炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭鉱電車リンク集

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◆リンク集(1)◆  炭鉱電車と大牟田・荒尾の主要相互リンク集


① 炭都の鉄道 Miike-Railway & Industrial Railway

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三井三池炭鉱の専用鉄道をひもとく際には、まずはこのHPをご覧下さい(~o~)管理者である“うしやん”さんによる詳細な三池鉄道の記事・写真を見ることができます。特に『資料のあれこれ』にある、官営時代から始まる年表は必見です(@_@) ここまで詳細な年表は他では見ることはできません。鉄道関係だけではなく、三池炭鉱の歴史を知る上でも貴重な年表です。ぜひ、ご覧あれ。さらに『駅のあちこち』として、三池鉄道の主要なポイント毎に解説付きの写真レポートがあります。晩年の三池鉄道について、きめ細かな観察眼による写真と解説が楽しめます。その観察眼は、地元出身の私でも驚きです!(^^)!これらのレポートは、管理人“うしやん”さんの三池炭鉱関係の文献・地図・絵葉書・出版物などの研究のたまものです。三井三池の鉄道をこよなく愛し、大切にしていらっしゃる気持ちが伝わるHPでもあります。 

② 銀河鉄道2001 ※現在は閉鎖させていますm(_ _)m

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管理人の“じぇいばぁど”さんは、鉄道ではなく航空関係(?_?)のお仕事をされています。私と同郷で、「中学生の時から特に興味を持ち始めた三池炭鉱専用鉄道の研究においては、後世にこの鉄道を伝えるために、少しでも役に立てるようにと努めて」いらっしゃいます。(「 」は、HPのプロフィールより引用)HPメニューには『三池炭鉱鉄道研究所』があり、歴史・路線図・車両などのコンテンツが設けらています。中でも、路線図は必見です!(^^)! 路線の新設・廃止などが、年代毎にわかりやすく表示されます。三井三池の専用鉄道は、坑口の変遷を中心として貯炭場・採土場・工場引き込み線などなど・・・変化の多い路線です。この変化に富む路線を、年代別に表示するという優れた路線図がこれです(*^_^*)廃線跡の探訪や、三池鉄道の全容を知るには必須のアイテムです。三池の鉄道以外にも、各地の鉄道や航空機の美しい写真が見ものですよ。 

③ 大牟田の近代化遺産

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大牟田の近代化遺産を知るには、山田元樹さん(大牟田市在住)によるこのHPをご覧下さい。平成11年から順次UPされた貴重な報告が、坑口をメインとして分かりやすく分類されています。それぞれのメニューをクリックしていくと・・・現在の様子はもとより、貴重な昔の写真や航空写真の画像、更には各建物の内部や機械・設備などの詳細な写真と解説を見ることができます。おまけに新聞記事のスクラップまでもあり、このHPを見ればあなたも大牟田の近代化遺産については一端の専門家になれます(^_^)vわが炭鉱電車(三池炭鉱専用鉄道)についても、ももちろん解説があります。ここでしか見れない貴重なものとしては、『三池炭鉱専用鉄道運転信号保安規程』なる冊子の一部があります。また、橋梁やガードの紹介・かつて三井グリーンランドにて保存されていた蒸気機関車の写真など必見です。個人的には、三池港・宮原坑・電化カーバイト工場にある大正15年の地図がお気に入りです。 

④ 異風者からの通信

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“異風者(いひゅうもん)”・・・熊本弁で「変わり者」といった意味があるそうですが、決して「変わり者」なんかではありません。このHPの管理人である前川俊行さんは、現在滋賀県に住んでおられます。「昭和27年 熊本県荒尾市にあった三井鉱山緑ヶ丘若葉社宅で生まれ育ち、父は三池闘争の結果三池炭鉱をクビになり、一家で三池を去る」といった経験をされ、今も「三池に生きた父や母たちが私たちに語り残したかったこと」は何だったのかを探し求め、このHPが日々更新されています。(「 」内は、HPの初めにより引用)かく言う私は、祖父を1963年11月9日の三川坑炭塵爆発で亡くしています。職場では、一組合員としての活動もしていますが、その原点にあるのは、やはり三池労組の活動であったり荒木栄の労働歌です。実際の三池争議や三川坑炭塵爆発の記憶はほとんどない私ですが、襟を正してこれらの歴史と向き合うことが必要だと思っています。

⑤ 大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ

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「大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ」は、「異風者からの通信」の前川さんがいわば生みの親といえる存在です。(詳しくは、ファンクラブの活動状況のコーナーをご覧下さい)“このまちへの思いや、懐かしい風景を大切にしよう”“まちをまるごと博物館にしよう”を目的に、2001(平成13)年に“まちを愛する仲間”が集まり立ち上がってできた市民主体のNPO組織です。(結成説明会のパンフより引用 - 現在の会員数は97名)その活動の趣旨通り、現在に至まで大牟田・荒尾の産業遺跡の保存活動の中心的な役割を担ってこられました。また、活動の理念としてのキーワード「世間遺産」(=「伝承遺産」の具体的な姿)を掲げる「九州伝承遺産ネットワーク」の加盟団体でもあります。さらに、荒尾市の施設である万田炭鉱館の管理・運営を平成18年度より3年間任されいます。このHPには、このようなクラブの活動報告はもちろんですが、詳細なる三池炭鉱関係の資料館があり必見です。なお、リンク先のブログでは、最新情報がえられます。

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◆リンク集(2)◆ 炭鉱電車をもっと見たい  【その1】


① め次郎 鉄道の部屋     ①´『蒸気模型日記』

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管理人“め次郎さん”の手になる『鉄道の部屋』のなかの「トワイライトゾ~ン」に、わが“炭鉱電車”の貴重な記録が掲載されています。このHPに登場する“め次郎探検隊”、実はかくいう私も“め次郎探検隊”の一員でした(*^_^*)当時としては珍しかった、大型のビデオ機材を肩から担いだ管理人こと“め次郎さん”。一緒に三池港から平井行きの“炭鉱電車”に乗ったのでした。その時の乗車記録が、ビデオテープからとられた写真と共に面白くかつ詳細に述べられています。さらにここでしか見れないものに、大牟田川河口にあった南新開竪坑の軌道があります。まるで廃車体のような機関車のポールを「よいしょ」とばかりに架線に引っかけた後に、ななんと動いた(@_@) 光景が今でも目に浮かんできます。現在このHPは都合により更新されていませんが、新しいブログ『蒸気模型日記』が開設されています。こちらのブログに“め次郎さん”の三池炭鉱再訪記と私が撮影したコハの放置車両などの写真がありますので、合わせてご覧下さいませ。ちなみに“め次郎さん”は、凄腕の16番 蒸気機関車モデラーです!(^^)!

② 大之島鉄道

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古きよき時代の“炭鉱電車”の写真を見たい方は、ぜひこのHPをご覧下さい。三池港駅と三池港車庫にて撮影された、1979年の“炭鉱電車”の写真の美しいこと(@_@)三池港駅の、20t 1号機の優雅な姿が見れますよ。そして何といっても貴重なのは“ガメ電”こと15t 1・8号機の黒色の車体が見れることです。また、三池港駅の信号所がこれまた貴重なのだ。実はこれらの素晴らし写真の数々は、模型作製のための実物資料でございます。 “大之島鉄道”は「架空の鉄道をモチーフにし実物資料と模型の紹介」をしているHPなのです。管理人様は、自作された車両が鉄道模型趣味誌(TMS)に掲載されるほどの腕前の方です。特に、地元の西鉄やJR九州の車両達が見ものです。ちなみに、“大之島鉄道”の最初の路線は「国鉄日豊線宇島(うのしま)駅から黒土(くろつち)を経て有野」へ至る有野線です。         「  」内は、HPより引用させて頂きました 

③ ちょっと古い鉄道のお話

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通勤列車晩年の乗車ルポをお読みになりたい方は、ぜひこのHPをご訪問下さい。ここには、1975年(昭和50年)と1978年(昭和53年)のわが“炭鉱電車”乗車記録と写真が掲載されています。当時、平井まで炭鉱電車に乗車された管理人様は、こんな会話を運転手さんとされたそうですよ。「かしこい学卒さんのおかげで、いままで600Vの直接制御だったのが100Vの間接制御になって助かった」「えっ!?、ここ(運転手の手元にあるコントローラー)に600V流れていたんですか?」「ああ、だからここからよく火花が散ってな」「恐かったでしょ」「そりゃあ、だから間接制御になって本当によかった」 (HPより引用)また、このHPには当時(昭和52年10月1日現在)の三池港駅時刻表があります。平日は朝の4時台から夜の0時台まで、平井行きと万田行きの通勤列車が運行されていたんですね。“炭鉱電車”以外にも、貴重な鉄道の記録がたくさん詰まったHPです。

UEHARA's Railway Photo Gallery

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われらが“炭鉱電車”の通勤列車時代の写真は、そうそうHP上で見れるものではありません。見れたとしても、そのほとんどが三池港や西原・原万田駅、または終点の平井駅で撮影されたものばかりです。そこで、植原 誠さんのHPにある“炭鉱電車”の写真は大変貴重なものといえます。玉名支線の原万田~大平間の築堤を行く、往年(1981年3月)の通勤列車の走行写真を見ることができます。大平駅の俯瞰に築堤をゆく通勤列車は、鄙びていい味が出ています。ところで、植原さんの写真の腕前はというと・・・「SL冬の湿原号」のポスターになるほどでいらっしゃいます(@_@)このHPの見所は、このように素晴らしい鉄道写真が満載というだけではなく、模型のコーナーがまた面白いです。南筑軌道の石油発動機関車“ブタ”ちゃんが登場したりします。ブログもあって、話題満載のHPです。ちなみに、わが“炭鉱電車”はこのHPの片隅にある「バックナンバー」をクリックしてご覧下さい。

動く鉄道図鑑「鉄っぽい?」

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私が知る限り、われらが“炭鉱電車”の動画が見れる現時点で唯一のHPがここです(^_^)v(You Tubeにあるビコム「レイルリポート8号-懐かしの鉄路特集」海賊版? は除きます)2007年7月撮影の“炭鉱電車”(三井化学専用鉄道)を見ることができます。動画のシーンは、①旭町1号踏切 ②宮浦駅ヤード ③三井化学工場引き込み線 の3つで、それぞれ1分~2分余りのシーンが楽しめますよ。私のお気に入りは、②の宮浦駅のヤードです。その理由は・・・以前に三池鉄道時報で紹介した「東泉町2号踏切」の警報機の音が聞けるからです。“炭鉱電車”が近づき、警報機が鳴り始めます。その鳴りやむところが聞き所です(*^_^*)ところで、このHP管理人 SGIさんの手になる様々な鉄道シーンの動画は、見る者を引きつけてやみません。動画をUPするご苦労もおありでしょうが、今後のラインナップにも期待したいHPです。ちなみに、わが“炭鉱電車”はこのHPの「思いでの記」>「残存線探訪」>「三井化学専用鉄道」をクリックしてご覧下さい。

里山工房

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『里山工房』・・・いい響きです(*^_^*)“里山”という言葉を今のように広めたのは、京都大学の四手井 綱英(しでい つなひで)名誉教授だと思います。四手井教授による生態学研究の中から“里山”という概念が生まれてきました。「今から50年ほど前・・・日本がまだそんなに豊かでなかった頃、人里近くにある低い丘や山が里山と呼ばれていました」に始まる『里山工房』のHPは、このような日本の原風景に触れるこのできる“里山”を「レイアウト上に再現するために」できた工房です。そんな工房のHPの中に、わが三井三池の“炭鉱電車”が、あたかもエネルギー革命以前の雑木林に行きかうように潜んでいます(@_@)  (「 」内は、HPより引用させていただきました)管理人の坂内 定比古さん撮影の、1965~1975年頃の〈古い車輌の写真〉は、“里山”につらなる日本の原風景のような鉄道シーンが広がり心なごみます。“アンティーク・オルゴール”の音色をこよなく愛される坂内さんの本領発揮です。

Spead Bird 旅客機と国鉄車両画像のページ

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皆さん、HPの名称だけで判断してはいけません。私の知るかぎり、三井三池の炭鉱電車の機関車達が、かくも美しく鮮明に写し出されたHPは見たことがありませぬ!(^^)!   実に美しい機関車達、そして写真であることか(^_^)vここでは、1993年1月1日の日章旗を掲げた炭鉱電車の形式写真が堪能出来ます。客車列車もそうでしたが、正月の炭鉱電車は機関車のキャブ上に日章旗を掲げて走行したものです。本当に懐かしく想い出されます・・・。 (鉄道画像のページ>特殊鉄道ほか>三池炭鉱)さて、HPの名称にあるように「旅客機」と「国鉄」がメインですが、私鉄ありNゲージありの素晴らしいHPです。(実は、かく言う私も隠れYS-11ファンだったりして ?_?)福岡空港にほど近い私の自宅から、あの独特のロールスロイス製のターボプロップエンジン音が聞けなくってもう一年半がたとうとしています・・・。YS-11の1/200スケールモデルを見ながら懐かしんでいます。(あれ? 三池の話はどこへ・・・)

眠れないマクラギを数えて

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『眠れないマクラギを数えて』・・・はじめてこのブログを拝見して以来、このネーミングの素晴らしさとその意味について、私なりに勝手に想像を巡らしてきました(*^_^*)「眠れないマクラギ」⇒マクラギは、鉄道を支えるいわば“縁の下の力持ち”的存在です。そのマクラギ達は、昼夜を分かたず一時の休まりもなく鉄路の枕となっている。2条の線路はしばしの眠りにおちいるとることもあるが、それを支える枕木(マクラギ)は自ら眠ることはない・・・。鉄路の続く限り、またマクラギもあり。「眠れないマクラギ」を数えながら、列車は先を急ぎ、また人生も過ぎ去る(?_?) とにかく、このネーミングは私にはとても魅力的に響いてくるのです。肝心のブログの内容説明がまだでしたm(_ _)m みなさん、大牟田の三井化学専用鉄道を訪れる際には、まずはこのブログをチェックしましょう!(^^)! どこにもまして、詳細かつ最新の情報がゲットできます。毎週更新されている専用線の状況報告は、必ずやこの鉄道を訪れる方々のナビ役になること間違いなしです。管理人であるUTXCさんの、詳細なる報告に脱帽です。

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◆リンク集(3)◆ 大牟田・荒尾の街をもっと知りたい


① 有明 望嶽庵

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大牟田松屋や新栄町のことを知りたければ、まずはこのHPをご覧下さい。
「おから研究室」と題されたファイルの中の『松屋の24,362日』は圧巻です(@_@)
大牟田・荒尾の街で“大牟田 松屋”といえば、多くの人々が思いを寄せるデパートです。
今年(2008年)の5月頃には、沢山の想い出が詰まる“大牟田 松屋”の建物も二度と見れなくなってしまいそうです。
その“大牟田 松屋”の開店当時から閉店までを追ったこのファイルは、「松屋は単なる商業施設ではなく、この地域の文化でもあったのです」(HPより引用)という解説に象徴されています。
実は、「有明 望嶽庵」の管理人“つじ”さんは、1級建築士の資格をお持ちの方です。その専門的な知識を生かしたHPでありながらも、大牟田の街を見る目は市民の目線です。
そして、大牟田の街の将来を決して悲観して語ることなく、つねに前向きにとらえれたレポートとなっています。「見聞録」と題されたファイルにも、沢山の興味ある話題がいっぱい詰まっています。


② おおむたSNS(ソーシャルネットワークサービス)

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リアルタイムの大牟田の話題をお望みの方なら、ここ『おおむたSNS』にアクセスしてみてはいかがでしょうか(*^_^*)
『おおむたSNS』の“SNS”とは・・・ソーシャル・ネットワーキング・サービス(Social Networking Service)の略です。「日記や掲示板、メール配信などの機能を使って、インターネット上でコミュニケーションや情報共有を行うことができる便利なサイトのこと」で、現在大牟田市は 「全国11のモデル都市とともに、総務省や(財団法人)地方自治情報センターと連携して、地域のコミュニティの活性化や、住民参加のための実証実験を行っている」とのこと。
 *「  」内は、大牟田市 企画総務部 市民協働推進室のHPより引用
さて、4/1現在、89のコミュニティが登録されていますが、今一番ホットなコミュニティは・・・《吉田初三郎鳥瞰図の魅力》でしょう。また、《松屋ノスタルジー ~本町1丁目の夕日~》や《三池港マニア》といったコミュニティもあって、様々な情報や話題が盛りだくさんですよ。


③ 大牟田からの独り言

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 今日の大牟田の出来事は何かな? と思ったら、『大牟田からの独り言』を見るべきです(*^_^*)
日本中、いや世界中何処にいても、あなは大牟田の今を最もよく知る人となることでしょう。
「大牟田の話」のコーナーには、大牟田に関する様々な情報が取り上げられています。
さらに、大牟田の現在に限らず過去をも知れるのが、『大牟田からの独り言』の凄いところです。
原始古代に始まって、1970年代の大牟田までの歴史が丹念にたどられています。私などは、ブログ開設当初にこの年表から色々なことを学ばせてもらいました。
プロフィールを見てみると、このHPが開設されたのは1997年のこと。「大牟田を扱ったサイトは当時きわめて乏しく、自治体サイトすらない状態で、誰もおらんならなんかおれがなんか旗ばたてちゃろう」って思われたG3さんによって開設されました。
大牟田の現在・過去はもとより、大牟田の“未来”を語るためには欠かせないHPであります。

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◆リンク集(4)◆ 炭鉱電車をもっと見たい 【その2】


津島軽便堂写真館

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久しぶりに、グーグルで“炭鉱電車”の画像検索をしていたところ・・・目に飛び込んできたのが、このサイト。写真館のコンテンツをめくっていくと・・・そこかしこに心温まる光景がちりばめられていて、思わず見入ってしまいました。
単なる鉄道車輌や駅の風景でなく、そこには鉄道沿線に暮らす人々や鉄道に働く人々、そしてそれを利用する人々などの生活がそこかしこから伝わってきます。『津島軽便堂写真館』の写真からは、ヒューマニティーな香りが漂ってくるのです。そして、一枚一枚のアングルに、その時代の空気が読み取れる・・・。きっと、管理人様はこよなく鉄道のある風景や人々を愛されている方であろうと想像いたします。そんな素敵なHPが、この『津島軽便堂写真館』なのです。もちろん、わが三池鉄道の素晴らしい写真も見ることができます。懐かしい“炭鉱電車”が、眼前に蘇ること間違いなし(*^_^*)
三池鉄道沿線の織りなす風景と、そこに息づく人々の息吹を感じ取ることができる写真の数々がそこにはあります。個人的には、ナローの軌道写真が何ともいえずたまりません(^_-)

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