▲1891(明治24)年頃の “龍宮閣” ◇写真提供 : 大牟田市石炭産業科学館
閘門築造 その1 「閘門はシングル・ゲートにすべし」
三池築港百話 第三十九話は・・・『閘門築造 その1 ~閘門はシングル・ゲートにすべし~』
しばらくぶりの三池築港百話でございます。
今回から、いよいよ三池築港工事の要(かなめ)である、閘門築造について述べていきたいと思います。
今回から、いよいよ三池築港工事の要(かなめ)である、閘門築造について述べていきたいと思います。
時は、船渠築造とほぼ同じ頃の1905(明治38)年1月24日、閘門築造の根堀工事が開始された・・・
と、その詳細を述べていきたいところですが、残念ながら『三池港務所沿革史』には閘門築造に関する詳細な記述は見当たりません。
(私の読み込み、調査不足であるかもしれませんが)
よって、残された図面や写真をもとにして、私の説明できる範囲で閘門築造について見ていきたいと思います。
と、その詳細を述べていきたいところですが、残念ながら『三池港務所沿革史』には閘門築造に関する詳細な記述は見当たりません。
(私の読み込み、調査不足であるかもしれませんが)
よって、残された図面や写真をもとにして、私の説明できる範囲で閘門築造について見ていきたいと思います。
さて、“閘門”という語句を目にすることは、皆さんほとんどないのではないでしょうか。
あるとすれば、いずれも運河としての“閘門”であり、三池港のように港湾に設置された閘門は日本においては唯一の例といえます。(注1)
あるとすれば、いずれも運河としての“閘門”であり、三池港のように港湾に設置された閘門は日本においては唯一の例といえます。(注1)
“港湾工学の父”と呼ばれた廣井勇が著した『築港』から、閘門に関する記述を拾い出してみると・・・(注2)
閘船渠ハ専ラ干満ノ差著シキ地ニ施設スルモノニシテ 殊ニ河港ニ於テ其多キヲ見ル 所以ノモノハ高潮ヲ利用シ其前後ニ存リテ河流ヲ遡ル船舶ヲ安全ニ繋留シ 貨物ノ積卸ヲ施スヘキ唯一ノ方法ナルヲ以テナリ 本邦ニ在リテハ (中略) 将来ニ於テモ恐クハ其施設ヲ見ルコトナカルヘシ 故ニ此等ニ関スル詳説ヲ省キ只其梗概ヲ記述スルニ止ムヘシ
このように、日本では例を見ない港湾の閘門としての三池築港ですが、実は三井鉱山が三池の地に閘門を築くのはこれが初めてではありません。干満の差が激しい(約5m)有明海に流れ込む大牟田川河口に、1891(明治24)年 最初の船渠である“龍宮閣”を築造し、その出入り口に閘門(水門)を設置したのが最初です。(注3)
この“龍宮閣”にあった閘門は、いわば木製の水門(注4)でしたが、それは三池港閘門の元祖とも言える存在でした。その“龍宮閣”の石炭搬出能力を超えることから、より近代的で大型船の入港を可能とする新たな築港計画が生まれたことは既に述べたところです。(注5)
この“龍宮閣”にあった閘門は、いわば木製の水門(注4)でしたが、それは三池港閘門の元祖とも言える存在でした。その“龍宮閣”の石炭搬出能力を超えることから、より近代的で大型船の入港を可能とする新たな築港計画が生まれたことは既に述べたところです。(注5)
この三池築港に関して、『男爵 團琢磨伝』は以下のように述べています。(注6)
この築港の特色は閘門がシングル・ゲート式なる点である。当時君(團琢磨)は範を英国に取りこれに新工夫を加へて設計した。
また、『牧田環談話』には、「港の設計はシングル・ゲートになって居りますけれども、是が大分問題になったやうに聞いて居りますが・・・」というインタビュアーの質問に対して、以下のようなくだりがあります。(注7)
それは水がぐうっと上がって来て十尺になると水門が開く。十尺以下になると水門を閉じてしまふから、其の間楽に船が通れる。ダブル・ゲートになれば何時までも出られるから其の必要はなからう。(後略)
簡単にこの内容を解説すると、ドック(船渠)の閘門としては、単純化すれば構造的にはシングル・ゲート(単門式)とダブル・ゲート(複門式)の2種類があります。ここで問題になったのは、閘門の門扉を一カ所にするのか、二カ所にするのかということです。
次回は、港の要である閘門について、シングル・ゲート(単門式)にすることが論議されたことに注目し、さらに考察を深めていくことにいたしましょう。
最後に、今回のTOPの写真は元祖三池港ともいえる“龍宮閣”の姿です。
大牟田側河口南側より見た写真で、船渠である“龍宮閣”の出口として機能した閘門(第三水門)が見て取れます。船渠奥の高架桟橋もまた、後ほど述べる三池港の高架貯炭桟橋・貯炭トンネルの原型といえるものでしょう。船渠内に林立する帆柱に、時代を感じることができます。
大牟田側河口南側より見た写真で、船渠である“龍宮閣”の出口として機能した閘門(第三水門)が見て取れます。船渠奥の高架桟橋もまた、後ほど述べる三池港の高架貯炭桟橋・貯炭トンネルの原型といえるものでしょう。船渠内に林立する帆柱に、時代を感じることができます。
(つづく)
◆注1 正確には、三池港以外に港湾の閘門として、現在稼動しているものが以下の2例あります。
尼崎西宮芦屋港(尼崎閘門:閘門式防潮堤)、名古屋港(中川口閘門:中川運河)
尼崎西宮芦屋港(尼崎閘門:閘門式防潮堤)、名古屋港(中川口閘門:中川運河)
◆注2 廣井勇 『築港』 丸善株式会社 明治40年3月発行
【後編】第一章 船渠 16頁 「閘船渠」より引用
【後編】第一章 船渠 16頁 「閘船渠」より引用
◆注4 観音開き式のゲートであり、このような形式をマイターゲートと言う。三池港閘門のゲートも、鋼鉄製のマ イターゲートである。
◆注6 『男爵 團琢磨伝』昭和13年1月発行
【上巻】 第三十三章 大牟田の築港 282頁から引用
【上巻】 第三十三章 大牟田の築港 282頁から引用
◆注7 『牧田環談話』 第二回 森川英正 『牧田環伝記資料』 日本経営史研究所
昭和57年12月発行259頁 所収
昭和57年12月発行259頁 所収