炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 万田百景

イメージ 1

撮影日:2010年 3月27日 早朝
撮影地:熊本県荒尾市 万田坑

万田坑にて結婚式挙行される


昨日、おめでたい出来事が万田坑にてありました。
その様子は、商業各紙やテレビニュースでも報道されました↓↓↓


いつもお世話になっている、大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブの理事長様、まことにおめでとうございます。これからも末永くお幸せに(*^_^*)

メガネ交換もユニークでございました。
港倶楽部での披露宴もお仲間の皆さん達で、さぞや盛り上がったことでございましょう。



当ブログ記事にて、お祝いのメッセージとさせていただきま~す。


PS TOPの写真は、早朝の万田坑シルエットです。出会いの場所であられた万田坑・・・
   数々の歴史を経てきた万田坑が、今後のお二人をいつも見守ってくれることでしょう。

イメージ 1

錆びたケージ


竪坑から職場に連なる線路上・・・

竪坑の昇降用エレベータとして使われたいた“ケージ”がある
長く野外にて放置されてきた“ケージ”

緑色の塗装は剥げ、錆が目立つようになった
閉山前、この細長い箱が竪坑を上下していた

白日の下、竪坑を出て長きの月日がたったこの“ケージ”

前後に運搬用の台車を連ね、いまは静かに
万田坑敷地のはずれにその体を横たえている



(つづく)

イメージ 1

2つの炭凾(たんがん)


第二竪坑に繋がる線路上・・・

2つの炭凾(たんがん)が、線路上に今も残る

手前のは炭凾は、いかにも無骨なつくりの炭車である
炭車側面周りのリベットが、よりその無骨さを際立たせるように感じる

宮原坑にも同様の炭車がいくつか残されていた


これらの炭車は、幾度となく地底と地上を往復したのであろうか・・・

錆びたこの炭凾に、逝きし遙かなる時の流れを思う



(つづく)

イメージ 1

折り重なる煉瓦建築


第二竪坑脇から、北方の宮原坑方面を望む・・・

ここは、かつての選炭場上部のはずれ
第二竪坑土台のコンクリートを右に見て、安全燈室・浴室、ポンプ室・倉庫、事務所(旧扇風機室)が連なる煉瓦建築の風景

瓦屋根にスレート屋根、それから木造の浴槽換気窓あり、
永年の補修や改築跡も見え隠れするこの構図・・・



折り重なる煉瓦の建物が、何とも魅力的な万田坑である



(つづく)

イメージ 1

見上げる第二竪坑櫓


明治41年完成の、第二竪坑櫓を真下から見上げる


現役中は美しく塗装されていたこの竪坑櫓・・・
改修工事前の姿は、かなり痛々しかった


それでも、真下から見上げた18.8mのこの竪坑櫓は

永年の風雪に堪えてきた堅固なつくりと幾何学的な美しさを感じさせてくれた


昇降用のケージをつり下げていたワイヤーこそなくなったが

見るものをして、遥か明治の建造物の威厳と歴史を感じさせてくれる第二竪坑櫓である



(つづく)

イメージ 1

第二竪坑櫓土台


万田坑第二竪坑櫓の土台部分・・・

長く風雪に耐えてきたであろう、その歴史をここに見る

今も美しい煉瓦アーチと無愛想なコンクリート壁
一部補強や改造の跡であろうか・・・ コンクリート部分は様々な表情を見せる

櫓にばかり目を奪われるところであるが
櫓を支えるこの土台部分にも目を向けたいものである


ちなみに、今はない一坑櫓であるが、その土台部分がオブジェのように残っている
いかにも、土台部分が頑丈に出来ているかを誇っているかのように


二坑櫓の土台部分を見ながら、私はそう思う・・・


(つづく)

イメージ 1

第二竪坑櫓と巻揚機室


第二竪坑櫓と巻揚機室を、南側の汽罐場跡から望む

現役時代は銀色に輝いていた竪坑櫓・・・
かなり錆びついて、往時の威厳が失われつつあった


一部窓がコンクリートブロックで封鎖され、蔦が繁茂していた巻揚機室・・・

今では補修工事が行われ、封鎖されていた窓に再び日が差すようになったものの
耐震補強の骨材がむき出しになってしまった


荒れ果てた感じがしたこの頃の万田坑・・・
しかしそこには、閉山した当時の雰囲気がそのまま残されていた


修復された今、美しくなったその姿を素直に喜べない自分がここにある


(つづく)

イメージ 1

第一竪坑坑口


深さ273mの坑口が、今も口を開けている

その坑口上の金網に座り込み、深き竪坑をのぞき込む


かつてはこの坑口から石炭が巻き上げられ、選炭場へと運ばれていった
今では、坑口と両脇の堅固な櫓の土台を残すのみ

閉山後、他の坑口はすべて埋められ、コンクリートで封鎖されてしまったが、
ここ万田坑第一竪坑の坑口は、閉鎖されることなく現在もその姿をとどめている

周りをシダで覆われた竪坑の坑底には、地下水が溜まっている
今日のような寒い日は、地熱の関係で蒸気が上がることもあるらしい



万田坑はまだ息をしている・・・



(つづく)

イメージ 1

第一竪坑櫓コンクリート基礎越しに見る第二竪坑

今も開口している第一竪坑口

その両脇にそびえ立つ堅固なコンクリート基礎

かつて30.7mの竪坑櫓がたっていたこの場所
当時は東洋一とうたわれた高い櫓

第二竪坑櫓の2倍あった櫓
残念ながら、今ここに存在しない

昭和26年、万田坑と三川坑が統合された後
昭和29年に第一竪坑櫓は解体され、北海道の芦別炭鉱第一竪坑に移築


第二の仕事場が見つかったのだが、その姿も今はない・・・



(つづく)

イメージ 1

蔦からまる第二竪坑巻揚機室

補修工事が行われる前の第二竪坑巻揚機室

煉瓦造りの巻揚機室北面やこの東面には、閉山以来蔦がはびこっていた

蔦からまるこの景色も、それなりに風情をたたえていたが
現役時代を知るものにとっては、痛ましいことのようにも思えた


時代は経て、世界遺産登録への取組や観光地化がすすんでしまった昨今
補強材が一部外部にむき出しとなり、円形の窓が補修された姿は
かつての万田坑とは明らかに印象が異なる

建設当時の姿に、本当に近づいたのだろうか?
耐震上、致し方ないことだったのだろうか?


どうしてその様なことになってしまったのだろう・・・

以前の写真を見ながら、あらためて疑問に思う



(つづく)


▼現在の万田坑の様子はこちら↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/35808974.html

↑このページのトップヘ