炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 新みいけ時報

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▲2011 11/3  “三池港サイダー”の販売  ~三池港1dayカフェ~ 
 
 

       港まつりにて、480本の限定発売らしいよ(*^_^*)
 
先日アナウンスされたところによると~
 
昨年11/3、大牟田市の近代化遺産一斉公開日に合わせて限定発売された「三池港サイダー」が、7/15、16日の両日再発売されるらしい(*^_^*)
 
7/15、16に開催される、「おおむた港まつり」でのイベントでございます。
この祭りに合わせて、480本限定にて販売されるとのことですよ。
 
 
▼「おおむた港まつり」と大蛇山についてはこちらのHP↓↓↓
 
 
さて、以前に「三池港サイダー」については、書庫『炭都の味覚』で触れさせていただきました。その時の記事の最後には、次の様なことを書いていました。
 

次に“三池港サイダー”がいつ販売されるかは分かりませんが、明治に開港した三池港にて、これまた明治に創業した老舗製造のサイダーを味わうのも、なかなかお洒落な趣向ではありませんでしょうか~。
皆さま、次回また請うご期待でございます(*^_^*)
 
▼当ブログ内関連記事↓↓↓

 
 
みなさま、これを機会に昔懐かしいサイダーのお味をご賞味いたしませんか(^_^)v
大雨が続いていて、3連休のお天気が気になる所ですが~、ぜひ海の日の三池港を訪ねていただきたいと思います(^O^)
 
 
▼「三池港サイダーはいかが」西日本新聞記事はこちら↓↓↓
 
▼「新生 大牟田の港まつり」朝日新聞記事はこちら↓↓↓
 
▼三池港1dayカフェブログはこちら↓↓↓
 
 
 
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 ▲2010 1.1  夕暮れの三池港突堤の景

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▲2012 おかげさまで100周年  三井化学株式会社 大牟田工場
 

       大牟田から世界へ 大牟田から未来へ
 
今年2012年、三井化学株式会社大牟田工場は工場操業100周年を迎えました。
玄関をはじめ、工場を取りまく四方に「2012おかげさまで100周年」の横断幕がかげられています。この100周年を記念して、大牟田市浅牟田町にある大牟田工場社屋入り口には100周年記念ブースが設置されました。
 
中に入ると、最近解体されたL工場内にて使用されていたというエレベーターの蛇腹が、100周年の記念ロゴとともにオブジェとして保存されています。
写真や年表パネルとともに、染料帳や今回の100周年記念事業で発見された貴重なフィルムなどが展示されています。また、この貴重なフィルムを元にして作成されたDVDが常時上映されています。さらに、このDVDとほぼ同内容の100周年記念冊子が発行されました。
 
 
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            ▲100周年の記念冊子(表紙)    15pからなる
 
 
この記念冊子は、工場見学者には無料配布されています。
内容は、貴重な写真などをもとにして、100年間の大牟田工場の歴史が大変わかりやすくコンパクトにまとめられています。また、近々発行される地域広報紙 『とうかやま』 にも、同様の内容が掲載されるとのことでした。
さあみなさん、コークス製造から始まる、大牟田発祥の石炭化学工業100年の歴史をたどってみませんか(^_-)
 
残念ながら、社屋内の展示などは撮影禁止で、当ブログにて紹介することはできません。記念展示や記念冊子をご覧になりたい方は、ぜひ大牟田は浅牟田町の三井化学大牟田工場をお訪ねくださいませ。
 
 
 
▼当ブログ内 関連記事はこちら
 
▼三井化学株式会社HP>大牟田工場
 


 
 
◆昨年の「三井化学オオタムフェスタ2011」より、現在の大牟田工場で生産されている製品の数々を、写真にて紹介しておきましょう。かつて“染料”と呼ばれていた大牟田工場では、いまではこんなものを製造しています。
 
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(おわり)

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▲美しく甦った旧長崎税関三池税関支署
  撮影日:2012.4.8
 

  旧長崎税関三池税関支署が19日(土)より定期公開されます

 
 平成22年から行われていた旧長崎税関三池税関支所の修復工事が完了し、今週末の19日(土)から毎月第3土曜日の定期公開が始まります。
 
この建物は、明治41(1908)年の三池港開港と同時に開庁したもので、昭和40(1965)年まで使用されました。大正期の絵葉書にも登場し、大牟田市に残る明治期の洋風建築として大変貴重な存在です。平成22年には、大牟田市の有形文化財にも指定れています。
 
今回、徹底した修復工事が行われ、かつての姿が美しく甦っています。
室内では、簡単な三池港関連の展示もなされます。
万田坑、宮原坑を訪れた際には、ぜひこの旧長崎税関三池税関支所にも足を運んでいただきたいと思います。
 
それでは、修復完了後の旧長崎税関三池税関支所と、大正期の絵葉書をご覧下さい。
 

 
 
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税関脇にあったドックへの引き込み線の一部は、ご覧のように撤去されることなくそのまま保存されています。大きく湾曲した部分もありますが、税関改修時の状況のまま残されました。引き込み線部分の全貌は、以下の写真にてご覧下さい。
 
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  ▼絵葉書(大正期) 三池港々務所前より船渠を望む  MIIKE HARBOUR MITSUI
 
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▼大牟田市教育委員会 関連ページ
 
▼西日本新聞記事↓↓↓

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■大牟田市街地を俯瞰する  ◇◆オームタガーデンホテル スカイホール◆◇
 
撮影地:福岡県大牟田市
撮影日:2012.3.18
 
 
ガーデンホテル最上階にあるスカイホールから、大牟田の市街地を眺めてみました。
国道208号線沿いに大牟田駅方面を望みます。
写真中央を横切るのは、かつての三池炭鉱専用鉄道の浜本線、左手の丘が山の上~金比羅さんが見えますね。
 
今度はすこし左側に視線を移しましょう。
 
 
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写真中央を横切る旧浜線から分岐する旧旭町支線(現三井化学専用鉄道)の様子が俯瞰できます。
写真手前が国道208号の旭町踏切、線路の左奥が宮浦方面の化学工場、踏切横には最近話題の“高専ダゴ”お好み焼き屋さんがあります。
 
かつての三井病院跡地付近に建つ高層マンションがひときわ目につきますね。
 
さらに左に視線を移すと・・・
 
 
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かつての三池製作所は、ご覧のように大型商業施設となっています。
ただ、工場と国道208号の間に連なっていた商店街は現存しています。ただし、アーケードは壊れ、多くのお店は閉店してますけど。
左奥には、三井化学J工場の白いビルが写ってます。
 
 
さてさて、今度はスカイホールから北側を眺めてみましょう。
 
 
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ここの眺めは鉄道好きにとってはたまりませんね(*^_^*)
右から専用鉄道がカーブして、JR線に寄りそうにして走り仮屋川操車場に向かいます。
西鉄、JR、三井化学専用鉄道の3路線が走る光景は壮観です。
(何で列車が一つも写っていないのか(?_?)
 
写真奥に見える校舎は、白光中学校です。
 
最後に、夕暮れの風景を2枚どうぞ。
(これまた列車の姿なし(@_@)
 
 
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(おわり)
 
 
オームタガーデンホテルHP

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▲夕陽に映える白亜の殿堂 三井化学J工場 
  このJ工場は、ドイツの染料工場を参考にして建設されたもので、1938年竣工。鉄筋コンクリート造りの7階  建てでございます。当時は東洋一の高さを誇ったらしく、大牟田の街のシンボルにもなっていました。
 

 2012年は、三井化学大牟田工場 操業100周年

今年2012年は、三井化学大牟田工場操業100周年に当たる年です。
100年前の1912(明治45)年、コークス製造における副産物を回収して化学肥料などを生産したことにその端を発します。
もう少し詳しく解説すると、現在の三井化学大牟田工場に国内初の副産物回収型コークス炉(コッパース式コークス炉)*注1が建設され、コールタール、ガス、硫安、ピッチ工場などが操業を開始したのでした。
 
実は、昨年の10月30日に開催されたオオタムフェスタにて、操業100周年の記念事業の開催予定が報告されていました。たぶん近々三井化学大牟田工場から正式な記念事業の発表が行われると思いますが、ここでは昨年のオオタムフェスタの様子を織り交ぜながら、記念事業の一端をお知らせしたいと思います。
 
*注1 コッパース式コークス炉の写真はこちら↓↓↓
 
 
まずは、J工場隣のフェスタ入り口の様子から~
 
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この日はあいにくの雨模様でしたが、工場見学のバスツアーなどもあって大勢の方々が訪れていました。
管理人はいの一番に工場見学バスツアーに参加(*^_^*)
 
初めて見る工場内の情景にくぎ付け~、バスの左右の光景をチェックするのに大忙しでございました。もちろん、工場内の線路もしっかり見てきましたよ。写真撮影が禁止されているのでご覧にいれられないのが残念ですが、今年もフェスタがありますので、見たい方はぜひ三井化学大牟田工場まで足をお運び下さいませ。*注2
 
*注2 昨年のオオタムフェスタを伝える地域広報紙「とうかやま」はこちらから↓↓↓
 
 
お次はメイン会場に行ってみましょう。
 
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メイン会場には、【来年】「おかげさまで 工場操業100周年」の横断幕の下、大牟田工場の興味ある歴史的な写真が掲示されていました。
 
100周年に向けて、社内でも歴史的な資料や写真の収集が行われている模様で、これまた貴重な写真の数々が小型液晶パネルに写し出されたり、最近発見されたという戦前の工場を記録した映像の上映などもありました。
 
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上の写真にある趣意書を、少し長いですがここに紹介しておきましょう。
 

 
              大牟田工場操業100周年記念事業 趣意書
 
 三井化学株式会社大牟田工場は操業の起点を1912年としており、来る2012年に操業100周年を迎えることになりました。
 つきましては、この節目にあたり下記の歴史認識とコンセプトの下、2012年4月より操業100周年記念事業(DVD・パンフ・展示室等の製作・公開、講演・式典等の各種行事の開催、インフラ整備等)を実施いたします。
                            
                               記
 
1) 石炭化学事業の発祥
 約110年前の1900年頃、ヨーロッパの先進国では製鉄や金属「製錬等で需要の高い石炭からつくる「コークス」の製造を本格化しており、またその製造過程で回収した副産物を利用して「合成染料」などの化学製品を製造する石炭化学工業が発展しておりました。
 1912年、三池炭鉱で事業展開する三井鉱山は、化学事業の端緒として、副産物回収型コークス炉(コッパース式コークス炉)から発生するガスに含まれるアンモニアを回収して硫安(化学肥料)の生産を開始するとともに、ガス・タール等の副産物工場の稼働をこの地(現在の当社大牟田工場)にて開始いたしました。
 爾来、当工場の礎となった三井鉱山(株)三池染料工業所(のちの三井化学工業(株)三池染料工業所)、東洋高圧工業(株)、三池合成工業(株)は、この石炭化学事業を承継し、発展してまいりました。
 
2)発展と苦境克服の歴史
 1930年代後半には三池の石炭を基に合成染料、合成アンモニア・硫安をはじめとする各種化学製品を総合的に生産する一大石炭化学コンビナートが形成され、大きく発展を遂げました。その後日本は太平洋戦争に突入し、軍事色を強めていった大牟田工場にも戦火が広がり甚大な被害を受けましたが、戦後、肥料事業を主体に復旧を果たし、石炭化学を基軸に戦後復興を支えました。
 1960年代、戦前からの長い歴史を持つ合成染料をはじめ農薬や各種工業薬品の製造技術及び高圧ガス等を取り扱う高い技術力の蓄積をもとに、当工場の主力製品として現在まで50年間に亘り生産し続けているポリウレタン原料「イソシアネート」の製造を開始し、新規分野に進出しました。
 また戦後、各種分野において協調、提携しつつ独自の発展を遂げてきた三井化学工業(株)(三池合成工業(株)を1962年に吸収)と東洋高圧工業(株)は、化学工業の構造変化(石油化学工業の急激な伸長)と本格的な国際化に対処するため1968年10月に合併し、三井東圧化学(株)が発足しました。
 1970年代に入ると、化学工業をめぐる内外環境の激変(円の切り上げ、オイルショック等)により当社の事業基盤は根底から揺るがされる事態になり、最大社員数を有する大牟田工場も毎年巨額の赤字を計上しました。この様な構造的な体質から抜本的な脱却を目指し、人員削減等も含めた事業の再建策に取り組み、80年代にはこれまで蓄積してきた全ての技術を複合化し、駆使して100年にならんとする長きを、事業・製品構成を替え、自己変革品柄各時代の荒波に揉まれつつも強かに生き抜いてまいりました。
 
3)これからの大牟田工場
 2010年秋、当工場は全体で策定した11中期経営計画(2011~2013年の3カ年)を受け、近未来のあるべき姿(2015年近傍)を描きました。
 即ち、「イソシアネート類を中核とする精密有機合成化学の拠点」工場となり、「MR(メガネレンズ材料)/農薬/ウレタンを3本柱とする主力工場」、「機能化学・ウレタン分野におけるファインケミカル技術のマザー工場」を目指します。
 当工場は主力ウレタン事業の激動の下、今また新たに大きな変革期を迎えておりますが、工場全社員が総力を結集して不退転の決意で工場将来像の実現に向けてあらゆる施策に取り組み、ピンチをチャンスに変えて次世代へ生き抜こうとしております。そして来る2012年次の100年への起点としたいと思います。
 
4)おわりに
 最後に、当工場が100周年を迎えられることについては、大牟田の地域の皆様を始めとするステークホルダーの皆様からの長きに亘るご理解ご支援が無ければ、到底かなうものではありませんでした。
 皆様への深い感謝の気持ちを込め、操業100周年記念事業のキャッチコピーを次のとおり定めました。お世話になった全ての皆様とともに、工場操業100周年を迎えたいと存じます。
 
                      おかげさまで100周年
                               「大牟田から世界へ 大牟田から未来へ」
 
2011年9月
                                         三井化学株式会社大牟田工場
                                               工場長  植竹 隆夫
 

 
 
さてさて、会場にはこの様な古びた模型も展示されていました。
 
これは、宮浦駅のすぐ東側の小高い丘にあったコークス工場の模型です。
私が三池の鉄道を撮り始めた高校生の頃にはまだ操業していたと思います。
コークスを運び出す機関車のようなものが動いていたの覚えています。今回、この模型に機関車らしきものを見つけて感激した次第でございます(^O^)
 
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▲コッパース式コークス炉模型 昭和32年(日本工芸社)作成
 これは第2コークス炉と呼ばれていたもので、ちょうど宮浦坑とは反対側の丘にあった。このコークス炉 からは、宮浦ヤードを越えてホッパーまでベルトコンベアが設置されていた。
 この機関車らしきもの~どこかに実物の写真が残っていないだろうか・・・。 
 
 
もう一つ模型を紹介しましょう。 
 
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▲分解炉(カウパー)模型 昭和32年(日本工芸社)作成
 これはタンクがあるので、ガス関係の施設なのでしょうか?
 
 
以上、昨年秋に行われた三井化学大牟田工場オオタムフェスタより、操業100周年の記念事業予定について述べてきました。
また、事業の詳細が分かりましたら皆さんにお知らせしたいと思います。
 
最後におまけの写真をもう一枚(^_-)
 

 
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        記念のシールが貼られたせんべい・・・鞄に入れていたら割れちゃった(*_*)
        もちろんこれは三井化学製造ではありませんよ(?_?)
 

(おわり)
 

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   石炭産業科学館の収蔵品展 
 
     鉄道が結んだ 三池のコンビナート
             ~石炭が生み出した工場群~
 

 
3月17日より、大牟田市の石炭産業科学館にて上記の収蔵展が開催されていますので、早速お出かけしてきました(*^_^*)
 
実は、今年は三井化学創立100周年の記念すべき年です。
 
今からちょうど100年前、大牟田の地にて石炭化学コンビナートが産声を上げました。それは、コークスの製造過程で出てくるガスやタールなどの副産物を利用したもので、ここから合成染料や肥料が生産されていくことになるのです。
三井化学(株)においても、創立100周年の記念行事や資料展示が行われる計画があると聞き及んでいます。詳細が分かりましたらこの書庫にてお知らせするとして、今回は石炭館にて開催中の収蔵展を鉄道関係を中心に紹介いたしましょう(^-^)
 
 
*収蔵品展での写真撮影はOKということで、収蔵品の一部をここに写真にて紹介するものです
 


 
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▲通勤列車廃止記念の手ぬぐい
  まず目に止まったのがこの手ぬぐい!(^^)!  通勤列車廃止の折りに作成されたもの。
  廃止の頃は鉄道趣味も休眠中で、廃止の知らせは新聞で知ることになった管理人であった・・・
 
 
 
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▲島 大平さん提供の “缶焚き行進曲”
  島さん解説によると~
  三池炭鉱専用鉄道汽車庫の缶焚(火夫)仲間で、昭和十八年ごろよりうたっていたうたです
 
 
 
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▲専用鉄道で使用された品々
  タブレットや尾灯にカンテラ・・・実際に使用されていた品々を見ていると、往時の光景が甦ってきます
 
 
 
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▲通勤列車最晩年の写真など
  沿線にあった原万田保育園の皆さんが作成した「さようなら つうきんでんしゃ」の文字が泣かせます
 
 
 
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       ▲三池鉄道 全線路平面図
         当時の三井三池港務所提供だったかな? どこかの駅に掲示してあったの
         だろうか?
 
 

 
 
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▲通勤バスの写真に時刻表など
  通勤電車以外にも通勤バスがあったこと、皆さん覚えていらっしゃいますか?
  勝立から宮浦までの通勤電車廃止後に、この通勤バスが勝立(東谷)から三川鉱(三池鉱)まで運行されて   いました。  “炭鉱電車” ならぬ “炭鉱バス” ですな(^O^)
 
 
 
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▲「石炭之木」 三井鉱山株式会社三池染料工業所の製品目録
  これは良くできた製品目録です。大きく拡大された「石炭之木」は必見ですよ!(^^)!
  この図をみると、いかに多くの副産物があったのかが一目瞭然です。化学に疎い私には、全くどのような代物  なのか分からない名前がいっぱい実になっています(@_@)
 
 
 

 
以上、鉄道関係を中心にこの収蔵品展をのぞいてみました。
興味がおありの方は、ぜひ大牟田市石炭産業科学館を訪れてみてください。
ちなみに入場料は無料でございます。
 

 
▼大牟田市石炭産業科学館HP 
 
▼参考新聞記事(西日本新聞)
 
▼当ブログ内の通勤バス関連記事
 
▼当ブログ内の三井化学操業100周年関連記事

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  ▲三池港 閘門の景
 
  撮影地 : 大牟田市 三池港
  撮影日 : 2011.3.27 

 
   稼働遺産も世界遺産に ◇九州・山口の近代化遺産群◇三池港
 
政府は30日、稼働中の工場などを含む「産業遺産」を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に推薦する際、国が文化財に指定していない場合でも推薦できるよう、条件を緩和する方針を決めた。文化財保護法で現状変更が原則禁止されるなどの規制に難色を示す所有企業に配慮し、推薦への同意を得やすくするのが狙い
 
1/30付 西日本新聞HP記事より ⇒ http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/284713
 


 
稼働遺産も世界遺産に・・・
 
「九州・山口の近代化遺産群」の世界遺産登録に向け、大きな一歩が踏み出されたことになると思います。
 
三池炭鉱がその構成の一部となっている「九州・山口の近代化遺産群」の世界遺産登録への取組で、ネックの一つになっていた稼働遺産について昨日政府見解が出されました。その内容は、内閣府行政刷新会議の「規制・制度改革に関する分科会」において検討が行われてきたもので、「農林・地域活性化分野」中の「稼働中の産業遺産の世界遺産への登録」と題した改革案がそれに該当するものです。
 
これまでの日本における世界遺産登録の申請は、文化財保護法において指定・選定されたものに限られていました。しかし、今回の改革にて、稼働中の産業遺産については「文化財保護法による文化財指定ではなく、景観法や港湾法による規制もしくは自治体の条例、企業側との協定など、建物・設備の改修や移動を厳しく縛らないルールで遺産保全を図る」という方針が出されたのです。
*「 」は、先の西日本新聞記事より引用
 
 
当ブログでは、『三池築港百話』にて三池港築港の歴史を連載しておりますが、三池港では明治時代の施設が今なお現役で稼働していることに驚きと感動を覚えます。今回お知らせした報道内容は、「九州・山口の近代化遺産群」の世界遺産登録に向け、大きな弾みとなることは間違いありません。
 
今後の推移についても目が離せない状況ですね。
 


 
◆参考までに、公開されている内閣府行政刷新会議の「規制・制度改革検討シート(案)」には、以下のように記述されています。(抜粋)  *赤文字は管理人による
 
「稼働中の産業遺産の世界遺産への登録」
 
(1)改革の方向性(当初案)
○我が国における世界遺産登録の申請は、文化財保護法において指定・選定されたものに限られている。九州・山口の近代化産業遺産群をはじめとする稼働中の産業遺産に関して、港湾法等により産業遺産としての価値を将来に渡って保護する仕組みや文化財保護法以外での世界遺産登録について、検討すべきである。
 
(2)担当府省の解答(文部科学省)
○稼働中の資産の価値を将来にわたって保護する仕組みについては、このような世界遺産に係る近年の動向等も踏まえて、個々の資産に係る世界遺産の登録申請に向けた取組の中で、文化財保護法による指定・選定以外の方法も含めて、検討が行われるものと考える。
 
(3)担当府省の解答(国土交通省)
○九州・山口の近代化遺産において文化財保護法に基づく価値保全は日々の経済活動の妨げになるだけでなく、産業遺産の価値を壊す場合もあるとの指摘がある。例えば、三池港の場合は工業港として稼働することが一番の価値保全であり、文化財保護法は稼働中の工業港としての価値保全になじまないとされている。
○九州・山口近代化遺産群世界遺産登録推進協議会(以下、協議会)において、産業遺産を文化
財保護法以外の法体系によって保全を行い、世界遺産に登録するための取り組みが行われている。このため、協議会の提案を受けて、個別の産業遺産(例えば三池港)を対象に文化財保護法以外の法令による保全方策に関する検討を行う。
 
(4)改革事項に対する基本的な考え方
我が国における世界遺産の前提となっている文化財保護法では、産業遺産のように利用・活用され、産業技術の進展とともに、修繕等を行いながら、その機能を維持する必要があるものには適さない。
諸外国では、文化財保護法のみならず、港湾法・鉄道法・都市計画法などの関連を活用して、稼働中の産業遺産の保存管理を行っている。
○我が国において、産業遺産の世界遺産認定に向けて実質的な枠組みがないのが実情であり、稼働中の産業遺産とその周辺の区域について、港湾法等の文化庁以外の省庁管轄の法制度を含め、新たな枠組みの構築に向けて検討されるべきである。
九州・山口地域において、稼働中の産業遺産を含む近代化産業遺産群の世界遺産登録を目指す活動が活発に行われており、(「国民の声」要望意見も多数あり)、政府として、速やかに検討を行い、早期に結論を出す必要性は大。
 
(5)改革案
稼働中の産業遺産に関して、世界遺産登録推薦のプロセスを構築することについて、関係府省
会議や有識者会議の設置を含め、関係府省が一体となって検討を行うとともに、国土交通省等関係府省は、文化財保護法以外の法令による保全方策について速やかに検討を開始し、できる限り早期に結論を得るべきである。
【平成22 年度中に検討を開始し、平成23 年度中できる限り早期に結論】
 


 
 
 
【参考HP】
 
▼九州・山口の産業遺産群
 
▼内閣府>行政刷新
 
▼文化庁>世界遺産暫定一覧表追加記載のための審査基準
 
▼西日本新聞2011.12/17付 朝刊記事 
 

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  西村 健 『地の底のヤマ』 講談社
    正月の読書はこれに決まり
 
   ▼帯のキャッチコピーより

 
     呑んだ、
    愛した、
   闘った!
 
    九州大牟田・三池炭鉱。
    故郷を深く愛する
    一人の警官の人生を軸に、
    昭和三十五年から
    現在に至る、
    熱き男たちの
    生き様を描ききる。
 
   これを
   読まずに
   日本の戦後は
   語れない―――
   

全編863ページにわたる超大作です。
しかも、2段組のページ設定です。
管理人は、ただいま342ページを読書中です。
 
主人公は、猿渡鉄男・・・大牟田市出身の警察官
第一部の舞台は、昭和四十九(1974)年の大牟田・・・
争議に炭塵爆発事故を経てきたこの街・・・
 
そこに生きた人々の喜怒哀楽がさまざまに渦巻く中、ある事件が起こる。
その事件の真相は、ガタガタ橋にて語られる。
夜の大牟田の街には、松屋から“菩提樹”のメロディーが鳴り響く。
 
 
もうこれくらいにいたしましょう(^_-)
大牟田出身の作家、西村 健さんによる大牟田を舞台にした超大作。
大牟田と三池炭鉱の歴史を掘り下げ、そこに暮らした人々の息遣いを見事に描ききった内容で、非常に読み応えありです。
あとは、皆さま実際お手にとってお読み下さいませ~。
 
さて、一つだけ付け加えいたしましょう。
もちろん、それは鉄道関連でございます。出てきます、“炭鉱電車”も(^_^)v
で~、第一部を読んだところで気になる記述が一つだけありました。
それは、ガタガタ橋のシーン(?_?)
ガタガタ橋に沿って、坑木などの資材を土場(現諏訪公園)から三川坑に運ぶ細い線路がありました。小説では、この様に描かれています・・・
 


 ピーッという音、続いてガタンガタン、という音が響いて来た。ディーゼル機関車だった。坑木を堆く積んだ貨車を、何台も連ねて曳いている。三川坑の坑外運搬軌道である。坑内外の作業に必要な資材を運搬するための軌道で、炭鉱電車の小型版のようなものだった。ここ大牟田ではこのように、炭鉱のための専用の鉄路が町のあちこちを走っている・・・・                                 〈第一部 P193より引用〉
 
 
どこが気になるかって?
 
第一部の時代設定は、昭和49(1974)年です。明らかに間違っている箇所があります。それは「ディーゼル機関車」です。確かに、晩年のこの軌道を行き交っていたのはディーゼル機関車でしたが、昭和49年の頃はL型の電気機関車でした。この坑外軌道がディーゼル化されたのは、昭和59(1984)年頃のことです。
 
第一部のラストシーンにもこの「ディーゼル機関車」は登場してきます。そのラストシーンは・・・
 


  ピーッという汽笛が耳を劈く。列車が轟音と共に目の前を走り抜ける。鉄男は後ろの手摺に背をもたれかけ、列車越しに夜の河口を眺め続けた。やがて走り抜けた列車が、彼方へと消え去って行く。ガタンガタンといつまでも尾を引く鉄路の余韻が、町の鼓動のように聞こえてきた。           〈第一部 P225より引用〉
 
 
(つづく)
 
 
 
◆当ブログ内関連ページ
①松屋のミュージックサイレン 
②土場のL型電気機関車
③ガタガタ橋
 
◆西村 健さんについての情報はこちら
 
 
 
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                  ▲昨年暮れに、博多駅ビル丸善にてサイン本を購入
                 

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▲三池港の大金剛丸    
  2011.3.27   三池港      ◇残念ながら、現在はこの場所からの見学はできません◇
 

  『筑後の近代化遺産』 近日発行予定(*^_^*)

 
福岡の弦書房より、『筑後の近代化遺産』が発行されます。
今まで、北九州・福岡・筑豊、そして肥薩線と続いてきた近代化遺産シリーズの5冊目となるこの本。筑後地方に残る、62項目の個性的な近代化遺産が取り上げられています(*^_^*)
 
大牟田の三池炭鉱関連の近代化遺産を含め、久留米や大川・柳川地区を含めた筑後の近代化遺産をまとめた書物としては初登場となります。
案内チラシを見ただけでも、その内容は多岐にわたっていて興味尽きません(^_^)v
 
これは、是非買いでしょう
 
 
 
さて、わが故郷大牟田に関しては、三池炭鉱関連の遺産が多数ノミネートされています。以下、項目別に一覧にしておきましょう。
 

 
1 三池炭鉱の官営期施設
2 三池集治監外壁・石垣
3 三池炭鉱宮原坑
4 三池炭鉱万田坑
5 三池炭鉱有明坑
6 三池炭鉱三川坑
7 人工島(初島・三池島)
8 三井金属鉱業三池事業事務所
9 三井化学の工場建築群
10 三池鉄道の遺構群
11 三池鉄道の保存機関車群
12 三井化学専用鉄道の施設群
13 三川電鉄変電所
14 三池港船渠と大金剛丸
15 三池港閘門
16 長崎税関三池税関支署
17 三井港倶楽部
18 大牟田市庁舎
 


 
以上、18項目が今回取り上げられています。
われらが炭鉱電車関連も4項目にわたってノミネート(^O^)
 
これらを一読すれば、炭鉱電車をとりまく炭鉱、化学工場、港のことも一気に早わかり。三池炭鉱の歴史とともに、現在の写真入りでそれぞれが解説されますので大牟田の近代化遺産巡りにはもってこいの書物となること間違いなし!(^^)!
 
特に、われらが“炭鉱電車”に関しては、鉄道趣味誌を除けばこの本がたぶん初めての一般向け解説書となることでしょう。(大牟田市主査・主任会 『大牟田の宝物100選』 にも、炭鉱電車に関する記述あり)
11月下旬頃の発行と聞き及んでいます~、今から手に取るのが待ち遠しく楽しみな一冊です(^_-)
 
 
以下に、案内チラシを載せておきますので、どうぞご覧下さいませm(_ _)m
ちなみに、定価 2.100円でございます。
 
 
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                                          ▲クリックすると拡大されます↑↑↑
 
 

                                                                                        ▼弦書房へのリンクはこちら
                                                                                           http://genshobo.com/?p=4449

 
 

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11/3 (木) 文化の日
 
世界遺産だよ~ 近代化遺産一斉公開のシャトルバス時刻表です。
大牟田にお越しの際のご参考にされてください(*^_^*)
 
もちろん、シャトルバスは無料にて乗車できます。
 
 
▼10/21 大牟田市役所HPにて一斉公開のパンフレットが掲載さました↓↓↓
 
▼10/24 大牟田市役所HPにて「世界遺産だよ!一斉公開!」パンフが掲載さました↓↓↓
http://www.city.omuta.lg.jp/kyouiku/bunkasports/bunkazai/2011-1018-1717-371.html 

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