炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭鉱電車◆晩年編

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港 北岸壁積込

北岸壁積込 九電貯炭場 その2

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第14回目は、三池港の北側に位置した九電貯炭場からのつづきをお伝えいたします。

17t積みセナ形炭車が連なる先端部にやってきました。
線路は、緩やかに左カーブした先の道路手前でとぎれています。
黒々した地面に、線路が光る情景が何とも美しく感じたものでした。
前回に引き続いて、逆光にて撮影した一枚です。

頻繁に入線しているような線路状況でしたが、いつも炭車だけの貯炭場でした・・・。
私のいつもの三池港界隈お散歩が、日曜日の午後だったせいでしょうか?
機関車入線時に撮影できたのは、たったの一度だけでした。


(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港 北岸壁積込

北岸壁積込 九電貯炭場 その3

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第15回目は、三池港の北側に位置した九電貯炭場からのつづきをお伝えいたします。

17t積みセナ形炭車が連なる先端部から、三池港本庫方面を望みます。
一つとして同じものはないセナ形炭車です。
赤茶けた車体あり、炭箱にアングルで補強されたものあり、かつてはホラ1形だったり・・・
炭車の一両一両にも歴史が感じらた三井三池のセナ形炭車でした。

三池港の貯炭場の片隅に、忘れられたように連なる炭車達です。

(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港 北岸壁積込

北岸壁積込 九電貯炭場 その4

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第16回目は、三池港の北側に位置した九電貯炭場からのつづきをお伝えいたします。

まだまだ、炭車の連なる写真が続きます(^_-)
今回は、貯炭場の石炭の山かげから炭車を望みます。

奥には、三池港本庫近くの三川発電所(当時)の煙突があります。
写真にある石炭は、小塊炭から粉炭に近いものでしょうか?

自然発火を起こさないように、ブルドーザーで押し固められた貯炭場の石炭です。

(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港 北岸壁積込

北岸壁積込 九電貯炭場 その5

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第17回目は、三池港の北側に位置した九電貯炭場からのつづきをお伝えいたします。

まだまだ、炭車の連なる写真が続きます(^_-)
今回は、貯炭場の水溜まりから炭車を望みます。

2月の冷たい雨の水溜まりに、セナ形炭車の影が映し出されます(~o~)
前日の驟雨明けの、三池港 北岸壁積込線の情景です。

(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港駅構内

三池港駅構内 その1 車両検修庫前の12号機

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第18回目は、三池港駅構内からお伝えいたします。

九電の貯炭場にて炭車を撮影した後は、いつもの散歩コース? である三池港駅構内を訪れます。
この日の車両検修庫前には、20t12号機がデ-1を従えて佇んでいました。
よく見ると、この頃の12号機のスカートは黄色の警戒色一色で、
なぜか黒色のゼブラ模様ではありませんでした(^_-)

三川鉱を背景にして、静かな時が流れます。

それにしても、「三井三池の機関車達は美しい」
と感じる私です。

もう一度、ひねもすこの場所で機関車達を眺めてみたい衝動に駆られます。
見果てぬ夢ではありますが・・・。


(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港駅構内

三池港駅構内 その2 ホッパー前の18号機

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第19回目も、前回に続き三池港駅構内からお伝えいたします。

夕暮れ時に、18号機が三池港駅構内のホッパーを背にして佇みます。
本日の仕業はすでに終了し、静かな三池港駅構内です。
パンダグラフも下ろし、明日の仕業までお休み(*^_^*)

この時の18号機は、全検を終えたばかりだったようで美しく輝いていました。

ここ三池港駅のホッパーには、三川坑の選炭機を経た石炭が、ベルトコンベアーで送られてきます。
閉山の日まで、三池港駅のシンボルとしてぞびえたっていました。

ここから明日もまた、発電所向けの石炭車が発車してきます。


(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地: 三池港駅車庫

三池港駅構内 その3 夕暮れのホハ201 

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第20回目(最終回)は、三池港駅奥の車庫のそのまた奥からお伝えいたします。

三池港駅の北側の車庫のそのまた北側奥に、ホハ201は佇んでいました。
通勤列車が走っていた頃、すでにここに鎮座していたように思います。
いつからここに放置されたままになったのでしょうか・・・。

一時は、ライトなどの機材置き場として利用されていたようですが、この頃は車内もかなりあれていました。
*参照 三池港車庫のホハ201車内

三井三池のあのマルーン色も色あせて剥がれ、屋根や窓枠の部分が朽ち果てつつありました。
すでに通勤電車が廃止されて10年・・・

有明海の潮風が吹く、三池港車庫の夕暮れ時にホハ201を見上げます。



(つづく)

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 宮浦駅構内

宮浦駅構内のホッパーを背に佇む 20t機関車達  

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第1回目は、宮浦からお伝え致します。

この頃の宮浦駅(停車場)の西側には、使われなくなった巨大なホッパーがまだ残っていました。
かつては、この駅構内を横切るようにして工場からベルトコンベアーが設置されていました。

鉄骨の赤茶けたホッパーは、宮浦駅の象徴でもあったのです。

このホッパーのもと、11号機(手前)と9号機(奥)が電源車をしたがえて待機中です。
現在では、このように2両の20t機関車が顔を揃える光景にはお目にかかることは出来ません。
(珍しくも、今年1月に重連にてタンク車を牽引して仮屋川に現れたらしい・・・(@_@)

かつては、駅舎の手前の留置線も大牟田川を渡り、工場内へとつながっていました。
現在では、宮浦駅構内の線路も整理され随分とすっきりとした配線になっています。


(つづく)


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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 宮浦停車場

宮浦停車場脇から見たタンク車達

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第2回目も、宮浦からお伝え致します。

巨大なホッパーがまだ残っていた宮浦停車場の脇を見ると・・・
大牟田川沿いの土手にだいだい色の花が咲き乱れていました。

何度も通ったこの宮浦停車場脇の道路です。
この先のホーム跡も懐かしい・・・

枕木の柵から、真新しい金属のフェンスになるときに
このホームも撤去されてしまいました。

コークスを盛んに生産した頃も、今は昔・・・
すぐ東側の工場地域と引き込み線も随分と変化してきました。

しかし、今も変わらないのは残る機関車達の三池マルーン色の美しさです。


(つづく)

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撮影日:1994年6月19日
撮影地: 宮浦停車場近く

苔むす引き込み線のバラストと枕木

1994年6月の宮浦・三池港からしばらくお送りするシリーズ
第3回目も、宮浦からお伝え致します。

宮浦停車場の南、炭鉱電車のホーム跡が残る先まで歩いてきました。
かつては、コークス炉があって、絶えず蒸気や炎が舞い上がるような宮浦の工場地帯でした。

そのコークス工場もすでに廃止されて久しく、
引き込み線跡も苔むしていました・・・。

その苔の緑とバラストの妙にしばし引きつけられるわたし。

カメラをかまえて、枕木・バラスト・苔のアンサンブルをしばし楽しみます(*^_^*)



この場所は、今では炭鉱電車の新しい車庫となっています。
大牟田川の流路改修が行われる計画がある由・・・。
宮浦停車場のすぐ東側(ホッパーがあった場所)に建設予定だった車庫は、
かつての苔むしていた引き込み線跡の地に、佇むことになったのでした。

(つづく)

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