炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 万田百景

イメージ 1

ひっそりと眠る 万田坑の地下道

昔から万田坑に行った時は、必ずこの地下道を通りました。
万田坑の旧正門横から、桜町の方に抜け出ます。

しかし、炭鉱閉山後に地下道は閉鎖・・・。

途中の天井には3ヶ所の明かり取りがあって、今も地上からやわらかな光が差し込みます。
明かり取りの下には、大きな羊歯が生えていました。

この地下道の上を、石炭満載の列車がひっきりなしに通っていたのも、いまや夢のかなた・・・。
ひっそりと、地下道は万田坑のすぐ脇に今もたたずんでいます。


撮影日:2007年10月14日
撮影地:万田坑跡

イメージ 1

万田の売店跡より袴岳(万田山)を望む

桜町側から万田坑の地下道を通り抜けると、そこは万田坑の旧正門です。
正門前には、万田採土線が通ります。
その線路を渡ってすぐのところが売店です。

今は、この万田の売店も門柱を残すのみ。
訪ねた時には、敷地内に重機があって工事が行われている様子・・・。

昔とほとんど変わわりないのは、背後にそびえる袴岳(万田山)の削られた山肌と、
沈殿池横の、今も現役である水道施設でしょうか。


撮影日:2007年10月14日
撮影地:三池商事万田販売所跡

イメージ 1

万田坑の公開日 近まる

11/3(土)の近代遺産公開日まであと1日余りとなりました。
最近の万田坑の写真をUPしておきます。

久しぶりにカメラを向けた万田坑でした。
万田坑を写真に納めたのは・・・、確か閉山の年の3月以来10年ぶりのことです。

ご覧の通り、煉瓦造りの建物には蔦が随分と絡まっています。
この蔦の絡まる万田坑、閉山間際とはいえ一応現役であった万田坑を知るものにとっては、決して喜ばしいことではないと感じます。
皆さんはどのように思われるでしょうか?

この万田第二竪坑はもちろんですが、第一竪坑跡や汽罐場の煙突跡・社宅跡・妙見駅跡などなど、見のがせない近代遺跡がたくさん詰まっている“万田坑”跡地です。


撮影日:2007年 9月 1日
撮影地:万田坑跡

イメージ 1

万田公園の幼児プールから万田山を望む

万田公園の幼児用プールから万田山を仰ぎます。

まわりは草生した幼児プールですが、そこに佇んでいると往時の子ども達の歓声が聞こえてくるようです。
奥のプールはすでに埋め立てられていて、こちらも草の海・・・。

藤棚下の観客席と、奥のシャワーコーナーが昔のまま佇んでいます。
その上にあった幼稚園跡もまた草の中・・・。
門らしき物がひっそりとたってました。

万田で写真を撮ると、どこからでも削られた万田山が望まれます。


撮影日:2007年10月14日
撮影地:万田公園 幼児用プール跡


イメージ 1


イメージ 2


労務所下の門柱

三池鉄道時報から独立させました。
鉄道関係以外の大牟田・荒尾の現在をお知らせしたいと思います。
まずは、万田坑界隈の続きです。

今回は、土手町・仲町・万町・通町のちょうど接点にあたる地点です。
かつては駐在所があったんですかね・・・。
労務事務所の東側です。

昔からの門柱らしき物が、今も残ってます。
万田坑と、万田公園方面の2つの方向を望みました。



▼当時の地図を参考までに載せます。赤い円の場所です。

イメージ 3


撮影日:2007年10月14日
撮影地:万田の社宅跡地

イメージ 1

アソニット跡から 旧万田一坑を望む

専用鉄道妙見駅跡から、わずかに残る轍をたよりにアソニットの廃墟にやってきました。
アソニットの非常階段から、万田坑の一坑跡を望みます。

一坑は、現存している二坑の2つ分の竪坑櫓がありました。
その櫓の土台がいまも残っています。
この土台を眺めると、往時の万田一坑の威容が偲ばれます。

一坑の東側には、これまた巨大な煉瓦造りのデビーポンプ室、西側には巻揚機室がありました。
ちなみに、今でも一坑は閉鎖されていません。
金網の上に立てば、奈落の底の様な竪坑を見ることができます。


撮影日:2007年10月14日
撮影地:万田坑跡

イメージ 1

巻揚機室からの眺め

文化の日 11/3(月)の大牟田・荒尾の近代化遺産一般公開は、三池港・宮原坑そして万田坑でした。
昨年の9月に訪れて以来、一年振りの万田坑訪問です。
今回は、じっくりと万田坑を堪能したいという思いでやってきました。

私が初めてここを訪れたのは、高校生の頃・・・
自転車で三池鉄道沿いに、ここ万田坑にやってきたのでした。

初めて竪坑の巻揚機室におじゃまして、明治の息吹を感じたのが20年程前、
閉山の年、解体か・・・と危ぶまれた頃に再訪して早10年余り・・・。

くまなく万田坑の敷地内を見て回るのは、久しぶりのことです。

今日(2008.11.3)時点での万田坑の様子を、以後数回に渡ってご報告したいと思います。

今回の写真は、深まる秋にちなんで、
「巻揚機室からの眺め」です。

現在の巻揚機室は、現役時代とは違って蔦がからまり、煉瓦や窓を覆いつつあります。



撮影日:2008年11月 3日
撮影地:万田坑跡

イメージ 1

巻揚機室と第二竪坑櫓

現在の巻揚機室は、現役時代とは違って蔦がからまり、煉瓦や窓を覆いつつあります・・・

前回はこのように記して終わっていました。
2回目は、定番の巻揚機室と第二竪坑櫓をまずは見上げてみましょう。

ここは、万田坑の門を入ってすぐ右手、元守衛小屋があった高台からの眺めです。

ご覧のように、ここから見る煉瓦造りの巻揚機室は、すっかり蔦に覆われています。
そして、銀色に輝いていたであろう第二竪坑櫓も、かなり腐食が進んでいるように思えます。
(予算がついて、来年度には修復される予定とのことでした)

2000(平成12)年1月19日、炭鉱施設としては初めて国史跡に指定された万田坑。
1908(明治41)年、ちょうど今を去ること100年前に完成した第二竪坑櫓。

貴重な炭鉱施設が残るここ万田坑、
坑口は閉じられているものの、できる限り閉山時のままにメンテナンスして残したいものです。

蔦がからまり、腐食が進む竪坑櫓を見て、そのように感じ入る管理人です。



 撮影日:2008年11月 3日
 撮影地:万田坑跡

イメージ 1

「職場」と第二竪坑櫓

守衛の建物があったところから北側を眺めます。
桜並木の向こうに、「職場」の建物が見えます。

「職場」とは、万田坑内の機械や設備を修理していた建物です。
坑口からはナローの線路が通じていました。
その「職場」も屋根が落ちてしまって、無惨な姿に変わり果てています。

中に入ってみると、当時の工作機械や部品などが雨ざらしの状態・・・
「ここ万田坑は廃墟ではない」という思いがわいてきました。

11月2日のシンポジウムにて、熊谷監督が以下のようなことを語気を強めて発言されていたことを思い出します。(言葉は少し違っているかもしれませんが、内容は同じようなことであったと思います)

『万田坑に行くたびに、敷地内にあった電線などがなくなっているのよね。先日はロケがあったらしいけど、壁にロケ用の用具が貼り付けてたままであったり、ホントにひどいんです・・・』

実は私も今回の訪問では、廃墟趣味的な訪問者も見かけましたし(廃墟趣味が悪いということではありません)、ころがっている器具(小さいものでしたが)を触って移動させたりするような場面にも出くわしました。
公開はいいことですが、世界遺産入りを目指すにはこれでいいのだろうか? と疑問に感じた次第です。

とにかく、万田坑・宮原坑はとても魅力のある建造物であるし、またそこには様々な歴史が刻み込まれています。事故や囚人労働などのいわば負の歴史がある一方、明治時代の技術の粋を集めた機械類の跡も存在します。
これらの歴史を知った上で、ぜひ万田坑・宮原坑を訪れて欲しいと思います。



 撮影日:2008年11月 3日
 撮影地:万田坑跡

イメージ 1

草むらに消えゆく線路・・・

「職場」脇のナローの線路の先は・・・

草むらに覆われて、とぎれていました。
此処は、万田坑の敷地の最も北側にあたります。

10年程前に訪れたときは、線路脇のひっくり返った台車も線路上に鎮座しておりました。
よく見るとこの台車、丸いリール状の物がついています。
坑内にて、電線等のコードを設置するための台車だったのでしょうか?

「09 11」の番号と、車軸に「HITACHI」の文字が読めます。

草むらの先は、三池炭鉱専用鉄道の本線跡・・・
旧万田駅も近いのですが、ご覧のように草木が生い茂っています。

草むらへと、自然に吸い込まれている線路の先を追って、しばし佇むわたし。

それにしても、線路上にあった台車がなんでこのように横たっわているのだろう?

赤茶けた台車は、何も語ってはくれません。
それでも、問いかけます。
どうして、線路からはみ出してそこにいるの?




 撮影日:2008年11月 3日
 撮影地:万田坑跡

↑このページのトップヘ