炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 筑豊紀行

イメージ 1

▲石炭記念公園を見下ろす丘の上より

   撮影日:2008.12. 7
   撮影地:田川市石炭・歴史博物館

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(11)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

田川市石炭・歴史博物館の屋外展示場を見学したあとは・・・
石炭記念公園を見下ろす丘の上に再度立ち、竪坑と田川の街並みを眺めます。

この高台には、炭鉱をめぐる慰霊碑が静かに佇んでいます。

○田川地区炭坑殉職者慰霊之碑
○強制連行中国人殉難者鎮魂の碑
○韓国人徴用犠牲者慰霊碑

次の写真は、「鎮魂の碑」から見た竪坑櫓です。
奥の「炭坑殉職者慰霊之碑」には、以下のような碑文が刻まれていました。

 戦争中には徴用や各国捕虜等、老若男女を問わず石炭増産に狂奔し、また戦後は祖国復興の為、大小300余の炭坑、中小無数の採掘の活況は実に壮観であった。然し一方、瓦斯爆発、落盤、出水、坑内火災等の被害も又甚大で殉職者は推定2万人とも言われている。やがてエネルギー革命により、百年にわたる炭坑の灯は消え栄枯の歴史の幕は閉ざされた。
 今日、吾が郷土の発展の陰には、貴いこれら炭坑殉職者のいることを決して忘れてはならない。茲に奇しくも地域住民、諸団体等の賛同のもとに、此の碑を建立し、諸霊のご冥福を祈り感謝の誠を捧げるとともに、末永く筑豊炭田の歴史を伝えんとするものである。


田川市石炭・歴史博物館に石炭記念公園を訪ねられた折には、ぜひこの丘の上からの風景をご覧になって、これら慰霊碑にもお立ち寄り下さい。

炭鉱の裏面史にも目を向けられることを願います。


イメージ 2

▲「鎮魂の碑」「炭坑殉職者慰霊之碑」からかいま見た竪坑櫓


最後に、旧三井田川鉱業所伊田第一竪坑櫓にご挨拶しましょう。
第二竪坑櫓は現存しませんが、この第一竪坑櫓と「ケージ」が大切に保存されています。

第一竪坑の深さは、314mであったとのこと。
狭い「ケージ」に揺られ、地下300mに下っていく時の心境はいかばかりであったか・・・


イメージ 3


イメージ 4

▲旧三井田川鉱業所 伊田第一竪坑櫓




石炭記念公園をあとにして、ちょっとだけ田川伊田駅界隈を徒歩で散策致しました。
駅の小倉寄りにあるガード近くから、駅舎と伊田竪坑を望みます。

ちょうど、日田彦山線の下り列車がやってきました。

次回は最終回で、このガードの鉄橋と煉瓦橋台を中心にレポートいたします。


イメージ 5

▲線路脇より 田川伊田駅と二本煙突・伊田竪坑を望む


イメージ 6

▲日田彦山線の列車が田川伊田駅の構内に進行



(つづく)

イメージ 1

▲トローリー式電気機関車

   撮影日:2008.12. 7
   撮影地:田川市石炭・歴史博物館

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(10)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

田川市石炭・歴史博物館の屋外展示場・・・
かつて炭鉱で活躍したナローゲージの機関車達の第2回目です。

三井山野炭鉱で活躍した凸型電気機関車1号機の次は、TOPのトローリー式電気機関車です。
この機関車、車体に付けられた解説によると、三池炭鉱にて使用されていた機関車ですね。
一番オーソドックスなスタイルの、鉱山用機関車と言えるでしょう。
もちろん、三井三池製作所製でございます。

お次は、日立製作所が鉱山・炭鉱用として開発した坑内用ディーゼル機関車です。
銘板をのぞいてみると・・・
1956年10月製造、正式な名称は「日立防爆型ヂーゼル機関車」ですな。

使用されていた炭鉱は、古河鉱業・大峰炭鉱(田川郡添田町、川崎町)です。
側面には、つるはしを交差させたマークが残されていました。
大峰炭鉱のマークなのでしょうか?

足尾銅山の経営を行ったことでも知られる“古河鉱業”の伝統の社紋"は、やまいち"マークでしたよね・・・。

イメージ 2

▲日立防爆型ヂーゼル機関車


イメージ 3

▲機関車側面に残るマーク


イメージ 4

▲銘板


さて、次なる機関車はちょっと珍しい機関車だと思います。
これは、「リール式電気機関車」

これも、三池炭鉱にて使用されていた機関車で、三井三池製作所製です。
解説によると、この機関車は切羽近くの末端で運搬用として使用されていたとのこと。
切羽近くの末端で、架線が無いところをケーブルリールを利用して動かす。ケーブルの長さは、150~300mあったようです。
ケーブルを伸ばしたり、巻き戻しての運転ですので、時速4㎞でした。

そういえば、三池炭鉱専用鉄道においても、かつてリル1・2というリール台車が在籍していたことを思い出しました。同じように架線の無い区間にケーブルを引伸して運転します。
20t機関車の3・4・7・8号機の4両のみが、リール台車との接続が可能でした。

イメージ 5

▲リール式電気機関車


最後は、これまた珍しい「圧縮空気機関車(エアー式)」です。
解説には、三井建設株式会社寄贈とあります。

ま~るいタンクに圧縮空気を満たして走行するらしい(@_@)
運転中に、圧縮空気の充填が当然必要で、走行距離は短かったようですが、
火源がないため、メタンガスの多い坑内で使用されたらしい。

う~ん、色んな面白い機関車を見せてもらいました。
願わくば、ピンク色ではなくて、現役当時の塗色で保存して欲しかったな!(^^)!

イメージ 6

▲圧縮空気機関車(エアー式)


イメージ 7

▲機関車に残る銘板


(つづく)

イメージ 1

▲三井山野炭鉱の凸型電気機関車 1号機

   撮影日:2008.12. 7
   撮影地:田川市石炭・歴史博物館

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(9)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

田川市石炭・歴史博物館の屋外展示場・・・
私にとってのメイン展示は、何といってもかつて炭鉱で活躍したナローゲージの機関車達です。
今回から数回に渡って、この展示場の機関車達を紹介いたします。

第1回目の機関車は、かつて三井山野炭鉱で活躍した凸型電気機関車1号機です。

筑豊の凸型電気機関車といえば・・・
この書庫で取り上げた三井田川鉱業所、そして明治鉱業平山鉱業所に三菱鉱業鯰田鉱業所の凸型電気機関車が思い浮かびます。

太平洋炭鉱の洗練された凸型電気機関車は記憶に新しいですが(私は行かずじまいでした)、筑豊のこれら凸型電気機関車には、なぜか近親感と愛着のようなもを感じてしまう管理人です。

それは、製造年月日が古いこともあるでしょうが、この三井山野炭鉱の凸型電気機関車などは三井三池製作所製であることからくるものかも知れません。
縦長の小さな車体に大き目のパンタグラフ、上部が丸い窓デザインの愛嬌あるキャブに、これまた大きめの前照灯。

どれをとっても可愛らしい凸型電気機関車であることよ(*^_^*)


イメージ 2

▲この角度からみる凸電もいいものです  前照灯の大きさが一際目立ちます


今にも走りだしそうな雰囲気でしょ!(^^)!
次に、ちょいと足回りを覗いてみました。

何だか大きな歯車が見えます(@_@)
駆動機構は単純で、モーターについた歯車が直接車軸の歯車に合わさってるような感じを受けました。
この歯車に感激して、2枚の写真を撮りましたよ。


イメージ 3

▲三井山野炭鉱の凸電の歯車 その1

イメージ 4

▲三井山野炭鉱の凸電の歯車 その2


この凸型電気機関車以外にL型電氣機関車(これも三井三池製作所製)も在籍していた山野炭鉱。
炭鉱としての歴史は古く、三井鉱山が筑豊で手がけた最初の炭鉱(明治31年操業開始)でもありました。
しかし、採掘条件は厳しく1965(昭和40)年には、 237名が死亡するガス爆発事故が発生していることでもその名を知られています。


そのような歴史も思いうかべながら、
あらためて、三井山野炭鉱の凸型電気機関車1号機に眺め入った管理人でした。


イメージ 5

▲三井山野炭鉱の凸型電気機関車 1号機 (反位側に前照灯は設置されていない) 



(つづく)

イメージ 1

▲竪坑櫓の先 二本煙突を望む

   撮影日:2008.12. 7
   撮影地:田川市

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(8)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

久々の? 鉄ちゃんを楽しんだ後は・・・
この旅の最終目的である田川市石炭・歴史博物館へGO!(^^)!

田川市美術館と連携して、博物館にても山本作兵衛に関する日記や人となり、筑豊炭田の紹介がされていました。(写真は撮ってません・・・)

坑内馬匹の写真などは、三池炭鉱のものが使用されています。
(当ブログ書庫 『三井三池各事業所写真帖』のもの)
筑豊の写真ではありませんので、一言断りや解説が必要と思われました。

さて、この博物館でのお目当ては常設展示と館外にある炭鉱関係の車両たちです。
まずは、常設展示の模型が目をひきます。
田川伊田駅側から、二本煙突側から写真を撮りましたのでご覧下さい。

イメージ 2

▲最盛期の三井伊田坑 その1 田川伊田駅側から


イメージ 3

▲最盛期の三井伊田坑 その2 二本煙突側から


前回、追加で取り上げたナローの鉄道は、2枚目の模型写真の手前に連なっていました。
近くには斜坑も存在していたようです。

しばし、あちこちの角度から模型に眺め入ります。

模型の次は、ポンプや安全燈に手掘り・機械採炭の道具を見学。
(聞くとこによると・・・その多くは三池炭鉱寄贈のものであるとのこと)

そして、お目当ての屋外展示場の炭鉱で活躍した機関車達です。
まずは、炭車にチップラーなどを見学(*^_^*)


イメージ 4

▲チップラー その1


イメージ 5

▲チップラー その2


チップラーとは、炭車を横転させる装置のことです。
丸い輪っかが回転して、石炭を選炭場などに落とし込みます。

お次は、鉄製&木製の炭車にナベトロ(^_-)

かつては工事現場やいたるところの鉱山で目にした
これらの鉱車も、今では貴重品です。


イメージ 6

▲鉄製&木製の炭車


イメージ 7

▲ナベトロ


最後に・・・

こんな簡易ポイントがあるのも鉱山軌道の魅力でした。

イメージ 8

▲簡易ポイント


次回は、機関車編です。

請うご期待(^O^)

(つづく)

イメージ 1

▲香春岳を望む

   撮影日:2008.12. 7
   撮影地:田川市

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(7)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

炭鉱節の発祥の地 田川の二本煙突を心ゆくまで堪能した後は・・・
香春岳にご挨拶をいたします。

しばらくぶり目にした香春岳・・・
平たい山頂がさらに低く感じました。

すぐ手前に目を移すと、そこは田川伊田駅のホームです。
ちょうど、JR日田英彦山の列車がホームに進入してきました。


イメージ 2

▲田川伊田駅 俯瞰

お次は、平成筑豊鉄道にもご挨拶しなければ(*^_^*)

これまたちょうど、新型レトロ調車両500型「へいちく浪漫号」がやってきました。
この車両には、平成筑豊鉄道初となるミニテーブル付きの転換クロスシート、さらにテレビにカラオケなどのAV装置が設置されているんですよ。

マルーンの車体に金色の飾り帯がなんともお洒落でございます(^_^)v
連続の写真を3枚ものしましたので、どうぞご覧くださいませ。


イメージ 3

▲平成筑豊鉄道 「へいちく浪漫号」 その1


イメージ 4

▲平成筑豊鉄道 「へいちく浪漫号」 その2


イメージ 5

▲平成筑豊鉄道 「へいちく浪漫号」 その3


やっぱり、鉄ちゃんは面白くてやめられないことよ(^_-)


(つづく)




◆curoshio さんへ・・・ 
 三井田川鉱業所のナローゲージ、 田川の“炭鉱電車”です(*^_^*)
 
イメージ 6

▲復元された炭住に掲示してある写真を複写(部分)いたしました 〈少し斜めになってます〉


追加で、もう一枚(^_-)
人車の様子が、こちらの写真の方がよく分かります。ベンチレーターもついてますね・・・。

イメージ 7

イメージ 1

     ▲三井田川鉱業所伊田竪坑 第一・第二煙突
 
       撮影日:2008.12. 7
       撮影地:田川市大字伊田

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(6)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

三井三池の10t積 石炭車 セ1208 を心ゆくまで堪能した後は・・・

やはり二本煙突でしょう(*^_^*)
セ1208が連結されていた9600には目も触れず?! 二本の煙突に歩みを進めます。
最近修復が行われたばかりで、とても美しい姿で凛とそびえ立っていました。
まずは、西側から二本煙突を眺め入ります。
(なんだか、第一煙突から白い煙が出ているような・・・)

田川市石炭・歴史博物館の解説によると・・・
伊田坑開設時に、捲揚機および付属施設の動力用として蒸気汽缶が設置され、この汽缶の排煙用として2本の大煙突が築造されました。煙突は丸形、耐火煉瓦製で高さ45.45m、耐火煉瓦は総計213,000枚、内ドイツ製は181,000枚、国内製32,000枚使用しています。

もう少し近くから、この煙突を眺めてみましょう。
煙突南側の高台から、じっくり観察してみるとするかな(^O^)

すぐ近くに見える第二煙突をつぶさに見てみましょう・・・
まずは、真下から見上げます。
巨大な迫力をもって迫ってきます、イギリス積の煉瓦煙突が。  

イメージ 2

     ▲第二煙突を見上げる その1

さらに煙突の頂部を仰ぎ見ます・・・
丸い輪っかの列は、かつての避雷針の跡でしょうか?

ここまでデジカメでクローズアップしてみると、煉瓦積みの“妙”が感じられます。

イメージ 3

     ▲第二煙突を見上げる その2

私が感じた「煉瓦積みの“妙”」の部分をさらに細かく見てみると・・・

イメージ 4

     ▲第二煙突を見上げる その3

明治の時代(明治41年に完成)に、このような円筒形に煉瓦を積み上げていく技術に敬服致します。
高さ45m余りの煙突を、“すっくと真っ直ぐに” よくぞ建築できたものです(@_@)

煉瓦が、少しづつ「ズレ」ながら組み上げられている様を見るにつけ、当時の職人的な技を感じますね。
見事というか、手作りのぬくもりさえも感じさせてくれます。

(建築のことはよく分からないのですけど)

さて、目を基壇部分にやると・・・
第一煙突にはない、お洒落な装飾がなされております。

イメージ 6

▲第二煙突の基壇部分は八角形の装飾となっています

あらためて、この二本の煉瓦煙突を眺めてみることにいたしましょう。

さすが、炭鉱節の発祥の地 田川の二本煙突であることよ!(^^)!
大牟田は宮浦の煉瓦煙突もかないませぬ。

恐れ入りました。

イメージ 5

▲南側の高台から、二本煙突と竪坑を眺める



最後に、田川市石炭・歴史博物館にあった模型をご覧に入れて、今回はお開きといたします。

イメージ 7

▲最盛期頃の 三井田川鉱業所 模型



(つづく)

イメージ 1

▲山本作兵衛畫文 『筑豊炭鉱繪巻』カバー 葦書房発行


山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(5)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

山本作兵衛の世界を語るには、あまりにも深淵・膨大で私の手に余る作業でございます。
市販の冊子が発行されていますし、美術館では研究書や追悼文集も販売されていました。

詳しくはこれらの書物に譲るといたしまして、次なる目的地である「田川市石炭・歴史博物館」へと進みましょう。

第1回目からお送りしている、TOP写真の旧三井田川鉱業所竪坑近くには、「田川市石炭・歴史博物館」があります。今回常設展示とは別に、美術館と連携して山本作兵衛の人となりや筑豊炭田の歴史などが展示されていました。

が・・・まずは見たい物が野外展示場にあるので、博物館の見学はあとまわし(^_-)

何が見たいかといえば・・・
これです↓


イメージ 2

▲三井三池の10t積 石炭車 セ1208 全景


筑豊は田川に、唯一(たぶん)の三井三池の石炭車が保存されています(*^_^*)
型式は「セ」で、10t積の石炭車でございます。

鉄道ピクトリアル NO.557 〈特集〉九州の鉄道(1992.3月臨時増刊号)の「写真で見る三井三池の車両」中の記事によると、1982(昭和57)年頃の「セ」の在籍数は10両となっています。
この「セ」は、「昭和20年代には炭箱の嵩上げによって多くが10トン車(セ形)に改造」(炭都の鉄道 炭車略史より引用)された石炭車です。

「田川市石炭・歴史博物館」が開館して今年で丁度25周年を迎えますが、開館時頃に三井三池港務所から寄贈されたものと思われます。


イメージ 3

▲寄贈 三池港務所 と記された説明板があります (ちなみに、セム型ではありませんぞ) 


実はこの「セ」、一両のみが閉山時まで生き残っていました!(^^)!
日頃は目にすることができない九州電力の引き込み線内で、ダミー車として“セ1026”が在籍していたのです。
(九州電力のダミー車“セ1026”についての詳細は、別書庫にて取り上げます)

それでは、“セ1208”を色んな角度から堪能するといたしましょうか。


イメージ 4

▲セ1208の 連結器側




イメージ 5

▲セ1208 の足回り その1


イメージ 6

▲セ1208 の足回り その2


イメージ 7

▲セ1208 の足回り その3


なかなか味のある石炭車でしょ(*^_^*)


(つづく)

イメージ 1

▲旧三井田川鉱業所 伊田竪坑 を見上げる

撮影日:2008.12. 7
撮影地:田川市大字伊田


山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(4)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

いくつもの寄り道を経て、やっと辿り着きました“田川市美術館”に。
野外彫刻のお出迎えをうけ、落ち葉舞い散る美術館へ GO !(^^)!
到着予定時刻を大幅に遅れ、お腹をすかせながら・・・。

イメージ 2

▲やっと到着(^_-)  田川市美術館


『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界』展の会場に吸い込まれる管理人。

山本作兵衛さん(明治25~昭和59年)は、約50年を坑夫として過ごし、66歳にしてはじめて絵筆を握ったとのこと。作兵衛さん自身の体験をもとにしたこれらの炭坑絵巻は、優に千枚を超えていたといわれています。
その炭坑絵巻の内の、584枚を“田川市石炭・歴史博物館”が所蔵していて、今回その全てが二期に分けて展示・公開されたのでした。

残念ながら、前期の展示を見ることはできなかったのですが、この日⇒後期展示の最終日にやっと駆けつけた次第です。


イメージ 3

▲今展示会にて発行された図録 584枚の絵すべてを収録


圧巻でした(@_@)
一枚一枚の絵に見入ってしまいました・・・。
何時間あっても時間が足りません、すべてを読み、そして鑑賞するには(*_*)

絵はもとより、そこに添えられた解説を読み進めるほどに、山本ワールドに吸い込まれていきます。
「絵もいいが、添えられた解説をすべてじっくり読んでみたい」と思わされます。

ここ筑豊の田川鉱業所は三井の炭鉱でした。
詳しい歴史は別稿に譲るとして、三池炭鉱との関連もあり興味は尽きません。


イメージ 4

▲作兵衛さんの炭坑絵巻(一部) ◇ 図録 裏表紙より


様々な炭坑絵巻が展開されるのですが、三池炭鉱の歴史や近代化遺産の探索に目を向けると、気になる絵が次々と登場してくるではありませんか。

たとえば・・・ポンプ


イメージ 5

▲坑内坑外のポンプ と題する絵  ◇ 図録より


実に精緻な描写と、詳細な解説が添えられているのでした。


(つづく)

イメージ 1

▲復元された炭住から見上げる 旧三井田川鉱業所 伊田竪坑

撮影日:2008.12. 7
撮影地:田川市大字伊田

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(3)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

さ~て、廃線跡を探索した後は・・・
今度こそ先を急ぎます(^_^)v

が・・・R322号を走り、目指す田川市美術館を目前にして、またもや脱線。
この光景を目にしたからには、先に進むわけにはいきません(*^_^*)

イメージ 2

▲田川後藤寺の定番写真であります

いや~、何度見てもいい風景ですね。
緩やかにカーブした先の、田川後藤寺駅。

キュウロク牽引の石炭列車が、ひっきりなしに走っていて頃が目に浮かびます。

どれどれ、反対側を眺めてみようかな・・・
陸橋から、田川伊田方面を望みます。

イメージ 3

▲田川伊田方面の切り通しを望む

俄然、鉄ちゃんしたくなりました!(^^)!
ちょうどいい具合に列車が来ないかな。
(何で時刻表を持ってこなかったんだ)

しばし陸橋をうろうろして、何時やって来るか分からぬ列車を待つ管理人・・・
「来ない」        陸橋から後藤寺駅方面に歩いてみようかな。

後藤寺駅構内のはずれから、R322の陸橋を望みます。

イメージ 4

▲後藤寺駅構内から、R322の陸橋を望む

かつて炭車でにぎわった側線も、今は錆び付き途中でとぎれています。
側線の先に、保線用の車両がぽつんと佇んでいました。

振り返って、田川後藤寺駅のホームを望みます。

写真奥に、後藤寺線の気動車が一両。
手前に、日田彦山線の気動車が佇む、2007年12月の田川後藤寺駅でした。

イメージ 5

▲田川後藤寺駅を望む



これで寄り道は終わり。
今度来たときは、必ずここで鉄ちゃんするぞ(^O^)

イメージ 1

▲旧三井田川鉱業所 伊田竪坑

撮影日:2008.12. 7
撮影地:田川市大字伊田

山本作兵衛と旧三井田川鉱業所への旅(2)

『炭坑(ヤマ)の語り部 山本作兵衛の世界 ~584の物語~ 』の最終日に何とか暇を見つけて行ってきました・・・筑豊は田川へ(~o~) のつづきです。

県道90号線にて寄り道した後は、カーナビさんの指示する通りに “いざ田川へ”
と思いきや・・・またまた脱線。
気になる景色が眼に入ってきまし(^_-)

県道443号に入るやいなや、「交通公園」なるものが視界右側に飛び込んできました。
むむ、信号機があるではないか(^_^)v 通リすがりに読めた文字は・・・「大隈駅」
『はいはい、上山田線ですな』
これまた、Uターンしようかなと思いながらも・・・敢え無く通過。

すでに寄り道したので、先を急いでいたところ・・・
またまた、気になる物を県道脇にて発見(@_@)

イメージ 2

      ▲上山田線の踏切跡のレール

県道の左手を気にしていたところ、ちらっと線路が見えるではありませんか(~o~)
またまた、Uターンしての寄り道 第2弾とあいなりました。

この場所、レールの先は藪になっていますが、すぐ近くに電柱と街灯が残っていました。
(写真を撮らなかったんだな)
そこで、はたと思い出しました・・・『九州 鉄道の記憶』(西日本新聞社刊)の上山田線のページを。
『そうだ、この場所は漆生線との合流地点だった嘉穂信号所だ』

帰宅してから、本当にそうなのか気になったのでネットで調べました。
さすが、筑豊の廃線跡をくまなく調査されている方がおられますね。


やっぱり、間違いございませんでした(*^_^*)
更に、この踏切跡脇の道路をたどると・・・
またまた発見、信号機がありました。

こうなると、俄然元気が出てきます。

何時の間にやら、廃線跡のツアーと化しました(?_?)

イメージ 3

▲廃線跡に佇む信号機


イメージ 4

▲曇り空に、枯れた蔦のからまる信号機を見上げる


まだまだ寄り道はつづく・・・

↑このページのトップヘ