炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 今月の一枚 アーカイブ

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       ▲今月の一枚 : 秋の装いが深まる大牟田・荒尾の街を行く“炭鉱電車”

     撮影日:1975年11月24日
     撮影地:玉名支線 原万田~大平 

   
◇この写真の記事ページ : http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/135630.html

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     ▲今月の一枚 : 秋晴れに映える三池港閘門

     撮影日:2007年11月25日
     撮影地:大牟田市 三池港 

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     ▲今月の一枚 : 万田駅の炭鉱電車

     撮影日:1978年 4月 7日
     撮影地:万田駅 

1978年4月7日の万田駅の炭鉱電車です。
2両の客車を三池港駅から牽引してきた20t 5号機は、ホハ204から切り離されホーム反対側の機廻し線に入線です。
コハ103が、5号機をお待ちですよ(*^_^*)
遠くには、宮原抗の竪坑が望める築堤上の万田駅です。
(あれ・・・、サボは平井-三池港ですね?)

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     ▲今月(3月)の一枚 : その1 大牟田駅1番線の 1D “なは”

     撮影日:1973年 9月30日
     撮影地:大牟田駅


この日は、キハ82“なは”の最終運行日でした。
10月のダイヤ改正で、“なは”は485系に電車化されたのでした。

想えば・・・「ヨンサントオ」と呼ばれた昭和43(1968)年10月(沖縄日本復帰の4年前)のダイヤ改正で誕生した“なは”でした。
(本土復帰を願う沖縄県民から愛称を募集し、旧国鉄が大阪ー西鹿児島間で運行を開始した)

気動車(キハ82系)→ 電車(485系)→ 電車寝台(583系)→ 客車寝台(24系) と受け継がれてきた“なは”の名称が今月14日で消えてしまいます。
那覇市議会では、27日の二月定例会で運行存続などを求める要請決議案を全会一致で可決したそうです。


◇この写真の関連ページ:http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/16173984.html

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     ▲今月(3月)の一枚 : その2 島原鉄道 天草灘を行く

     撮影日:1978年 3月 2日
     撮影地:島原鉄道 加津佐附近


今月(2008年3月)で廃止となる島原鉄道「南目線」の30年前
国道251号線脇から、島鉄の気動車と天草灘を眺めます
“永瀬”の前面に広がる天草灘の先には、長崎半島 野母崎の姿が望めます
終点加津佐駅は、もうすぐです


◇この写真の関連ページ:http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/17277167.html

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     ▲今月(4月)の一枚 : 三池港 閘門より内港・突堤を望む

     撮影日:2007年11月 3日
     撮影地:大牟田市 三池港


今を去ることちょうど100年前の今日 4月 1日、四ツ山築港と称され完成した港が「三池港」と命名されました。
4月6日には、「勅令第七十五号」をもって「開港場」に指定。(施行は、4月8日)
「開港場」とは、外国貿易のために開放された港として「関税法」の規定により指定された港のことをいいます。
時は、1908(明治41)年のことでした。

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     ▲今月(5月)の一枚 : 万田駅附近の本線を走る炭鉱電車

     撮影日:1978年 4月 7日
     撮影地:万田駅附近 

1978年4月7日の万田駅附近本線を、三池港に向けて走る炭鉱電車です。
45t 19号機が、空の炭車を連ね万田駅横を通過していきます。

この時代の炭車はバラエティーに富んでいて、凸凹の編成がとても魅力的です。
晩年はセナ形炭車のみの編成でしたが、この写真にはセコ形やセロ形などの炭車が連なっています。
背景の三池山の山並みと、架線柱に電線が印象に残る一枚です。
    

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     ▲今月(6月)の一枚 : 三池港の夕日

     撮影日:2008年 5月31日
     撮影地:三池港 

沈みゆく夕日の中の 三池港 内港北岸壁シルエット

2ヶ月ぶりに訪れた 三池港
ちょうど落日の太陽が、有明海の遠くに沈んでいきます

三池港の北岸壁には、石炭を満載した貨物船が接岸されていました
今から、夜を徹しての荷揚げ作業が始まるのでしょうか

石炭輸出港であった三池港は何処・・・


落日の太陽に、荷揚げ用クレーンのシルエットが美しい三池港です
    

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     ▲今月(7月)の一枚 : 三港運送の “炭鉱バス”
       撮影日:2007年 1月 1日


「炭鉱電車」があるなら「炭鉱バス」もあり(@_@)

1968(昭和43)年、宮浦坑の閉坑にともなって宮浦~東谷間(3.3辧砲両[線廃止が決定されました。

この頃のフクニチ新聞記事を繙くと(昭和43年12月8日付)・・・

「勝立線廃止と宮浦坑の三川坑への移管にともない、勝立線が廃止された」という内容の記事中に、三港運送が「特定旅客自動車運送事業の免許を得た」という記述があります。

勝立線の通勤列車の廃止と宮浦坑の閉坑にともない、勝立方面の社宅から三川坑への通勤が不便となったため、三港運送によるバス運行が始まったのではないかと思います。

私の記憶の中にも、この写真にある塗色のバスが残っています。
“炭鉱バス”というのは私の造語ですが、大牟田市内を西鉄バスとは別に、この三港運送のバスが走っていたのでした。

いまも残るこの廃車体は、往時を物語る貴重な記録でもあるのです。

    

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 ▲今月(8月)の一枚 : とある大牟田の風景(@_@)
 撮影日:2008年 5月31日


今年の夏はとにかく暑い(*_*)

九州では、連日35℃近くの猛暑が続いております。
皆様方の地域はどんなでしょうか?

そんな暑さには、こんな涼しげな景色が一番!(^^)!
どうぞ、この風景をご覧になってしばし暑さをお忘れ下さいませ。

はて、ところで「とある大牟田の風景」とな?
どう見ても・・・日本アルプスの残雪みたいにしか見えませんが・・・

さて、皆さんこの写真はいったい
,匹海
何を
写したものでしょうか?

拡大してよ~くご覧になると分かるかも知れませんよ。

ヒントは、やっぱり三池港開港100年です(^_-)
    

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