炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 今月の一枚 アーカイブ

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▲今月(2月)の一枚:モチノキの額縁 20tB 11号機
撮影日:2010年 1月 1日
撮影地:宮浦



元旦の日の宮浦

いつものように、20tB機関車が工場への引き込み線を行きかう景色
三井化学の専用線となってからは、撮影する範囲も狭まりいつものおきまりの構図ばかりである

時に、そんな「これ以上撮りようもない」と思われたわが炭鉱電車も
ふとしたことから、面白い構図に出会うことがある


赤い実がなるモチノキを額縁に見立てたこのアングル
われながらお気に入りの構図である

化学工場の中の殺風景な景色の中にあって
鳥たちがその種を運んできたであろう木々の繁み
真新しいバラストの線路を、せっせと行きかうわが炭鉱電車の一風景


大正生まれの瀟洒な機関車が、今も行きかう宮浦界隈である

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▲今月(3月)の一枚:普光寺の臥龍梅
撮影日:2010年 2月20日
撮影地:大牟田市今山



先月の20日(土) 久々に三池山の麓にある普光寺を訪ねる
お目当てはもちろん 八重咲きの紅花を咲かせる“臥龍梅”

その名の通り、あたかも龍が臥したるが如く地上を這うこの梅の木
樹齢800年とも400年ともいわれる霊木である


梅の花普くさけり寺もせに
   見に来し人の袖薫るかも     
                   角省吾


今年も三池の地に春がめぐりきて
「梅香高く薫じて全山に漲り、山姿一帯時ならぬ薄化粧を施す」候

近隣各地から、大勢の梅見客で賑わう普光寺の“臥龍梅”である

     
*「 」は、本木 榮著 『三池山夜話』 より引用

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▲今月(4月)の一枚:万田坑のさくら
撮影日:2010年 3月27日
撮影地:荒尾市 旧万田坑



今年も春がめぐり来て、さくらの季節がやってきました

閉山後13年目を数える今年の春

万田坑の補修工事もおわり
美しく整備された第二坑竪坑櫓と巻揚機室脇のさくらが満開となりました

周りの整備作業が始まろうとする早朝
うぐいすの鳴き声が清楚に響き渡る廃坑跡


4月からは、今までと違った顔を見せる万田坑です

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▲今月(5月)の一枚:まもまく宮内駅に到着
撮影日:1978年 4月 7日
撮影地:三池鉄道玉名支線 宮内駅



大牟田市に保存されている20tB5号機を見るたびに思い出す光景があります

2両の鄙びた客車を牽引して活躍していた頃・・・

三池港を発車した“炭鉱電車”は、本線上を走行して原万田駅を過ぎると玉名支線にすすみます
荒尾の市街地を望む築堤を過ぎれば、そこは大平駅

大平駅を発車した“炭鉱電車”は、短いコンクリート橋を渡り切り通しへ
すぐ脇を未舗装の道路が寄り添い、緩やかなカーブを自転車並みのスピードで走り宮内駅にさしかかる・・・

切り通しから顔を出した“炭鉱電車”を125个遼庄鵑蚤えました

いまも往時の姿を留める宮内駅
訪れる度に、ありし日の“炭鉱電車”の姿をまぶたに思いうかべます

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▲今月(6月)の一枚:照り輝く竪坑櫓
撮影日:2010年 5月 5日
撮影地:熊本県荒尾市 万田坑



春の柔らかな日差しをあびて、竪坑櫓が照り輝く

その鉄の幾何学的な姿を、春の日差しがよりいっそう際立たせる


明治生まれのイギリス製竪坑櫓・・・

美しく甦った竪坑櫓のもとを、大勢の人々が訪れる


100年以上の年月を経て、今も万田坑第二竪坑櫓がそびえ立つ

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▲今月(7月)の一枚:三池港 航路の浚渫作業
撮影日:2010年 6月 1日
撮影地:大牟田市 三池港



平成11年度から進められている三池港(内港北地区)多目的国際ターミナル整備事業

この日、突堤に守られた航路の浚渫作業が行われていた

12.000DWT級の大型船の入港を可能にするために
航路の幅を50mから70mに
そして水深を-7.3mから-10.0mに拡張する作業だそうだ

その浚渫作業を、北突堤から間近に見てきた


完成は、来年度の予定であるが、現在の三池港の貨物取扱量は・・・

最近になってコンテナ取扱量が急増中(*^_^*)
来年度には、三池港に直結する有明海沿岸道路のインターチェンジも完成する予定で、
今後の取扱量の増加も期待できそう

石炭積出港から国際コンテナ港へ生まれ変わろうとしている
ここ三池港である



★参考記事 http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000001006290002

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▲今月(8月)の一枚:485系 ボンネット特急“なは”号
撮影日:1975年 3月 3日
撮影地:鹿児島本線 渡瀬~銀水(当時)



炭鉱電車が走った頃・・・・
国鉄の優等列車達が、ひっきりなしに鹿児島本線を颯爽と走っていた

時速20劼らいの、のんびりしたスピードで走っていた“炭鉱電車”に比べ
当時の西鉄2000形や国鉄の485系、583系などの特急電車はかっこよかった

高校生であった管理人の目には、少なくともそのように映っていた

新幹線博多開業を直前に控え、九州と本州をつないでいた昼行の電車特急達・・・
飽きもせず、何度も何度もカメラを向けたのだった

今月はその中の一枚
7:05 大阪発の下り1M“なは”号
大牟田着16:10、終点西鹿児島着20:04


13時間もの長旅であった

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▲今月(9月)の一枚:久大本線 豊後森駅構内
撮影日:2010年 8月31日
撮影地:大分県玖珠町

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▲今月(10月)の一枚:旧三井港倶楽部
撮影日:2010年 8月15日
撮影地:大牟田市三川町



旧三井港倶楽部
明治41年の三池港の開港に合わせて建設された洋館

設計、施工は清水組(当時)

今もその優雅な姿を、三池港の傍らに見ることができる
この建物、角度によって違った表情を見せてくれる

ハーフ・チンバーの壁面は英国風、急勾配の屋根は瓦葺き
1階部分は、大食堂に談話室や会議室が配置され、2階には計4室の寝室が設けられた
その各部屋には、マントルピースが設置されている

外国高級船員の宿泊所として、また三井関係の社交倶楽部・迎賓館として利用されてきたこの洋館・・・現在では三井の手を離れ、総合結婚式場・レストランとして営業がなされている


今年のお盆、ここ三井港倶楽部を訪れた
玄関ポーチ近くから、塔のような白亜の階段部分と切妻の2階部分に眺め入る

浮き輪の様な装飾に縁取られた丸い明かり窓が印象深い・・・


ギラギラと暑かった夏の陽も傾く頃
100年の齢を重ねた港倶楽部は、静かに時の流れの中に佇む

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▲今月(10月)の一枚 特別編:西鉄2000形は今日も行く

撮影日:2010年10月16日
撮影地:西鉄天神大牟田線 大橋~井尻



西鉄2000形は今日も行く・・・
明日10月17日のお別れ運転を前にして、本日にて定期運用を終えた西鉄2000形

仕事の合間をぬって、何とか撮影にでかけた


ここは、大橋~井尻間にある那珂川を渡る鉄橋
福岡(天神)発14:38の、花畑行き急行を那珂川河畔にてねらう

この場所、実は自宅から車で10分もかからない所ながら、初めて撮影に訪れた
矢部川に架かる中島の鉄橋は、高校生の頃から何度か出かけて撮影したことはあったが


西鉄天神大牟田線脇の県道31号線は、しょっちゅう通っている道である
いわば見慣れた風景なのだが、今まで一枚もこの場所で写真を撮ったことはない

河畔に、細い生活通路を見つけた・・・鉄橋をくぐり抜けるか細い道である
川が増水したら確実に水没しそうなか細い道、その道から少し川沿いに入り込む
いつもは釣り人が利用しているのであろうか
河畔の草むらの先、木々の下にほんの少しのスペースがあった


次々と通過する列車を練習用に撮影し、本番の2000形を迎える

少しかげり始めた秋の斜陽を浴びて、2000形は颯爽と鉄橋を通過していった


さようなら2000形、そして 37年間 ありがとう・・・

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