炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭鉱電車◆晩年編

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

赤茶けたセナ形炭車

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第6回目は、休車のセナ形炭車です。

ホッパーの先、今は使用されなくなった線路上に赤茶けたセナ形炭車の列がありました。
車番を確認すると、
一番手前の炭車が229、 その次位が106・・・

三池港駅のホッパーを見上げながら、廃車・解体を待つセナ形炭車たちです。
手元の三池港務所作成の資料中にある『鉄道車両現況表』によると、1992(平成4年)4月1日現在のセナ形炭車の在籍数は426両です。
そして、備考欄の休車(浜構内)の中に、この写真の229と106を見つけました。
浜構内ということは、三池港駅からぐるっと線路をまわった終点(三池鉄道の起点)三池浜駅構内に留置されていたということですね。

この資料から3年半後には、ここ三池港に回送され余生を送っていたということでしょう。
数多くの赤茶けた炭車の列が続いていた、ここ三池港駅のヤードです。


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

セナ形炭車から覗く 三池港駅舎

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第7回目は、休車のセナ形炭車の隙間から眺めた、三池港駅舎です。

ホッパーの先、今は使用されなくなった線路上に赤茶けたセナ形炭車の列がありました。
一つ一つ炭車を見上げながら歩みを進めます。

ちょうど、炭車の連結された隙間から三池港の駅舎が見えました。
私がここを訪ねるのは、いつも休日の午後または夕暮れ・・・

火力発電所への運炭仕業も終了し、人気のない三池港駅の構内です。
わが庭のごとく、この日もヤードをくまなく歩きます。

四ツ山駅には何度かおじゃましたのに、なぜか一度も訪ねる機会がなかった三池港駅舎でした。


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

夕日差し込む休車のセナ形炭車

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第8回目は、夕日が差し込む休車のセナ形炭車より つづきです

ホッパーの先、今は使用されなくなった線路上に赤茶けたセナ形炭車の列がありました
その列を歩む中、一筋の夕日が差し込んできました・・・

炭箱を開くレバーに、ちょうど夕日が差し込んでいます
このレバーを持ち上げると、セナ形炭車の底蓋が開き、石炭がこぼれ落ちるような仕組みになってます

何度も持ち上げられたであろう、このレバー・・・
先の方は錆びることもなく、今も人の手のぬくもりさえ感じられました

一人レバーを眺めながら、この炭車のたどってきた歩みに思いを馳せます

解体を待つばかりであろうこの炭車
長年の石炭輸送、お疲れ様でした



(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

三池港ホッパー下の無蓋車 ハト152

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第9回目は、三池港ホッパー下の無蓋車 ハト152 を眺めてみましょう。

三川坑から揚炭された石炭は、選炭場をへてここ三池港駅のホッパーに送られてきます。
この時点では、専ら三池発電所用の石炭輸送に使用されていたホッパー。
この写真は、そのホッパーの北端部です。

ホッパー脇の線路端に、無蓋車のハトが2両佇んでいました。
傍らにあるのは、ホッパーから出る粉炭でしょうか? 
かなり年代物の移動式コンベアーにて、積み込み作業中のようです。

ハトが満杯になると、機関庫脇の粉炭捨て場に入線していたようです。
残念ながら、機関車がハトを牽引するする姿には、一度もお目にかかることはありませんでした。

ちなみに、写真のハト152は現在も宮浦駅構内に現存しています。
三池炭鉱専用鉄道の、貴重な生き残り貨車の一両です。



☆ハトのハは・・・ハコガタのハ (無蓋車のトにあたります)
  ハトのトは・・・トオのト (10t積であることを示します)


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

三池港ヤードの22号機

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第10回目は、三池港ヤードの22号機を眺めてみましょう。

通い慣れた三池港ヤード・・・
深まる秋の夕暮れに、45t 22号機が一人(@_@) 佇みます。

ホッパーを備えた三池港ヤードの、セナ形炭車が多数連なる脇の22号機。
斜陽を浴びし三池港ヤードに凛としてひかえます。

左手奥には、岸壁本線に連なる線路が、曲線を描きながら続きます。
そして22号機の背景には、三池港ヤードと結ばれた車庫が見渡せます。

何度眺めても、飽きることない景色であることよ(*^_^*)

ほんの短い運炭鉄道の、そのまた奥に広がる線路の轍たち。
今も愛おしく感じることができます。


もう一度でいいから、この場所から三井三池の車両達を眺めてみたい・・・



(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日イメージ 2
撮影地: 三池港駅構内

三池港ヤードの22号機  その2

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第11回目は、三池港ヤードの22号機 つづきです。

通い慣れた三池港ヤード・・・
深まる秋の夕暮れに、45t 22号機が輝きます。

この22号機は、1959(昭和34)年2月 西日本鉄道の201号機を譲り受けた機関車です。
西日本鉄道時代は、宮地岳線の貨物列車にて同僚202号とともに活躍していました。

宮地岳線の貨物営業廃止とともに、ここ三池にやってきたのでした。
(202号は、その後も保線作業などに使用されいました)
西鉄時代の塗色は、黒色だったと記憶しています。

三池にやってきて、閉山の年まで現役で活躍した22号機でしたが、残念ながら解体されて現存しません。


同型の20号機が、宮浦の工場引き込み線脇に廃車体を晒すのみでございます。



(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日イメージ 2
撮影地: 三池港駅構内

ホッパー前の21号機 

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第12回目は、ホッパー前にて明日の仕業を待つ21号機です。 

この21号機・・・45t機関車の中ではその風貌が異なる機関車でした。

17~19号機とは、ほぼ車体の全長・幅そして機器配置は同じでしたが、
ボンネットの形状が異なり、その前面・側面ともにすっきりとした形状をしていました。
それから、台車形式も違っていましたね。

20・22号機、そして17~19号機がそれぞれほぼ同型機であるなか、
この21号機だけは、ちょと違った雰囲気をもった機関車だったのです。

閉山後に残された三井化学専用線の45t機関車は、18&19号機。
17号機が大牟田市に寄贈されて現存。

相棒の僚機達が生き残る中、この21号機だけはその姿を目にすることはできません。



*注-20・22号機の内、20号機は宮浦の側線に放置されています(22号機は現存せず)


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

石炭積込み完了 21号機とホッパー前の炭車達 

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第13回目は、石炭の積み込みを終えた炭車達と21号機です。 

この日の撮影も終わりに近づいてきました。
秋の日も傾き、三池港のホッパーや炭車を赤く染め始めます。

静まりかえった休業日の構内、
有明海からの風も少し冷たさを増す頃・・・

遥か有明の海底奥深くから掘り出された石炭が
セナ形炭車に満載され、明日の火力発電所行きを待ちます。


無機質なようでいて、何かしら心ひかれる三池の運炭鉄道でした。



(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日イメージ 2
撮影地: 三池港駅構内

夕日に照り輝く21号機

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第14回目は、夕日に照り輝く石炭の積み込みを終えた炭車と21号機です。 

有明の先、多良岳の彼方より・・・
秋の日の夕日が、三井三池の機関車を照り輝かせます。

三井三池の美しく整備された機関車、 21号
マルーン色に身を包んだ21号機が、神々しく感じられる時間。



有明の海深く、地底から掘り出された石炭を満載したセナ205炭車

遥か昔のメタセコイア達は、地上に現れ出て何思う・・・


美しい秋の夕日は、そんな石炭の辿った道なるロマンを呼び起こさせてくれます。




(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

ホハ201と有蓋車

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第15回目は、ホハ201と有蓋車です。 

ホッパーがある三池港ヤード奥の機関庫のそのまた奥、

線路の果てるところ・・・

朽ち果て、物置として利用されていたホハ201と
ユト形の有蓋車が連なります。

ホハ201は、屋根の部分も朽ち果て、木造の屋根がむき出し状態。
その傍らに連結されたユト形の有蓋車は、これまた永年の錆び付きの極み(*_*)
風雨にさらされ、赤茶色に錆び付いた色は、何とも表現のしようがありません。


閉山まで、ずっと変わることなかったこの風景も、


閉山とともに、消えてしまいました・・・



(つづく)

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