炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 鉱山軌道◇紀州編

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その1)  木造人車


「石原産業 紀州鉱山」と聞いて・・・

「あ~、三重県にあった銅山ね」 なんて言える人は殆どいないでしょう。

“紀州” という名前から、おおよその場所は想像できますけどね。
ここ紀州での銅採掘の歴史は古く、奈良の東大寺大仏建立のときに大量の銅が紀州からもたらされたとのこと。
時代は経て、江戸時代にも紀州鉱山があった紀和町では銅の採掘がおこなわれ、30をこえる銅山が開発されていたらしいい。
近代鉱山としての歴史は、石原産業が1934(昭和9)年に紀和町近隣の鉱区を買収した後、1939(昭和14)年に三和鉱山を合併して紀州鉱山とし操業を開始したことにはじまるようです。

さて、鉱山の歴史はこれくらいにして、さっそく鉱山軌道へと歩みを進めましょう(*^_^*)

私が紀州鉱山を知ることになったのは、閉山の頃に趣味誌やマスコミで取り上げられたのがきっかけでしたが、ことのほか印象深かったのは木造の人車が走っていたことでした。
閉山の頃でしたか、 銀座の歩行者天国に、その人車が展示されたなんて事があったような・・・。

そして、大学鉄研のある先輩が撮影した紀州鉱山の写真を見せられた私、
「どうにかして紀州鉱山へ行くぞ(^O^) 紀州鉱山の木造人車の列車を撮影したい!!」と思ったのでしたが・・・・・

紀州鉱山を訪れることができたのは、閉山して4ヶ月後のことでした(*_*)

何だかよく分からぬ巡検を、和歌山県は新宮にて計画した私達ゼミ一行
調査もそこそこに、友達をさそってレンタカーを借り “いざ三重県は紀和町の紀州鉱山へGO”
慣れない山道を飛ばして、やってきました紀和町板屋の紀州鉱山へ(*^_^*)

そこで出迎えてくれたのが、かのあこがれの木造人車でした・・・。



(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その2)  板屋駅


紀州鉱山の軌道巡りは、板屋からのはじまり

5万分の1の地形図「十津川」を片手にここまでやってきました
地図をみると、「紀州鉱業所」の記載と、四角い建物の標記がなされています

ここ板屋には選鉱所があり、1号坑口を出てすぐの場所に写真の板屋駅がありました
短い待合室の屋根と、低いホーム

背後の建物は、駅舎ではなくたぶん鉱山の事務所だと思われます

閉山後も往時のままに放置されたままだったのでしょう
人車が10台ほど連なっていました

人車をよく見ると、一台一台が似て非なるもの(@_@)
この写真に写っている、11号と9号の2両を比べてもその違いは明らかです

当時は、短い時間で写真を撮るのが精一杯で、細かく観察する余裕すらありませんでした
30年ぶりにスライドをスキャンして、いまこうやってしげしげと眺め入っている次第です

それにしても残念なのは、機関車が連結されていなかったことです
L形の電気機関車(6t)が活躍していたのですが、板屋ではその姿を見ることはできませんでした


(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その3)  板屋駅


紀州鉱山の軌道巡の3回目は、板屋駅のつづきです。

短いながらもホームとベンチがあったここ板屋。
そのホームから、連なる人車達を眺めます(*^_^*)

こうして見ると、その凸凹の人車編成がほほえましく感じます。

人車の緩急面は、薄汚れていますね・・・。
警戒色の赤い表示が目に付きます。

「あ~、もうちょっと早くこれれば・・・、この人車に乗れたのに」

とため息です。




後年復活した人車に、いつか乗りにいくぞ(~o~)


つづく

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その4)  板屋駅


紀州鉱山軌道巡りの4回目も、板屋駅のつづきです。

この板屋駅の構内は、立派な架線が張り巡らされていました。
架線柱も鉄骨でできています。

その板屋駅の短いホームに連なる人車達の横に、一両だけぽつんと人車が佇んでいました。

このカットでは、連結面の様子がよく見て取れますね。
この人車、警戒色?は白。
もちろん、自動連結器などは装備されてはおりませぬ。

リング式の連結器に、両脇の緩衝器がなんとも言えません(@_@)
薄い鉄板を張ったような、ゴワゴワの丸屋根も味があります。


人を乗せて、ちょっとだけ手押しで動かしてみたい衝動に駆られます。



(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その5) 木造人車 13号 


紀州鉱山軌道巡りの5回目も、板屋駅のつづきです。

13号人車のサイドビュー・・・
木工所ででも製造したかのような印象。

この人車のサイドには 「板ー惣」 の行先表示がありました。
板はもちろん「板屋」、惣は「惣房」の意です。

ここ板屋から1,2号坑道を経て「小口谷」へ
「小口谷」から3,5号坑道を経て「湯の口」へ
「湯の口」から6号坑道を経て「惣房」へ、と人車が走っていたようです。


引き戸式の乗車口
何と可愛らしい車輪

たぶん・・・
6t電気機関車に引かれ、ゴトゴトゴトと音を立てながら・・・
ほとんどが坑道である約5.5㎞の道のりを、ゆっくり走行したのではなかろうか・・・。

窓は格子戸のようで、もちろんガラスもありません。



(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その6) 選鉱所下の木造車庫 

紀州鉱山軌道巡りの6回目は、板屋駅界隈の探索。

板屋駅の背後の山には、選鉱所の巨大な建造物がありました。
その選鉱所のちょうど下部あたりが今回の一枚です。

選鉱所をバックにして、バッテリーロコが木造車庫に佇みます。

この訪問で、初めて目にした機関車、
今にも動き出しそうな状態でそこにありました。

車庫のすぐ横には、閉山後使われることがなくなった鉱車が
赤茶けた姿をさらしています。

板屋駅から続く線路があったんですが、構内の配線メモもとらずじまい・・・。

選鉱所も気になる存在でしたが、地形図を片手に次なる坑口を求め先を急いだのでした。



(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その7) 台車に乗ったバッテリーロコ

紀州鉱山軌道巡りの7回目も、板屋駅界隈の探索です

木造車庫の近くで、こんな光景を目にしました・・・

バッテリー部分が取り外され、分解されたバッテリーロコ
台車2台に分けられ、放置されたまま(@_@)

何かのトラブルで動けなくなったバッテリーロコを運んできたのでしょうか?
それとも、解体修理中のものだったのでしょうか?

鉱山軌道のジオラマがあれば、ぜひ取り上げたいシーンですね(^_-)


探索すればするほど、色々なシーンに出会える
ここ板屋駅界隈でした


(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その8)  ホウセンカ

紀州鉱山軌道巡りの8回目も、板屋駅界隈の探索です。

板屋駅の留置線に居並ぶ人車の列・・・

夏の終わりのホウセンカが花を添えます。

ホウセンカは、その種が弾けます(^-^)
昔はよく見かけた花でしたが、最近はあまり見かけないような気がいたします。

ここ板屋の人車脇に、そのホウセンカを見つけました。
今にも弾けそうな実をつけたホウセンカ・・・
そのホウセンカに焦点を合わせ、この一枚を撮りました。

閉山してしばらく経過したこの山里にも、ホウセンカの赤い花が咲きました。
この赤い花の紅を、山里の乙女がわが爪を染めるのに使ったでしょうか・・・。


(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その9)  手書き車番

紀州鉱山軌道巡りの9回目も、板屋駅界隈の探索です


朽ちかけた人車に残された手書きの番号

28


板目に沿って、緑色の塗装が剥げ落ちる頃

閉山後の時間が過ぎていく


歴史がひとつひとつ忘れ去られるようにして


(つづく)

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撮影日:1978 9.17
撮影地:石原産業 紀州鉱山

紀州鉱山軌道 (その10) 選鉱所と人車 

紀州鉱山軌道巡りの10回目も、板屋駅界隈の探索です

山の斜面を利用して設置された選鉱所をバックに
一両の人車がぽつんと佇んでいました

今では人っ子一人いない鉱山にて放置され

このまま朽ち果てるにまかされるのか・・・


操業時の鉱山に思いを巡らしながら

選鉱所と人車を眺め入る


(つづく)

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