炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 新みいけ時報

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▲「長崎屋」の壁の手書き地図

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山 

真夏の四ツ山界隈散歩 その3 県境を歩く

真夏の日に、福岡・熊本両県の県境の街を歩いてみました・・・最終回です。

四ツ山駅に残る架線柱や踏切跡を見た後に、またまた県境へともっどて来ました。
ふと、大衆食堂「長崎屋」の壁に目がとまった管理人・・・

手書きの地図にしばし見入ります。
しげしげと眺めた理由は ⇒ もちろん鉄道表記でございます(*^_^*)

どこに目がいったかというと、
荒尾駅の東から半円形にのびて三池鉄道と重なり?
玉名支線へとそのまま連なる様に描かれた線路です。

戦時中は、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所への引き込み線があった荒尾駅。
戦後は、荒尾市営電気鉄道として存続したこの引き込み線でした。
で、先の壁地図・・・

すでに荒尾市営電気鉄道の線路は描かれていませんが、三池鉄道との連絡線は描かれています。
火薬製造に携わっていた東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所と、大牟田の化学工場との関連は想像できますが、はたしていつまでこの連絡線が存在したのか?

この手書き地図、いつ時点の地図なのか調べてみたくなりました(^_-)

さてさて、県境界隈の探索報告も終わりです。
「産交バス」に「万幸堂」のメロンパン、
そして県境食堂のラーメンに回転万十などなど・・・

今だ四ツ山は、色々な表情を見せてくれる街でございますよ~(^_^)v


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▲大衆食堂「長崎屋」



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▲「猿渡食品」から発電所の煙突を望む


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▲ヤミ市があった場所から「中尾鮮魚店」を望む


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▲同じく、現在の国道389号線沿いの「中尾鮮魚店」


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▲県境のラーメン&回転万十屋さん


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▲熊本県荒尾市は「産交バス」ですよ


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▲メロンパンが評判の「万幸堂」 土産に買いましたメロンパン




(おわり)

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撮影日:2009.2.1
撮影地:三池港


◆◆◆港や鉄道敷 遺産群入り 万田坑、宮原坑に加え 世界遺産推進協◆◆◆ 

「九州・山口の近代化産業遺産群」世界遺産登録推進協議会の専門家委員会は、二十二日に東京都港区芝公園の東京プリンスホテルで開催された「世界遺産シンポジウム」の席上で、同推進協に対して提言書を提出。
その中に万田坑と宮原坑(いずれも国重要文化財・史跡)に加えて、三池港と三池炭鉱専用鉄道敷も同遺産群の構成物件に入れるべきとの内容が盛り込まれた。    〈有明新報 WEB NEWSより〉

昨日開催された「世界遺産シンポジウム」で、ニール・コソン卿による提言書に、『三池港と三池炭鉱専用鉄道敷を、九州・山口の近代化遺産群に加えるべきである』 とする提言がなされました(~o~)

万田・宮原坑に加え、石炭積出港として築港された三池港、そしてその三池港と坑口とを結んでいた専用鉄道敷跡が、三池炭鉱関連の近代化遺産として重要だとの見解が示されたものです。
このブログの中心をなしている“炭鉱電車”と“三池港”の、その近代化遺産としての歴史的価値が認められたことをうれしく思います。

今後は、現在も現役で活躍している三池港や鉄道敷き跡の、維持管理、保存についての論議が活性化していくことを管理人としても期待しています。

このように、「九州・山口の近代化産業遺産群」に注目が集まる中、11月3日に開催される近代化遺産公開日を利用して、実際の三池炭鉱関連の近代化遺産にぜひ触れて欲しいと思います。
以下に、11月3日の公開日関係と、今回の「世界遺産シンポジウム」関連の新聞記事を紹介しておきます。
ぜひ、みなさんご覧下さいませm(_ _)m



◆世界遺産だよ! 一斉公開! ~大牟田市HPより~
http://www.city.omuta.lg.jp/kyouiku/bunkasports/bunkazai/2009-1008-1716-373.html


◆西日本新聞朝刊 10/23付 関連記事はこちら
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/culture/heritaging/kyushu/20091023/20091023_0001.shtml

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▲草生す 旧三池鉄道敷きと四ツ山

撮影日:2009 8.17
撮影地:熊本県荒尾市四ツ山 

真夏の四ツ山界隈散歩 その1

真夏の日に、福岡・熊本両県の県境の街を歩いてみました。

わが三池鉄道の跡は・・・
TOPの写真からは、草に覆われて見る影もありません。
ここは旧西原駅ホームの先、原万田側にあった踏切から四ツ山を仰いだ図です。

線路を跨いでいた高圧鉄塔のみが、かつての鉄道敷きの証。


さて、コメントにて話題になっていた“和光”に行ってみたいと思います(*^_^*)
まずは、県境の十三間道路の様子から・・・

ここはかつての市内電車の終点ですね。
戦後はバラックが建ち並び、闇市があった付近です。

左手の道路は、三川坑方面に通じる道路。


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▲県境の十三間道路 大牟田方面を望む


大牟田の北部(倉永小校区)に住んでいた私は、四ツ山界隈で買い物をしたことはありませんでした。
時々、十三間道路を通ったり、四ツ山の虚空蔵さんに行ったくらいです。
県境の賑わいは記憶に残っていますが、お店の名前などは分かりません・・・。

とりあえず、話題になっていた“和光”を訪ねてみました。

荒尾は、ちょうど梨の時期をむかえていて、露店にて梨を売っていました。


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▲和光 その1   和光と発電所の煙突 



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▲和光 その2   荒尾ナシの露店


“和光”がある通りから、さらに南側の通りにやってきました。
この通りには鮮魚店が3軒くらい軒を連ねているんですね。

お店を覗きながらボチボチ歩きます(^_^)v

西田鮮魚店がある建物の裏側にまわってみたところ・・・
何だか昔映画館なんぞがあったような感じですね~

今では蔦がからまる建物となっています。


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▲鮮魚店が連なる街並み その1



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▲鮮魚店が連なる街並み その2


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▲西田鮮魚店を裏側から見ると・・・


今でも、ちょっと路地裏に入ってみると・・・

このように、狭い通路をはさんで
肩を寄せ合うように建ち並んだ家並みがつづいています。

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▲今も軒を寄せ合って立つ家並み




(つづく)

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撮影日:2009.5.18
撮影地:大牟田市宮原町 駛馬天満宮

駛馬天満宮  その2


五月晴れの5月18日(月)

以前から訪ねてみたい場所の一つだった「駛馬天満宮」 つづき・・・
楼門から社殿の風景を眺め入ります。

楼門を過ぎると、社殿左手の樟の巨木に思わず目が止まりました。

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早速、お参りをして境内の散策といきましょうか(*^_^*)

境内には、県文化財の石塔二基が祀られていますが、私にとって一番面白かったのは何かというと・・・

参道の両脇に佇む “狛犬” ならぬ “うそ” でした。
“うそ” につては、太宰府天満宮での「鷽替神事」などで有名ですね。
その由緒は、一年中の嘘(うそ)を天満宮の神前で鷽(うそ)と交換して誠に取り替え罪を滅ぼすためであると云われています。また、新春に当って開運出世を授かると信じられ、求めて買った木鷽を神棚にお祀りして、除災招福と家運隆盛を祈願するためとも云われています。

その “うそ” をかたどったものが、階段の両脇に鎮座しているのです(@_@)

この “うそ” が奉納されたのは大正時代。
石工の名とともに、奉納者の氏名が台座に掘られています。

大正時代というのは、なかなか粋な時代に思えますね~。
このような “うそ” は初めて目にしました。
なかなか愛嬌のあるお姿をしていらっしゃいます。

色んな角度から、階段両脇の “うそ” を堪能いたしました。


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撮影日:2009.5.18
撮影地:大牟田市宮原町 駛馬天満宮

駛馬天満宮


五月晴れの5月18日(月)・・・

いつもの三池の鉄道を訪ねた後は、宮原坑を訪問します。
青空に浮き立つ竪坑を堪能した後、その西側に望める「駛馬天満宮」を今回初めて訪れました(*^_^*)

以前から訪ねてみたい場所の一つだった「駛馬天満宮」
大牟田市の北方、甘木山の麓で育った私にとっては、宮原町界隈は未知の場所です。

いわば“見知らぬわが町”ですね。
(中川雅子『見知らぬわが町 1995真夏の廃坑』より)

宮原坑の丘から、谷を渡り片平山のすそにあたる「駛馬天満宮」を訪ねます。
谷間を渡り、天満宮への階段と鳥居に門を眺めます。

ここ宮原の地に、承平三年(933年)十一月二十五日に社殿が造営され、全国の天満宮の中でも古くから鎮座しているとされる「駛馬天満宮」・・・
TOPの写真からも、その歴史が偲ばれるというものです。


さて、門をくぐったすぐの処にある狛犬に目が止まりました。

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大正十年の奉納と読めますが、
その台座に目を凝らすと・・・

“優勝 甲方六回 乙方四回 丙方三回” という彫り込みを目にいたしました。
炭鉱では、昼夜3交代で作業していて、1番方(甲方)、2番方(乙方)、3番方(丙方)と勤務時間を分けていました。

“優勝”の文字が刻まれていますが、
たぶん、採炭量などの記録ではないかと思われますね。

学問の神様である菅原道真公をお祀りしている“天満宮”ですが、
炭鉱の町ならではの歴史を感じさせられた次第です。

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狛犬の先に、このようなベンチをみかけました(*^_^*)
懐かしくかつ鄙びた雰囲気に、思わず立ちつくした私・・・

昭和40年代頃にタイムスリップ(^_^)v

6個の広告ベンチが仲良く並んだ姿をこの目に焼き付けました。




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◆追加でもう一枚・・・映光写真館のベンチ
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(つづく)

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撮影日:2009.5.18
撮影地:万田坑

補修工事中の万田坑  5/18


約2ヶ月ぶりに万田坑を訪れました。
補修工事がずいぶんと進み、竪坑櫓の足場解体作業が始まっていました。

補修が完了して美しい姿となった第二竪坑櫓の上部が望めます。
新聞報道にもありましたが、イギリス製の鉄が使用されていたとか。

近々、その全貌が望めるようになると思います。

巻揚機室の補修は、鉄骨を補強材として組み込む作業が行われているとのこと。
万田坑ステーションでお聞きしたところによると・・・
すぐ横の沈殿池を埋立て芝生公園にするなど周辺の整備を行い、一般への公開再開は2010年4月以降になるとのことでした。

このように、万田坑は見学できませんが、先日すぐ近くに「万田坑ステーション」がオープンいたしました。
「万田炭鉱館」は月曜日が休館日ですが、ここ「万田坑ステーション」は水曜日が休館日となっています。

精密な万田坑全盛期の模型が見物ですよ(^O^)

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最後に・・・


先月のトップを飾った、お気に入りの場所の今をお伝えいたしましょう。
すでに、木々や蔦が繁茂し、初夏の装いでございます。

天空がだんだんと狭くなりゆく(@_@)


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撮影日:2009 3.29
撮影地:大牟田市小浜町 三井鉱山ビルディングにて 

三井鉱山の社名消える

昨日(3/31)を以て、「三井鉱山」の社名がなくなってしまいました。

三井組が三池炭鉱の払い下げを受け、三池炭砿社を設置したのは明治22(1889)年のこと・・・
2009年の今年、三井が三池炭鉱を払い下げてからちょうど120年の歳月が流れていました。

この大牟田の地から、まさか「三井鉱山」の名前が消えまうなんて想像もできなかった話です。

五月橋のたもとにあった「三井銀行」が「太陽神戸銀行」と合併して「さくら銀行」となり、
さらに「住友銀行」と合併し「三井住友銀行」と社名を変更してからしばらくの時が流れています。

そして、今回の三井鉱山(株)の社名変更・・・

「三井三池製作所」に「三井化学」などの名は健在ですが、本家大本の「三井鉱山」が消えてしまうことになりました。
「三井」の名を冠するものがすべて消えたわけではありませんが、一つの歴史が終わりを告げた感があります。

・・・鉱山の経営は、三井家の家法に明らかに反するものであった。
三井家では創業以来、投機的事業に手を出すことはきびしく戒め、家法「宗竺遺書」(高利の子高平の遺訓)も、大名貸とともに、金銀相場、空米取引などを禁止している。また、「宗竺遺書」とともに作成された「商売記」にも、新田開発、米投機などと並んで鉱山業を禁止していた。
三井組としては、手稼(自らのリスクで直接鉱山を経営すること)を始めたものの、家法の戒めもあり、経験のない鉱山経営には大きな不安を抱いていた・・・
         ◇三井鉱山株式会社 『男たちの世紀 三井鉱山の百年』 平成二年五月発行 の序文より

明治7(1874)年に始まる三井組の鉱山業への進出・・・
「中西組に対する名古屋出張所の貸付金の焦げ付き」に端を発する鉱山業は、岐阜県は神岡鉱山にて始まったのでした。
(詳しくは、先の『男たちの世紀 三井鉱山の百年』をお読みください)

江戸時代の延宝1(1673)年、江戸本町に「越後屋呉服店」を開業した三井高利がいたとしたら・・・
「三井鉱山」の社名がなくなることについて、どんなコメントを残しただろう?




“丸に井桁三”のマークが消えた大牟田の街です。


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▲大牟田市小浜町 三井鉱山ビルディングの全景


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▲三池港にあった 三井鉱山 三池港物流カンパニー 社屋の社名板


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▲三井鉱山 三池港物流カンパニー社屋の屋上には、丸に井桁三”の社旗がはためいていた


◇いずれの写真も3/29撮影
西日本新聞に関連記事があります。
◇新社名は、「日本コークス工業」です。
 大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブのブログに関連した報告がありますのでご覧下さい。

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撮影日:2009.3.15
撮影地:万田坑

補修工事中の万田坑


3月15日、晴天にそびえる万田坑の竪坑櫓を訪れました。
補修工事が本格的に始まっています。

第2竪坑は、すっぽりと覆いに囲われていました。
しばらくは、万田坑の見学もできません。

閉山後初めての補修工事となりますが、閉山時の状況をキープしたいものです。


旧採土線から、万田坑を望んでます。

近くには、かつてもくもくと煙をあげていた煙突の土台が2つ残存しています。



巨大な煙突の土台部分を、しばらくは堪能するといたしましょう。

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▲“三池港1dayカフェ”の風景 その1 「三池港1dayカフェの幟と三池港湾労働者福祉センター」

撮影日:2009.3.15
撮影地:三池港


“三池港1dayカフェ”に行ってきました

今日は素晴らしい晴天に恵まれ、“三池港1dayカフェ”に行ってきました(*^_^*)

“三池港カフェ”とは・・・
開港から101年目の今年、民間主導で行政と手を携えて今後につながる継続的な活動をしていくという必要性があると感じたことから、三池港の将来像を実働しながら考えて行く「三池港カフェ」が誕生しました(後略)                                          ☆三池港カフェ連絡先 田中久仁子☆


青空のもと、島原航路横の公園にはテーブルが用意されていました。

内港北岸壁のクレーンに船舶をバックに、ゆったりした時間が流れます。


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▲“三池港1dayカフェ”の風景 その2 「青空広場」(勝手に命名)


さて、このイベントの注目は・・・
三井鉱山(株)三池港物流カンパニーによる「三池港でトーク!」と題したミニ講演会でしょう。

実は、3月いっぱいで「三井鉱山」の名称が消えます。
三井鉱山(株)の名を冠した最後の月に、ここ大牟田の地にて「三池港」を語ることは新会社にとっても意義あることと思えます。

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▲“三池港1dayカフェ”の風景 その3 「三池港でトーク!」 


101年の歴史を誇る三池港・・・
今も明治の息吹を伝える三池港の閘門に大金剛丸

「三池港でトーク!」の最後にお話しされた、九州大学大学院芸術工学研究院教授 藤原惠洋さんがおっしゃっていた「空間的・歴史的・地域的“文脈”のバンクとしての三池港」

ここ三池港には、様々な視点からアプローチできる財産が詰まっているのです。

この「三池港でトーク!」には70名ほどの方が参加され、しばし三池港築港の歴史や近代化遺産の魅力について思いを馳せたのでした。


「三池港でトーク!」の後は、干潮に合わせて三池港の閘門が閉じる様子を見学(^_^)v
このように大勢の方々が、閘門扉が閉まる情景に注目する光景は初めてです。


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▲“三池港1dayカフェ”の風景 その4 「まもなく閘門が閉じます」

この日のイベントに用意されたクリアーファイルに、できたてほやほやの新パンフレット。

今後の“三池港カフェ”にエールを送ります。
ちなみに、大牟田市地域SNSに“三池港カフェ”のコミュニティーがありますので、ぜひご覧下さい。


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▲“三池港1dayカフェ”の風景 その5 「クリアーファイルに、できたてほやほやの新パンフレット」


最後に、三池港閘門のスルーゲートの写真をUPして、

本日のレポートのお開きといたしましょう。


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▲“三池港1dayカフェ”の風景 その6 「三池港閘門のスルーゲート」

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 ☆三池港1DAYカフェ : 3月15日(日)は、三池港においで下さい。

日頃は公開されていない三井鉱山(株)所有の貴重な資料展示や、三池港の歴史などのお話が聞けます。

時間がゆるせば、同時開催の「春の近代化遺産めぐり」にて、宮原坑・補修工事中の万田坑・旧三川変電所など、大牟田・荒尾の産業遺産を堪能してみませんか。シャトルバスの運行もありますので、ご利用下さいませ。


★詳しくは、以下のページを参照してください↓

http://www.pref.fukuoka.lg.jp/d12/miikekou1day-cafe.html



今回は、三池港物流カンパニーの方々のお話や、「三池港の魅力・近代化遺産の魅力」と題した九州大学大学院芸術工学研究院教授 藤原惠洋さんのお話もあります。       三井鉱山(株)所有の貴重な資料の公開も楽しみです。      この機会に、ぜひ三池港を訪れてみませんか(*^_^*)

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