炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 鉱山軌道◇串木野編

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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山

串木野鉱山軌道 (その1)  製錬所上部にて

名残惜しい中、明延鉱山シリーズが終了して1ヶ月以上立ちました。
次は、「九州の三井串木野鉱山の軌道だ」と計画しながらも、なかなか書庫を立ち上げるまでに至りませんでした・・・。

明延鉱山と比較すると、枚数も少なくその規模も小さい串木野鉱山の軌道です。
ほとんど紹介されることはなかったのではないかと思い、やっとここに書庫を開設致しました。
計6回ほどの短いシリーズとなりますが、南国鹿児島にあった3㎞ほどの鉱山軌道をどうぞお楽しみ下さい。

さて、三井串木野鉱山(当時)を訪ねたのは、1979(昭和54)年3月17日のことです。
当時大学生だった私は、伯父さんが勤めている串木野鉱山を一人訪ねたのでした。
国鉄串木野駅まで迎えに来てもらい、守衛さんのいる鉱山の門をくぐり小高い山にある社宅に着いたことを思い出します。
当時の社宅には、隠れ部屋の女中部屋があったり、五右衛門風呂だったりといまから思えば前時代的な造りのものでした。

ところで、この串木野鉱山の始まりは万治年間(1658~)とも鎌倉時代とも言われていてその詳細はよく分かっていません。江戸時代は主に島津家によって採掘が行われていましたが、明治期になり三井鉱山合名会社が鉱区を買収し、近代的な採掘がはじめられました。
私が訪ねた時点では、「三井串木野鉱山株式会社」として採掘を行っていましたが、ご存じのように1988(昭和63)年に坑道の一部を利用した観光施設“ゴールドパーク串木野”が開業されましたが、2003(平成15)年には閉園の止むなきに至ってしまいました。

今回写真でお伝えするのは、この“ゴールドパーク串木野”があった串木野1号ひ西端の野下坑口から製錬所の上部までの軌道です。

それでは、3㎞余りの短いながらも、長年に渡り金鉱山を支えてきた鉱山軌道の探索に出かけてみましょう。


(つづく)

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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山

串木野鉱山軌道 (その2)  製錬所上部にて

三井串木野鉱山軌道の2回目は、1回目と同じく製錬所の上部にある軌道の終点からお伝えします。
1回目の写真の反対側を撮影したものです。
車両を一両したがえた機関車が進み、2人がかりで車両が押されて行くではありませんか(@_@)

手押しの場面を見たのは初めてでしたので、感激? したのを覚えています。

たぶん、写真右手の奥には火薬庫があったのではないかと思います。
このシリーズ最後に登場する写真では、火薬と坑木を積んだ列車が登場する予定です。
この列車をこの時仕立て中であった・・・と、撮影行の最後に了解した次第です。

この日の朝は、雨上がりの朝。
逆光の写真で見にくいかもしれませんが、遠く東シナ海が望めます。

これから、いとこと一緒に約3キロの坑外軌道を傘を持ちなが歩きます。
この先どんな光景が広がるのか(*^_^*)

興味津々の探索始まりです。

それにしても、架線が低いよな・・・、
気をつけて歩みを進めることにいたしましょう(^_^)v


(つづく)

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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山

串木野鉱山軌道 (その3) 坑外軌道を行く

三井串木野鉱山軌道の3回目は、製錬所上部から通洞坑までの約3キロの坑外軌道からお送りいたします。
部外者は立ち入ることの出来ない軌道敷でしたが、伯父さんの許可を得ていとこと一緒に歩いたのでした。

前もって、1:25000の地形図で確認した坑外軌道。
製錬所からは、標高60mの等高線にそって通洞坑を目指します。

ほぼ鹿児島本線の線路に沿って敷設されていましたが、鹿児島本線のすぐ西側の崖上にあったので車窓から見ることは出来なかったと思います。

さて、しばらく歩みを進めていくと、雨上がりの軌道を鉱石列車がやってきました。

あたりはご覧のように雑木林で、さしづめ森林鉄道の雰囲気です。
電気機関車は三菱電機製の8t機関車で、ローラーつきのパンタグラフが特徴ですね。

軌道を行く鉱車の音と一緒に、このローラーつきのパンタグラフのシュルシュル(?_?)みたいな音がしたような記憶が残っています。
線路脇に待避して、近づいてくる鉱石列車を撮影します。

この写真の撮影後は、軌道敷が危険であることや頼み込んだこともあって先を急ぎます。
途中にはちょうど山桜が満開であったり、トンネル(地形図には描かれていません)があるなど、しばらく佇みたい撮影ポイントもありましたが、今回ばかりは先へ。

次回は、通洞坑(野下坑口)付近の様子をお伝えいたします。

それにしても「線路敷きの写真だけでも撮っておけばよかった・・・」
なんて、今にして後悔しております。

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◆参考までに   1:25000地形図 串木野 昭和48年発行(一部)

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(つづく)

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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山 野下坑口(製錬所方面を望む)

串木野鉱山軌道 (その4) 通洞坑(野下坑口)にて

三井串木野鉱山軌道の4回目は、通洞坑(野下坑口)すぐ手前の情景をお伝え致します。
いとこと一緒に歩いてきた約3㎞の軌道も終点に近づきました。

ここは、通洞坑 野下の雨上がりの様子です。
鹿児島本線のすぐ上部を走ってきた軌道は、ここ野下にて坑道に入ります。
3㎞と短いながらも、トンネル有り 山桜あり 山肌をぬうカーブありと、変化に富む軌道敷でした。

ここ野下坑口には、写真右手にある人車車庫などの施設がありました。
人車車庫といっても、木造スレート葺き屋根の吹きさらし(^_^)v
多少傾いているようにも見えますが、歴とした人車の車庫(もしくは機関庫?)でございます。
残念ながら、人車を牽引する場面を見ることはできませんでしたが、線路の状態を見る限り毎日のように車庫に入線していると思われますね。

左端には、グランビー鉱車でしょうか?
しばらく使われていないような状況でした。

この車庫にてしばらく佇んでいたところ、先ほど撮影した鉱石列車の空鉱車が帰ってきました。
次回は、そのシーンをお伝えすることにいたしましょう。


(つづく)

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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山 野下坑口(製錬所方面を望む)


串木野鉱山軌道 (その5)民家脇を行く鉱石運搬列車 

三井串木野鉱山軌道の5回目は、通洞坑(野下坑口)すぐ手前の情景つづきです。

約3㎞の軌道の終点近くに、一軒の民家がありました。
その民家脇を、製錬所からの空鉱石列車が通過していきます。

ここに来る途中に撮影した鉱石運搬列車の返し列車です。
この日は、列車の運行状況もよく分からぬまま、とにかくここ野下坑口近くまでやってきたのでした。
前回報告した人車の車庫らしきものなどを探索していましたら、森蔭から列車音が近づいてきて、製錬所からの返列車がやってきたのでした。

機関車から半分身を乗り出した運転手の姿が印象的ですね。

手入れされた生け垣の横を、列車が通過していきます。
民家の屋根を覆うくらいに成長した木は、びわの木でしょうか・・・。

軌道を渡る小さな踏切など、他では見ることのできない光景でした。


(つづく)


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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山 野下坑口


串木野鉱山軌道 (その6) 坑口に向かう鉱石運搬列車 

三井串木野鉱山軌道の6回目も、通洞坑(野下坑口)すぐ手前の情景つづきです。

民家脇を通過した製錬所からの空鉱石列車は、先に紹介した車庫と長く連なる放置鉱車の間をゆっくと通過していきます。
この写真右奥に野下坑口があったはずですが、残念ながらこの場所までの撮影となりました。

この写真よく見ると・・・架線や架線柱の白い碍子が目にとまります。
そして、左手の車庫には色違いの2両の人車が収まっていますね。
また、右側の黄色い鉱車脇の木造家屋は、鉱山関係のものであると思われますが、全く記憶に残っていません。車庫とセットで、鉱車などの修理工場でしょうか?


ところで、下の古い絵葉書を見てみると、この軌道のはじまりは馬車鉄道であることがわかります。
時代としては、明治~大正頃の写真でしょう。

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絵葉書の題名は、「三井串木野鉱業所 西山坑通洞口」とあります。

串木野金山の主要な坑口は、この西山坑で通称一坑と称されていたようです。
此処に眠る金鉱脈は、「日本でも屈指の巨大鉱脈であり、総延長2,600m,脈幅3~60m,上下連続450m以上を示す」ものであるとのこと。(「 」内は、資源・素材学会 1989年による)

絵葉書の西山坑通洞口が、この時訪問した野下坑口付近を指すものと思われます。
古くは馬車鉄道の時代から、串木野金山の鉱石を運搬してきたこの軌道敷きでありました。



(つづく)

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撮影日:1979 3.17
撮影地:三井串木野鉱山 野下坑口


串木野鉱山軌道 (最終回) 坑口に向かう資材運搬列車 

三井串木野鉱山軌道の最終回、今回も通洞坑(野下坑口)すぐ手前の情景をお伝え致します。

製錬所からの空鉱石列車を見送った後、資材運搬列車がやってきました。
今回の、軌道敷き歩き始めの最初に見かけた機関車です。

製錬所の上部にて、仕立中であった資材運搬列車でした。

塗装もなされないままの運転席屋根が設えられた機関車
大きく頑丈そうな宝石箱のような火薬車
少し小ぶりでローズ色の同じく火薬車
細い坑木を満載した1両に、
太い坑木を満載した3両の車両達

編成といい、機関車といい、場所といい、
えも言えぬ雰囲気が感じられた資材運搬列車でした。


ポイントを渡りゆくこの資材運搬列車を見送ったところで、
三井串木野鉱山の軌道探索は終了です。


雨上がりの朝一番、最初で最後の串木野鉱山軌道の訪問を終えたのでした。



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(完)

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  ▲目をつぶれば、鉱石列車が近づく音がする
   
   撮影地:鹿児島県いちき串木野市
     撮影日:2011.11.27
 


 
コンデジ片手に、32年ぶりにかの地を訪ねる。
 
夕刻せまる頃、急ぎ足にての再訪・・・。
わずかの滞在時間であったが、その残存状況のすばらしさに驚喜する。
 
山肌に沿って、めくるめく廃線跡の光景が繰り広げられ、訪ね人をそのふところ奥へとすい寄せる。
あたかも、鉱石列車がカーブしたその先から現れ出てくるのではないか・・・。
その場に立ち尽くし、目をつむれば架線とパンタグラフが擦れ合う音が聞こえてくる。
 
架線柱が一部残る廃線跡に、往事の音が耳元に甦ってきた。
 
赤サビた線路が残る光景を眺めていると、馬車鉄道として開通した遙か昔にタイムスリップしたかのよう。
 
 
廃線全線を一気に歩き通し、しばし時を忘れた一日だった。
 
 


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        ▲つわぶきの黄色い花       
 
          撮影地:鹿児島県いちき串木野市
            撮影日:2011.11.27
 


 

         ゆるやかにカーブした線路脇の斜面に、
         つわぶきの黄色い花が咲き乱れる。
 
         32年前は、春の季節に訪れたのだったが、
         3㎞あまりのこの鉱山軌道の途中に1本の
         山桜が満開だった覚えがある。
 
         今思えば、その光景を線路とともに写真に
         残しておけばよかったと悔やまれる。
       
         でも、何も残さなかったから、往時の光景が
         鮮明に脳裏に甦るのかもしれない・・・。
       
         谷間に沿って、軌道敷きが細くつらなる風景
         を背景にして、黄色いつわぶきの花を愛でる。
       

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   ▲杉木立の脇を か細い軌道が走る
 
    撮影地:鹿児島県いちき串木野市
      撮影日:2011.11.27
 


 
   すっくと伸びた杉の木立脇を
   鉱山軌道のか細い線路が走る
 
   人の手が加えられてきたであろう杉木立
   下草に覆われた斜面に、まっすぐ伸びるその姿は壮観である
 
   軌道敷き跡は、この杉木立への作業路ともなっているのだろう
 
   3㎞あまりの軌道敷きの半分は、何ら遮蔽するものもなく
   いまだ現役か休止中の路線と見間違うほど
 
 
   まるで、森林鉄道の様相を呈した軌道敷き跡である


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