炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 逝きし時の面影

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 ■1979年   伊予電鉄 古町車庫にて ~モニ30とモハ205~


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた~つづき
今回は、伊予電鉄が登場

古町車庫ですな
撮影は、1979年2月20日~撮影はこれを含めて3枚のみ
つい最近撮影したような感じがするところがすごいですね(*^_^*)
さすがコダクローム~38年も前に撮影したとは思えませぬ

写っている車輌は~
モニ30にモハ205です

たぶん鉄研にて車庫を見学したときの撮影です~
それにしても、たったの3枚のみとはもったいない
実はこの頃、列車の撮影自体に意欲と興味が薄らいでいた・・・
松山まで出かけておきながら、撮影したのは3枚のみとは(*_*)




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 ■1979年   伊予電鉄 古町車庫にて ~元呉市電1001とハ31廃車体~


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた~つづき
今回は、伊予電鉄が登場

古町車庫その2は、1001とハ31廃車体・・・
1001号は、呉市電の1000形として1959(昭和34)年に現在のアルナ車両で製造された3両のうちの1両です
1967(昭和42)年の呉市電廃止を前に、3両とも伊予鉄道に譲渡されましたが、2002(平成14)年2月に営業運転を終えた後、1001号は呉市に返還され静態保存さているようですね

ハ31は、この頃は車体のみで、倉庫として利用されていたのかな(?_?) 後に撮られた写真を見ると、足回りも復元されて塗色も青緑色みたいになってます~明治生まれの、元祖“坊ちゃん列車”ですな~元々は茶色の車体だったのかな




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 ■1979年   伊予電鉄 古町車庫にて ~モニ30~


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた~つづき
今回は、伊予電鉄が登場~最終回(たったの3枚のみとは・・・)

1回目にも登場したモニ30&モハ205です
メインはモニ30ですが、ちょっとだけ調べてみたところ~
廃車になったのち、しばらく古町車庫に放置されていたところ、2014年頃に「那珂川清流鉄道保存会」(栃木県那須烏山市)に引き取られて修復が進められているらしいですね

▼ 保存に関する参考HPはこちら↓↓↓


那珂川清流鉄道保存会」のHPを覗いてみると~
保存車輌の紹介には、モニ30はありません・・・
まだ、整備中ということかな

▼ 那珂川清流鉄道保存会のHPはこちら↓↓↓


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 ■1978年   京都市電 京都駅前にて   1978.9.19


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた~つづき
今回から、京都市電が登場~

これまた、何の用事で京都に行ったのやら記憶なし・・・
何かのついでに一寸だけ撮影したような感じ(?_?)
とにかく、6枚のスライドが残されています

そこで、今回は京都駅前の市電です(*^_^*)
39年前の京都駅前~日常の普段通りの様子がいたします
巨大な駅ビルに観光客でごったがえしている現在の京都駅前ですが、この時代はまだまだのんびりとして、静かな日常が京都駅前でもあったように思えます(^_-)



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 ■1978年   京都市電 千本北大路付近にて   1978.9.19


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた~つづき
今回から、京都市電が登場~

これまた、何の用事で京都に行ったのやら記憶なし・・・
と、前回書きましたが、どうも撮影年を1年間違えていたようです
前回、1979年と表示していましたが、京都市電が全廃されたのは1978年(?_?)
単純に前回の松山と同じ年かと勘違いしたようで・・・
(スライドのマウントには、確かに1978.9.19と記されていた(^O^)

ということで撮影日は、正しくは1978年の9/19でございましたm(_ _)m
おそらく、廃止を見越して京都に立ち寄った時の撮影でしょう

さて、今回の京都市電の撮影地は、千本北大路付近だと思います。そう結論づけた根拠は、市電の線路正面に見える白い十字架のある教会です
この教会を探すべく、画像の検索を試みた結果~
“カトリック衣笠教会”ということが判明!(^^)!

たぶん、京都駅から残された路線をぐるっと一周しようと思ったのでしょう
ここ千本北大路にやってきたところで、教会をバックにして市電の車内からすれ違う車輌を撮影した・・・
手元に残っている、数少ない京都市電の一枚です(^O^)



(つづく)

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 ■1978年   京都市電 北大路橋にて   1978.9.19


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた・・・
京都市電つづき~

6枚しか残っていない京都市電の3枚目は、北大路橋を行く市電です(*^_^*)
鴨川の風景は今もほとんど変わらないのかな~

もう一枚は、カブ号と市電のコラボです(^_^)v


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カブ号の上には干されている木枠の箱が・・・
中身は空っぽか、それとも

最近は、運転席前面に風防がついたカブ号を見かけることはなくなりました(^o^)



(つづく)


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 ■1978年   京都市電 東山七条にて   1978.9.19


何気なく、古いコダクロームのスライドを眺めていた・・・
京都市電つづき~

6枚しか残っていない京都市電の5枚目は、智積院前を行く市電です(*^_^*)
最寄りの電停は、東山七条かな~
京都といえば、このようなお寺さんと市電のコラボは定番でしょう

この京都市電シリーズの最後となります~
もう一枚、縦アングルを紹介してお開きでございます<(_ _)>


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(おわり)



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 ■1981年   京王帝都電鉄 芦花公園駅   ~とある店先にて~


先日、用事があって一寸だけ東京にお出かけ
その折りに、かつて大学時代に下宿していた地を訪ねました~

その地は、世田谷区北烏山
最寄り駅は、京王線の芦花公園駅でございます
利用していたのは、かれこれ35年以上も前のことですが
狭いアーケードが続く駅前の道もお店屋さんも、変わらずにそこにありました・・・
もちろん、なくなった食堂や本屋などなどありますが、雰囲気はほぼ昔のまま

そんな中、駅前のくだもの屋さんの店先に、TOPの写真をみつけました
1981(昭和56)年~まだ地上駅だった時代の芦花公園駅!(^^)!
木造駅舎の改札口に、5000形が写ってます
毎日利用していたのに、このような風景を一枚も撮らなかった管理人~
懐かしさのあまり、複写させていただきました

短い滞在時間でしたが、訪ねてよかったと思いました


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▲ 狭い道の両側には、これまたすれ違うのがやっとほどの狭い歩道がある芦花公園駅




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▲ 昔と変わらぬお店屋さんを見かけました~ くだもの屋さんに寄ってみると・・・




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▲ くだもの屋さんの壁面には、昔懐かしい芦花公園駅のスナップ写真が貼られていました




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▲ 踏切脇から現在の橋上駅舎と電車を眺めます~ ちょうど上り下りの普通電車がやってきた




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▲ ホームでも、通過列車をゲット~ 新しい電車のことはよく分かりませぬ・・・




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▲ 天気のよい日には、この上り線ホームからも富士山が見えたような記憶があるのだけど



(ちょっとだけ、つづく)

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炭鉱電車つながりの知人から、以下のような写真を送っていただきました。
解説によると、1970年代頃の大牟田松屋の記念品とのことです。
鉛筆が2本、ケースに入っていますが、ケース裏面にある「楽しいお買物の散歩道」という文言が洒落ていますね。

私は初めて目にしましたが、ご覧の皆様で目にされてことがある方おられますか?

◆いただいたPDFファイルの写真はこちら↓↓↓

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