炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 三池鉄道時報

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有人踏切なり 旭町1号踏切

今回まで、旭町踏切よりお送りいたします。

この旭町1号踏切は、今では貴重な鉄道施設である有人踏切です。
『ニッポン 鉄道遺産を旅する』交通新聞社刊(2005年)によると、
「全国59ヶ所(平成17年3月現在)」に手動の有人踏切があるようです。
そのほとんどが、この三池のような列車本数がすくない貨物線です。

貨物線の有人踏切といえば、西濃鉄道昼飯線にあったかわいらしい踏切を思い出しますが、現在はどうなっているでしょうか?

ところで、旭町支線の開通は、1897(明治30)年ですので、優に100年以上の歳月が流れています。
この100年あまりの間、メンテナンスを繰り返しながらここにあることになりますね。
このような観点から旭町1号踏切を見てみると、あらたな感慨をもってせまってきます。

踏切小屋を覗いてみると、何だか時代がかったレバーが見えます。
こんど行った時は、踏切小屋の内部をぜひ観察させてもらいたいと思いますね。

それでは、ワイヤーや滑車などこの踏切の心臓部をご覧下さい。

時代がかった2つのレバー

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       窓に反射して見にくいですが・・・

滑車とワイヤーがこの踏切を支えます

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国道208号に立つ踏切柱

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市旭町

今回も、旭町の踏切からです。

ここは、現在でも時間が止まった空間のように感じます。

大牟田ガーデンホテルなど、周りの空間は確実に近代化してきましたが、
この踏切だけは、昔のまんまです・・・。

まあ、踏切小屋の窓がアルミサッシになったりしてますが、私の心の中のイメージのまんま(^o^)
『止まれ ふみきり』の表示も新しくはありますが、古き良き時代を感じさせてくれます。

『この踏切にて、ひねもす炭鉱電車を待つのも悪くはないな・・・』と私には思えます。
(ひとりごと・・・でも現実には、石炭を満載したした列車は通ることはありません)

この先は今では単線になってますが、かつては沢山の線路がひしめきあってました。

止まれ ふみきり

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旭町踏切の踏切小屋健在なり

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ここを、タンク車やコキ車の貨物が通過してゆきます

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市旭町

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国道208号を横切る三井化学専用鉄道

旭町のガードをくぐり、踏切にやってきました。

この踏切は、今だ現役です(^-^)
ここを朝に1往復だけ、タンク車やコンテナ車を牽引した列車が通ります。

突然に、初めて三池鉄道の古風なる電気機関車と遭遇したドライバー達は、
一様に驚きの表情を見せます(*_*)

ここは、歴とした現役三池炭鉱鉄道なのであります。

古線路柵に守られて

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柵越しに見る線路敷き

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旭町第1踏切(宮浦方面を望む)

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おまけ
 ちょうど、お昼になりました。
 ここは、白瀧屋に行くしかないでしょう!(^^)!
 久留米発祥の豚骨ラーメンではありません。
 鰹だしのような和風ラーメンですが、幼い頃に食べなれた者にとっては忘れがたい味です。
 本日は、ちょっとだけ奮発してチャンポンを食べよう(^_^)v
 
 東新町の三池製作所正門前、白瀧屋からでした。

本日のお昼は、白瀧屋のチャンポン

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市旭町

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旭町のガードにて

栄町のガードと鉄橋を見たあとは、
国道208号を渡って、旭町のガードをチェックしましょう。

ここは、石組みの橋台ですね。
かつて、このガード裏には三井三池製作所への通用門がありましたが、今は駐車場になっています。

今も活躍する旭町の踏切はすぐこの先です。
国道のすぐ脇ですが、人通りはなくひっそりたたずんでいます。

ここでもやはり築堤に登ってみましょう。

きれいに夏草が刈られている脇に、キロポストが残っていました。
宮浦側と三池浜方面をそれぞれ望んで、往時に思いを馳せるひとときです。
(つづく)

キロポストが残る線路敷き跡(宮浦方面)

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夏草か刈り込まれた砂利の線路敷き跡(三池浜方面)

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市旭町

今度は、北側にまわって鉄橋を見てみましょう。

JRにある鉄製の橋脚がよく見えます。
(ひとりごと・・・この橋脚、西鉄側にもあったっけ?)

築堤の斜面は丁度草刈りが終わったばかりで、きれいになっていました。
よく見ると、線路脇に勾配表が残っていますね。

築堤下には、近所の方が植えられた花が咲きみだれています。
昔っから、線路敷き脇の狭いスペースが菜園などに利用されている光景はよく見かけましたね。
築堤を慈しむように、美しく花が咲いてます。

さて、国道208号を渡る鉄橋もチェックしておきましょう。
(つづく)

JRと西鉄を跨ぐ鉄橋 つづき

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築堤下のきれいに植えらた花

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国道208号を渡る(宮浦方面を望む)

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市栄町

前回の、蔦の絡まる栄町鉄橋のすぐ西隣へ・・・。

JRと西鉄の、それぞれ複線の計4線を越える鉄橋です。
中央に石組みの橋脚、JRの複線の間には鉄製の橋脚が並びます。
下から見上げると、まだまだ現役のようにに感じますね。

築堤を登って、線路敷き跡を見たい衝動にかられる・・・。

JRと西鉄を跨ぐ鉄橋

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今だ現役のパイプラインが南側を通ります

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鉄橋には線路が残ってます

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宮浦方面を望む

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市栄町

じりじり暑い日差しを受け、カモレの発車を待ちきれずに線路沿いを栄町方面へ歩きはじめる。

道路を渡り、細い路地を入っていくと・・・昔ながらの飲み屋が連なる大牟田商工会議所裏のアーケードへ。

ここ、かれこれ40年ほど前に一度通った記憶がある。
その時は、もっと飲み屋が建て込んでいて暗~い通路だったような気がする。
木造アーケードの屋根の明かり窓から、夏の日が少しはやわらかく差し込んでくる。

大牟田商工会議所は、九州鉄道時代の旧大牟田駅があった場所である。

商工会議所裏のアーケードをくぐって

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さらに線路沿いを歩いて、五月橋の大牟田川を渡り三池鉄道浜本線の築堤に突き当たる。
国道208号を渡る長い鉄橋脇に、レンガの橋台を残す栄町の鉄橋跡にたどりついた。

思わず鉄橋の下に立ち、見上げる・・・。
蔦がからまり、夏空をバックに緑がまぶしい。

アングルを変えてみると、蔦の間から夏の日差しがもれ落ちる。

この上を、石炭を満載した列車が行き来していたのがうそのような光景である。

蔦のからまる浜本線栄町鉄橋にて

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この橋台はレンガ造りですが、角のところは石づくりになってます。
おしゃれな感じがします。

蔦の間からまぶしい夏の青い空

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アングルを変えてみると・・・蔦の緑がまぶしいかぎり

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田市栄町

三池炭鉱の閉山とともに、炭鉱電車の路線も大幅に縮小されてしまいました。
あれから10年・・・。

しかし、幸いにも三井化学専用鉄道として、あの美しい電気機関車達が生き残っています。
その電気機関車に引かれ、今も仮屋川操車場よりJRへと貨物列車が運行されています。
今回からしばらくの間、『10年後の三池鉄道夏物語』と題してお送り致します。

第1回は、JR大牟田駅発の貨物列車4172レの写真からはじめることにしましょう。

タンク車が連なるカモレ

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はやぶさ号到着

1番線には東京から“はやぶさ”号の到着(11:09)です。
ちょうどED76が連結作業中です。
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西鉄のホームより

今日は、左に停車中の西鉄8000形特急(11:03着)にて大牟田にやってきました。
西鉄の4・5番線からの4172レです。
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時間は11:20、
発車まではしばらく時間があります。
1番線ホーム脇から、ちょいと撮影。

出発を待つ4172レ

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撮影日:2007年8月24日
撮影地:大牟田駅

(つづく)

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