炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 今月の一枚 アーカイブ

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▲今月(10月)の一枚 特別編:西鉄2000形 今日でお別れ
撮影日:2010年10月17日
撮影地:西日本鉄道 筑紫車両基地



西鉄2000形は今日も行く・・・
ついにラストランの日を迎えました

「さよなら2000形貸切ツアー」を終えた2000形が筑紫車両基地に戻ってきました(*^_^*)

本日も14時過ぎまで用事があり、何とか電車祭り終了30分前に訪れた筑紫車庫
さっそく、本日の主役である2000形にごあいさつです


2016には“さよなら2000形” 
2011には“ありがとう2000形”の円形ヘッドマークが、それぞれ掲げられていました

そして、何よりも嬉しかったのは “特急 大牟田”の表示でございます!(^^)!


今日の日が最後~、 同じような構図の写真を何枚も激写


まずは、先頭車のアップを、今月の一枚 特別編としてUPいたします

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▲今月(10月)の一枚 特別編:西鉄2000形 今日でお別れ その2
撮影日:2010年10月17日
撮影地:西日本鉄道 筑紫車両基地



西鉄2000形は今日も行く・・・
ついにラストランの日を迎えました

「さよなら2000形貸切ツアー」を終えた2000形が筑紫車両基地に戻ってきました(*^_^*)
電車まつり会場に、8000形と並んで展示された2000形です

秋晴れの下、多くの人が訪れた電車まつりも終了し、お別れヘッドマークもはずされた2000形

電車まつり終了にもかかわらず、多くのファンが2000形に熱い視線をおくっていた


2010年10月17日 午後4:30
別れを惜しむファンが見守る中、短いタイフォーンを鳴らしてゆっくりと進みはじめた2000形

二度と帰らぬ旅立ちの時を迎えた・・・

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▲今月(11月)の一枚 : 琴平山より工場地帯を望む
撮影日:2010年 8月 7日
撮影地:大牟田市山上町より



夏の日の午後・・・
かつては琴平山と称され、いまも金比羅さんがある山上町から、浅牟田町界隈の工場地帯を眺める

手前の緑の空き地は、かつて三井の医局があった場所
今も片方の門柱だけが、往時を偲ぶよすがとして残っている

その緑の海の先には、かつて石炭化学コンビナートとして栄えた工場地帯が連なる
左手に一際目立つ白亜のビルディングが、現三井化学のJ工場

その手前に広がるっているのが三井金属・・・私の祖父が、神岡以来永らく勤めていた会社
今も古めかしい精錬工場の建物が残る

真ん中に三井化学の事務所、そして解体が決まっているというL工場が見渡せる


奥の山並みは三池山

右奥には、赤と白に塗られた煙突が、アクセントの様に青空にそそり立っている

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▲雪の日の炭鉱電車
撮影日:2011年 1 月 1日
撮影地:大牟田市 宮浦




明けましておめでとうございます

皆さま、本年もどうぞよろしくお願いいたします



2011年 元日の幕開けは・・・
時ならぬ銀世界でした
  
新年早々のサプライズ
雪の炭鉱電車を撮影したのは、これが初めてです


今年も、われらが炭鉱電車を折に触れて紹介していきます
また、大牟田・荒尾の旬の話題にもご期待下さい


管理人より


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▲今月(1月)の一枚 : 雪の朝 白銀の線路
撮影日:2011年 1月 1日
撮影地:大牟田市柿園町



     「雪の朝」

     畦道 さくさく、
     ゆうべの 雪だよ。
     
     せきれい さきさき、
     まあるい 線ひく。

     まばゆい お日さま、
     小笹に きらきら。
     
     みかんの皮だよ、
     ここにも おちてる。


               海達 公子

     
           

◆海達 公子(かいたつ きみこ) 童謡集 『雲雀』 大正13年~昭和2年までの作品ノートより

今年の正月休みは、海達公子に関する著作を2冊む。
一冊は、規工川佑輔著 『評伝 海達公子 ~「赤い鳥」の少女詩人~』 2004年 熊日出版
二冊目は、『海達公子 童謡集』 2010年 トライ出版

昨年も海達公子の「夕日」を取り上げ、1月のトップページとした。
今年は、正月から降り積もった雪をもとに「雪の日」を飾る。

心地よく響き、雪の朝の景色が眼前にひろがってくるようなこの詩、
橙色のみかんの皮もまた印象的である。

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▲今月(2月)の一枚 : 内大臣は夢の果て
撮影日:2010年 2月 6日
撮影地:熊本県上益城郡三都町



熊本県は上益城郡の山深く

内大臣の森林鉄道は 夢の果て


山肌に這いつくばるようにして

いくつかの身を切る崩落をかかえ

2月の厳冬にも耐えてそこあるはず


天空の路線のごとく

今も林鉄のよすがを保つこの鉄道


鉄路の儚さとともに

もう夢は終わるのか



内大臣の森林鉄道は 夢の果て 

     
◆内大臣森林鉄道 鴨猪谷支線跡           
 当ブログ内 関連ページ↓↓↓
 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/35411472.html

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 ▲今月(3月)の一枚 :春の日の菜の花畑と炭鉱電車
 撮影日:1978年 4月 7日
 撮影地:三池鉄道玉名支線 大平駅



“春麗ら”

柔らかな春の日の午後

菜の花畑の先に 炭鉱電車が停車する


大平駅の乗降客はなし

扉を開け 車掌が発車の合図をおくった


ゆっくりと ゆっくりと炭鉱電車が走り出す


いまだ覚めやらぬ背後の山笑う頃

菜の花畑の黄色が鮮やかに目に映る


菜の花が わが世の春のごと みだれ咲く

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▲今月(4月)の一枚 : ドック内に憩う 大金剛丸とタグボート
 撮影日:2011年 3月27日
 撮影地:大牟田市新港町



明治生まれの黄色いクレーン船
“大金剛丸”

それを取り囲むかのように居並ぶ3隻のタグボート
手前から“すわ丸”“みなと丸”そして奥に“みいけ丸”

NHKドラマ、「見知らぬわが町」のクライマックス・・・

三池港の様子が映し出されていたましたので
これらの船に見覚えがある方々は多いのではないでしょうか


残念なことですが・・・
この4月より、この見慣れた光景を間近に見ることができなくなりました


閘門を含め、貴重な稼働遺産として今注目を浴びている三池港

これらの貴重な近代化遺産の公開日を、是非設定していただきたいと
この場を借りて、切にお願いしたいと思う

     

▼今月(4月)の一枚関連記事はこちら↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/38138141.html

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      ▲今月(6月)の一枚 : 澄みわたる青空に映える“宮原坑”

      撮影日:2010年12月 5日
      撮影地:大牟田市宮原町



澄み渡る青空の下
宮原坑の鋼鉄製竪坑櫓と煉瓦づくりの巻揚機室が
鮮やかに浮かび上がる

何度も同じ構図の写真を撮ったような気がするが
ブログTOPに載せたのははじめてのこと

ここはかつて修羅坑とよばれた坑口
囚人達が使役されていたことでその名を知られている

澄み渡る青空の下
宮原坑の鋼鉄製竪坑櫓と煉瓦づくりの巻揚機室が
鮮やかに浮かび上がる

貴重な明治時代の近代化遺産である宮原坑跡
何も知らなければ美しく凜とした竪坑に見える
それを知るものにとっては澄み渡る青空が悲しい

明治の産業遺産としての無骨な機能美と
歴史の悲しい出来事が物語を紡ぎ出す

澄み渡る青空の下
宮原坑の鋼鉄製竪坑櫓と煉瓦づくりの巻揚機室が
鮮やかに浮かび上がる

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 ▲今月(7月)の一枚 : もう二度と列車はやってこない・・・

 撮影日:1997年 3月
 撮影地:大牟田市新港町



もう二度と列車はやってこない・・・
1997年3月 三池炭鉱閉山を目前にした三池港岸壁本線

岸壁にはすでに線路はなく、本線も途中で途切れていた
線路をまたぐベルトコンベアーも停止して久しい

列車が来なくなって、瞬く間に線路が錆ゆく

ここに石炭列車はもう二度と入線することはない

そんな寂しい現実を感じながら、岸壁本線の記録を残す


この先の九電貯炭場には、まだまだうずたかく石炭の山があった

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