日:1974.12.22
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
久々のラインナップは、485系ボンネット11両編成の “なは”号(*^_^*)
 
新幹線博多開業を翌年に控え、昼行電車特急としての晩年の姿ですね
秋には稲穂がたわわにみのっていたこの場所は、冬にはご覧のとおり・・・
 
麦畑ですな~
畝と畝の間の溝に、低い太陽の光の陰がくねるくねる
 
当時の記録メモ覗いてみると・・・
「いつもの場所で撮った いつもの“なは“ そのいつもの“なは“も もう少し
新幹線反対!!
と書いてあった~
 
16:05 いつもの管理人ホームグラウンドを通過してゆく“なは”です
 

 

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▲485系200番台の 特急 “なは” 号   
 
   撮影日:1974. 11.23
   撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)

 
懐かしい国鉄時代の画
今回は485系200番台の 特急 “なは” 号 (*^_^*)
 
この日(1974.11.23)は、午前中に前回掲載分の急行“天草”を、そして午後の夕方の時間帯に“なは”を撮ったようですね~
日曜日だったのかな(^_-)
 
いつもの自宅近くのお散歩撮り鉄です。
さて、今回の構図には細い川と、これまた細い道が写し出されていますね。
今時の田んぼは、圃場整備が進んで四角四面の田んぼに変わってしまいました。このように、くねくねとしたか細い道や川、クリークもほとんどが消えてありません。
写し出された風景にも、時代感が現れるものです。
 
そういえば、稲刈り&脱穀後のわらを積みおくような風景にも、お目にかかれない昨今ですね。
 

 
 

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