炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 30年目の邂逅 ◆ コハ100

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     ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・コハ100
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・
不思議な巡りあわせでした

三池炭鉱が閉山して10年目の年に
そして、私が通勤列車の炭鉱電車を最後にカメラに納めて以来30年目のこの年に
まさか、コハにお目にかかろうとは思いもよりませんでした・・・

この日「炭鉱バス」を撮影した私は、久しぶりに三池港を訪れます
2007年の正月は晴天に恵まれ、珍しく徒歩にて三池港を散策したのでした

コンテナ埠頭の6番埠頭から、かつて貯炭場からのベルトコンベアーが伸びていた5番埠頭へ
そして、島鉄の桟橋を巡っていつもの閘門近へ

三池海上保安部の建物近くに歩みをすすめたところ
いつもとは違った風景が目に飛び込んできました

一瞬我が目を疑いました
そこにはかつて通勤列車で活躍したコハ100がいるではありませんか
こんなところに客車が・・・

夢でも見ているような心地で近寄りました
紛れもなく、30年ぶりに目にしたコハ100

広い貯炭場の片隅にあって、ひっそりと佇んでいたであろうこの客車
閉山10年にして、周りの整地作業から現れでたのでした
物置として使用されていたと思われるこの客車

吸い込まれるようにして乗車した私でした・・・
    

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     ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・コハ100車内
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その2〉

運命的な出会いを感じながら、コハ100に歩み寄る・・・

タラップのような出入り口から、30年の時を越えてコハ100に乗車(@_@)

廃車後は物置として使用されていたようで、座席シートは撤去されて棚がしつらえてあります
座席の土台や手すり、それにつり革用の棒はありましたが、つり革は撤去され座席下に放置された状態でした

天井を見上げると・・・三池港本庫にあったホハ201よりは、往時の状態をよく保っています

白熱電灯のカバーと天井が、今も白く輝いていたのが印象的でした

奥には・・・乗車心得の掲示板があり、その先はベニヤ板で区切られています
次は、あの仕切りの先にいってみよう・・・

(つづく)

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     ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・乗車心得
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その3〉

30年の時を越えてコハ100に乗車し、車内を見渡すと・・・

白熱電燈の先に、乗車心得を見つけました

三池港本庫のはずれに放置されていた、ホハ201にも同じ心得が下がっていたことを思い出します

ベニヤ板で仕切られた壁の先に行く前に、乗車心得をしばし眺めます

鉄道法規とは、かつての「地方鉄道法」をさすのでしょうか?
一時期、地方鉄道の時代がありましたのでその時からの掲示だったのでしょうか
それとも専用鉄道の時代から掲示されていたのでしょうか・・・・

それにしても、一つ一つの心得を読むと何ともいえず時代を感じさせてくれます

最初の心得などを読むと、自転車並の速度で走っていたこの鉄道には、走行中に乗り降りしないという心得が必要だったかも知れませんね(^_-)

車掌さんは乗車していましたが、ドアはすべて手動でしたから



ん(@_@) 三枚窓のホハ200から顔が出せただろうか(?_?)


(つづく)

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     ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・車掌室
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その4〉

30年の時を越えてコハ100に乗車し、乗車心得を眺めたあとは
ベニヤ板で仕切られた壁の先・・・車掌室へ

車掌室の琺瑯板と禁煙表示、そして小さな名札差しが往時の記憶を呼び起こさせます

それよりも驚きだったのは、竹であつらえられた車掌室の仕切りでした
たぶん、木製の仕切り上部に後ほどこの竹の仕切りを追加したのでしょう

左は完全に残っていますが、右半分は1本の竹のみでした
さらによく観察すると・・・

左側は、上部を釘で打ち付けたものですが、右側は桟の間に挟むように設えられています

東芝製のコハ100にして、いかにも手作りの炭鉱電車が偲ばれ
自転車並みの速度で走っていた通勤列車の昔を思いおこします


車掌の笛の合図が鳴り、炭鉱電車が発車いたしま~す
今日の牽引機は、1号機

ゆっくり三池港の築堤を登っていきます
四ツ山駅が見えてきたら、西原駅はもうすぐそこです



このコハ100、 車番は何号だったのだろうか・・・



(つづく)

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     ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・独特のマスク
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その5〉

30年の時を越えて、コハ100に乗車し車内を眺めてたあとは
車両の全景に眺め入ります

まずは、記憶に残るあの独特のマスクから・・・

客車と電車の中間? のようなこの前面
緩やかに丸みを帯びた屋根と、平ぺったい前面の組み合わせ
二段式三枚窓の車掌室に、木製の扉
むき出しの台枠にトラス棒・・・

長年の風雪に晒され傷んでいるとはいえ、往時の面影そのままです

63型のホハ200とコンビを組んだ2両編成の炭鉱電車、三池港側がこのコハ100でした
大平駅を静かに発車していく姿を見送ったことを思い出します

車体の腐食は進んでいるものの、足回りは今だしっかりした様子

写真を撮るのも忘れて、しばし眺め入ったのでした


(つづく)

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  ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・コハ100の台車
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その6〉

30年の時を越えて、コハ100に乗車し、
記憶に残るあの独特のマスクに眺め入ったあとは・・・

現役時代、しげしげと眺めたこともなかった足回りに注目(@_@)
まずは、台車から

ホハ200との連結側の台車をのぞき込みます
あまり台車には詳しくないのですが、
この形はどこかで見たことあるような・・・

TR11?

オハ61やマニ60などの旧型客車のそれと同じに見えました
GMのNゲージで何両が製作したことがあります

この客車、東芝車輌製(網干工場-兵庫県)であること以外、詳しいことは分かりません
台車の型式もTR11でいいのかな?

誰かお詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教授下さいませm(_ _)m

(つづく)

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  ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・コハ100のトラス棒
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その7〉

現役時代、しげしげと眺めたこともなかった足回りに注目(@_@)
台車の次は、トラス棒・・・

台車近くまで視点を落とし、むき出しの台枠とトラス棒をのぞきます

車体の下部の腐食がずいぶんと進んでいますね
3~4層に剥離して腐食が進んでいます

この場所、かつて藪に覆われていて、かなりの湿気があったのでしょう


台枠から少しはみ出した車体
その車体を支えるように、小さな三角形の支柱が並んでいます

その支柱の両端、ちょうど台車の中心あたりからトラス棒がのびています

いかにも無骨で頑丈そうな台枠に台車
そこに何とも優雅に伸びる細いトラス棒


この客車の真骨頂を見た思いがしたのでした


(つづく)

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  ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・コハ100のサイドビュー
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その8〉

あらためて、コハ100を眺めてみる

現役時代には撮影したこともなっかたサイドビューを
はじめて撮影した

ここはかつて、三井化学の倉庫が建ちなんでいた場所である
引き込み線の、そのまた奥に鎮座していたのであろう

専用鉄道の線路もすでに撤去されたこの三池港の片隅


一段低くなった窪地のような場所に
コハ100は静かな眠りにつていたはずだ

藪に覆われ、そのまま朽ち果てるにまかせれていたコハ100

ついに、10年の眠りからさめたが
その目覚めは、解体を意味していたようだ・・・


5月の連休時に訪れた時には、すでにコハ100の姿はなく

三池港から、影も形もなく消え去ってしまった後だった



(つづく)

 

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  ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・貫通扉側から見たコハ100
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈その9〉

貫通扉側からコハ100を眺めてみる
幌の先には、相方のホハ200が連結され運行されていた

通常では見ることのなかった光景である


できることなら、このコハ100と港車庫の奥に鎮座していたホハ201を連結して
往年の通勤列車を再現したかった・・・

当時は、次々と消え去る炭鉱関連の保存活動などには思いも至らなかった頃
今ならあちこちに働きかけ、電気機関車と一緒にこれらの客車も保存ができないか模索したであろう
しかし、今となっては後の祭り・・・


20数枚の写真を残し、二度とコハ100にお目にかかることも出来なくなってしまった




(つづく)

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  ▲ブログ開設1周年記念 : 30年目の邂逅・・・コハ100よ永遠に
     撮影日:2007年 1月 1日


30年目の邂逅・・・コハ100 〈最終回〉

もう3年が過ぎ去ったのですね・・・
このような光景を目にすることができたこと自体奇跡でした

三池炭鉱閉山後の大牟田からは、数多くのものが消え去っていきました
この3年の間にも、三池港の専用鉄道築堤や人道トンネルなどが消えていきました


コハ100奥に広がるかつての貯炭場だった場所は、現在では三池港航路の浚渫土砂で埋まってます


本当に夢物語だったかのようなコハ100と出会い


三池海上保安部脇にて、思いもかけず飛び込んできたあの日の光景が瞼に浮かびます


なぜかしら、「いつまでも三池港の片隅にある」と私には思えたコハ100

3年前の元日の正夢でした・・・



(おわり)

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