炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 三池炭鉱専用鉄道敷跡

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▲24.旭町ガードの浜本線煉瓦遺構

撮影日:2010年 5月 5日
撮影地:大牟田市旭町 

明治時代開通の浜本線に、今も数多く残る煉瓦遺構

ここ旭町ガードの橋台煉瓦遺構は、その角石に配置された花崗岩が見事である
四角に区切られた花崗岩が、この煉瓦橋台をより強固に思わせる

煉瓦の上部は、一部嵩上げした時のコンクリートがある

ガードの鉄橋部分が残り、夏になると蔦に覆われるこの遺構・・・


脇を固めている斜めに組まれた石垣も美しく、
石と石のわずかな隙間の緑が、また良いアクセントである

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▲25.逆様川のデルタ線煉瓦遺構

撮影日:2010年11月 6日
撮影地:大牟田市青葉町 

ここは、旧三池鉄道早鐘踏切近く
宮浦から三坑町、七浦町、合成町と大牟田川を遡上し、
県道3号線を横切って大牟田川が蛇行するあたり・・・

かつて、ここにはわずか1.15劼涼擦は線があった。

1896(明治29)年に逆様川線開通。
逆様川(勝立支線)と白川(宮原坑)を結んだ路線であるが、後に七浦から白川を結ぶ短絡線が開通し、この部分はデルタ線となった部分である。


3年前、古地図でめぼしをつけ、大牟田川をかつて渡っていたであろうこの短い路線の探索に出かけた。
この煉瓦は、そのとき発見した橋台遺構である。
先日、久々に訪れたときもいまだ健在であり、青々とした草たちに囲まれ静かに余生を送っているように感じられた。


私にとっては、特に印象深い煉瓦遺構の一つである。





▼当ブログ内 関連記事↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/1822881.html

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▲宮原坑と三池鉄道廃線跡

撮影日:2009年 5月18日
撮影地:大牟田市宮原町

ご案内◇『世界遺産候補の三池鉄道敷沿線と三池港を歩こう』

TOPにてご案内しております~
Tanto Tantoウォーク『世界遺産候補の三池鉄道敷沿線と三池港を歩こう』が、一週間後と近まってきました。

今回は、廃線跡の一部をご案内して、ちょっとだけ予習しておきましょう(^_-)
まずは、再度Tanto Tantoウォークの期日と主な内容を確認しておきますね。

期日:12月5日(日)
Tanto Tantoウォーク『世界遺産候補の三池鉄道敷沿線と三池港を歩こう』
集合 10:30~10:45 JR大牟田駅前東口 大牟田観光プラザ前
              (西鉄大牟田駅も隣接)
11:00~  行程説明
11:10~  大牟田駅→バスで早鐘眼鏡橋へ →宮原坑史跡の見学と昼食                                 ※昼食はご持参ください
      →煉瓦橋脚見学→万田坑跡付近→西原駅跡付近→三池港→
        バスで大牟田駅へ
解散 16:00ごろ

▼詳細は、大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブのブログを参照下さい↓↓↓
http://ameblo.jp/tankou-funclub/entry-10710112490.html



さて、TOPの写真は宮原坑と三池鉄道の廃線跡のカットです。
運炭鉄道として路線を延ばしてきた鉄道です。各坑口と石炭積出港であった三池港を結ぶ線路が、本線跡として残っております。
築堤などの廃線跡以外にも数多くの見所がある旧三池鉄道跡です。次にそのいくつかを、宮原坑から万田坑、そして三池港の順に紹介していきましょう(*^_^*)



①まずは、宮原坑近くにある通称“くろばし"と呼ばれる跨線道路橋です。沿線唯一の、古レールを組んで作られた跨線道路橋となります。

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②これは、諏訪川に架かる橋梁です。煉瓦の橋脚が見物です(^O^) その姿を観察すれば、この鉄道の歴史の一端を知ることができます。

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③諏訪川を越えた鉄道は、築堤を通って万田坑へと向かいます。万田坑は、かつて三池炭鉱の主力坑の一つでした。線路がひしめき合った、往時の姿をしのぶことができます。

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④ここは、万田坑からすぐのところ、三池港寄りに位置する「妙見駅」のホーム遺構です。“炭鉱電車"とよばれ、地元住民に親しまれてきたこの鉄道には、かつて客車列車が走っていました。

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⑤三池港船渠近くにある旧長崎税関三池支署裏には、唯一線路が残っています。本線の線路は、旧早鐘踏切から宮浦方面への線路敷き(工場敷地にて、立ち入り禁止です)以外は残っていません。ここは、三池港への引き込み線跡となります

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⑥最後に、三池港船渠東側に今も唯一残る高架桟橋の煉瓦橋台跡です。かつての貯炭トンネルや三川坑ホッパー、火力発電所、貯炭場などへと縦横に敷設されていた線路敷きは、残念ながら見る影もありません。築堤の一部と、この高架桟橋跡が残るのみです

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この他にも、万田駅、西原駅、原万田駅などのホームや四山駅ヤード跡などなど・・・見所は満載です。
皆さん、ふるってご参加下さいませ!(^^)!

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▲今月(12月)の一枚 : “くろばし”から夕暮れ時の宮原踏切を望む
撮影日:1997年 3月30日
撮影地:大牟田市宮原町



12月の廃線跡巡りの日が近づく日
かつて “くろばし” から眺めた夕暮れ時の宮原踏切の写真を思い出していた・・・

何気ない線路の風景が広がる夕暮れ時
踏切を自転車で渡りゆく子ども達

たぶん線路敷きの敷地内であろう
狭い畑を耕す夫にであろうか、語りかける女性の姿


左上方に、ちょっとだけ顔を出しているのは宮原坑の竪坑櫓


1997年3月30日・・・それは三池炭鉱の閉山、その日の三池鉄道の光景


本線を石炭列車が走ることなく閉山をむかえたこの日
単機回送の45t機関車が走った、鈍く光る線路がそこにあった

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▲26.沖田町の三池鉄道アーチ形煉瓦橋梁遺構

撮影日:2007年 9月 1日
撮影地:大牟田市沖田町 

ここは、諏訪川から万田坑につづく沖田町の旧三池鉄道本線築堤

アーチ形の煉瓦遺構といえば、三池港への通路として利用され、すでに解体されてしまった旧三川電鉄変電所(現サンデン)脇の人道トンネルを思い出す

この沖田町にある煉瓦遺構は、短いながらも優美なアーチ形をした煉瓦橋梁である
私が知る限りでは、三池鉄道の煉瓦遺構の中で、現存する唯一のアーチ形の煉瓦遺構である


この橋梁、小さな水路と通路のために設置されたものであろう

3年前の夏に訪れたときは、ご覧のように夏草が繁茂していた


人知れずたたずむ煉瓦遺構であるが、近年スプレーなどで落書きされるケースが増えている
最近訪れたときには、この煉瓦遺構にも落書きがあって残念に思った次第だ



明日の廃線跡巡りでも、ぜひ訪れたい場所の一つである






▼サンデン(旧三川電鉄変電所)奥の人道トンネル記事はこちら↓↓↓
 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/33600006.html

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         ▲27.煉瓦橋脚に宿る 「ガード下食堂」

          撮影日:2007年 8月31日
         撮影地:大牟田市栄町 

      ここは浜線廃線跡のガード下
 
     煉瓦橋脚に宿るその名も「ガード下食堂」

     明治の煉瓦橋脚の一部にくい込む形で、この建物は建っている

     煉瓦がギザギザに削り込まれ、屋根がくい込み
     手作り風の雨樋がつたわり、斜めにアルミサッシ扉が設置されている


     100年以上の歳月を刻む煉瓦と、平成の世の建物


     浜線現役時代からあった「ガード下食堂」

     久しぶりに回転饅頭を食べようか




     ▼当ブログ内 「ガード下食堂」関連記事はこちら↓↓↓
     http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/37589578.html?type=folderlist

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  ▲28.壁のように立ちはだかる煉瓦

  撮影日:2011年 2月 6日
  撮影地:大牟田市馬込町 

壁のように立ちはだかる煉瓦

ここは馬込町の旧三池鉄道橋梁跡

臼井町から馬込町に通じるガード下

狭い通路の両脇に、壁のように立ちはだかる煉瓦橋台


ご覧のように、いくぶん色違いの上下2段の煉瓦からなり

そこに、コンクリートと花崗岩という違った素材の四角い埋め込み

ここにもまた煉瓦の歩んだ歴史が刻まれている


嵩上げされた鉄道とその名残


ガードから漏れ来る柔らかな光が

今に伝わるその歴史を紡いでいた

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        ▲今月(5月)の一枚 : “ガタガタ橋”

        撮影日:2008年 4月 6日
       撮影地:大牟田市岬町



通称“ガタガタ橋”
三川坑と小川開社宅を結んだ“ガタガタ橋”

その“ガタガタ橋”とともに、土場に渡るナローの線路跡
のっぽのパンタグラフを携えたL形の電気機関車が、坑木を運んでいた

そののっぽ機関車はディーゼル機関車に取って代わり
そのまたディーゼル機関車も廃止され、ガーダー橋のみが残る

電気機関車時代の名残の架線柱
だんだんと朽ち果てていく“ガタガタ橋”

でも何とか往時の面影を残していた頃

今では“ガタガタ橋”は撤去され
ガーダー橋と、新しい水道管が残るのみ

有明海沿岸道路の延長とともに、諏訪川には新たな橋が架けられた

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▲冬枯れの専用鉄道敷跡と万田坑立坑櫓
 
  撮影日:2009年 1月 1日
  撮影地:大牟田市桜町
 


 
国の文化審議会が、昨日(16日)国史跡の三井三池炭鉱跡の宮原坑跡・万田坑跡に加えて、専用鉄道敷跡などを追加するよう文部科学相に答申しました
 
宮原坑や万田坑などの坑口と三池港を結んだ三池炭鉱専用鉄道敷~
今回、その鉄道敷跡の重要性が高く評価され、史跡に追加されたものです。
世界遺産入りを目指す大牟田・荒尾両市にとっても朗報といえるでしょう。また、三池の鉄道を大切に思ってきた私にとっても、大変嬉しい知らせです(*^_^*)
 
詳しくはこちらの毎日新聞記事をどうぞ↓↓↓
 
文化庁のHPはこちら↓↓↓ (報道発表資料>史跡等の指定等について 11/16)
 
 
この様に、わが鉄道の歴史や炭鉱電車に関する関心が高まっています。
これまでにも、その歴史の一端や炭鉱電車に関する記事をUPしてきましたが、そろそろまとまった通史が必要ではないかと思っています。
鉄道敷跡とともに重要な位置を占める三池港に関しては、『三池築港百話』にてその築港の歴史を繙いてきました。いまだ百話の半分ほどで道半ばですが、ここにきてわが鉄道に関しても、早急にある程度の歩みをまとめなくてはと感じた次第です。
 
今後、国史跡として大切に守られるであろう専用鉄道敷跡・・・
内外の関心の高まりと共に、その歴史や重要性について、当ブログでも発信できればと思います。
 
 

 
◆当ブログ内、専用鉄道敷跡関連記事
①「鉄道敷取得の可能性」示唆 大牟田市長の会見  2008.11.8
②旧万田駅のホーム現る!(^^)!  2009.1.3
③二つ目玉の17号機が行く  2011.5.28
④“くろばし”から夕暮れ時の宮原踏切を望む  2010.11.30
⑤諏訪川鉄橋の煉瓦橋脚  2009.1.27
 

 
 
 
▼最後に、廃止直前の専用鉄道  ~諏訪川橋梁から万田坑方面を望む~
 
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▲三池鉄道 浜本線跡のガード散策  ◇レトロ大牟田カメラお散歩  その12◇  
   
  撮影地 : 大牟田市 浜町~東泉町
  撮影日 : 2012. 12.8 

 
レトロ大牟田カメラお散歩~ その12でございます(*^_^*)
今回は、三池炭鉱専用鉄道の浜本線跡のカメラお散歩ですよ。
 
市街地を二分して通っていた浜本線~
一時期、地域から撤去の要望が起こったこともありましたが、実はこの路線・・・
三池鉄道の中では最も古くに開通した路線です
 
三池港が開港するまでは、大牟田川河口の船渠(通称:龍宮閣)から石炭積み出しを行っていました。(正確には、三池港開港後も使用されていました)
官営時代から馬車鉄道があったのですが、三井の炭鉱になってまず着手されたことの一つがこの専用鉄道の敷設です。石炭の運搬は、炭鉱にとっては重要な要件の一つですね。1891(明治24)年に、横須浜~七浦間の約3キロが蒸気鉄道として開通したわけです。
 
ということで、市街地を二分していたこの鉄道~
市街地が拡大されたために(新栄町の開発)、廃止・撤去の運動が行われたのですが、明治の遙か古き時代から大牟田の街を走っていた鉄道なんです。
 
さて、築堤が築かれ踏切をなくした線路~
今でいえば立派な高架鉄道ですね
その築堤と、数多くのガードは明治の痕跡を残しながら、今も大牟田市内に残っています。今回は、その痕跡を訪ねてみようという企画でございます。
前置きが長くなってしまいました。
早速、横須浜方面から七浦方面に向かって、浜本線の築堤にそってガードを巡るお散歩に出かけるといたしましょう(*^_^*)
 

 
 
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 ① 浜町の西ガード~ ちょうどこのあたりから、龍宮閣に向けて線路は2線となっていました。

 
 
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 ② 浜町の水路~ 短い鉄橋が今も架かっています。古いパイプラインが印象的ですね。

 
 
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          ③ 浜町の東ガード~ 狭いガードに明治の煉瓦が息づいています。

 
 
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 ④ 大正町通りのガード~ これはもちろん明治ではなく、道路が拡張された昭和時代です。

 
 
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 ⑤栄町2丁目のガード~ 皆さんご存じ、ガード下食堂のガードでございます。

 
 
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 【つづき】 同じくガードした食堂の煉瓦橋台~ まさしくガード下にある食堂なんですよ(^O^)

 
 
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 ⑥栄町2丁目の新しいガード~ 夏祭りでは、このガード手前で大蛇が盛大に火を噴きます。

 
 
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 ⑦ 栄町1丁目のガード~ このガード下を、かつては市内電車が通っていました。
 
 
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         【つづき】 橋台の角には、ご覧のように頑丈な花崗岩が施されています。

 
 
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 ⑧国道208号のガード~ これは、昭和の戦後につくられた新しいガードですね。

 
 
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 ⑨ 旭町1丁目のガード~ ここは煉瓦ではなく花崗岩の橋台です。

 
 
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 ⑩ 東泉町のガード~ ここは、道路拡幅の際に煉瓦が削り取られています。

 
 
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 ⑪ 旧大牟田川を渡る鉄橋~ 鉄橋にはパイプラインが走ってます。ここも花崗岩の橋台です。

 
 
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 【おまけ】 旧大牟田川を渡る旭町線の橋台~ これは現役です。鉄橋下の花崗岩が印象的ですね。

 
 
 
JRと西鉄を渡る鉄橋を撮影し忘れましたが、主に明治時代の名残を探してお散歩してみました。大牟田の街中に残る明治の鉄道遺産を、あなたも歩いて探索してみませんか
 
2キロくらいの、ちょうど良い散歩コースでございます(*^_^*)
 
 
(つづく)
 
 
 
 

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