炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 三池煉瓦紀行

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  ▲31.見上げる煉瓦倉庫

    撮影日:2009年 8月17日
   撮影地:大牟田市不知火町 

2連続きの煉瓦倉庫を見上げる

線路沿いにあるこの倉庫

かつては鉄道で運ばれてきた物資が保管されたであろう


今では、スタジオに生まれ変わっているが

未だかつて、この倉庫に足を踏み入れたことはない



壁面にある青銅製のマークに目がとまる

それは知る人ぞ知る大牟田生まれのある会社


かつては“坑木王”と呼ばれ、繁栄を誇ったものである

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 ▲32.朽ち果てた屋根と煉瓦

  撮影日:2011年 7月24日
 撮影地:大牟田市大正町 

朽ち果てた屋根と煉瓦・・・

大正町通り沿いにある朽ち果てた煉瓦建築

興味ある人々には、すぐに目に入ってくる煉瓦建築である

聞くとこによると、この煉瓦の建物~
大正13年に建設されたもので、元々は大日本製氷蝓∥臾凝長場であったらしい


現在は、この廃墟と化した煉瓦建築の北側が“トータルクリスチャン教会”となっている

というか、この廃墟と化した部分も、かつては教会の一部として使用されていたとのこと


炭鉱とは直接関係しない煉瓦建築であるが、これも三池煉瓦紀行の一隅に処して間違いはない

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 ▲33.明治の煉瓦と平成の蔦

   撮影日:2011年11月 3日
  撮影地:宮原坑 


 明治の煉瓦と平成の蔦・・・

 近代化遺産の一斉公開日、久々に宮原坑を訪れた
 遙か100年以上も前の煉瓦に、まるでプラスチックで作ったような蔦がからまる

 そのプラスチックの様な蔦に、今生まれたかのような小さな葉を見いだす愛しさ

 修羅坑から、今の世に新たな命が生まれ落ちる瞬間を見たような

 数々の歴史を刻んだ煉瓦に、小さくもたくましい命がここに宿る 

 

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▲35.梅模様の刻印がある煉瓦

   撮影日:2013年 4月13日
  撮影地:大牟田市



 この煉瓦は、かつて三池集治監で使用されていたもの
ご覧のように、梅模様の刻印がある

東京の小菅集治監でつくれたものには、桜模様の刻印があったようだ
ドイツ人技師ホフマン(Friedrich Hoffman)が考案したというホフマン式輪層窯によって製造されたが、三池にもこの窯が設置されたと思われる

地方の監獄建設に関しては、小菅集治監から煉瓦技能囚が各地に送られた記録がある
もちろん三池集治監にも多数の煉瓦技能をもつ囚人が送り込まれている

小菅の桜に三池の梅・・・
解脱塔の傍らに置かれたこの煉瓦からは
明治時代の煉瓦造りの歴史が偲ばれる

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