炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭都の味覚

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“白いたい焼き”
 
◆◇たいやき本舗 藤屋◆◇
 商号 : 株式会社 藤家
 本社 : 福岡県大牟田市藤田町342-1
 本店 : 福岡県大牟田市小川町24-8                     ◆訪問日:2011.2.11
 

  
「白いたい焼き」・・・
 
不覚にも 「白いたい焼き」 が、大牟田が発祥の地であることをつい最近まで知らなかった(@_@)
「白いたい焼き」 なるものも、実は食べたことがなかった(>_<)
 
そこで、 「白いたい焼き」 なるものをいただきに、大牟田は小川町のたいやき本舗藤屋さんへ~GO(^_-)
毎月のように訪れている三池港の近く、諏訪町交差点の角に藤屋の本店があります↓↓↓
 
 
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さっそく、一尾注文 
今回は 「白いたい焼き」 ならぬ 「桜色のたい焼き」を注文。
あんこは白あん(桜風味)をチョイス(*^_^*)
 
半分に割って、中身を確認
尾頭付きの白あん(桜風味)はこんな感じです↓↓↓
 
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さて、尻尾から味わってみるかな~
と、ここで2つのことが頭をよぎった(?_?)
 
その1 “たい焼き論争” 尻尾にまであんは入っているべきかどうか?
     それは、皆さん実際に口してのお楽しみ~
 
ちなみに、“たい焼き論争” については、こちらを参照してちょうだい↓↓↓   
 
その2 “頭から食べるか” or “尻尾からたべるか”
     「ひよこ」でも、同じようなことが論争?になっていたな~
     皆さまのお好きなようにどうぞ
 
 
ところで、2009年頃にこの「白いたい焼き」なるものが大ブレイクしたそうな(^_^)v
聞くところによると・・・・
そもそも、このブームは2007年冬に、大牟田市の市場の片隅に最初の店舗がオープンしたことに始まるらしい。市場って、銀水にある青果市場なんですかね?
今回は、“藤屋さん”の「白いたい焼き」をいただきましたが、大牟田発祥の「白いたい焼き」で有名なお店に“尾長屋さん”もあります(^O^)
こちらは、本社が東京となっているようですが、本店はいまも大牟田市草木の青果市場にあります。(独り言:どちらがはじめに「白いたい焼き」作ったの?)
 
 
肝心のお味のことを忘れていました(^O^)
お食べになられた方には言うまでもありませんが、もちもちした食感がいいですよね。タピオカ粉を使うことで、みごとに“美白化”するらしい「白いたい焼き」くん。
これって、時間が経っても硬くなったりしませんよね。
 
まだの方は、ぜひ味わっていただきたい、大牟田発の一品でございますm(_ _)m
 
 

【参考HP】
①藤 屋  : http://shiroitaiyaki.com/
 

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“不知火巻”
 
◆◇相川總本舗◆◇
 住所 : 大牟田市橋口町4-12
 電話 : 0944-52-3470                            ◆訪問日:2011.10.30
 

 
大牟田で羊羹といえば・・・「相川總本舗」
「相川總本舗」といえば・・・“不知火羊羹”
 
昔から大牟田ではよく知られた和菓子屋さんです(*^_^*)
創業は大正元(1912)年といいますから、来年で創業100年を迎える老舗でございます。秘伝の餡練りの技術は今も健在で、“不知火羊羹”とともに“不知火最中”が最も有名であります!(^^)!
 
そこで、今回はその羊羹でもなく最中でもない“不知火巻”をご賞味いたします(?_?)
 
その名は知っていたものの、実は初めてお店を訪れた管理人。
目の前に山積みになっていた“不知火巻”を迷わず購入(^_-)
実は、600円というリーズナブルなお値段にも惹かれまして・・・↓↓↓
 
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早速、午後のおやつにていただきま~す(~o~)
さすが、羊羹に最中が有名なだけあって、しっかりと甘みのある小豆餡がとろけます。
 
これは、濃い目の番茶や抹茶が合いますね~。
 
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長い巻物に見えますが(TOP写真)、実は3つに切れてます。
その内の一切れを4分割したのが上のお皿の写真でございます。
 
二切れ、ぺろりといただきました(^-^)
 
なになに、羊羹に最中も見てみたい(@_@)
はいはい、ご要望にお応えして、パッケージをご覧にいれましょう。
ご賞味されたい方は、お店までぜひお越しいただいてご購入をばお願いします。
 
 
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さてさて、お菓子に関して、NHKドラマ『見知らぬわが町』の中の一シーンがずっと気になっていました。
 
▼見知らぬわが町についてはこちら↓↓↓
 
主人公の父親が会社を首になった時にもらったあのお菓子・・・
紫色の包装紙に、“不知火”の文字が見えたような・・・
 
NHKのことですから、特定のお菓子屋さんの商品を使うことはないので架空のお菓子と思ったのですが・・・
 
“不知火”とお菓子に名が付けば、それは「相川總本舗」さんに決まってます(^o^)
“不知火”は、「相川總本舗」さんの登録商標で、“不知火”を冠したお菓子は「相川總本舗」さんのお菓子に決まり(^_-)
 
良くできたNHKドラマのこと、大牟田の老舗和菓子屋のことくらいは調べていたはず(かな?)
ドラマにて、一瞬でしたが“不知火”の文字を見かけて、今回ご紹介した「相川總本舗」さんのことを思い浮かべたのでした。
 
でも、ドラマの中のお菓子包み紙はやっぱりフィクションかな~。
 
 
 
それでは最後にお店の全景などをご紹介して、今回はお開きといたします。
 
 
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▼参考ページ↓↓↓
 
 
 

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     “三池港サイダー”
 
       ◆◇三池港1dayカフェ◆◇
          企画事務所 office TK : http://office-tk.jugem.jp/?eid=364
          三池港1dayカフェ ブログ : http://ameblo.jp/miikekho-cafe/  
                   
                                    ◆訪問日:2011.11. 3
 

 
地域限定発売の“三池港サイダー”
 
今回はサイダーの話題です。
11/3、大牟田市の近代化遺産一斉公開に合わせて限定発売された“三池港サイダー” 
レトロなビンに、すっきりとした瀟洒なラベルがなかなかお洒落です。
海原に浮かぶ一艘の貨客船と、三池港の形をあしらったであろう白鳥の羽ばたく姿・・・。
 
TOPの写真は、本当は三池港の閘門あたりを背景にして撮りたかったのですが、今回は私の部屋にての一枚(^_-)
11/3当日、「三池港1dayカフェ」にて購入した限定288本の内の1本です。ちなみに、完売だったそうです。
 
サイダーと港のイメージがよくマッチしていて、とてもよい商品だと思います。そして、サイダーと港とということで管理人が思い浮かべたことは・・・“海軍ラムネ”
かつての日本海軍艦艇には、消火設備として炭酸ガス発生装置が設置されていて、これを転用してラムネ製造器とし、乗組員の嗜好品としてラムネを供給していたという話です。ちょいと調べてみたところ、日本における清涼飲料水の最初は、1853(嘉永6)年のペリー来航時にラムネを積載していたことに始まるらしい。また、ラムネとは和製語でありレモネードが訛ったものとのこと。それでは、日本におけるサイダーの最初はというと・・・
1868年、横浜の外国人居留地でイギリス人ノースレーが製造販売を始めたリンゴ風味の炭酸飲料である「シャンペン・サイダー」であるらしい。後に、その商品名を略してサイダーと呼ぶようになった。(ウィキペディア>サイダーを参照)
 
ところで、サイダーとラムネの違いって何?
味の違いによる区別はなく、簡単に言うと「瓶の形状の違い」ということでいいのかな?ビー玉で栓をしたものがラムネで、王冠で栓をしたものがサイダー(^O^)
詳しい原料や製造法を調べたわけではないので、あまり自信がありません。どなたか詳しい方、ご教授お願いいたします。
 


 
さてさて、今回話題にしている“三池港サイダー”
製造元はどこかなと思って、ラベルの裏側を見たところ・・・
 
「友桝飲料」とありました。所在地は、佐賀県小城市牛津町牛津834。小城市といえば羊羹の町として有名ですが、サイダーをつくる会社もあったんですね(^O^)
 
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いままでサイダーのことを調べてみたことはなかったのですが、「友桝飲料」の創業はなんと1902(明治35)年とのことでビックリ(@_@)
100年以上の歴史ある老舗の会社だったとは・・・。三池港の開港が1908(明治41)年のことですから、先輩格ですね。最近は“こどもびいる”なる商品が人気らしい!(^^)!
全く知りませんでした~ 皆さんご存じでしたか?
 
それに、“地ビール”ならぬ“地サイダー”なる用語もあって、それなりのブームなんですって(^_^)v
これまた、知りませんでした~。
 
ところで、「友桝飲料」のHPからその歴史を少しだけ引用すると・・・
 


 明治35年(1902年)、長崎街道(別名:シュガーロード)は牛津の宿場町で弊社創業者友田桝吉は当時非常に貴重だった砂糖を使って、当時の最先端商品であるお菓子やラムネの製造事業を開始している。これは、日本国内でラムネが作られはじめてから10 年ほどのころであり、日本における清涼飲料の草創期にあたる。社名の「友桝」は、創業者・友田桝吉の名前を略したもの。新しもの好きだった桝吉の性格と、砂糖の入手が比較的容易であったという立地条件が幸いしたようである。創業当時は手動式の機械を使って製造し、人力車に積み込んで、周辺の小売店や民家に売り歩いた。もの珍しさから人気を集めて事業の滑り出しは順調だった。  


 
長崎街道(別名:シュガーロード)といえば、お菓子の路でもあります。大牟田発の饅頭文化(カステラ饅頭)も、長崎の菓子文化の影響を受けていますし、佐賀県出身の、森永製菓の森永太一郎さんに江崎グリコの江崎利一さんも、これらの歴史と無縁ではないかもしれませんね(?_?)
 
サイダーに話を戻すと、「友桝飲料」が販売していたサイダーは“スワンサイダー”という名称だったらしい(昭和初期頃)。最近になって復刻発売されているようですが、同じように復刻発売された長崎のサイダーに“BANZAIサイダー”があります。サイダーといえば、現在もアサヒ飲料から発売されている“三ツ矢サイダー”が有名ですが、かつては“養老サイダー”も人気だったとか。それぞれ、兵庫県川西市の平野鉱泉の炭酸水、岐阜県養老郡養老町の名水をもとにしたサイダーですね。
日本でのサイダー発祥の地 横浜でも、明治時代に“金線サイダー”が王冠をつけたサイダーとして人気を誇ったらしく、これまた最近“横浜ポートサイダー”と銘打って、昭和初期頃の味を再現して発売されているらしい。
 
 
あれこれだらだらと“サイダー”をネタに述べてきましたが、要は「港にサイダーはよく似合う」の一言でしょう(~o~)
 
次に“三池港サイダー”がいつ販売されるかは分かりませんが、明治に開港した三池港にて、これまた明治に創業した老舗製造のサイダーを味わうのも、なかなかお洒落な趣向ではありませんでしょうか~。
 
皆さま、次回また請うご期待でございます(*^_^*)
 
 
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▼参考HP
②長崎BANZAI本舗 : http://www.nkbanzai.com/index.php
 
 
 
 

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 “せいろ蒸し”
 
 ◆◇増田うなぎ店◆◇
  住所 : 大牟田市大字新町44
  電話 : 0944-53-5619                     ◆訪問日:2012.8.13
 

 
この夏、立て続けに “うなぎのせいろ蒸し” 食することになろうとは、思いも寄りませんでした
 
 この写真の4日前、8/9に柳川の本吉屋にて食したばかり(^-^)
  その時の様子はこちら~ http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/39964849.html
  (ぜひご覧いただいて、下の増田うなぎ店の写真と見比べて違いを感じて欲しいところです(^_-)
 
さてさて、実は管理人~大牟田で、うなぎのせいろ蒸しを食したのは初めてのこと。
お店の名前は、「増田うなぎ」でございます(*^_^*)
 
実家の母によると、大牟田でせいろ蒸しと言えば「増田うなぎ」というくらい人気があるお店らしい
今回、縁あってこの「増田うなぎ」のせいろ蒸しをいただくことになりましたが、お盆の時期とあって、三池新町にあるお店の方でいただくのはアウト(*_*)
この時期は、配達も含めて事前の予約が必ず必要でございます・・・・。
 
そこで~、お店に伺ってテイクアウトということにいたしました
電話で注文して、出かけてきました「増田うなぎ」店へ。
 
 
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お店は、非常にわかりやすいところにありますよ(^_^)v
県道5号線を、通町方面から三池方面に行ったところの突き当たり。TOPの写真右上の標識にあるように、県道93号線(旧三池街道)とT字に交わったところです。
 
早速、注文の“上せいろむし”を受け取り実家へと戻ります~。
お座敷にテーブルを配置して、ちょっとしたお店屋さん気分で豪華せいろ蒸しをいただきま~す!(^^)!
 

 
 
 
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さてここで皆さん、4日前に食した柳川は本吉屋のせいろ蒸しとの最大の違いは何だと思います?
 
まず気づくのは、錦糸卵の形状でしょうか~。
つぎに気づくのは・・・そうです、タレでしょう~ごはんの色が違います(^O^)
本吉屋と比べると、明らかにごはんへのタレのしみ込み方が違います。「増田うなぎ」の方が色が濃い(^_-)
 
そして何より違うのは、そのごはんの食感~
こればっかりは、見た目では伝わりませんね~。
 
タレがよくしみ込んだごはんですが、決して味が濃いというわけではありません。
「増田うなぎ」店のブログによると・・・
 

 
独自の製法により、鰻が苦手な方にも食べやすくタレがご飯にしっかり染込んで美味しい!! と好評です。
それには理由があり、鰻の骨と頭はすべてタレのダシに使用いたします。
その鰻の旨味が凝縮されたタレお米一粒ひとつぶにしっかりと染込ませご飯だけでも鰻の美味しさを楽しめます。
たっぷりの鰻のエキスの入ったタレを是非ご賞味ください。
 


 
 
ごはんにも、実は秘密が・・・再び、「増田うなぎ」店のブログによると・・・

お米は国際コンクールで特別優秀賞を受賞した
みやま市山川町の
「契約栽培 ひのひかり」を使用しております。
 
このごはんの食感は、「もちもちでねっとり」したものでございます(~o~)
食べ応えというか、腹持ちがよいとでもいいましょうか、餅米の食感に近いものを感じました。
 
乱暴に一言でいうと、本吉屋と「増田うなぎ」~
その大きな違いは、お米の違いにあるように思います。
一粒一粒が自己主張するような食感の本吉屋か、ねっとりしたかたまりの「増田うなぎ」か・・・こればっかりは、食する者のお好みかと存じます。
 
さて、あなたはどっち派かな?
 
ちなみに「増田うなぎ」の“上せいろむし”のお値段は、2,520円なり。
 


 
 
▼参考ブログ&HPはこちら↓↓↓
①増田うなぎ http://765.blog7.fc2.com/
②山川米 米工房 松尾米穀店
          http://www14.ocn.ne.jp/~matukome/index.html


 
 
 
☆★おまけ~「増田うなぎ」店の大蛇山★☆
 
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“かすてら饅頭”
 
 ◆◇菊水堂◆◇
  住所 : 大牟田市大正町1丁目3番地2
  電話 : 0944-56-1234                           ◆訪問日:2012.11. 
 

 
大牟田の菓子店の老舗といえば菊水堂
菊水堂といえば “かすてら饅頭”
“かすてら饅頭” といえば、大牟田を代表する銘菓(*^_^*)
 
今回は、1885(明治18)年生まれという “かすてら饅頭” をとりあげます。
 
“かすてら饅頭” は、「玉子、砂糖、小麦粉、蜂蜜を練り上げた生地を一晩ねかせ、翌日ピンポン玉ほどに千切って丸く延ばし、白餡を包んで焼き上げる」という焼き饅頭です。
 
*「 」内は、情報マガジン 『どがしこでん』 創刊号 大牟田の匠 菊水堂 森史朗さん より引用
 
この白餡をカステラ生地で包んで焼き上げるという饅頭を生み出したのは、黒田菊太郎。何を隠そう、この菊太郎こそ菊水堂の初代店主
菊太郎が生み出したこの饅頭は、日本で最初の焼き饅頭であるといわれており、大牟田は焼き饅頭の代表である “かすてら饅頭” 発祥の地といわれています。
 

 
ご存じのように、大牟田は炭鉱の町として栄えたところであり、厳しい坑内労働の後に甘いお菓子が好まれたという歴史があります。
菊水堂5代目店主である森史朗さんによると~ 昭和30年頃には、大牟田市内には約200店もの菓子店が軒を連ねていて、そのほとんどが “かすてら饅頭” を中心に製造販売していたというから驚きです。
 
ところで、有に130年近くの伝統を誇る “かすてら饅頭” ですが、時代と共にその味も変化してきたらしい(^O^)
 
私が幼少の頃の記憶にある “かすてら饅頭” の皮は、少しゴワゴワで、中の白餡もサパサパしていたように思います。日持ちすることから、大牟田を訪ねた親戚達には、この “かすてら饅頭” をお土産に持たせたものです。
しかし、現在の “かすてら饅頭” は、皮の生地も白餡もずいぶんとしっとりしているように思います。
森さんによると、近年はしっとりとした蒸し饅頭の食感の方がより好まれるらしく、焼き饅頭である “かすてら饅頭” も時代と共に変化して、よりしっとり感を出したものに変化してきたようです。
 

 
 
さて、現在の菊水堂は “かすてら饅頭” 以外に “楽しみかん” “ピーナッツ君饅頭” といった “かすてら饅頭” を進化させた新作饅頭も販売されています。
一つ一つ手作りされている “かすてら饅頭” の伝統を今に残しながら、多くの人々に愛され続ける “かすてら饅頭” なのです。
 
それでは、菊水堂の店内の様子をご覧に入れるとしましょう
 
 
 
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▲いろいろな焼き饅頭に蒸し饅頭が居並ぶ店内

 
 
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▲餡に上内みかんをたっぷり練り込んだ “楽しみかん”

 
 
 
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▲菊水堂 5代目店主 森史朗さん 
~第二十回全国菓子大博覧会 会長賞 賞状をバックにして~

 
 
 
最後に、今回取り上げた焼き饅頭と炭鉱といえば・・・・
筑豊生まれの “千鳥饅頭” や “ひよこ饅頭” を思い浮かべます
 
次回の “かすてら饅頭” の菊水堂その2では、これら筑豊生まれの焼き饅頭の歴史と “かすてら饅頭” について、菊水堂3代目店主のお言葉をもとにプチ旅に出かけます(^_-)
 
それでは、また次回をお楽しみに
 
(つづく)
 
 
 

◇菊水堂 その2はこちら  http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/40294823.html
◇菊水堂 その3はこちら  http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/40300352.html

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“かすてら饅頭”
 
  ◆◇菊水堂◆◇
  住所 : 大牟田市大正町1丁目3番地2
  電話 : 0944-56-1234                           ◆訪問日:2012.11. 
 

 
菊水堂の“かすてら饅頭”その2の話題は~
同じ炭鉱の街に生まれた“千鳥饅頭”を取り上げましょう(^-^)
 
その1の最後に少し触れたとおり、筑豊生まれの“千鳥饅頭”や“ひよこ饅頭”は、どちらも「鎌倉時代以来の蒸し饅頭とは異なる南蛮菓子の系譜に属する」焼き饅頭であるカステラ饅頭に分類できます。*注1,2
 
*注1 「 」内は、八百啓介『砂糖の通った道 ~菓子から見た社会史~』 弦書房 138頁より引用
*注2 以後、菊水堂の商品を“かすてら饅頭”、広く一般的な焼き饅頭としての呼び名を「カステラ饅頭」とします
 
ちなみに、“千鳥饅頭”の千鳥屋は1927(昭和2)年開業、“ひよこ饅頭”の吉野屋本舗は1912(大正元)年創業。*注3 
菊水堂の“かすてら饅頭”は、その1で述べたように1885(明治18)年生まれで、カステラ饅頭の元祖と言えます。
 
*注3 千鳥屋を創業ではなく開業とした理由については、後の千鳥屋の歴史を参照して下さい。
 
さて、菊水堂5代目店主森史朗さんは、お祖父から次のような言葉を耳にされたとのこと~。
 
大牟田にも博多のような商圏があったら大きな菓子屋も沢山できた・・・」

筑豊生まれのカステラ饅頭である“千鳥饅頭”や“ひよこ饅頭”は、今や全国的に有名な福岡のお菓子として人気を誇っています。“ひよこ饅頭”に至っては、東京にて“東京銘菓ひよこ”として販売されことから、東京のお菓子だと思っている方々も多いとか(?_?)
この様な全国展開を図るほど成長した背景には、千鳥屋や吉野堂にしろ斜陽化する筑豊の炭鉱を目の前にして、飯塚から近隣の博多(福岡)へ進出し大きく成長したという共通点があげられます。
 
今回話題にしている千鳥屋のルーツを辿ると、佐賀県久保田村(現佐賀市久保田町)にあった松月堂という菓子屋に行き着きます。
1899(明治32)年、松月堂の長男として生まれた千鳥屋初代社長の原田政雄氏は、大正時代に久保田村から抜け出して新たな店舗の開設を計画。当時の炭鉱景気にわく飯塚や大牟田、そして造船の佐世保に商業の博多をマーケティングリサーチした後、最終的に出店を決めたところが飯塚だったとか。そして、売り出した饅頭が“千鳥饅頭”であり、もとはといえば松月堂でつくっていたカステラ饅頭だったらしい。
 
政雄氏の後に、千鳥屋の経営を引き継いだつゆ夫人が語るには・・・
「政雄がまだ18歳の頃、仲間とともに新天地を求めて有田焼の行商に出たという。その際、飯塚に赴いたところ、小学校の教員であった姉の年収にも匹敵する儲けに驚き、その将来性を確信した」とのこと。*注4
 
*4 「 」内は、八百啓介『砂糖の通った道 ~菓子から見た社会史~』弦書房 141頁より引用
 
 
この遺伝子が引き継がれたのだろうか~
炭鉱の衰退を見て、いち早く博多(福岡)進出を決めた千鳥屋。この博多(福岡)進出が今の千鳥屋の発展につながっていくことになります。
 
以上の様なことをうらやんでか、菊水堂3代目店主は先の大牟田にも博多のような・・・という言葉を残された
 


 
 
そこで~、急速に閉山が進行した筑豊よりは、今しばらく炭鉱が存続したわが大牟田市・・・
現在の大牟田市の人口は、最盛期の1955(昭和30)年頃の20万人から12万5千人と大きく減少。菊水堂の近くにあった松屋デパートが閉店してからすでに8年・・・。人通りの絶えた通りに、今ではひっそりと佇む菊水堂・・・。買い物帰りに、松屋デパートに来たついでにと菊水堂に寄っていた客も今はなく、売り上げは減少・・・
 
そんな中、菊水堂5代目店主の森さんは「饅頭王国 大牟田」の旗印を掲げ、“かすてら饅頭”の伝統を守りながら新作饅頭の開発にも意欲的に取り組んでこられました。東京などでの展示会で、大牟田産の新作饅頭が日の目を見ることもありました。しかし、展示会で主力の“かすてら饅頭”に大量注文がきたとしたら、現実的には手作りの量産は難しいし、機械を導入した大がかりな生産も現状では望めない・・・
最終的には、手の温もりのある手作り“かすてら饅頭”に価値を見いだし、この伝統を守っていくことが大切ではないかと思われているようです。
 
 
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▲今では、こちらの蒸し饅頭である “大蛇山饅頭” が人気のようで~


 
 
 
博多(福岡)に進出し、今では全国区として名が知れ渡っている飯塚の“千鳥饅頭”。そして、焼き饅頭の元祖カステラ饅頭として、今も手作りの伝統と味を守り抜く菊水堂の“かすてら饅頭”。
 
寂しくなった大牟田の街角に、今も昔と変わらず店を構える菊水堂(*^_^*)
菊水堂の存在が、どことなく愛おしく感じられる・・・そんな今回のテーマでした。
 
 
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          ▲古い “かすてら饅頭” の表札


 
 
次回(最終回)は、“かすてら饅頭”と北原白秋について、プチ旅に出かける予定です。また次回をお楽しみに
 
 
(つづく)
 

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“かすてら饅頭”
 
◆◇菊水堂◆◇
  住所 : 大牟田市大正町1丁目3番地2
  電話 : 0944-56-1234                           ◆訪問日:2012.11. 
 

 
“かすてら饅頭”の菊水堂その3の話題は、“かすてら饅頭”を巡る歌人・詩人たちの物語です
 
まずは、トップの『季節の贐(はなむけ)』をご覧いただきましょう。
 
この『季節の贐』という小唄は、北原白秋の作でございます。
菊水堂5代目店主森史朗さんによると・・・
 
東京に住んでいた親戚(大伯父さん)が白秋と懇意にしていて、酒の席で作ってもらったとか。
郷土の歌人、白仁秋津(しらにあきつ)が白秋に会いに行くときに“かすてら饅頭”を土産に持ち、それを食べて即興で作ったと言われています。よって節回しはなく、三味線を片手に鼻歌で~くらいのようです。白秋直筆の書は残っておらず(多分、空襲で焼失)、我が家にはパンフがあるだけです。
 
   *以上の内容は、「地域SNSわいわいちっご」より引用させていただきました


 
 
“かすてら饅頭”について、白秋作の小唄があることは以前から知っていましたが、三池カルタ・歴史資料館にて今年の春に開催された特別展 『与謝野晶子没後70年 与謝野晶子と白仁秋津』 にて、私なりに発見がありました。白仁秋津宛の与謝野晶子書簡中に、菊水堂の“かすてら饅頭”が話題になっていた~(*^_^*)
 
早速、白仁秋津宛の与謝野晶子書簡の一部をここに紹介するといたしましょう。
 


 
白仁様
御文いたゞき候ひしよりも少しはやく 御志のおくわしとゞき申候。
いつぞや御もたせ下されし時に堀口大學氏が居られ経て 白秋さんのカステラ饅頭のうたをいろいろおどけて読まれしことのしのばれ候て 涙ながらにつくしの味をあぢはひ申候。
沢山に頂戴いたし まことにありがたく存じ申候。
あちこちにわけて上げ申候。  (後略)
 


 
三池カルタ・歴史資料館の解説によると・・・
この書簡は、寛(鉄幹)の死去に際して秋津から贈られた志のお菓子へのお礼と、晶子の二男秀( しげる)の結婚について述べられたもので、以前このお菓子を贈られた時に、堀口大學が白秋作のカステラ饅頭のうたをおどけて歌ったことが思い出されて、涙ながらにお菓子をいただきましたという内容。
日付は、昭和10年11月21日 となっています。
 
九州は大牟田の銘菓“かすてら饅頭”と、中央の歌人・詩人達の知られざる秘話を垣間見たようで、“かすてら饅頭”の味わいもひときわ昭和初期のレトロな味に感じ入った次第です。
 
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白仁秋津を通じ、戦前を代表する歌人や詩人達に愛された“かすてら饅頭”


 
 
ところで、大牟田市では、あるお祝いの際に“かすてら饅頭”がふるまわれていることを皆さんご存じでしょうか?
 
そのあるお祝いとは~、小学校の卒業式です。
 
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  大牟田市内の全小学校では、毎年の卒業祝いに大牟田市  から“かすてら饅頭”が贈られます。
 もちろん大変な数になるので、菊水堂はもちろんのこと市内  の菓子店で分担してつくり納品しているとのこと。
 
 郷土の歴史ある銘菓を小学校の卒業式で味わう
 何とも、心温まり誇らしげな話ではないですか!(^^)!
 
 大牟田生まれの銘菓“かすてら饅頭”ここにあり
 これまでも、そしてこれからも、多くの人々に愛され 続ける
 “かすてら饅頭”であることでしょう(*^_^*)
 
 
■左の写真は、菊水堂Facebookより   保育園の卒園饅頭
 
 
 
◆インタビューや資料の提供をいただいた菊水堂5代目店主 森史朗さんには、この場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました。
 
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▲菊水堂の店内


 
 
 
本文中に登場する歌人・詩人の簡単な解説
 
白仁秋津18761948 歌人。三池郡銀水村岩本(現大牟田市岩本)生まれ。本名、勝衛。文芸雑誌「明星」を主宰した与謝野鉄幹に師事。生涯を大牟田で過ごし、郷土の自然や日露戦争に従軍した経験などを歌に詠んだ。また、北原白秋とも親交があり、1907年に鉄幹や白秋ら5人の文人が紀行文「五足の靴」を発表した際には、その九州西部の旅を資金面で支援したことで知られる。
 
北原白秋18851942) 詩人・歌人。福岡県柳川生まれ。本名、隆吉。与謝野鉄幹の門人となり、「明星」「スバル」に作品を発表。のち、木下杢太郎らと耽美派文学の拠点となる「パンの会」を結成。詩集「邪宗門」「思ひ出」、歌集「桐の花」、童謡集「トンボの眼玉」など。
 
堀口大學18921981) 詩人・フランス文学者。東京生まれ。中学校卒業と同時に新潟県から上京。与謝野寛・晶子の新詩社に入って短歌・詩を作る。大正期の象徴詩に知性と官能美を加え、フランス近代詩の翻訳も多い。詩集「月光とピエロ」「砂の枕」「人間の歌」、訳詩集「月下の一群」など。
 
与謝野鉄幹18731935) 詩人・歌人。京都生まれ。本名、寛(ひろし)。落合直文の門に入り、浅香社に参加、短歌革新運動を興した。のち新詩社を創立し、「明星」を創刊、主宰。妻晶子とともに明治浪漫主義に新時代を開き、新人を多く育成した。歌論「亡国の音(おん)」、詩歌集「東西南北」「紫」、訳詩集「リラの花」など
 
与謝野晶子18781942) 歌人。堺生まれ。旧姓、鳳(ほう)。本名、しょう。鉄幹の妻。新詩社を代表する歌人として雑誌「明星」で活躍、明治浪漫主義に新時代を開いた。歌集「みだれ髪」「小扇」「舞姫」「恋衣」(共著)、現代語訳「新訳源氏物語」など。
 
与謝野秀19041971) 外交官。東京生まれ。与謝野鉄幹・与謝野晶子の次男。外務省にはいり、昭和24年調査局長27年ベルギー公使29年エジプト大使40年イタリア大使などを歴任。退官後は原子力委員会委員。東京帝大卒長男は、馨(かおる)、政治家。
 
*以上、『デジタル大辞泉』などより引用


 
(おわり)

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 ◆◇山査子のせいろ蒸しを食す◆◇
  住所 : 大牟田市正山町48-1
  電話 : 0944-55-0036                         ◆訪問日:2013.8.15
 

 
昨年の「増田うなぎ」につづき、今年のお盆も大牟田でうなぎのせいろ蒸しを食す
となれば~「山査子」に決まりでしょう(*^_^*)
 
ということで、あらかじめ電話予約をいれておいた山査子(さんざし)へGO
 
暖簾をめくり中にはいると、美しく磨き上げられた廊下があります
建物は戦前からのものでしょうか?
聞くところによると・・・山査子のお掃除は非常に念入りらしい(^O^)
廊下もこのようにピカピカですが、中庭に面したお部屋の窓ガラスも一片のくもりもありませぬ。(廊下は、米ぬかの入った袋で拭きあげるらしい)
トイレのスリッパの並び様、これまた定規で測ったようにきちんと並んでおる
 
気持ちよいかぎりでございます!(^^)!
 
 
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昭和レトロな雰囲気がいたしますでしょ。
この日は、写真左手のふすま奥のお部屋にていただきます(^_^)v
 
さて、注文しようとしましが・・・
お盆のお昼時はさすがに込んでましたね~注文にもしばしの待ち時間が
やっとこせ、お目当てのせいろ蒸しが登場(^-^)
 
 
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早速、お味の程は・・・
せいろ蒸しは、鰻にタレのお味はもちろんですが、何と言ってもお米が重要かと~
そのお米、一粒一粒がしっかりしていて、管理人好みのさっぱりした食感
山査子さんのHPに、このようなお米の解説を見つけました↓↓↓
 
山査子のお米は、熊本県菊池郡泗水町産のお米を使っております。
きれいな水と空気、肥沃な土壌、豊な自然に恵まれた泗水町で収穫される最高のお米です。
多くの産地のお米を試してようやくたどり着いた産地直送のお米はうなぎの美味しさを引き立
てるのには必要不可欠です。こだわりの良いお米はうなぎの味を一層引き立てます。

 
 
昨年食した増田うなぎのお米は、“たっぷり&もちもち”でしたが、山査子のそれは、“少なめ&さっぱり”といったところでしょうか
こればっかりはお好みかと思いますが、以上は管理人の舌が感じたままのお味ということで(^_-)
 
ちなみに、鰻の方はというと鹿児島産のものだけを仕入れているとのことです
も一つ忘れてならないのは「肝吸い」~、これまたしっかり味わいたいお吸い物ですぞ(^-^)
具は肝と麩、薬味のわけぎのみとシンプルだが、その味はなかなか秀逸です
 
ということで、今年のお盆もせいろ蒸し三昧ということで、猛暑の中お庭をのんびり眺めながらのひとときでございました(^-^)
 
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▲このようなテーブル席もあるので、お年寄りには助かります。もちろん個室もあります。
 
 
 
2年連続してのお盆の大牟田せいろ蒸し~
来年は、あのお店に決まりかな(?_?)
 
 
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(おわり)
 
 
 
 
◆山査子のHPはこちら : http://www.sanzashi.jp/index.html
◆昨年の増田うなぎはこちら : http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/40027732.html 

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