炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭鉱電車◆晩年編

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 四ツ山駅

四ツ山駅の運炭列車と三池港に続く築堤

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第4回目は、四ツ山からお伝え致します。

宮浦から宮原坑・万田坑の鉄道沿線をたどって、四ツ山駅にやってきました。
ここは、何度も訪れた場所です。
今日も、発電所向けの石炭列車がいつものように稼働中です。


今回は、写真右端に写っている築堤をたどってみたいと思います。
三池港の高架貯炭桟橋につながる築堤です。

鉄道がこの地に敷設されて以来、この築堤上を石炭満載の列車が行き来したものです。
幸いこの時点では、線路も高架桟橋も残っていました。
現役中はたどることも出来なかったこの築堤に、これから登ってみます(*^_^*)

(つづく)

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 四ツ山

四ツ山駅近くの三池港につづく築堤

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第5回目も、四ツ山からお伝え致します。

さて、初めて三池港につづく築堤に登ってみました。
6月の夏草に覆われつつある築堤上ですが、しっかりと線路に架線が残っています。

線路はすっかり赤錆ているものの、ポイントには油のあとも残っていて今にも列車が来そうな様子です(*^_^*)

かつてはこの線路上を通勤列車も通過していたな~ なんて昔を懐古しながら歩きます。

早米来のガード上を渡り、さらに先に歩みを進めましょう。
この先には、三川の変電所や貯炭トンネルの跡、そして高架貯炭桟橋が待っています。



(つづく)

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 三池港

高架貯炭桟橋から炭鉱電車を望む

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第6回目は、三池港の高架貯炭桟橋からお送りいたします。

三池港につづく築堤を歩き、貯炭桟橋までやってきました。
今はもうないダンクロを眺めながら、築堤の終点に立ちます。

ちょうど、発電所に石炭を運び終えた後の空炭車を牽引した炭鉱電車がやってきました。
線路手前、かつての貯炭トンネルは水没していて水溜まりと化しています・・・。

この写真を撮影した当時は、貯炭トンネルやダンクロの歴史についてよく知らぬままでした。

今から思えば、色んな角度から写真を撮っておけばよかった・・・
と後悔するばかりです。

三池築港 85年目の初夏のことです。



(つづく)

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 三池港

高架貯炭桟橋から炭鉱電車を望む その2

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第7回目も、三池港の高架貯炭桟橋からお送りいたします。

高架貯炭桟橋から見た炭鉱電車のつづきです。
三池港ドック脇を通過した炭鉱電車は、踏切を通過して三池港駅のヤードに進入です。

高架貯炭桟橋から三池港駅構内のホッパーを望みます。
桟橋にはもう列車が入線することはなく、線路は完璧に赤茶けた状態です。
築堤を過ぎここまでやってくると、橋脚部分の短い枕木がある他は隙間が空いています。
このピットのような間隔の隙間から炭車の石炭が落とされ、貯炭されたのでした。

かつて残っていた3線の高架貯炭桟橋も、今はもうありません。
ただ、築堤の最先端部に煉瓦積みが残るばかりです。

この煉瓦積みも、有明海沿岸道路工事にて壊されてしまう運命にあるのでしょうか・・・。

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 三池港

築堤下通路から見た三川変電所

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
最終回は、三川変電所横にあった築堤をくぐる通路からお送りいたします。

皆さんご存じのように、この三川変電所は炭鉱閉山後に株式会社サンデン(代表取締役北川義法氏)が三井鉱山から買い取り、現在サンデン本社屋として再生利用されています。

ここを訪問された折には、ぜひこの建物の北側にも足を向けてください。
そこには、今回の写真にある通路がひっそりと眠っているはずです。

今では、資材置き場として利用されていて通りぬけることはできませんが、かつて専用鉄道の築堤をくぐり抜ける通路として利用されていました。
この短い煉瓦造りのトンネルと、万田坑にあった地下通路は私のお気に入りの場所でもありました。
通路入り口には、炭坑の坑内を思わせるような電球がついています。

この短いトンネルも、明治時代にこの築堤が築造されていらいのもの・・・

今はひっそりと眠る、明治の時代から炭鉱電車を支えてきた煉瓦達です。


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

まずは、ガメ電車こと15t機関車

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第1回目は、ガメ電車から。

いつものように、いつものところでまずは1枚パチリ。

ここ三池港駅を訪れたら、まずはこの機関車にご挨拶です(*^_^*)

この頃は、大牟田市が立てた炭鉱電車の説明版近くにいつも展示(?_?)されていました。
20t1号機と一緒にですね。

ホッパーをバックにして、毎回同じ構図で何度も撮影したような・・・。

さて、今回の写真の季節は秋です。
写真の景色からは季節感がなかなか感じられませんが、
太陽の光線と影から、太陽の高度も低い夕方近くの様子が少しは伝わるでしょうか?

後ろには、水色に塗装された検1(25t)と検2(15t)の2両の検重車が見れますね。

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

45t機関車 17&18号機

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第2回目は、45t機関車の重連です。

いつもの写真撮影のあとは・・・

珍しく、45t機関車の重連を一枚パチリ(*^_^*)
半逆光の17号機、美しいですね。

晩年は、重連で牽引する姿を見かける事はありませんでしたが、この日は仕業終了後にこのように2両が連結されたのでしょう。

背景に目をこらすと・・・
右奥に、貯炭トンネルの高架桟橋が2本とベルトコンベアーが、
左奥には、高架貯炭桟橋が健在です。

秋の澄み切った青空に、三池マルーン色が映えます。

(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

45t機関車 17号機 2エンド側

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第3回目は、45t電氣機関車 17号機の2エンド側アップ写真です。

17号機と18号機の重連写真を撮影した後に、17号機に歩み寄って眺め入ります(*^_^*)

2エンド側から、ヤード奥の21号機を望むとしましょう。

メーカーズプレートが西日に輝き、なんと美しいこと(~o~)
よく見てみると・・・

製造年ではなくて、改造された昭和29年時のプレートですね。
この年の12月に、「自動連結器の改造」と記録されています。
〈ひとりごと・・・何で芝と浦、株と式の間にスペースがあるんだろ?〉

ナンバー同様、金に緑色下地のプレートが三池マルーン色によく映えます。
 


それでは、 磨きあがられた17号機に敬礼!(^^)!


〈どこかの写真集で聞き覚えのあるセリフだな・・・〉


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

三池港駅の全景を望む

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第4回目は、45t電氣機関車の居並ぶ三池港駅の全景です。

左端から、駅舎先に45t 22号機
駅舎手前に展示されていた20t 1号機(と15tガメ電車)
中央に45t 17号機と19号機の重連
そして、ホッパーに連なる線路に45t 21号機

右端には、使われなくなったセナが放置され、
三川鉱の選炭施設やホッパー、ベルトコンベアーが背景に連なります。

いつものところで、見慣れた情景の写真です。

長い影がしのび寄り、秋の夕暮れが迫ってきました・・・。


(つづく)

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撮影日:1995年11月 3日
撮影地: 三池港駅構内

高架貯炭桟橋方面を望む

1995年11月の三池港駅からしばらくお送りするシリーズ
第5回目は、45t電氣機関車の居並ぶ三池港駅と高架貯炭桟橋です。

左端の45t 17号機と19号機重連、
その奥に、四ツ山より続く築堤から延びた高架貯炭桟橋が望めます。

右端のコンクリート製高架貯炭桟橋のちょうど中程・・・
ひときわ頑丈な橋脚に高架橋が見て取れます。

炭鉱閉山後、線路も撤去され寂しくなった三池港界隈に、この部分だけがモニュメントのように残っていたを思い出しました。
市道(たぶん?)の拡幅時に、高架桟橋の部分を新しく造り替えたのでした。

高架貯炭桟橋解体時に、この部分は三井のものではないことから残ったままだと聞いたような・・・。
1995年の時点では、この高架貯炭桟橋に炭車が入線することはありませんでした。


(つづく)

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