炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 今月の一枚 アーカイブ

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 ▲今月(8月)の一枚 :三池港5番埠頭の“日本丸”
 撮影日:2008年 8月10日


今年の夏はとにかく暑い(*_*)

今月(8月)の一枚の2枚目は、
三池港で涼を感じる・・・ その2でございます。

三池港に帆船“日本丸”がついにやってきました(*^_^*)
夜の三池港5番埠頭には、イルミネーションを点灯した“日本丸”の姿があります。

コンパクトデジカメにて撮影しましたが、なんとかその美しい姿をとらえることが出来ました。
(少しブレてますが、ご勘弁を・・・)

このイルミネーションを点灯は、本日11日(月)と12日(火)の日没から22:00まで行われています。
お時間がある方は、どうぞ三池港までお越しになって、“日本丸”の優美な姿をご覧下さい。

しばし“日本丸”に眺め入って、生ビールなんぞいただくと最高かと存じます(^_^)v
    

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     ▲今月(9月)の一枚 : 大平~宮内間の切通しを行く“炭鉱電車”
       撮影日:1978年 4月 7日


春の麗らかな日に、“炭鉱電車”がゆっくり通り過ぎていきます

ここは、原万田駅から別れた玉名支線

大谷駅を発車した“炭鉱電車”は、短いコンクリート橋を通過し、左に緩やかにカーブしながら
この切通しにさしかかります

今日の牽引機は・・・車体幅から判断して 20t 31号機

この機関車、1952年に15t 通称“ガメ電車” を20t に改造したものでした
車体幅や軸距離の拡大が行われておらず、元々の20t機関車を彷彿とさせます

私のお気に入りの機関車でした


切通しを通過すれば、そこは宮内駅です

舗装もされていない道が、鉄道に寄り添うようにはしります


    

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     ▲今月(10月)の一枚 :黒崎公園より旧有明坑 竪坑櫓を望む
       撮影日:2008年 8月14日


8月のお盆頃に黒崎公園を訪れました

「夏は全山を搖す蝉聲さては鴨より小さなる漁舟の姿、涼風絶えず吹き来つて三状の暑さを忘れしめ、魂は桃源の境に遊ぶことができる」  本木 栄 『三池山夜話』 227頁より引用

南筑後の名勝地として知られていたここ黒崎からの眺めは、干拓地が広がる景色となった今も変わることはありません
公園の西端には展望台があり、そこからは有明海や遠く対岸の多良岳が望めます

残念ながら、今ここを訪れる人はほとんどありません・・・
夏草に覆われた黒崎公園に、小さい子猫たちが寄り添ってきました
上島鬼貫の句碑などを、クモの巣を払いながら眺めます


昨年の12月、“解体か保存か”の狭間にあった有明坑の竪坑櫓は今も健在です
Z型と台形の2つの竪坑櫓が干拓地の先、有明海を背景にそびえ立ちます

いつまでも残しておきたい炭都の風景の一つです



◆関連記事   黒崎公園 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/24398346.html
           旧有明坑 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/10319713.html    

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    ▲今月(11月)の一枚 :選炭場を背景に佇む22号機
      撮影日:1995年 11月 3日
      撮影地:三池港駅


今月の一枚は、「炭鉱電車(晩年編)」にただいま今連載中のシリーズからの一枚です。

炭鉱の閉山が現実味をおびてきた頃、実家に帰るたびにここ三池港を何度か訪れました。
いつもの休日午後の三池港ヤード・・・
電車の運行もなく、深まる秋の夕暮れに染まっていきます。

ホッパーの北側、夕日に照り輝く選炭場を背景に22号機が佇みます。
秋の夕暮れの日差しはすでにヤードにはなく、数多くの線路や炭車たちが静寂の中にいました。

いつものホッパーを眺め、車庫をまわり機関車たちにご挨拶です。
短い路線ながらも、まだまだ運炭列車が存続していることに喜びを感じます。

この日の訪問でも、長年鉄道趣味から遠ざかっていた私の目には、以前と変わらぬ姿のままの三池港駅界隈と映ったのでした。


今から思えば、一人しみじみと明治以来の歴史を有する現役「三池炭鉱専用鉄道博物館」を見て回っているような感じでした。

    

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    ▲今月(12月)の一枚 :暮れなずむ街のシルエット 大牟田「松屋」
      撮影日:2007年 11月25日
      撮影地:大牟田市山上町より


文は後ほど・・・
    

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    ▲今月(1月)の一枚 春まだ浅き鉄路・・・平井行きの炭鉱電車遠望
      撮影日:1979年 3月 2日
      撮影地:宮内から平井方面を望む


    寒中お見舞い申し上げます。

    1月3日から、今年の更新を始めました(^_^)v
    今年の当ブログの目標は・・・
    『三池築港百話』のつづき、いよいよ“築港編”を何とかまとめることでございます。

    今年も、どうぞよろしくお願い致します。

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    ▲今月(2月)の一枚  もと人口島の埋沈船岸壁
      撮影日:2007年12月 8日
      撮影地:有明坑


有明の海に浮かぶ人口島といえば・・・
初島、三池島、そして港沖四ツ山坑を思いうかべますが、ここ有明坑があった場所もかつては人口島でした

その人口島にある船着場を撮影したのがこの写真です
一昨年の有明坑公開日、竪坑櫓とともにぜひ撮影したかった場所でした

「埋沈船岸壁」という名称でいいのでしょうか・・・

北九州若松の「軍艦防波堤」はよく知られていますが、防波堤以外にもこのように廃船を沈めて岸壁などを造った例はよくあったのでしょうか?

詳しくご存じの方、ご教授願いますm(_ _)m

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    ▲今月(3月)の一枚  さようなら“はやぶさ”
      撮影日:1976年1月31日
      撮影地:大牟田駅


今月14日をもって廃止される“はやぶさ”

一つの時代が、また過ぎ去っていくような思いがいたします


さようなら、わが“はやぶさ”号

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    ▲今月(3月)の一枚(その2)  さようなら“はやぶさ”
      撮影日:2006年9月23日
      撮影地:博多駅

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    ▲今月(3月)の一枚(その3) さようなら“はやぶさ”
      撮影日:1975年6月29日
      撮影地:銀水~渡瀬


ラストランの日にもう一枚・・・

東京発 1レならぬ9001レとなる 
13日の“はやぶさ”“富士”


かつてのED73牽引時代の24系“はやぶさ”号

ここにお別れの写真を掲載して、
しばしの想い出にふけろう

高校時代の、撮影ホームグランドにて・・・



さようなら、わが“はやぶさ”号

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