炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 新みいけ時報

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2基の異なる有明坑立坑櫓

今日、12月8日(土)の13:00から、大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブの主催で有明坑の立坑櫓の公開がありました。
私も、保存の署名5枚を持参して有明坑を訪れました。

すでに、巻上機室や繰込場などほとんどの建物は解体され、2基の立坑のみが凛とそびえ立っています。
少し寂しいような気もしますが、この様な2基の異なる形をした立坑櫓が現存しているのは、他では見れないことです。(参考:ファンクラブによる解説プリント)
ぜひ、末永く保存したいものです。

この写真ですが、15:30の公開終了時に撮影したものです。
さすがにこの時間は見学者の数は少なくなっていましたが、1時には車の行列ができるくらいに大勢の方が訪れていました。
明日の新聞等で写真入りの報道がなされると思いますね。

さて、立坑櫓はもちろんですが、ここはもともと人工島として築造されたところです。
また、機会をあらためてこの人工島に関することなど述べることにしましょう。
今回は、とりあえず船着き場と立坑櫓の写真を次に載せておきます。

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撮影日:2007年12月8日
撮影地:みやま市 有明坑跡地

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四ツ山に登る

takapyxxxx さんからリクエストがあった“四ツ山”に登りました(^_^)v
私にとっても、しばらくぶりの四ツ山です。
旧三池炭鉱専用鉄道の西原駅や線路敷きを横目に、四ツ山神社への階段にやってきました。

ありゃー(*_*)
夏に来たときには、まだ残っていた四ツ山坑への引き込み線跡がきれいサッパリなくなっているではないですか(T_T)
道路として整備されてしまってました。

気を取り直して、四ツ山の階段へ。
「こんなに急な階段だったっけなー」なんて思いながら、せっせと登る私。

振り返ると、長い階段とともに荒尾の街が一望できました。

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鳥居が見え、あと一息で階段は終わり・・・と思ったとき、
傍らに「虚空蔵」の文字が目に入りました。
お祭りのことを「こくんぞさん」っていってましたね、そういえば。
おばあちゃんと行ったような覚えがあります。

見覚えのある灯台も見えてきました・・・

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(つづく)

撮影日:2007年11月25日
撮影地:荒尾市 四ツ山

12/8(土)に公開予定

  『有明坑櫓は、12月8日(土)13:00~15:30に公開』
炭鉱のまちファンクラブの永吉さんによると、以上のように公開日時が決定したようです。
(“異風者からの通信”の掲示板からの情報による)
また、保存のための署名準備と、みやま市への働きかけ等の報告がなされています。

あわせて、12月2日(日)13:30-17:00、三川地区公民館にてシンポ「長崎税関三池支署と三池港」が開催されるとのこと。
(講演:有明高専松岡先生・森山先生・三池税関OBの方の話あり)   
何とか時間をつくって、私も出かけたいと思います。
さて、解体の話題ばっかりが続いて、いささか寂しい限りなのですが・・・

上官の交差点近くにあった映画館・宇宙館(1Fは“きよみずや”でしたかね)が解体されました。
蔦のからまる建物の様子を、そのうちデジカメにおさめようと思っていた矢先でした(*_*)
私は宇宙館に行ったことはなかったのですが、職場の同僚が「幼い頃、父に連れられてよく行った」と話してくれました。

▼11/25(日)の撮影時は、西側の外壁を一部残しただけの状態でした。

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三池港 内港の怪しげな光

この日、いつもの三井化学の列車を撮影し、午後は大牟田図書館で調べもの。
その後、久々の四ツ山へ。
最後に、三池港の夕暮れを・・・
と思って、灯台のある突堤を歩く。
夕闇せまる前に帰ろうとしたところ・・・怪しげな光が突然目に飛び込む

三池港 内港の東岸壁に照り映える“不知火”か (@_@)

写真を撮る私の近くにいた釣りのおじさん曰く、
「三池税関と島原航路の待合室の窓に、夕日が反射して海面に映ったとよ」

それにしても、不思議な光でした。
本物の“不知火”を見たことはありませんが、有明の海は予期せぬ海です。


撮影日:2007年11月25日
撮影地:三池港 内港

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進む解体作業 大牟田 松屋

解体が決まって、もうすぐ1ヶ月になろうとしています。
11月10日(土)現在の 大牟田 松屋 です。

西側の壁に大きな解体作業用の出入り口が開いてました。
内部には重機が入り、解体作業が進行中のようです。
ダンプカーに廃材が次々と積み込まれていました。
内部の解体作業が終了してから、建物自体の解体となるのしょう・・・。


▼西側のビルから、松屋前の銀座通りアーケード入り口を俯瞰してみました。
 そういえば・・・このアーケードの入り口近くで、大蛇山の“かませ”をしたのを思い出しました。
 大泣きでした(*_*) 

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撮影日:2007年11月 10日
撮影地:大牟田市本町 大牟田 松屋にて

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有明坑の櫓も解体へ・・・

またまた、悲しいお知らせです(*_*)

今日の西日本新聞に、『消える炭鉱のシンボル みやま市の有明鉱 立て坑櫓解体へ 関係者「寂しい限り」』という記事が掲載されました。

西鉄電車で大牟田に行くときは、いつも開駅あたりから有明坑を眺めます。
有明海に面した有明坑は、近くに立ち寄れないことからいつも遠くから眺めてきました。
柳川市の土木建設会社が跡地を購入したのは知っていましたが、“大牟田 松屋”に続いて有明坑もついに解体へ(*_*)

閉山10年後の今年は、第2の閉山の年になってしまいました。
年内に解体されるとのことです。
記事中にあるように、解体前の撮影会があればぜひ出かけたいと思います。

◆空中写真は、1974(昭和49)年の有明坑です(国土交通省ウェブマッピングシステムより)

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夕日に照り輝く 大牟田 松屋

いつかはやってくると思っていましたが、ついに“大牟田 松屋”の解体工事が始まりました(*_*)
先月の23日付の西日本新聞には、『大牟田の松屋跡地売却 柳川の建設会社に 利用計画は未定』という記事が掲載されました。

9月に訪れた時にはシートに覆われていた(外壁の剥落対策だったようです)西側も、今は昔の姿をあらわしています。
「鉄枠の窓が、こんなにたくさん並んでいたっけ・・・」「こうやって見上げると、重厚な建物だな・・・」なんて一人ごちながら、西日の当たる“大牟田 松屋”にしばし眺め入りました。

もうじき、大牟田市民の想い出が詰まった松屋は姿を消します。
私には、戦前の建物遺産であること以上に《大牟田市民の心の近代化遺産》のように思われてなりません。
今一度、昔の姿のままの“大牟田 松屋”を目に焼き付けておきたいものです。

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◆今回の近代化遺産特別公開と同じくらい、私にとっては特別な撮影でした。
 次に大牟田に行ったときには、もうこの姿は見れないかも知れません・・・。
 幸いなことに、大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブのてによって、あのミュージックサイレンが
 保存されると聞きました。
 最後に、もう一度聴いてみたいものです。
 松屋のミュージックサイレンの音・・・。


撮影日:2007年11月 3日
撮影地:大牟田市本町 大牟田 松屋にて

PS 炭鉱電車の特別公開報告は、次回の4回目をまた続けます。

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  11月 3日(文化の日)は大牟田・荒尾に皆さんおいで下さい。
  日頃は公開されていない近代化遺産があなたを待ってます。
時間がゆるせば、三池カルタ・歴史資料館にも足をお運び下さいね。『地図にみる三池鉄道』で紹介している地図の実物や貴重な写真・絵葉書を見ることができます。


今年は、三池炭鉱閉山10周年、  来年は三池港開港100周年です。  大牟田・荒尾の近代化遺産を堪能してみませんか(*^_^*)     もちろん、われらが炭鉱電車も公開されます(~o~)                    ★無事に公開が終わりました。 新聞報道によるとわが炭鉱電車には、約400名の方々が訪れたとのこと。    他の公開場所の2倍近くあったようで、一番の人気でした。     マニア以外に、往時を懐かしんでの来訪者が多数見うけられました。★

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