▲貯炭場 ~現在の大牟田市新港町~
「福岡俘虜収容所第17分所」 ~新聞記事より◇大牟田市~
今日の西日本新聞WEB版にて、大牟田にあった捕虜収容所の写真に関する記事を読む。
◆西日本新聞 10/5付 朝刊↓↓↓
捕虜収容所について詳しく調べたことはないが、かつて三池港の新港町にあったこと、戦後の極東軍事裁判において元所長ら4人が戦犯として絞首刑となったことは知識としてあった。正確には、「福岡俘虜収容所第17分所」で、使役企業はもちろん当時の三井鉱山三池鉱業所。
◆参考資料
大牟田三池分所
1943年8月10日、福岡俘虜収容所第17分所として、福岡県大牟田市新港町に開設。使役企業は三井鉱山三池鉱業所。終戦時収容人員1737人(米730、豪420、蘭332、英250、他5)、収容中の死者138人。このうちアメリカ兵1人は営倉内で餓死、他の1人は逃亡を計り刺殺された。戦後の戦犯裁判で、これらの責任を問われた分所長の由利敬中尉、福原勲大尉ら4人が死刑となった。
POW(Prisoner of War=戦争捕虜)研究会HPより引用
「福岡俘虜収容所第17分所」に収監された捕虜には、フィリピン「バターン死の行進」をさせられたアメリカ兵捕虜505人もふくまれていたようだ。最盛時には2000人余りもの捕虜を収容し、敷地面積は1万1000坪、敷地内には三井鉱山の作業員宿舎を流用した33棟の建物があったとのこと。この「福岡俘虜収容所第17分所」は日本最大の収容所であったらしく、また炭坑の坑内作業をさせるという苛酷な作業を科した収容所の一つであったことに間違いはない。この収容所の初代所長が由利敬少尉、二代目所長が福原勲大尉であり、先にも述べたようにこの2人は捕虜虐待の戦犯として絞首刑となる。そして、実は戦犯として絞首刑となった第1号が由利中尉、第2号が福原大尉だった。
三池炭鉱をめぐる「負の遺産」といわれるものの一つが、この捕虜にたいする強制労働と虐待ということになるであろう。囚人労働に関することや与論島を出た民の歴史、また炭塵爆発事故などについて今までも簡単に触れてきたが、この捕虜収容所に関することも、またきちんと事実を知ることが必要だと思う。
そこで今回、大牟田市石炭産業科学館に寄贈されたという米軍が撮影した捕虜収容所の24枚の写真。
今まで目にすることがなかっただけに、「福岡俘虜収容所第17分所」の詳細の一部が明らかにされるのではないかと期待したい。写真の寄贈者である小石さんは「大牟田に収容所があった歴史を忘れないでほしい」と答えておられる。これを機に、大牟田にあった捕虜収容所に関する調査が進むことを期待しょう。
なお、大牟田にはこの「福岡俘虜収容所第17分所」以外にももう一カ所収容所があった。それは、「福岡俘虜収容所第25分所」で、1944年9月29日に大牟田市新開町に開設されたもの。使役企業は電気化学工業大牟田工場。終戦時収容人員390人(英388、米2)、収容中の死者4人と記録されている。
以上、西日本新聞の記事から大牟田における捕虜収容所に関することを簡単にまとめてみました。より詳しくお知りになりたい方は、以下の書籍などが参考となりますので、興味がおありの方はご一読をすすめます。
① ジョージ・ウェラー 『ナガサキ昭和20年夏』 2007 毎日新聞社発行
② 山下 郁夫 『罪祭 -極東・横浜軍事裁判絞首刑第1号大牟田俘虜収容 所長・由利敬中尉-』 1983 創思社出版 発行
③ 寺井 敏夫 『巣鴨に消ゆ -BC級戦犯 福原勲と妻美志子-』
2004 山陰中央新報社 発行
また、捕虜収容所にBC級戦犯といえば、2008年に公開された映画『私は貝になりたい』 を思い起こされる方もおられるでしょう。この映画やテレビドラマの原作とされるのは、加藤哲太郎 『私は貝になりたい ―あるBC級戦犯の叫び―』 1994 春秋社発行 です。
◆10/6日 追加記事
今回の記事を契機として、いくつかの貴重なサイトに出会うことことができました。
アメリカのサイトですが、一部は日本語訳での閲覧が可能です。
大牟田の収容所のみならず、日本各地にあった捕虜収容所の詳細な体験記やレポート、写真を見ることができます。特に、W.INJERDさんのHPは貴重なものとなっています。
実はこのW.INJERDさん・・・当ブログ書庫の 『IAB春日物語』 にて紹介している資料や写真の提供者でもあります。彼が日本在住の頃、とあることから知り合いとなり、米軍板付基地をより詳しく知るきっかけとなりました。
2002年に離日され、いまはアメリカ在住のW.INJERDさん~、大牟田にあった「福岡俘虜収容所第17分所」に関し、WEB上にて再会を果たすことになろうとは思ってもみませんでした(*^_^*)
それでは、関連HPを以下に貼り付けておきます。
大牟田関連の写真や体験談、レポートもありますので、興味がおありの方は是非ご覧下さい。
① US-JAPAN DIALOGUE ON POWS
米国カリフォルニア州の非営利団体 「US-JAPAN DIALOGUE ON POWS」 により、運営されてるサイト。このサイトをもとにして、リンク集にある日本の捕虜収容所関連のサイトを見るとよい。
★このサイトのリンクや記事を参考にして、以下のサイトを紹介する。
②Prisoner of War Camp #1 Fukuoka, Japan
http://home.comcast.net/~winjerd/POWCamp1.htm
③Center for Research Allied POWS Under the Japanese
http://www.mansell.com/pow-index.html
http://home.comcast.net/~winjerd/POWCamp1.htm
③Center for Research Allied POWS Under the Japanese
http://www.mansell.com/pow-index.html
福岡に長く住んだウェス・インヤード氏のサイト。
日本国内の捕虜収容所に関する公文書、写真などが掲載されている。もちろん大牟田の第17分所も取り上げられている。
「福岡俘虜収容所第17分所」の歴史・名簿・体験・情報・写真が掲載されている。今回、大牟田市石炭産業科学館に寄贈された写真もこのサイトにあるかもしれない。
⑤THE WALL STREET JOURNAL
ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載された、レスター・テニー氏の意見記事 「日本での強制労働から66年―尊厳を求める元米兵捕虜」 の日本版ページ