炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 鉱山軌道◇紀州編

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                      ▲ ぽつんと人車一両 ◇ 湯ノ口   紀州鉱山軌道(21)

                                              撮影日:1978 9.17
                                          撮影地:石原産業 紀州鉱山



まだまだありました落ち穂拾い・・・
湯ノ口にて撮影していた数枚が埋もれていた

ここ湯ノ口は、採鉱課本部もおかれていて、川を挟んで多くの建物群が立ち並んでいました
この写真にある建物の背後に採鉱課本部がありました(*^_^*)

今ではこの一帯は「湯ノ口温泉」として賑わっているところですね
渓流沿いに一両だけ佇んでいた人車がまた愛らしい(^_^)v

まるで、おとぎの国にでも来たような感じがしたものです
つぎもまた、湯ノ口の情景を紹介する予定です~




(つづく)


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▲ 駅舎とデルタ線 ◇ 湯ノ口   紀州鉱山軌道(22)

                                              撮影日:1978 9.17
                                          撮影地:石原産業 紀州鉱山



まだまだありました落ち穂拾い・・・
湯ノ口にて撮影していた数枚が埋もれていた(つづき)

前回UPした人車が、駅舎奥の画面右側に見えていますね(*^_^*)
湯ノ口駅舎は川の上に設けられた対面式の駅舎で、この駅舎を囲むようにデルタ線が敷設されていました

以前にUPしたこちらの写真を見ていただくと、少しは分かりやすいかな↓↓↓

現在の湯ノ口温泉駅が位置している場所と同じですね
写真の小口谷方面駅舎が作り替えられて、今も使われているようです


つぎもまた、湯ノ口の情景を紹介する予定でございます(^_-)




(つづく)


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▲ 杉材が敷き詰められた線路敷き ◇ 湯ノ口駅   紀州鉱山軌道(23)

                                              撮影日:1978 9.17
                                          撮影地:石原産業 紀州鉱山



まだまだありました落ち穂拾い・・・
湯ノ口にて撮影していた数枚が埋もれていた(つづき)

今回は、渓谷の上にあった湯ノ口駅の線路敷きの様子です(*^_^*)
午後の陽に照らされて、敷き詰められた杉材のつぶやきを聞いたような

カーブした先は、惣房方面への6号隧道でございます(^O^)
ところで、RM LIBRARY 212『紀州鉱山専用軌道~その最後の日々』のp18,19に、湯ノ口駅が取り上げられていますが、下りホーム待合所の軌道自転車が写真で紹介されいます

暗くて見にくいですが、左上にその軌道自転車の姿が写っています

次回も、もう一枚~湯ノ口にておつき合いのほどをm(_ _)m





(つづく)


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▲ 鉱山撤収作業? ◇ 湯ノ口   紀州鉱山軌道(24)

                                              撮影日:1978 9.17
                                          撮影地:石原産業 紀州鉱山



まだまだありました落ち穂拾い・・・
湯ノ口にて撮影していた数枚が埋もれていた(つづき)

今回は、トロッコを押す作業中の麦わら帽子のおじさん(*^_^*)
何か言葉を交わしたはずですが・・・
思い出せません

閉山後の何かの整理でしょうか
閉山後のこの頃も、一部何かのお仕事が行われていた(?_?)

今となっては、知る由もありません・・・




(上川につづく)



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▲ 草むした軌道とバッテリーロコ ◇ 上川   紀州鉱山軌道(25)

                                              撮影日:1978 9.17
                                          撮影地:石原産業 紀州鉱山




湯ノ口を後にし、持参した地形図をもとにして上川(じょうせん)にやってきました
湯ノ口から惣房(そうぼう)に向けた六号隧道のほぼ中間地点から、十一号隧道が分岐し上川に通じていたようです

先に紹介したRM LIBRARY 212、『紀州鉱山専用軌道~その最後の日々』にて上川のことを確認しようと思いましたが~記述がなかった・・・。名取さんは上川には行かなかったのかな? ちなみに、私は惣房に行けなかった(*_*)

さて、楊枝川の支流に沿って上川の軌道が延びていました
私が最初に撮影した上川の光景はTOPの写真です(*^_^*)

草むした軌道敷きの先に、バッテリーロコの廃車体が佇んでいました
このロコが愛おしく、ここで数枚の写真をものしました(^-^)




(つづく)


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▲ 木造吊り橋とバッテリーロコ ◇ 上川 紀州鉱山軌道(26)

    撮影日:1978 9.17
    撮影地:石原産業 紀州鉱山



湯ノ口を後にし、持参した地形図をもとにして上川(じょうせん)にやってきました(つづき)

草むした軌道敷きの先に、バッテリーロコの廃車体を発見(*^_^*)
近寄って木造吊り橋と一緒にバッテリーロコを撮影

はて、近寄ってみて分かったのですが・・・
これってまだ現役かも
運転席に石で押さえられたシートが被されている・・・

いつ何時か、また動かすときが来ることを考えてのことでしょう
この32号機が動き出す時を、じっと想像して佇んでみるのでした





(つづく)


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