炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 新みいけ時報

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▲八本町から三井化学J工場を眺める

撮影日:2011年 1月 2日
撮影地:大牟田市八本町

☆朗報☆ NHKドラマ『見知らぬわが町』 全国放送決定!(^^)!

昨日(2/26)、待ちに待ったNHKドラマ『見知らぬわが町』の全国放送日程が、オフィシャルHPにて公表されました。

放送日は、以下の通りでございます。


     ★★★★★★★ 全国の皆さま~ お見逃しなく(^O^) ★★★★★★★
            NHKドラマ『見知らぬわが町』の全国放送
        3月21日(月・祝)総合  午前10時05分~11時19分
      ★★★★★ 祝☆九州新幹線全線開通 3月12日(^O^) ★★★★★

昨年の放送を見逃した九州の皆様、そして初めてご覧になる全国の皆様、九州新幹線全線開通後の3月21日(月)、春分の日の放送をお見逃しなく!(^^)!

ところで、今回のTOP写真は管理人である私にとっての“見知らぬわが町の風景”です。

いつも見慣れた白亜の三井化学J工場。
工場北側の八本町から眺めたのは初めてでした。実はわたしが産まれる前、この丘の三井金属社宅にわが家族は住んでいました。
幼い頃に行った原監督の床屋さんもすぐ近くにあります。

目線や方角が変わると、いつもとは違った印象を持つ事はよくあります。

記憶には全くないこの場所からの光景を眺めながら、ここにも“見知らぬわが町の風景”がある・・・と思い撮影したのでした。

さてさて、かつて大牟田にお住みであった方々、三井関係の工場や炭鉱で働いておられた方々~ ぜひとも観ていただきたい、NHK福岡放送局制作の地域ドラマ『見知らぬわが町』です。

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▲三池港突堤 ~有明海の夕暮れ~


NHKドラマ『見知らぬわが町』の放送日迫り来る

NHK福岡放送局開局80周年記念ドラマ 『見知らぬわが町』 の放送日が、今週の金曜日と間近に迫って参りました(*^_^*)
大牟田の近代化遺産をはじめ、市内各地にてロケされた風景が画面に映し出せることを楽しみにしています。昨日催された“Tanto Tantoウォーク”にて、ドラマで登場する場所をいくつも歩きましたが、私がとりわけ楽しみにしているロケ地は三池港です。

実は、原作である  中川雅子著 『見知らぬわが町 ~1995 真夏の廃坑~』 には、三池港は登場しないのであります。このドラマを演出された清水拓哉さんは、制作こぼれ話・監督シミズの制作裏話「グラン・トリノ」の中で、こんな事を述べられています・・・

 (前略) 取材を重ねた結果、僕は石炭の積み出し港であった三池港に惚れ込んでしまいました。この港が102年前に造られたことで、大牟田は大量の石炭を輸出できるようになり、全国一の炭鉱町へと大きく発展することになります。 (中略) そのすべてが、いつまで見ていても飽きない美しさをたたえています。原作にも登場しないこの三池港がドラマの中でどんな役割を果たすのか、ぜひお楽しみに。

▼以下のドラマ公式HP>制作こぼれ話>監督シミズの制作裏話 「グラン・トリノ」より引用
http://www.nhk.or.jp/fukuoka/drama/wagamachi/index.html



主人公の少女・竹本望美の父・正一の仕事着姿とパンフレットの写真から想像すると・・・
父の仕事場は、三池港の荷役作業を行っていたかつての“三井三池港務所”、現三池港物流(株)ではないかと思われます。(試写をご覧になった方々は、すでによくご存じでしょう)

▼三井三池港務所に関しては、以下のページをご覧下さい↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/37129168.html



明治時代の機械が今も現役で活躍する三池港です。
閘門開閉の動力源として使われている水流ポンプ、蒸気機関が動力源の黄色いクレーン船・大金剛丸、美しくも堅固な作りの船渠繋船壁に閘門などなど、その見所はたくさんあります。今回、滅多にお目にかかれないシーン~ 大金剛丸のボイラーにも火が入ったと聞いてます。

ストーリーの展開とともに、先の清水拓哉さんの言葉からすると大いに注目の的となる三池港なのです。
清水さんは、まだ30歳代のお若い方と聞き及んでいますが、100年余りの歴史を誇る「三池港」が持つ魅力をどのように表現されるか楽しみです。先の彼の言葉は「三池港」の魅力を至極簡潔に語り、また『いつまで見ていても飽きない美しさをたたえている』と表現された感性に、私などは非常に共感した次第です。


拙ブログでは、書庫“三池築港百話”にて、三池港築港の歴史を辿っている最中であります。
何度ども足を運んで眺め尽くしたかのような三池港ですが、ドラマの中に『見知らぬわが三池港』を発見できるのではないかと、一人密かに期待している次第なのです。




◆三池港船渠の大金剛丸
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▲砂鉄から生成した玉鋼を薄く平らに打ちのばす

撮影日:2010年11月28日
撮影地:大牟田市倉永

最後の「新ふいご祭り」  ~刀剣製造販売 “四郎國光” の伝統~

今を去ること40数年前~ 小学校3年生の頃に鍛冶屋に行ったことを思い出す。

かつては、どこの村にも鍛冶屋の一軒は存在していた頃の名残、
私の生まれ育った近くにも一軒の鍛冶屋があった。

たぶん鍬や鎌など、農機具の修理を主にやっていたと思う小さな村の鍛冶屋
小学生の悪ガキどもがこの鍛冶屋を訪れた理由は・・・


コマの芯をただで作ってもうため


どうしてもその鍛冶屋さんの顔を思い出すことはできないのだが、
ふいごの音と、火床の炎は目に焼き付いている・・・


そんなことどもを思い起こしながら、実家から10分程にある「新ふいご祭り」会場を訪れた。

“四郎國光” このブログを見ていただいている方で、この名をご存じの方は何人ほどおられるだろうか?
知る人ぞ知るかの“三池典太”に師事した刀鍛冶、柳河藩御番鍛冶の血を引き継ぐのが小宮家(現四郎國光)なのです。この鍛冶場が実家の近くにあることはもちろん知っていましたし、小学校の通学路のすぐ近くでもありました。その“四郎国光”が、20年前に始めたという「新ふいご祭り」なるものに一度も出かけたことがなかったのでした。その「新ふいご祭り」が、今年で最後というではないですか(@_@)
何はともあれ、大牟田まで出かけるしかありませぬ。



11月28日(日)9時半から日本刀づくりの公開鍛錬が始まりました。
懐かしいふいごの音に火床が眼前にあり、砂鉄から生成された玉鋼が熱せられ、薄く平らに打ちのばされていきます。約1時間半をかけ、小割にされた玉鋼がテコ棒の先に積み重ねられ、およそ1200~1300℃ぐらいまで松炭で熱られた後、何度も鍛錬が繰り返されていきます。 

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もちろん日本刀づくりの工程すべてが見れるわけではありません。玉鋼の鍛錬の後、次にあらかじめ用意されていた玉鋼を素延べした状態から、刃が打ち出されていきます。刃の部分を薄くし、次第に刀の形にしていく作業です。

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そして最後に、この「新ふいご祭り」最大の見せ場がやってきます・。
生仕上げされた刀身を火床に入れ、まんべんなく加熱した後に湯船に入れて冷やす焼き入れです。
この時、まさに一瞬の出来事なのですが、ほぼ真っ直ぐだった刀身が自然と反り、刀らしい姿へと変化していくのです。

実際に目にできるのは最初にして最後になろうこの光景・・・カメラにおさめました。
本当は、この目でじっくり見たかったシーンでしたが、その一瞬を記録に残すべく無心でシャッターを押したのでした・・・。

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焼き入れ終了後、実際の刀身を握り写真におさめました。

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今年で終わるという「新ふいご祭り」・・・
このような貴重な刀鍛冶の伝統が、わがふるさと大牟田に伝わっていることを誇りに思い、また今年で最後となるこの祭りの名残を惜しみました。


午前中の最後には “ふいご納めの儀” が、祭り会場である天地剣(あめつちつるぎ)稲荷(いなり)神社境内で執り行われました。

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最後にお知らせです。
今回をもちまして「新ふいご祭り」は終了しますが、“四郎國光”では今後も日本刀をはじめ包丁、農機具などの製造・販売を行います。興味がある方は、是非以下の“四郎國光”HPをご覧下さいませ。↓↓↓
http://www.siroukunimitu.com/



なお、記事にあった“三池典太”については以下のページをご覧下さい↓↓↓
http://homepage2.nifty.com/omuta_miike/history/serie001.htm

▼この記事UP後に、朝日新聞の記事にもなりました↓↓↓
http://mytown.asahi.com/fukuoka/news.php?k_id=41000981012280001

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▲三池港閘門とタグボート

撮影日:2010年 2月20日
撮影地:三池港

三池港物流(株)が発足 ~旧三井三池港務所~

昨日、10/1をもって、三池港物流(株)が発足いたしました。

かつては三井鉱山直属の「三井三池港務所」として、三池港の物流はもちろんのこと、わが炭鉱鉄道の運行をも行ってきた会社です。昨年の春には三井鉱山の名が消え、新たに「日本コークス工業(株)三池事業所」としての歩みを始めたばかりでしたが、昨日を以て「三池港物流㈱」となり、独立企業しての活動を始めました。

有明新報のWeb版記事によると・・・
「独立企業として収益責任の明確化、意思決定の迅速化、業務の効率化で、三池港周辺に立地する顧客へのサービス充実と競争力強化を図る」とともに、「世界遺産にも協力」といった内容が記されています。

▼有明新報の記事↓↓↓
http://www.ariake-news.co.jp/bnews.html


約100年も間、実質的に三井の私港としての歴史を辿ってきた三池港・・・
三池炭鉱関連の歴史的な近代化産業遺産であることに加え、今だ現役であることの価値の重みが、その存在感を今にして高めています。
明治以来の閘門施設に、蒸気機関で駆動するクレーン船の大金剛丸、もちろんドッグや突堤などの港そのものの機能~ どれをとっても、一級の現役近代化遺産であることに間違いありません。


これら、三池港の維持と管理、そして物流の要にある三池港物流(株)。
今回の分社化に伴い、企業活動の充実はもとより、昨年度は実施されなかった閘門施設の一般公開など、より地元に密着した会社として生まれ変わることを、管理人としては期待しております。
そして、今まで公にされてこなかった三池港や鉄道関係の貴重な史料の公開などを通じ、より地域に愛され、三池炭鉱の歴史とともに歩んだ誇りを受け継くような企業風土を目指して欲しいと思います。



▼「日本コークス工業(株)三池事業所」関連記事↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/31160346.html

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撮影日:2010.7.19
撮影地:大牟田市浪花町

この風景を見るにつけ、『土地に刻まれた歴史』を思いおこす。

『土地に刻まれた歴史』・・・岩波新書青版657 古島敏雄著 1967年発行

大学1年生の夏休みに読んだ、岩波新書の一冊である。
この新書、高橋 裕著『国土の変貌と水害』とともに、当時印象に残った新書本だった。

何気なく見ている風景には、永年人間が自然に働きかけてつくり出した風景が散りばめられている。
「田舎は自然がいっぱいあっていいな~」なんて呟く先から、「ほんとにそれは自然なの?」と問いかける声がしてくる・・・

日本の国土を見渡すと、人の手が入っていない“本物の自然”といった風景は、ほんの一握りの場所でしか見ることはできないものである。
そのような事を考えながら、身近な風景を見直してみると・・・新たな発見があったり、風景がその歴史を語りはじめる。

《何気ない風景に歴史を読む》をブログの片隅に掲げて早3年あまり~
あえて、その意味を語ってはこなかったが、これで少しは意味するところがお分かりいただけたであろうか?


そこで、今回の何気ない一枚の写真へ・・・・
ご覧の皆さんは、この写真の風景にどんな歴史を読み取るであろうか?

私には、こんな100年程前の風景が目に浮かんでくる。


この風景に、次の写真を重ね合わせると~



これで皆さん、もうお分かりでしょう(*^_^*)
写真左側の築堤は、かつての三池鉄道の跡、そして、写真左手の築堤下に広がる池は・・・・

そうです!(^^)!  かつての三川海岸のなれの果て。
かつては“なぎなた洲”と称された三川海岸に、明治41年に完成した三池港と三池鉄道の築堤。

こうして、自然に働きかけ人工的に築造した三池港のすぐそばに、かつての“本物の自然”が姿を変え、歴史を刻みながら佇んでいることに私は畏敬の念をいだく。

宮浦坑に万田坑~ 誰が見ても、明治の貴重な近代化産業遺産である。
それと比べ、この築堤に一見何のことはない小さな池というか水溜まりの風景・・・

世界遺産の云々いうよりも、私にはこのような『土地に刻まれた歴史』もまた、貴重な近代化の遺産ではないかと思えてくる。

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▲三池港閘門 スルースゲート越しの船渠風景”

撮影日:2010 7.19
撮影地:三池港

8.3 大牟田市世界遺産登録推進セミナー2010 ◇ 雑感~ ◇

去る8月3日(火)、「大牟田市世界遺産登録推進セミナー2010」が開催されました。

平日ということもあり、管理人は参加できませんでした(*_*)
ということで・・・新聞記事やHP、ブログにて当日の様子をちょっとだけかいま見ました。

基調講演と、パネルディスカッションのコーディネーター役をされた加藤康子氏の話を、西日本新聞によって一言で集約すると・・・ 

三池港には歴史の証言が集約されている。観光向けに公園化するのではなく、産業遺産としてありのまま保存することが大事

『三池港には歴史の証言が集約されている』の言葉は、三池港と三池炭鉱の真価を言い当てて妙だと思います。それは、炭鉱閉山後10年以上経過した今も、わが三池港は明治のままに現役で在りつづけているということの価値を、真摯に伝える言葉であるからです。

何も、技術史的な専門家である必要はありません(@_@)
100年以上前の、三池築港に思いを馳せることができれば、なおさらなこと『三池港には歴史の証言が集約されている』の言葉の重みがますはずです。残念ながら、ダンクロが解体され、かつての貯炭トンネルやそれに通じる専用鉄道の築堤跡が見る影もなくなりつつある昨今ですが、それでも三池港の魅力は失われる事はありません。

その証拠に、今回のTOPの写真を、少しだけ解説するといたしましょう。
この一枚、三池港のありふれた風景を切り取った一枚ですが・・・この一枚には、多くの“歴史の証言”が詰まっています。

①写真前面は、明治以来の三池港閘門 スルースゲート歯車と鎖、その奥は船渠
②船渠に張り出すセメント構造の桟橋~ 汽船用のバンカー炭の積み出し桟橋でした
③その桟橋先の黄色いクレーン船は、知る人ぞ知る“大金剛丸”なんと、明治生まれの現役クレーン船
④船渠の一番奥、美しくかつ堅固な繋船壁が見えます~もちろん明治の築造であります

これ以外にも、閘門そのものや、有明海に延びる防砂堤や内港桟橋などなど・・・“歴史の証言”は探せば沢山あげることが出来ます。
今も現役の価値を再認識し、炭鉱と共にあった三池港の“歴史の証言”を、現地に立って実感して欲しいと願う管理人です。



▼西日本新聞記事↓↓↓
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/188724


PS もう一つ、現役の“歴史の証言”があります。それは、鉄道です。
   この専用鉄道こそ、三池港と並ぶ明治時代を思いおこすことができる、貴重な現役遺産?なのです

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▲建設が進む “メガソーラー大牟田発電所”

撮影日:2010 7.19
撮影地:大牟田市新港町

ソーラーパネル & 大蛇山

海の日のこの日、イベント終了後の三池港を訪れました。
いつもの閘門と大金剛丸にごあいさつした後・・・

以前から気になっていた“メガソーラー大牟田発電所”の工事の進捗状況を見てきました。
約1万4千枚ものソーラーパネルが設置される予定になっている“メガソーラー大牟田発電所”・・・
現在、どれほどのソーラーパネルが設置されているかな? 

枚数は分かりませんが、トップの写真のように順調に設置作業が進んでいる模様です。
営業運転は11月開始を目指しているとのことでした。

この発電所、大牟田の新たな名所になることは間違いないでしょう(^_-) 九電によると、この発電所は無人発電所で、遠隔操作にて管理するとのこと。工事完成後の見学会など催されれば、ぜひ間近でこららのソーラーパネル群を見てみたいものです。

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▲旧三池鉄道の築堤から見た ソーラーパネル


さて、暑かった三池港からこれまたいつもの喫茶店“はら”へ~
近まる夏祭りの“大蛇山”向け、閑散とした銀座通りにも少しだけ活気づいてました。

銀座通り商店街に面した大牟田神社入り口には完成した大蛇が、そして辰巳屋前(旧大牟田松屋正面玄関前)では、地元子ども達による祭り囃子の練習が行われていました。

大牟田に夏の訪れを告げる、祭り囃子の太鼓と鉦の音・・・懐かしくもあり、心躍る音であることよ(~o~)


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▲大牟田神社入り口の“大蛇山”

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▲辰巳屋前にて



ついでに~
ここ博多屋もオープンしてます。中庭の木陰にて、生ビールはいかが

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▲ビアガーデン 博多屋


こちらは、新銀座商店街アーケード
今も昭和レトロの世界がここにはあります。お店は殆どが閉まっていますが、祭り囃子の音に耳を澄ましながら、かつての賑わいを思い出しながらの散策でした。

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▲新銀座商店街アーケード




▼大蛇山まつり 公式HPはこちら↓↓↓
 http://www.omuta-daijayama.com/

つづく

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▲解体が予定されている 三井化学J工場

撮影日:2009. 1.1.
撮影地:大牟田市浅牟田町 

緊急報告(@_@) 三井化学J工場・L工場の解体

昨日、『三井化学J工場・L工場が解体される』という情報をいただきました。

白亜の三井化学J工場は、大牟田を代表するビルディングでもあります。
今でこそマンションが建ち並ぶ大牟田の市街地ですが、かつてはこの三井化学J工場と大牟田松屋が市内を代表する高層建築でした。
両ビルディングともに戦災をもくぐりぬけ、長きに渡って大牟田の街を見下ろしてきました。その大牟田松屋はすでになく、今回また三井化学J工場も解体が予定されています。


とりあえず、解体が予定されていることを皆様にお知らせいたします。




◆三井化学大牟田工場に関する詳細は、以下のリンク先をご覧下さいm(_ _)m

①大牟田の宝もの100選 http://www.sekoia.org/100sen/100sen.php?vol=48
②産業考古学研究室    http://bunhaku.hp.infoseek.co.jp/heritage-omuta.html
③三井化学大牟田工場   http://jp.mitsuichem.com/corporate/group/domestic_06.htm
④大牟田の近代化遺産   http://homepage1.nifty.com/yamada/jkojo.htm
⑤ALL-A             http://blog.all-a.net/?eid=906653#sequel

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▲建設が進む “メガソーラー大牟田発電所” 奥の煙突は“シグマパワー有明三池発電所”

撮影日:2010 2.20
撮影地:大牟田市新港町 

“メガソーラー大牟田発電所”と 次世代エネルギーパーク構想

三池港を訪れる度に気になる工事があります。
それはもちろん、今回取り上げた“メガソーラー大牟田発電所”!(^^)!

かつての港発電所跡地に建設が決まったことは、昨年お知らせしていた通りです。↓↓↓
http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/24896135.html

いよいよ今年の1月に着工され、工事が進んでおります。
4月頃からは、約1万4千枚ものソーラーパネルが設置される予定になっています。
営業運転は11月開始を目指しているとのこと・・・。
有明海沿岸道路の工事によって、三池鉄道の築堤が日に日に壊され寂しい思いをしておりましたが、これで三池港でのお楽しみができました。

大牟田の地下に今も眠る化石燃料の石炭と、九州でも日照時間が長いとされる大牟田の地・・・
長い間、石炭火力発電所の要地として利用されてきた、ここ三池港船渠の南側埋め立て地・・・
かつて石炭の町として栄えた大牟田と、時代の先端を行くメガソーラー発電所の組合わせ・・・
まったくその発想と技術は違っているものの、自然を利用しているということについては同じですね。

現在、このメガソーラー発電所以外に、西部ガスの液化天然ガス供給基地の建設、色々問題もあったゴミ固形燃料発電所のエコタウンなど、エネルギー関連の施設が集中している大牟田市。
実は昨年の8月に、大牟田市は経済産業省から「次世代エネルギーパーク」の認定を受けています。古賀市長によると、『メガソーラー発電所を核として、石炭から新エネルギーまで体験・学習する』ことができるようにしていきたいとのこと。(朝日新聞記事より要約)

建設が進む“メガソーラー大牟田発電所”の脇には、旧三井鉱山から引き継がれている石炭火力発電所である「シグマパワー有明三池発電所」も稼働中です。
大牟田市の思い描く、過去から未来へのエネルギーの学びの場構想が、これら企業をも取り込んで実現していけば面白いことになりそうです。
今後は、発電所の見学施設や条件などが整備されていくのでしょうか?
そして、子どもから大人までの学習の場として、これら発電所の他に石炭産業科学館や宮原坑もルートに入れた見学コースが策定されるでしょうか(@_@)


まずは、とにかく1万4千枚のソーラーパネルを、早くこの目で見てみたいものです。


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▲“メガソーラー大牟田発電所”着工と“次世代エネルギーパーク”構想を伝える新聞
◇2010年2月2日 朝日新聞 福岡版より




◆関連HP
 ①九州電力      http://www.kyuden.co.jp/press_h080825-1.html
              http://www.kyuden.co.jp/press_h100112-1.html
 ②西日本新聞記事 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/145804
 ③九州経済産業局 http://www.kyushu.meti.go.jp/press/0908/090805_2.html
 ④西部ガス      http://www.saibugas.co.jp/nr/htmls/2008/nr522.htm

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▲炭鉱電車のパケージの中身は・・・菊水堂の “楽(たのし)みかん”


“大牟田特産品開発プロジェクト” 新特産品4品のお披露目販売会

昨日、“大牟田特産品開発プロジェクト”にて開発された特産品4品のお披露目会が、大牟田商工会議所にてありましたので出かけてきました。

題して・・・“く~おもしかやん! おおむた”  ~近代化遺産とうまかもんの旅へ~
く~(とても&食う)を掛け合わせた? 大牟田弁の洒落たキャッチコピーでございます(*^_^*)
ちなみに、おもしかやん(面白ね)大牟田は!!ということやけんね。
うまかもん(おいしいもの)と近代化遺産がお待ちしてますよ~大牟田でございます。

この解説で、全国の皆様にはその意味が分かっていただけたでしょうか(^_-)

さて、この“大牟田特産品開発プロジェクト”は、来年春の九州新幹線開業を目標にしたのもです。
詳しくは、以下のHPをご覧下さい↓↓↓

★大牟田商工会議所“大牟田特産品開発プロジェクト”HP ↓↓↓
 http://www.omutacci.or.jp/omuta-brand/index.html


今回のお披露目会&販売会の会場となった大牟田商工会議所・・・
昭和11年建築で、幸い戦災にあうこともなく往時の姿を留めております。
正面玄関を入ると、さっそくお披露目会&販売所となってました。


私が購入したのは、菊水堂さんの“楽(たのし)みかん”
炭鉱電車のパッケージに包まれたお饅頭でございます(TOPの写真)

炭鉱電車パッケージの詳細については、以下の記事をご覧下さい↓↓↓

★速報:炭鉱電車がおみやげ物のパッケージに(@_@) その2
 http://blogs.yahoo.co.jp/ed731003/35523511.html


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「炭鉱町には甘いお菓子がある」といわれるように、大牟田にはかねてより特産のお菓子があります。
皆さんよくご存じの“草木饅頭”“かすてら饅頭”が有名なところでしょうか。

この日購入した“楽(たのし)みかん”は、その“かすてら饅頭”の老舗ある菊水堂さんが新たに手がけた饅頭でございます。“かすてら饅頭”に大牟田名産の“上内みかん”の粉を贅沢に使って商品化されたとのこと。(パンフレットより引用)
上内みかんの風味漂う逸品と仕上がっておりますよ(^_^)v

新幹線開業の折には、新大牟田駅にて購入できることになると思いますので、炭鉱電車のパッケージと共にお買い求め下さいませ。
今から、実際に店頭に並ぶのが楽しみとなってまいりましたよ~。

※菊水堂の“楽(たのし)みかん”以外にも、お菓子のキタハラの“くろころみかん”、宮崎蒲鉾の“のり高菜天”、近藤食品本舗の“はやだし筍”の新特産品があります。こちらの3品もお忘れなく!(^^)!

せっかく訪ねた大牟田商工会議所ですので、2階にもいってみました。
講堂になっていますし、炭鉱電車パッケージの大・中・小が展示してありました。
そして、この2階で面白かったのは・・・・
もちろん? 西鉄とJRの列車が眺められることです(~o~)
その報告は、また後ほど書庫をあらためてご報告いたしましょう。

最後に、玄関では懐かしい石炭ストーブが焚かれていました。
久しぶりに石炭が燃える香りを嗅ぎました。
毎日の風呂焚き当番をしていた頃が甦った一瞬でした・・・・


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◆撮影日:2010 2.20
撮影地:大牟田商工会議所にて 

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