▲煉瓦アーチ・セメント・石積みの三様を見せるトンネル
撮影日:2009 7.20
撮影地:三池港
撮影地:三池港
夏草が繁茂するこの季節は、築堤跡には寄りつきがたいものがありますが、今回ばかりは様子が違っていました。
道路工事の測量のためか、夏草や木々が取り払われ、築堤跡がすっきりと見渡せます。
道路工事の測量のためか、夏草や木々が取り払われ、築堤跡がすっきりと見渡せます。
廃線後も幾度も訪れたこの築堤跡ですが、このような姿にてお目にかかることは初めてです。
まずはトンネル脇から、四ツ山方面を眺めてみましょう。
まずはトンネル脇から、四ツ山方面を眺めてみましょう。
▲トンネル脇から四ツ山方面の築堤を眺める
きれいに右カーブした築堤が美しく連なります。
(右手は、九州サンボディーの敷地となっています)
(右手は、九州サンボディーの敷地となっています)
次は、築堤に登ってみましょう。
築堤上も見事に夏草や木々が取り払われ、一部にはバラストが残っている状態です。
サンデン横から、四ツ山方面を望みます。
築堤上も見事に夏草や木々が取り払われ、一部にはバラストが残っている状態です。
サンデン横から、四ツ山方面を望みます。
▲サンデン横の築堤跡から四ツ山方面を望む
かつては複線の線路が敷かれていたこの場所、
万田坑などから、炭車に石炭を満載した列車がひっきりなしに往来したであろう・・・
万田坑などから、炭車に石炭を満載した列車がひっきりなしに往来したであろう・・・
しばしの時間、往時の築堤上の姿に思いを馳せます。
ところで・・・
“四ツ山” は、本当は“五ッ山” (?_?)
“四ツ山” は、本当は“五ッ山” (?_?)
▲サンデン横の築堤跡から三川坑方面を望む
今度は、同じくサンデン横から旧三川坑方面を望みます。
かつての貯炭トンネル・貯炭桟橋、そして三池港駅へと伸びていた築堤がつづきます。
かつての貯炭トンネル・貯炭桟橋、そして三池港駅へと伸びていた築堤がつづきます。
次回は、この築堤跡を旧三川坑へと歩みを進めることといたしましょう。
(つづく)
PS 築堤を写した昔の絵葉書が手元にありますので、ちょっとのぞいてみましょうか・・・
▲四ツ山から見た専用鉄道の築堤と四山発電所(大正期頃)
*クリックしていただくと、拡大してご覧になれます
*クリックしていただくと、拡大してご覧になれます
ご覧のように、四ツ山から眺めた専用鉄道と四ツ山発電所に三池港ドッグの様子です。
4本煙突の四ツ山発電所のすぐ手前、現在のサンデン(旧三川電鉄変電所)が確認できます。
築堤上の本線には、20両の炭車を牽引した列車が貯炭場に向け進行中。
港ではダンクロが稼働中、その手前にかつての港務所社屋と税関(写真 左上端)が見て取れます。
築堤上の本線には、20両の炭車を牽引した列車が貯炭場に向け進行中。
港ではダンクロが稼働中、その手前にかつての港務所社屋と税関(写真 左上端)が見て取れます。
ところで、話題の人道トンネルを捜してみましょう。
サンデン(旧三川電鉄変電所)横の港側築堤に、わずかですが三角状のコンクリート壁が見えるように思えます。トンネル自体は隠れていて見えませんが、トンネルを抜けて出た人道が築堤を少し下っているのが見て取れます。
(貯炭トンネルに通じるこの地点は、現在よりも地面が低かったと思われる ⇒ 築堤が現在よりも高く見える理由もそれに同じ)
この先は、貯炭トンネルや船積ピットに通じる幾筋かの線路を渡って港務所前につながると思いますが、この絵葉書からはよく判別できません。
サンデン(旧三川電鉄変電所)横の港側築堤に、わずかですが三角状のコンクリート壁が見えるように思えます。トンネル自体は隠れていて見えませんが、トンネルを抜けて出た人道が築堤を少し下っているのが見て取れます。
(貯炭トンネルに通じるこの地点は、現在よりも地面が低かったと思われる ⇒ 築堤が現在よりも高く見える理由もそれに同じ)
この先は、貯炭トンネルや船積ピットに通じる幾筋かの線路を渡って港務所前につながると思いますが、この絵葉書からはよく判別できません。
さて、5線あった貯炭トンネルに桟橋、緩やかにカーブを描く築堤・・・
かつてのこのような風景も、歴史上のものとなって忘れ去られていくのでしょうね。
かつてのこのような風景も、歴史上のものとなって忘れ去られていくのでしょうね。
築堤上の列車が走るあたりに、新しく有明海沿岸道路の三池港インターが建設される予定です。