炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 絵葉書を歩く◆三池炭鉱と大牟田

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▲三井三池宮の原炭鉱 Miyanohara Coal mine Miike.  (Ys)
 

 
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 明治末期から大正初期頃の宮原坑。絵葉書右が第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、左が第二竪坑(主に人員昇降用)である。宮原坑は、万田坑、勝立坑、宮浦坑とともに明治後期から大正期の主力坑の一つであったが、開鑿の大きな目的は坑内の排水を担うことであった。そのため、二つの竪坑にはデビーポンプがそれぞれ2台ずつ設置され、これによって七浦坑の排水難も解消された。また、宮原坑では厳しい労働条件の下、囚人が使役されたことから“修羅坑”とよばれていた。
閉坑は、昭和6(1931)年。 
 

 
 
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▲2012年4月14日現在の宮原坑   史跡に指定されている範囲の草刈りが行われた状態です
 


 
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 第二竪坑関連施設(竪坑櫓、捲揚機室、デビーポンプ室一部外壁)が現存している。鋼鉄製櫓の高さは約22mで、三池炭鉱初の鉄骨造の櫓であった。捲揚機室はイギリス積のレンガで、切妻平屋造。屋根は波形スレートで葺かれているが、かつては、妻壁の形に合った勾配で屋根が架けられていた。内部には電動の捲揚機が2台設置されている。また、デビーポンプ室外壁の一部が、竪坑櫓の基礎に接して残されている。閉坑後も、閉山時まで排水用・管理用に利用されていた。
(国指定史跡・国重要文化財)

 


 
 
 
 
 歩きメモ
 
①大牟田市宮原町1-86-3
②西鉄バス「早鐘眼鏡橋」から南へ 徒歩10分
③外観の見学は自由。現在は毎週日曜日 午前10時~午後5時 (年末年始12/29~1/3は除く)に一般公開(無料)がなされている。 また、南側には戦後に建てられた、鉄筋コンクリート造りの職員社宅(通称シラコ社宅)が一棟残されている。
 
 

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▲三井三池萬田炭鉱  MITSUI´S MANDA COLLERY AT MIIKE  (津村寫YS)
 

 
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  明治末期頃の万田坑。絵葉書中央に第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、その左奥に第二竪坑(排気、排水、人員昇降用 )、絵葉書左に選炭場が確認できる。万田坑は、三井鉱山が炭鉱業界の模範となるような坑口施設を造るため、総力を挙げて建設したもので、明治時代に造られた炭鉱施設としては我が国最大の規模を誇った。絵葉書奥には、汽罐場の煙突から黒煙が上がり、全盛期の万田坑の様子をうかがい知ることができる。 2つの竪坑櫓はともに鋼鉄製で、英国から輸入されたものである。閉坑は、昭和26(1951)年。
 

 
 
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 ▲2013年1月1日現在の万田坑   絵葉書中の三池山、小袋山の山影に合わせてぼ同じ構図で撮影
 

 
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 第二竪坑関連施設(竪坑櫓、捲揚機室、扇風機室、安全燈室、浴室など)が現存している。櫓は明治41(1908)年完成、高さは18.8mある。捲揚機室は明治42(1909)年完成、レンガ造2階建て。第二竪坑は、昭和26(1951)年の閉坑以降も三池炭鉱坑内の維持管理用として、平成9(1997)年の閉山時まで使用されていた。竪坑の深さは約274mあったが、閉山時に選炭場の土砂により埋め立てられた。また、捲揚機室北側には、山の神の祠や万田坑内の機械や設備を修理した「職場」の建物が残る。(国指定史跡・国重要文化財)
 なお、写真手前の建物は、昭和38(1963)年11月9日の炭塵爆発事故の遺族対策として建設された「アソニット株式会社」工場跡。

 

 
 
   
 
 
 
 
 歩きメモ
 
①熊本県荒尾市宮内出目390番地
②産交バス 万田公園前 徒歩5分
③外観の見学は自由。 旧万田坑(有料区域)への入場は、万田坑ステーション(毎週月曜日休館)にて入場券(大人400円)の購入が必要。また、施設ガイドの利用可(無料)。詳細は、以下の荒尾市HPにて確認のこと。
 
 
 

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   ▲(大牟田名所) 宮ノ浦炭坑  FAMOUS MIIKE
 

 
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  大正期頃の宮浦坑。絵葉書右に汽罐場の赤レンガ煙突、その左側奥には木造
の第一竪坑櫓が見える。七浦坑の空気流通と採炭予備のため、明治21(1888)年に操業開始された。当初は、排気、排水共に七浦坑で行い、揚炭と人員の昇降に限定した炭坑であった。 その後、炭層に向けた大斜坑が大正12年(1923)年に開坑され、エンドレスロープによる揚炭が行われ、万田坑、四ツ山坑に並ぶ主力坑として再生した。絵葉書中央には、大正8(1919)年に開坑した第二竪坑(排気)櫓がある。閉坑は、昭和26(1951)年。
 


 
 
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▲2014年1月1日現在の宮浦坑   第二竪坑の場所は、大宝工業(株)大牟田工場となっている

 
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 かつての宮浦坑一帯は、そのほとんどが工場敷地となっている。宮浦石炭記念公園には、明治21(1888)年に建造された赤レンガ煙突と、大正12(1923)年に開坑した大斜坑の坑口跡・プラットホームが残されている。赤レンガ煙突は、竪坑捲揚機の動力源であったボイラーの排煙に使われていたもので、高さ31.2m、直径2.9~4.3m。耐火赤レンガ約138,000枚が使用されている。(国登録文化財) また、公園内には実際に使われていた人車や、坑内で使用された機械類も展示されている。
 

 
 
 
 
 歩きメモ
 
①大牟田市西宮浦町132-8
②西鉄バス 上町 徒歩10分
③かつての宮浦坑の一画は、宮浦石炭記念公園として整備されており、自由に見学することができる。 公園内に残る赤レンガ煙突は、三池炭鉱のレンガ煙突遺構としては唯一残されたものである。なお、「炭鉱節」に歌われた煙突のモデルは、筑豊の田川に今も残る旧三井田川鉱業所の2本煙突である。
 
 
 
 

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  ▲ 三池勝立坑   KATSUTATE OF MIIKE COAL MINE    (大牟田驛前山田製)
 

 
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  明治末期から大正初期頃の勝立坑。絵葉書右が第一竪坑(揚炭、吸気、排水用)、左が第二竪坑(排気、排水、人馬昇降用)である。勝立坑は、大浦坑、七浦坑に次ぐ、官営三池炭坑三番目の近代坑口として、明治18(1885)年に開鑿工事が着手された。しかし工事開始以来、湧水に悩まされ、明治22(1889)年に三井の経営に移った後も工事は滞っていた。 この湧水問題を解決したのが、英国製デビーポンプであり、ポンプ導入に奔走したのが、当時三池炭礦社事務長の職にあった団琢磨であった。閉坑は、昭和3(1928)年。
 

 
 
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▲2007年12月15日現在の勝立坑    手前の線路敷きは、戦後はグラウンドになっていた

 
 
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  第一竪坑の関連施設は失われているが、第二竪坑関連施設としてコンクリート造の櫓基礎が残っている。そのコンクリート基礎の壁面にはアーチ状のレンガがあるが、竪坑への入口跡である思われる。また、坑口の西側にレンガ積みの擁壁が残るが、詳細は不明 である。この第二竪坑跡は住宅地の脇にあり、外観の見学は自由に行うことができる。また、現在勝立地区公民館となっている付近に、第一竪坑があった。2014年現在、上の写真の空き地は住宅地となっており、旧勝立坑の全体を見渡すことはできなくなっている。
 

 
 
 
 
 
 歩きメモ
 
①大牟田市勝立町
②西鉄バス 勝立 徒歩5分
③外観の見学は自由。 近くの高台には、囚人労働者の菩提を弔うために建てられた供養塔である「解脱塔」(勝立工業団地緑地公園内)や、山の神神社跡がある。
 
 
 

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 ▲ 三池七浦坑     (SY) NANAURA PIT, COAL MINES   
 

 
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  明治末期から大正初期頃の七浦坑。七浦坑には第一竪坑、第二竪坑、第三斜坑の三つの坑口があった。絵葉書中央にあるのが第一竪坑で、木製の櫓であったことが分かる。七浦坑は、明治12(1879)年に開鑿着手され明治15(1882)年完成、明治16(1883)年に操業が開始された。官営時代の主力坑の一つであり、三池炭鉱初の発電所が設置されるとともに、有明町の鉱山事務所から最初の電話が開通したのも七浦坑であった。閉坑は、昭和6(1931)年。
 

 
 
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▲七浦坑方面を望む   中央の白い工場の右側付近に七浦坑があった

 
 
 絵葉書を歩く
 
   旧第一竪坑捲揚機室、旧第二竪坑関連建物が現存している。旧第一竪坑捲揚機室は、切妻平屋のレンガづくり(イギリス積み)である。現在は、ポンプ室として利用されている。官営化後最初に開坑された大浦坑の関連施設は全て失われているため、現在は大浦坑に次いで開坑された七浦坑跡の関連施設が、官営時代の最も古い遺構になる。 これらの遺構は、化学工場敷地内にあり見学できない。また、付近の丘からの俯瞰も木々に遮られて難しい。
 

 
 
 
 
 歩きメモ
 
①大牟田市合成町
②西鉄バス 合成町
③工場敷地内にあるため、立入ることはできない。 近くには、かんがい用水路として、三池藩が延宝2(1674)年に大牟田川に架けた早鐘眼鏡橋(国重要文化財)がある。
 

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