▲石炭記念公園を見下ろす丘の上より
撮影日:2008.12. 7
撮影地:田川市石炭・歴史博物館
撮影地:田川市石炭・歴史博物館
田川市石炭・歴史博物館の屋外展示場を見学したあとは・・・
石炭記念公園を見下ろす丘の上に再度立ち、竪坑と田川の街並みを眺めます。
石炭記念公園を見下ろす丘の上に再度立ち、竪坑と田川の街並みを眺めます。
この高台には、炭鉱をめぐる慰霊碑が静かに佇んでいます。
○田川地区炭坑殉職者慰霊之碑
○強制連行中国人殉難者鎮魂の碑
○韓国人徴用犠牲者慰霊碑
○強制連行中国人殉難者鎮魂の碑
○韓国人徴用犠牲者慰霊碑
次の写真は、「鎮魂の碑」から見た竪坑櫓です。
奥の「炭坑殉職者慰霊之碑」には、以下のような碑文が刻まれていました。
奥の「炭坑殉職者慰霊之碑」には、以下のような碑文が刻まれていました。
戦争中には徴用や各国捕虜等、老若男女を問わず石炭増産に狂奔し、また戦後は祖国復興の為、大小300余の炭坑、中小無数の採掘の活況は実に壮観であった。然し一方、瓦斯爆発、落盤、出水、坑内火災等の被害も又甚大で殉職者は推定2万人とも言われている。やがてエネルギー革命により、百年にわたる炭坑の灯は消え栄枯の歴史の幕は閉ざされた。
今日、吾が郷土の発展の陰には、貴いこれら炭坑殉職者のいることを決して忘れてはならない。茲に奇しくも地域住民、諸団体等の賛同のもとに、此の碑を建立し、諸霊のご冥福を祈り感謝の誠を捧げるとともに、末永く筑豊炭田の歴史を伝えんとするものである。
今日、吾が郷土の発展の陰には、貴いこれら炭坑殉職者のいることを決して忘れてはならない。茲に奇しくも地域住民、諸団体等の賛同のもとに、此の碑を建立し、諸霊のご冥福を祈り感謝の誠を捧げるとともに、末永く筑豊炭田の歴史を伝えんとするものである。
田川市石炭・歴史博物館に石炭記念公園を訪ねられた折には、ぜひこの丘の上からの風景をご覧になって、これら慰霊碑にもお立ち寄り下さい。
炭鉱の裏面史にも目を向けられることを願います。
▲「鎮魂の碑」「炭坑殉職者慰霊之碑」からかいま見た竪坑櫓
最後に、旧三井田川鉱業所伊田第一竪坑櫓にご挨拶しましょう。
第二竪坑櫓は現存しませんが、この第一竪坑櫓と「ケージ」が大切に保存されています。
第二竪坑櫓は現存しませんが、この第一竪坑櫓と「ケージ」が大切に保存されています。
第一竪坑の深さは、314mであったとのこと。
狭い「ケージ」に揺られ、地下300mに下っていく時の心境はいかばかりであったか・・・
狭い「ケージ」に揺られ、地下300mに下っていく時の心境はいかばかりであったか・・・
▲旧三井田川鉱業所 伊田第一竪坑櫓
石炭記念公園をあとにして、ちょっとだけ田川伊田駅界隈を徒歩で散策致しました。
駅の小倉寄りにあるガード近くから、駅舎と伊田竪坑を望みます。
駅の小倉寄りにあるガード近くから、駅舎と伊田竪坑を望みます。
ちょうど、日田彦山線の下り列車がやってきました。
次回は最終回で、このガードの鉄橋と煉瓦橋台を中心にレポートいたします。
▲線路脇より 田川伊田駅と二本煙突・伊田竪坑を望む
▲日田彦山線の列車が田川伊田駅の構内に進行
(つづく)