炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 三池煉瓦紀行

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▲15.万田坑 旧扇風機室横の煉瓦壁

撮影日:2008年11月 3日
撮影地:万田坑 


1951(昭和26)年、万田坑閉坑後は事務所として使用されていた旧扇風機室の煉瓦づくりの建物

その建物の煉瓦壁にしばし釘付け・・・

この建物の歴史を物語る、いくつかの痕跡をまのあたりにする


斜めに、三角の線が入った煉瓦壁
明らかに屋根の痕跡である

実は、写真を撮影している場所には、かつて安全燈室が存在した


安全燈室にて燈火を受け取った坑夫達は、通路を通って第二竪坑に向かう

この煉瓦壁、幾人もの坑夫達を坑口へと見送ったかもしれない



所々欠けた煉瓦の跡が、そんな風景を語りかけてくるようだ

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▲16.民家の煉瓦塀 ~宮原坑跡~

撮影日:2009年 5月18日
撮影地:大牟田市宮原町 


現在も残る、1901(明治34)年完成の宮原坑第二竪坑櫓近く
かつては選炭場に続く線路が縦横に伸びていたところ

そのすぐ脇にある民家の煉瓦塀に目がとまる

屋敷を取り囲む塀の一部に利用された煉瓦・・・


しげしげと眺めてみると
どう見ても明治の煉瓦のように見える

かつての宮原坑に使用されていた煉瓦であろうか

今も宮原坑に残る、デビーポンプ室の煉瓦外壁の一部


解体の時に出た明治の煉瓦達の次なる仕事場所であろう


次なる仕事場で、明治の煉瓦達は何をか語らん

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▲17. 宮浦坑跡の煉瓦煙突

撮影日:2009年 7月20日
撮影地:大牟田市西宮浦町 宮浦石炭記念公園 


大牟田に三池炭鉱といえば・・・

♪月が出た出た♪ にはじまる“炭鉱節”

その歌詞に歌われた煙突が、宮浦坑跡に残っている


明治21年建造、高さ31.2m、16万8千枚の耐火煉瓦を使用
当時の宮浦には3本の煙突があったが、現存するのはこの煙突だけである


かつては、各坑口に煉瓦煙突が林立したものだが、大牟田に残る煉瓦煙突はこの1本のみ

大牟田を訪れた時には、ぜひご挨拶したい煉瓦煙突である




PS “炭鉱節”に歌われている煙突は、ここ三池炭鉱のそれではなく田川伊田坑の煙突である
   →http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/28772681.html
    
    田川市HPの炭坑節についての解説はこちら
   →http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/tankou/tankoubusi-setsumei.htm
    

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▲19.夜の宮原坑

撮影日:2009年11月 8日
撮影地:大牟田市 宮原坑跡 

夜の宮原坑 巻揚機室の煉瓦建築
昼間とは、また違った印象を与える

昨年のクリスマスから始まったライトアップ

今年から恒例になりそうだ
そのライトアップされ竪坑櫓の先に、うっすらと浮かぶ煉瓦建築

“修羅坑”とまで言い習わされたここ宮原坑
錠前に閉ざされた入り口
その入り口への数段の階段
また、半円形の明かり窓・・・

地下から、
渦巻くような呻き声が
舞い昇ってくるような気がしたのは私だけか

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▲20.真昼の宮原坑

撮影日:2009年11月 3日
撮影地:大牟田市 宮原坑跡 

真昼の宮原坑 巻揚機室の煉瓦建築

晴天の文化の日

特別公開日の宮原坑巻揚機室
いつもは草に覆われている、旧鉄道敷き側から撮影

明治の煉瓦の一粒一粒が日に照らされ
自己主張しているように感じる


光と陰と煉瓦が織りなす光景に

閉ざされた半円形の明かり窓が顔を見せる


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▲勝立にあった古レイルのバックネット
 
撮影日:2007年12月15日
撮影地:大牟田市 勝立
 
三池煉瓦紀行 番外編◇古レイル  勝立のバックネット 
 
コメントに記載していた古レイルを再利用したバックネット
グラウンドもいまでは草に覆われ、バックネットにも蔦などが絡み合う・・・
 
勝立線で使用されていた古レイルなのであろうか?
 
 
ボールを追いかけた歓声が消えてどれくらいの月日が流れたのだろう
第二の人生を、ここ勝立のグラウンドで送り、今は朽ち果てるばかり
冬枯れの、草むらと化したかつてのグラウンドの片隅に、草たちと戯れるかのごとく立ちつくす
 
 
 
いつの間にか、このバックネットも壊されてしまい、その姿を見ることはできなくなってしまった
 
  

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▲23.旧万田第一竪坑跡の煉瓦遺構

撮影日:2010年 5月 5日
撮影地:熊本県荒尾市 旧万田坑 

万田坑第二竪坑櫓を見渡す傍らに、無惨にも切り落とされた煉瓦遺構が残る

今では、巨大なコンクリート台座と、パックリと開いた坑口を残す第一竪坑跡
そのすぐ東側に残るこの煉瓦遺構

かつてデビーポンプが据え付けられていたポンプ原動機室の遺構であろうか・・・

周りにも解体以来のものと思われる、壊れた煉瓦の塊があちこちに散らばる



その一塊を眺めながら、遥か第一竪坑とデビーポンプが活躍した明治時代の万田坑に思いを馳せる






▼大正期の万田坑↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/18543647.html

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▲番外編◇山の神  勝立大山祇神社

撮影日:2007年12月15日
撮影地:大牟田市新勝立町 

勝立大山祇神社
“山の神”というほうが通りがよいだろうか

3年ほど前の、勝立の“山の神”社殿の様子である
この頃すでに「近々解体されるかもしれない」
といった話を聞いたように思うが、今も健在であろうか?

毎月のように大牟田に行っていながら、ここはこの時以来訪れていない・・・

すでに管理するものはなく、かなり荒れ果てた様子であった。
この社殿の裏側にまわると、そこには「大正5年九月建立・勝立採鉱夫有志中」の文字がある古くて小さな鳥居が残っている。鳥居には、「山神祠」とかかげられていた。

“山の神”の最初は、坑夫達の手によって祠が祀られたようであるが、祭典などが盛んになるにしたがって、会社(三井鉱山)も供饌費を支出して援助するようになり、大山祇(おおやまずみ)神社として安全祈願や祭典を行ってきたらしい。



残念ながら、閉山後数年経って初めて訪れたここ勝立大山祇神社

社宅が建ち並んでいた頃の賑わいを私は知らない・・・




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 ▲29.バルブを囲む古煉瓦

  撮影日:2011年 2月 6日
  撮影地:大牟田市町宮原町 

水道管のバルブを囲む古煉瓦

かつては宮原坑の敷地内であったところ

今は小さな畑と化しているその一隅に

たぶん宮原坑関連施設に使われていたであろう

古煉瓦を再利用した小さな煉瓦塀を見つける


水道管のバルブを囲むこの古煉瓦達

はぎ取られ、壊された跡が見て取れる


ここ宮浦坑の竪坑を間近に見上げる場所にて

一度は壊された明治の煉瓦が、人知れず静かに余生を送る

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 ▲30.曲面が美しい煉瓦壁

   撮影日:2011年 5月 5日
   撮影地:大牟田市原山町 

大牟田の街中に、ひっそりと隠れるがごとくそびえ立つ煉瓦壁


その角の曲面は美しい


もと三井鉱山原山アパートの南面に残るこの煉瓦壁

昭和28年生まれの原山アパートを、人知れず陰で支えてきたことだろう


大牟田市街地の路地奥には、この様な煉瓦がまだまだ残っているのかもしれない・・・

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