炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: わたしの大牟田

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八本町の社宅 ~誕生以前の記憶~


われながら、よく分からぬ題名を付けたものだ

“誕生以前の記憶” があるものだろうか?


板塀が連なる社宅の一画に 「わが家」 はあったはず
それは、私が生まれる以前の 「わが家」

少し高台の八本町、製錬の社宅

祖父が勤めていた三井金属三池製錬所


そんな誕生以前の 「わが家」 は板塀に囲まれた社宅



三池港近くの入船町界隈に、その面影を追った

写真のような板塀が続く社宅だったに違いない・・・

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青葉社宅跡 ~社宅の記憶を追って~


三池炭鉱閉山後、次々と取り壊された社宅・・・

私は、生まれる直前に(?_?) 八本町の製錬社宅を離れ、吉野の地に生まれ育ちました
その一軒家の自宅に育ちながら、八本町の社宅や神岡の話を幾度となく耳にしたのです


その遥か遠くのようで、近い近代の歴史に埋もれた神岡や大牟田の社宅の風景が、

いつとはなく私の脳裏に去来します



「雨の降る夜は冷たかかろ~ ホッパーにらんで夜明けまで・・・」

何かしら突然ですが、三池闘争の歌が脳裏をよぎる


知識としての歴史とは違う、祖父祖母、父・母が生きた歴史が目前に迫ってくる思いがいたします


(つづく)



*G3様から、この社宅跡は「青葉社宅」で、三井化学の社宅跡とのご指摘をいただきました。
 炭住とは違いますが、かつての炭鉱の社宅のイメージは感じる事ができるのではないかと思い、
 そのまま掲載させていただきます。
 ご覧になられた皆様に、訂正とお詫びを申し上げます。             7/8 管理人より

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今年の干支は “虎” ~石炭人形~

縁あって、今年に入ってすぐに、この“虎”の石炭人形を手にした


大学生の頃、大牟田は不知火町だったか・・・
たぶん国道208号をはさんだ市役所前当たりのお店にて
はじめて、自分で石炭人形を購入した

その時購入した石炭人形は、ずっと私の手元においていて
ことあるごとに眺めてきた

もちろん、キャップライトをかぶった炭坑夫のそれである


残念ながら、これら石炭人形も大牟田の街からいつしか消え去り
寂しい思いをしていた

そこへ現れでてきた、今年の干支でもある石炭人形の“虎”

一にも二にもまして、すぐさま私のパソコンの脇に控えさせたい
今年の干支の“虎”である『石炭人形』であった



石炭人形覚え書き


石炭人形・・・

大牟田市は、市制40周年・石炭発見500年・三井三池炭鉱創業70年という年を記念して、1957(昭和32)年9月21日~11月10日の51間にわたり「大牟田産業科学大博覧会」を開催した。

この博覧会に合わせ、お土産品として考案されたのがこの石炭人形である。
当時、博覧会場にて販売された石炭人形のパンフレットや箱には、以下のような解説などが載せられていた。

ちなみに、この箱の中身である石炭人形は“狸(タヌキ)”である。

石炭人形   全国唯一の石炭細工

今を去る五百年の昔 百姓伝治左衛門によって『燃える石』が発見せられ 爾来石炭鉱業とその関連産業との発展に伴ひ 『サゾヤお月さんけむたかろう』と唄われた日本最大の炭都 世界の『ミイケ』が誇る最も郷土色豊かな特産品であります 
胸像、記念品、賞牌等 御用命により如何様にも製作致します

発明考案:大牟田市工芸指導所
製  作:三池石炭工芸社
発  売:大牟田中央専門店会

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ああ、大牟田 松屋・・・再び~


7月も今日で12日になってしまいました

2年前の今頃・・・「大牟田 松屋 の解体作業は終了してしまったでしょうか・・・」

なんていう記事をUPしましたことを突然思い出しました(;_;)


あれからもう2年・・・

跡形もない松屋の敷地は、駐車場と化しています


2年前のある日、解体作業中の大牟田 松屋を訪れた時

コンクリートのかけらを記念に持ち帰りました・・・



そして、松屋のロールシールが手元に二捲き残っています


昔を懐かしんで、時々眺めてます~
松屋のシール・・・いっぱいロールされてます・・・


いつか、日の目を見ることがあるのでではないかと、その出番をわが家で待ってます(*^_^*)

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 ▲ベニヤと“紅ちゃん” この横顔がたまらなくいい(*^_^*)
 
  撮影地 : 大牟田市本町  新銀座東商店街
  撮影日 : 2011.11. 3
 

 
ベニヤと“紅ちゃん”・・・
 
実は、“紅ちゃん” とは管理人が勝手につけた名前です。
ベニヤさんは、いまも新銀座東商店街で営業を続けている貴重なお店です。
 
以前にもこの書庫にて、この商店街の“オリンピック”というスポーツ用品店のことを書きました。大牟田を訪ねこの商店街近くに立ち寄る時、いつも思わず半分朽ちかけたアーケード街に足を踏み入れます。今では営業をしている店がたったの2軒かな・・・。
 
そんな商店街のベニヤさんの店先に“紅ちゃん”を見かけました。
 
あれ、このお人形・・・いつもこの店先にいたっけ?
いつもはいないよな?
「これは、大阪の食い倒れ人形に匹敵する」と直感的に感じた管理人(^O^)
その横顔と笑顔に魅せられ、TOPの写真を撮影したのでした。
 
みなさんどうですか~、この横顔と笑顔・・・ なんだか癒されませんか。
かつては、この様な表情をした子ども達が沢山いたように思うのは管理人だけでしょうか(?_?) 見るものに希望を与えてくれるように感じるのでした。
 
ちなみに、この“紅ちゃん” 季節柄、七五三のきもの姿となっていました。
 
 
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残念ながら、足下が素足のまんまですがそこはご愛敬(^_-)
 
しばらくはこの姿で、大牟田の一見朽ち果てたようなアーケード街の一角に、その愛くるしい姿を見ることができると思います。
 
 
大牟田を訪れた際は、“紅ちゃん” にご挨拶してみてください。
きっと、見る人を幸せな気持ちにしてくれることでしょう。
 
 
 
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▼参考HP↓↓↓
 

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▲1/8(日)のベニヤの“紅ちゃん” 
 
  撮影地 : 大牟田市本町  新銀座東商店街
  撮影日 : 2012. 1. 8
 

 
ベニヤ(正確には、呉服のベニヤ支店)の“紅ちゃん”・・・
 
11/3以来、約2ヶ月ぶりの再会です(*^_^*)
この日の“紅ちゃん”はというと、お向かいの田中ふとん店前にいました。
田中ふとん店は、すでに閉店しているようです。
 
足袋のディスプレイをバックにして、着物すがたの“紅ちゃん”
これって、11月のお姿と同じのようですね(^_-)
前回は七五三の季節でしたが、今回は成人式の前日です。
 
ひょっとして・・・ “紅ちゃん”は、一年中同じ着物姿なのか(?_?)
これからも、大牟田に行った時には要観察でございます。
 
さて、呉服のベニヤ支店がある新銀座商店街は大牟田川に沿って連なっています。
思案橋のたもとから、アーケードの北側となる大牟田川沿いの風景を見てみましょうか。
 
 
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アーケード街の裏側はご覧のような風景です。
 
今度は、南側にある大牟田神社に行ってみます。
正月にお参りしたばかりですが、再度参拝いたすとしましょう(^_^)v
 
大牟田神社のHPにある御由緒によると・・・
 

 
本社の創立は、碑文によると

『人皇第百五代後奈良天皇の御代、天文七年(一五三八年)三月一五日、当時の庄尾古賀与五郎始め村人一同うち集いて漁猟に出て帰る途中.御神体の浮いているのを発見、その姿は、甲冑を付けた左手に水の玉を捧げ、右手に邪を祓う棒を持って、容姿の荘厳さは五体より光芒を感じさせ、一同思わず頭を垂れた。古老指して曰く、これぞ毘沙門天なるぞと・・・一同喜び勇みて観音堂の横に鎮守神として祀りたり』という。
 
 爾来、大牟田村に火災絶え、その霊験のあらたかさと、左手に捧げたる水の玉の由来に基づき、火の神また大牟田の氏神として敬われております。
 

 
 
本殿の裏から社務所脇を歩いていると~
なんだかお面が沢山並んでいるではありませんか(~o~)
 
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このお面の主は、七福神の恵比寿様ですかね。
烏帽子の種類が2つあるのですが、赤い方は大黒様?
 
まあ、とにかくドキッとしましたよ。
お次は、全景をどうぞ。
 
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最後は、新銀座のアーケード街を西側に歩いて、小説『地の底のヤマ』の舞台にもなった大正町派出所近くにやってきました。
シャッターが閉まり、人っ子一人いないアーケード街に、朝のまぶしい光が差し込んでいました。
 
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▼11/3の“紅ちゃん”はこちら↓↓↓
 

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▲ カブ号 
 
  撮影地 : 大牟田市 三池港
   撮影日 : 2012. 1. 2
 

 
三池港・・・大牟田に帰ったときは、必ずと言っていいほど三池港を訪れます。
 
今年の正月も2日に出かけました。
そして、7日にも(*^_^*) 
 
思いのままに、三池港の風景をカメラに納めました。
“三池港グラフィティー” ってなところです。
 
人口砂浜のカブ号の続きは・・・
 

 
 
 
 
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          ▲ 打ち上げられたクラゲ
 
 
 
 

ここからは、1月7日~ 
 
 
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 ▲ コンテナの壁
 
 
 
 
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 ▲ 三池港の雪山(?_?)
 
 
 
 
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 ▲ 紅の雪山越しの月
 
 
 
 
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 ▲ そそり立つアンローダー
 
 
 
 
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 ▲ 見上げる夕月
 
 
 

 
(つづく)
 

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 ▲ 夕日 
 
  撮影地 : 大牟田市 三池港
   撮影日 : 2012. 1. 2
 

 
三池港の夕日・・・
 
この日は、とても美しい夕日でした。
この時刻に訪れることはめったにありませんが、
気に入った写真が撮れました。
 
この美しい光景を、日頃からねらっている方々がいらっしゃるんですね。
この日、カメラを携えた者は私を含め3名。
三脚をかまえ、波打ち際から沈む夕日を撮影されている姿がありました。
 
きっと、ベストポジションがあるのでしょう。
 
夕日の沈む位置も、日々変化しているはずです。
またと、同じ写真は撮れません。
 

 
 
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 ▲ 突堤
 
 
 
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 ▲ 釣り人
 
 
 
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 ▲ 紅の翼
 
 


 
 
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 ▲ 流木
 
 
 
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 ▲ 薄暮の岸壁
 
 

ひとまず終わり・・・

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▲雨の日の新銀座商店街 
 
  撮影地 : 大牟田市本町  新銀座東商店街
  撮影日 : 2011.10.30
 

 
雨の日の新銀座商店街・・・
今回は、べニヤの“紅ちゃん”の先(西側、旧松屋方面)です。
 
▼べニヤの“紅ちゃん”はこちら
 
この日は、朝から雨の一日でした。
三井化学の工場まつりに行った帰りにやってきました。
 
ご覧のように、ベニヤさんの先はシャッターが閉まったお店ばかりです。
途中アーケードが壊れていて、雨水が通路にも・・・
 
そんな中、いつも見上げるレトロな看板を撮影しました。
電話番号が4桁っていつ頃でしょう? 昭和40年頃でしょうかね~。
 
2つのお店の看板をどうぞm(_ _)m
 
 
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思えば、この場所を夜に訪れたことはありませんでした。
かつては、このレトロな看板にも電気が灯ったのでしょうね。
 
現在のアーケードが完成した頃の看板かな?
 
アーケード街を見上げながら、しばしコンデジにて散策です。
 
 

 
 
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昨年10月30日、雨の日の新銀座商店街からでした。
 
 
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(おわり)
 

 
 
▼当ブログ内 アーケード関連ページはこちら↓↓↓

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               ▲細い路地アーケードの飲み屋街 
 
               撮影地 : 大牟田市 本町1丁目
                撮影日 : 2011.10.30
 

 
雨の日の大牟田市街地
新銀座商店街のアーケードから、とある飲み屋街にやってきました。
 
ただでさえ暗く閑散とした昼間の飲み屋街・・・
雨の日は一層うら寂しく感じられます。
 
細い路地アーケードに連なるスナックや小料理屋
ここでも多くが閉店しているようですが、路地を見上げたところ~
ある看板が目に飛び込んできました。
 
この女性の横顔、妙に目に焼き付きます。
この店主の自作でしょうか?それとも看板屋さんの手によるもの?
 
雨の日の飲み屋街にて、コンデジ探索はつづく(*^_^*)
 

 
 
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(つづく)

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