炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 今月の一枚 アーカイブ

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    ▲今月(3月)の一枚(その4) さようなら“はやぶさ”
      撮影日:2009年3月14日
      撮影地:大牟田駅


ラストランの日の“はやぶさ”号

廃止から早くも1週間・・・

今だに「毎日走行しているのではないか」と思えます



この写真撮影以後、JR九州の駅や線路を訪ねておりませぬ


    

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 ▲今月(4月)の一枚 万田坑の小宇宙
      撮影日:2009年3月15日
      撮影地:万田坑


補修工事が進む万田坑

そのすぐそば
天空に開かれた小宇宙が広がる

この小宇宙

荒尾市が発行している万田坑パンフレット
の表紙も飾っている


私のお気に入りの場所の一つである

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    ▲今月(5月)の一枚 小春日和の玉名支線 宮内駅
      撮影日:1978年4月7日
      撮影地:玉名支線 宮内駅


31年前の春・・・
玉名支線の一コマ

大平駅を出て、切り通しを通過した“炭鉱電車”が宮内駅に到着

荒尾での買い物を終えたおばちゃん達の声で、ホームが賑やかになります
発車の合図である、笛が鳴ります

美しく整備された5号機の運転室にて
運転士の腕がノッチのびています

短いホイッスルの後
ゆっくりと、“炭鉱電車”が宮内駅を発車していきます


春爛漫の玉名支線の忘れえぬ光景です

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    ▲今月(6月)の一枚 駛馬天満宮 鳥居越しの宮原坑
      撮影日:2009年5月18日
      撮影地:大牟田市宮原町


五月晴れの一日・・・
大牟田市宮原町の駛馬天満宮を訪ねました

鳥居をくぐり、階段を上りって楼門をすぎると境内が見渡せます

左手の樟の巨木に目がすい寄せられます

境内には、県文化財の石塔や句碑がありましたが、
私にとって面白かったのは、古い広告ベンチと
参道の両脇に佇む “狛犬” ならぬ “うそ” でした

境内の散策を終え、楼門をくぐったところ・・・

ちょうど鳥居越しに、宮原坑の竪坑が目にとびこんできました
まるで鳥居を額縁にしたような宮原坑の情景



小岱山を背景に、明治の竪坑が静かに佇みます

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    ▲今月(7月)の一枚 飛鳥山の6086号
      撮影日:1977年12月 7日
      撮影地:都電 荒川線 飛鳥山電停


先月(6月)の14日、
都電荒川電車営業所に保管中の、6086号撮影会開催のニュースを見た

6086号の車歴を調べてみると・・・
1949(昭和24)年製造、1978(昭和53)年まで現役として活躍した後、都内の個人宅で静態保存されていたようだ

その6086号は、2008年(平成20年)6月8日に荒川車庫へ約30年ぶりの里帰りを果たしたのでしたが、その陰には岩手・宮城内陸地震で被災された鉄道博物館の学芸員であった故・岸由一郎さんの尽力があったとのこと


6月14日の撮影会は、故岸由一郎さんの一周忌の意味合いもあったのでしょうか・・・


今では自走不可能な、6086号
職員の皆様の手押しによって車庫から引き出されての撮影会でした


今月の一枚は、その6086号の現役時代の写真

1977(昭和52)年の暮れから翌年にかけて、7000形のワンマン化に伴う車体更新のため、通常の営業運転に使用された6000形

今となっては、降って湧いたような “昭和レトロ” の光景でした

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    ▲今月(8月)の一枚 三池港北突堤の燈台
      撮影日:2008年 6月 1日
      撮影地:三池港


昨年の6月1日の早朝、
満潮から引き潮に変わる頃に、この三池港北突堤先の燈台を訪れました

約1700mの北突堤を進むと、その北側(外海)の潮流は早く
ずんずんと潮が北東から南西の方向に流れていきます

燈台近くにいた遊漁船も瞬く間に潮に流されては、また釣りのポイントに戻ってくる・・・
といった様子です


北突堤から南突堤先の海面を眺めていると、イルカの群れを見ることができました
近くにいた釣り人に聞いてみると・・・

“すなめり”という小型のイルカとのこと
3頭くらいの群れをなして泳いでいました


さて、1908(明治41)年の三池港開港時からこの場所に鎮座してきた燈台・・・
灯台守がいた初代の頃から数えたら、いったい何代目の燈台になるのだろう

三池港の突堤先端部にて、百年の長きに渡り海面を照らしてきた燈台

その長き歴史と重要な役目に 「敬礼」

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    ▲今月(9月)の一枚  春うらら ~築堤をのんびり走る“炭鉱電車”~
      撮影日:1978年 4月 7日
      撮影地:玉名支線 大平~原万田


春うらら・・・
穏やかに晴れ上がった、春の昼下がり

われらが“炭鉱電車”が、のんびりと走ります


ここは、大平と原万田を結ぶ築堤

今では、宅地開発されたり道路が貫通し
このようなのんびりした築堤の景色は失われてしまいました


あらためて写真を見てみると・・・

なんと、可愛い電気機関車であることよ
なんと、味のある客車達であることよ
なんと、三池マルーン色の妙なることよ

そして・・・

築堤上の“炭鉱電車”のサイドビューの、なんと美しいことよ

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    ▲今月(10月)の一枚  豊饒の大地 ~筑紫平野~
      撮影日:2009年 9月20日
      撮影地:小郡市八坂付近


広々とした筑紫平野・・・

久留米から浮羽の方に連なる耳納連山と、真っ青な快晴の空をバックに
豊饒なる大地が広がる

大学時代、東京から福岡空港に着き、高速バスで大牟田に向かう途中
鳥栖インターを過ぎる頃に広がるこの景色を見ては、
『九州に帰ってきた~』という思いが湧いたものだ

かつては暴れ川であった“筑紫次郎”も、今では幾分か穏やかな表情を見せるが、
この大地に刻まれた洪水の歴史が消え去ることはない

人と川とのたたかいの歴史がある一方で、洪水がもたらしてきた恩恵もまたここにある
筑後川や宝満川のもたらした豊饒な土砂は、豊かな農産物を育んでいる

大豆畑に大麦畑が広がる平野を眺めながら
人と川との共存の営みに思いを馳せる・・・

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    ▲今月(11月)の一枚 わが町の“炭鉱電車”~大牟田川のタイル絵~ 
      撮影日:2008年 7月21日
      撮影地:大牟田市栄町


栄町と本町を隔てて流れる大牟田川
その川を渡る思案橋のたもと近くに、そのタイル絵はある

“炭鉱電車” 

今月は、2年ぶりの炭鉱電車の公開が行われる
この特別公開に合わせて、大牟田の地を訪れる方々も多いのではないだろうか

もし時間が許すならば、大牟田松屋もなくなってしまい、ひっそりとしてしまった旧繁華街を訪れてみるのもいいでしょう
旧西鉄栄町駅から思案橋、松屋方面へ歩く・・・

そして、大牟田川を渡るときには、その護岸にあるタイル絵に目をおとす


そのタイル絵の中の一枚に、わが“炭鉱電車”が描かれています

愛嬌のあるその姿は、市民に愛された証のように思えます
近くには、かつての思案橋の欄干が保存されています
欄干にもたれて、昔の想い出に耽るのもいいでしょう・・・

空き地のままの大牟田松屋が見えてきたら、喫茶店「はら」で一休み
おいしいコーヒーとクラシック音楽にしばらくひたります

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▲今月(1月)の一枚 : 築港に沈みゆく 元旦の日の夕日
撮影日:2010年 1月 1日
撮影地:三池港



     「夕 日」

     もうすこしで
     ちっこうの
     さきにはいる
     お日さん

     がたにひかって
     まばゆい
     まばゆい


               海達 公子

     

         ちっこう:築港(三池港)   がた:潟(干潟)
     

◆海達 公子(かいたつ きみこ)   荒尾北尋常小学校(現荒尾第二小学校)2年生の時の作


 詩人北原白秋に「珍しい詩才の持主」と称賛され、大正末期から昭和初期にかけ、児童自由詩の少女詩人として全国的に注目された海達公子。
 彼女は昭和8年、3月16日、高瀬高等女学校卒業式の日に急病で倒れ、同月26日に死去した。児童文芸雑誌「赤い鳥」では、質量ともに最上の作品を残しており、日本の児童文学史上に特筆される人物となっている。

以下のHP内の 『高瀬高女時代の海達公子』 ~日記に拾う逸話~ 規工川佑輔著 より引用
大牟田市石炭産業科学館では、昨年の暮れから“少女詩人海達公子と万田坑”と題した冬の企画展が開催されている。(1/11まで)
http://www.higo.ed.jp/sh/tamanash/kaitatsu/kaitatsu.htm

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