炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭鉱電車◆晩年編

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ホッパーの下(もと) たたずむ20t11号機

1978年頃の玉名支線記録に続いて、『1993年の記憶』に進みましょう。

15年の時を越えて、炭鉱電車に戻ってきました(^-^)

しかし、通勤列車が消えて早9年の年月が・・・。
おまけに、以前使っていた愛用の PENTAX K2 は盗難にあい、手元になし(-_-;)

少し余裕が生まれ“おじさん”になった私は、Canon オートボーイ(?_?)を手にして久しぶりに三池の鉄道を訪ねたのでした。
(ひとりごと・・・日付が印字されているのはご愛嬌ですな)

なにはともあれ、いざ宮浦へ!(^^)!
いました!! 久しぶりの再会です。
15年前とまったく変わることのなく、美しく整備の行き届いた機関車がそこにありました。

当時は、まだ宮浦にもホッパー跡が悠然と鎮座していました。
許可をえて、ホッパーを背にして11号機を撮ります。

鉄骨の骨組みだけになっていたホッパーの後ろ(万田寄り)には、コンクリート製のホッパーがあります。
草生すホッパー、その下から11号機を望みます。

これら炭鉱の遺構も、閉山とともに消え去ってしまったことは返す返すも残念なことです。

撮影日:1993年12月12日
撮影地:宮浦停車場

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三井東圧化学の工場線に活躍する 20t 9号機

何年ぶりでしょうか?
久しぶりに“鉄ちゃん”しました!(^^)!

ゆっくりしたスピードではありますが、久々の撮影に思わずシャッターを押す手に力が入ります。
タンク車を連ねた列車が、工場の引き込み線から宮浦のヤードに出てきました。

この風景は、幸いにも現在でも見ることができます。
とても喜ばしいことです(~o~)

さて、実は炭鉱の閉山に合わせて、この化学工場内では機関車の内燃化計画があるやに聞いいていましたが、工場内の都合により内燃化は無理との結論になったようです。

(ひとりごと・・・記憶が定かではありません・・・。理由が化学製品の関係だったか、工場内の施設・線路の関係だったのか? お話を聞いたのですがうる覚えです。以後もそうですが、閉山までのメモや写真撮影日などの記録をほとんどしていないのです。記録の保管や整理・ブログやHPなど、頭の片隅にもありませんでした?!)


撮影日:1993年12月12日
撮影地:宮浦停車場 三井東圧化学(当時)工場引き込み線

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電源車とのコンビで活躍する 20t 9号機

前回のつづきの写真です。
宮浦の駅舎前に、パンタグラフを上げた9号機がたたずんでいます。

実はこの線路、今では駐機用となっていますが、かつては工場の引き込み線へと続いていました。
道路を横切り、大牟田川を渡ると三井東圧化学(当時)の工場です。

さて、タンク車を工場内に送り込んだ後の9号機が単機で戻ってきました。

レンガ塀が今も昔のままに残っていますが、すぐ横の側線には現在 20t 2,4号機、そして45t 20号機の廃車体が、部品取りのために放置されている光景をよくネット上でも見かけますね。

近年、ヤードの周りに新しく金網や扉が設置されましたが、この頃は古枕木を利用したおんぼろ? 柵でした。
旧宮浦駅の通勤ホーム跡付近には柵もない、これまたのんびりした専用鉄道でした。


撮影日:1993年12月12日
撮影地:宮浦停車場 三井東圧化学(当時)工場引き込み線

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三池港のホッパーにたたずむ5号機と19号機

宮浦をあとにし、本線にそって宮原坑・万田坑をまわっていよいよ三池港にやってきました。

おー、久々の三池港のホッパー!(^^)!
いました、石炭を満載して出発の準備がととのった19号機が。

この写真を撮影した1993年の段階では、すでに本線上の列車の設定はなく、九電港発電所と三池火力発電所への運炭鉄道としてのみ機能していました。
それにしても、短い路線ながら石炭満載のセナを牽引する姿が見れるというのは感激です。
(この日の撮影時には、運行はすでに終了していました。私が行く時間帯は午後の夕暮れ時が多く、こんな炭鉱電車の風景ばっかり、なくなるまでの数年間飽きずに撮ることになります)

そしてもう1台の主役が・・・ 
15t電気機関車の5号機。
これまた、久々の対面に感激(^_^)v
聞くところによと、動きませんが職員の方がきれいに整備し直して保存展示しているとか。
昔はこの機関車、 黒色の塗装でした。この色の塗装になってからは初めてのご対面です。
何だかあかぬけて見えますよ、ガメ電さん(*^_^*)

1908年のGE製ですから、今年で101歳を迎えることになります。
ちなみにこの5号機、閉山後は大牟田市に寄贈され現存します。
残念ながら、公開されていません(>_<;)
このことについては、また後ほどふれることにしましょう。

さて、次は機関庫の方に行ってみよう(^-^)

(つづく)

撮影日:1993年12月12日
撮影地:三池港

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三池港の検査工場前に集う20t機関車達

さて、ホッパーから三池港の駅舎を過ぎ、検査工場や機関庫にやってきました。

いました!(^^)!
これまた懐かしい20t機関車達が。

まずは仕立工場前の5号機。工場横の側線にはセナ形炭車が連なっています。
う~ん・・・、しばし佇んで5号機と冬枯れの工場周りの線路敷きを眺めます。
いい眺めです(^-^) 時がここでも止まってます。

5号機には、朽ち果てそうなハト96が連結されていました。
しばらく動いたような形跡はありませんね。
ところで、この20t機関車の5号機は、S.S(シーメンス・シュッケルト社)製の1~4号機をモデルに造られた最初の国産20t機関車です。(ちなみに1915年の日本車輌・三菱造船製造)

お隣の検査工場前には、1号機と12号機が並んでました。
12号機にはデ-1(電源車)が連結されています。
1号機は、もちろんS.S(シーメンス・シュッケルト社)製、12号機は三菱製です。
実はこれらの20t機関車は、車体の拡幅などの改造をされていて、いずれも原型とは異なります。

なんと、この時お目にかかった3両の20t機関車は、すべてが現存します(~o~)
これまた、偶然です。1・5号機は、前回紹介した15t機関車の5号機と同じように大牟田市に寄贈されています。

12号機は、宮浦の三井化学専用鉄道にて現役のはずです。(最近見てませんが、機関庫の中だと思います)
この年の再会劇はここまでで、次の年 1994年から私の三池港通いが始まるのでした。

(1994年につづく)

撮影日:1993年12月12日
撮影地:三池港

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旭町支線を行く電源車連結の20t機関車

1994年の正月初撮りは、旭町1号踏切でした。
例のキャノンオートボーイの簡単カメラにての撮影(^_-)
(黄色の日付表示が何ともいえず素人ぽいでしょ)

横断歩道橋の上からの撮影でしたが、久々の撮影で焦ってしまい〈ポール電車〉になってしまいました。
宮浦から仮屋川操車場へ、20t機関車に引かれてタンク車が出て行きます。
現在では20t機関車による旭町支線の仕業がありませんので、貴重な記録となってしまいました。

仮屋川操車場にタンク車をおいて、単機で20t機関車が宮浦に戻っていきます。

実は、この踏切での撮影はこれが初めてでした。
いつも走っている・・・・、という感覚があってありふれた風景の一部という感覚でした。

閉山の声が聞こえ、今一度鉄道趣味の復活をとげたばかりの頃の撮影です。


撮影日:1994年1月2日
撮影地:旭町1号踏切

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旭町支線を行く 19号機 45t機関車

1994年の正月初撮りは、旭町1号踏切でした。
電源車を連結した9号機 20t機関車の後は、19号機 45t機関車のお出ましです。

この電気機関車、1937年2月 東芝製です。
18号機とは姉妹車の関係にあります。

17号機と同型ですが、17号は1936年4月製で少し先輩(^-^)
また、17号機とは、車体幅・固定軸距離・動輪直径が異なっています。

このほかに、20・21・22号機の計5台の45t電気機関車が三池では活躍してきました。
これらの機関車については、また後ほど詳しく触れることとしましょう。


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浜本線を右側にみて 宮浦を目指す19号機

浜本線の線路脇を、JRから引き取ったタンク車を従え19号機がやってきます。
踏切と大牟田川を渡れば、もうそこは宮浦です。

浜本線には、まだ架線が張られていますね。
残念ながら、この築堤を通る列車を一度もカメラにおさめることなく、閉山を迎えてしまいました・・・。


撮影日:1994年1月2日
撮影地:旭町支線

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撮影日:1994年2月
撮影地:四ツ山駅


四ツ山駅構内側線のセナ形炭車

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送り致します。
第一回目は、四ツ山駅構内の側線に居並ぶセナ形炭車です。

前年に復活したばかりの三井三池の鉄道めぐり。
久しぶりに、四ツ山駅にやってきました。
この日は、三池火力への運炭列車は終了したらしく、構内はがらんとしていました。
でも、珍しくハト(無蓋車)がとまってます。
何に使ったんでしょう?
20t機関車が牽引するところを見たかったな・・・。

四ツ山の山側にある側線には、セナ形炭車が並んでました。
国鉄からの払い下げセムやセラなどを改造したもので、よく見ると一両一両個性があります。
1992(平成4)年の港務所施設課統計資料によると、344両(稼働中が271両、休車が73両)
の炭車がまだ活躍していました。
これらのセナ形炭車は、一両も残ることなく あとかた無く消えてしまいました・・・。

(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地:四ツ山駅


四ツ山駅構内の運炭列車

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送り致します。
第二回目は、四ツ山駅構内の運炭列車です。

三池港駅のホッパーで石炭を満載した10両編成の列車が、四ツ山駅構内にやってきました。
ここから、三池火力発電所向けの石炭を推進運転で運びます。
今日の牽引機は45tBB 18号機です。

ヤードの東側には、高架式貯炭場行きの線路が見えます。
この時点では、列車がこの線路に入線することはすでにありませんでした。
錆びた線路が三川坑近くまで続きます。
かつては、ここを通勤列車も通りました。

(つづく)

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撮影日:1994年2月
撮影地:四ツ山駅


四ツ山駅構内の運炭列車 その2

1994年2月の四ツ山・三池港からしばらくお送り致します。
第三回目は、四ツ山駅構内の運炭列車 その2です。

発電所から炭鉱電車が戻ってきました。
四ツ山駅ヤードの東側からの撮影です。
架線や電線などがいっぱいあってごたごたしてましたが、線路脇には柵もなにもありませんでした(@_@)

四ツ山のふもと、炭鉱電車のツリカケ式の懐かしい音が響く快晴の冬の日です。

(つづく)

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