炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: わたしの大牟田

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暮れゆく海に浮かぶ“初島”

《ゴー・・・ゴー・・・》
特に、冬晴れの朝には地底から響いてくる

《ゴー・・・ゴー・・・》
中学・高校の頃までは何とも思わなかった
大学に入学し、大牟田を離れて久しぶりに帰省した時にそれはきた

《ゴー・・・ゴー・・・》
「有明の海の底深く 地底にいどむ男たち・・・」

◆作詩 上野信幸・森田ヤエ子/作曲 荒木 栄 『組曲・地底のうた』の序章(合唱)より

石炭は、有明海の底深く毎日毎日掘られていた
その深き海底の坑道に向けて、毎日毎日新鮮な空気を送る・・・

《ゴー・・・ゴー・・・》
そうだ、坑道にいのちを吹き込むその音!!
冬枯れの寒い朝にはよく響いてきたそれは、初島にある送風機の音

その響いてきた音に、わたしは三池の炭鉱の歴史とそこに生きてきた人々の証を聞いたように思う
(つづく)


撮影日:2007年 早春
撮影地:昭和開の干拓地堤防より初島を望む

三池炭鉱の人口島
初島は1951年に完成。沖合い2キロメートルほどに位置する。三川坑の採掘が沖合いに伸びるに伴い、通気坑を設ける必要からつくられた。当初は入気立坑として使われたが、1970年に三池島(入気立坑)が築造され排気立坑に変わった。

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今は聞こえない、松屋のサイレン

大牟田の朝、もう一つ聞こえてくるのは・・・

“ヴォルガの舟歌”

えいこーら、えいこーら
もひとつ、もひとつ、
えいこーら、えいこーら・・・

ヴォルガ川をさかのぼる舟を、舟曳き達が声を合わせてひっぱてゆく
レーピンの絵にあるように・・・

冬の日の出が遅く、薄暗く天気の悪い朝にはよけいに重たく響いてくる

有明の底深く、石炭を掘る姿と重なって聞こえてくる


撮影日:2007年8月16日   
撮影地:大正橋近くより松屋を見上げる


松屋のミュージックサイレン

1958(昭和33)年から、鳴り始めた。

 6時55分『ヴォルガの舟歌』  ロシア民謡
11時55分『春の小川』      文部省唱歌  1912年(岡野 貞一 曲)
16時55分『埴生の宿』       イギリス民謡 1852年(Henry Bishop 曲)
21時55分『菩提樹』        ドイツ歌曲  1872年(Franz Shubert 曲) 

松屋の屋上サイレンが、1日4回それぞれ違った曲で大牟田の時を刻んだ。

◆【ヴォルガの舟曳き】
イリヤー・エフィーモヴィチ・レーピン(1844~1930)
1870~1873年制作,131×281cm
モスクワ,トレチャフ美術館

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◆『ヴォルガの舟歌』
ロシア民謡
帝政ロシア時代のヴォルガ川の舟曳きたちによって歌われた歌。
非常に安い賃金で農奴たちを使い、重く大きな船を曳いてヴォルガ川を登らせた。

えいこーら、えいこーら
もひとつ、もひとつ、
えいこーら、えいこーら
もひとつ、もひとつ、
(綱を巻いた)白樺を強めよう
そう、巻きを強めよう
アイダダアイダアイダダアイダ
そう、巻きを強めよう

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撮影日:1958年 大牟田 松屋屋上にて

ハレの日の大牟田 松屋

エレベーターにエスカレーター
水洗トイレ・・・

どれも、大牟田 松屋に行かなければないものばかり

6階に行けば、必ず立ち止まる
赤いダルマの絵のついた不思議の鏡

近づいたり背伸びしたり、ひとしきりわが姿のデフォルメを楽しむ

次は、屋上展望台に飛行機だ
松屋の屋上からは、大牟田市内360°の大パノラマが広がる

展望食堂で、国旗のついたお子様ランチ
はたまた屋上にてソフトクリームを食べれば、完璧な? 松屋デーだ 


大牟田 松屋の屋上展望台

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撮影日:1955年 大牟田 松屋屋上にて


戦災で焼け残った松屋の屋上には、展望台があった

そして、その時代時代で観覧車あり・まわる飛行機あり・コーヒーカップありと、
親子づれがつどう市民憩いの場所であった


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撮影日:1958年 大牟田 松屋屋上にて


大牟田 松屋の不思議の鏡

階段を上って、6階のすぐ右手に凹凸状の不思議な鏡があった
この鏡の提供者は、大牟田に本社をおく“だるまわた”
築町踏切のそばにあったネオンサインを思い出す方も多いであろう

鏡には、赤いダルマ
と『天下一品』の文字があった

いまごろ閉店した松屋の6階で、ひっそりと何を映し出しているだろうか・・・

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撮影日:1970(昭和45)年4月 
出  典:西日本鉄道 山本魚睡コレクション

にぎわっていた西鉄栄町駅

昭和45年の西鉄栄町駅

懐かしい・・・
炭鉱がまだまだ元気だった頃
西鉄栄町駅は、いつも人波でごったがえしていた

駅を降りてまっすぐすすむと、大牟田川にかかる思案橋
大牟田松屋は目の前だ

橋を渡ったとこの食堂で、回転饅頭を買おうかな・・・


かつての終着駅 栄町

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『わたしたちの大牟田』1967(昭和42)年版 p83より

九州鉄道の時代の1938(昭和13)年10月、中島~栄町間が開通
翌年の7月、栄町~大牟田間が開通し、現在の西鉄天神大牟田線が全通
時代は経て、1970(昭和45)年4月西鉄新栄町駅が開業、栄町駅は廃止

西鉄栄町駅は、狭くて短いホーム
跨線橋もなく、下りホームから改札口に行くには線路を渡った
かつての終着駅らしく、駅舎にはコンコースがあって
わたしの記憶の中では、いつも人であふれていた

◆1970(昭和45)年4月の写真は、アソシエ地図の資料館 ポストカードブック①
『大牟田線急行電車と沿線風景』 2007年11月9日発行の中の1枚
  解説に「取り壊される寸前の西鉄栄町駅」とある
 

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撮影日:1957(昭和32)年頃 

すべり台の想い出


ゴツン ゴツン
ジャラジャラ・・・

ありゃ?
水筒が変だぞ

ジャリジャリ
割れた(>_<;)

延命公園にあった、長いすべり台でのできごと




現在の大山スベリ台跡

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撮影日:2007年10月28日
撮影地:延命公園

延命公園のすべり台跡につくられた階段
右下には青年の家、左下には野外音楽堂がある
(当時のすべり台横の階段は現存 → 右写真)

1957(昭和32)年9月21日から11月10日まで、市制40周年の記念事業として「大牟田産業科学大博覧会」が、ここ延命公園一帯にて開催された
この頃、展望台と結ぶこのすべり台が造られる

当時、水筒や魔法瓶の内側はガラスでできていた
その水筒を首から下げ、すべり台にガタゴトぶつけながら降りたわたしの失敗談です

◆幼稚園の頃、動物園への遠足帰りのすべり台にて

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かすれた文字 “オリンピック”

小学4年生だった思う
ここ“オリンピック”で初めてグローブを買ってもらった
“オリンピック”は、もちろんスポーツ店

買ったばっかりのグローブに、使ってもいないのに
手入れ用のオイルをドッバァーとつけてシミのようになったことを想い出した

久しぶりの“オリンピック”はすでにご覧の通り・・・
シャッターに何とか残ったかすれ文字を見上げて往時を偲ぶ

「巨人の星」時代に小学校時代を過ごした想い出の店



2007年の「新銀座商店街」

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▲現在の「新銀座」商店街の松屋側アーケード入り口
 左手には今も三池鉄道の築堤脇に残る“ガード下食堂”の支店、左手には“うちだ屋”カバン店 
 数年前まで、おばあちゃんが切り盛りしていたガード下食堂支店・・・
 しばらく行かないうちに閉店してしまった
 そういえば、“ガード下食堂”の経営者も昔とは違っているようだ
 
 そんな中、ほとんどの店が閉店しているが、まだまだ頑張ってる商店もある

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▲そんな商店の一つが “ベニヤ”呉服店
 この向かいの “田中ふとん店”も健在だ

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▲アーケードの天井を見上げる  木造の梁が見渡せる 
 福山洋服店とタキ美容室のレトロな看板が静かに佇む

 昭和のにぎわいをかいま見た思いがした

大牟田神社側の裏通りを望む

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▲“オリンピック”の裏手にまわってみた
 大牟田神社の看板が見える  生活のにおいが漂う商店街の裏通りである

撮影日:2007年8月16日
撮影地:大牟田市本町 新銀座商店街

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緑色に印刷された版画

遠く 雲仙普賢岳を望み

有明海には初島が浮かぶ

港には貨物船が停泊し

工場地帯の煙突から煙たなびく


その手前を
蒸気機関車に引っぱられた石炭車がゆく・・・



この版画、どこかで見覚えありませんか?

わたしのお気に入りです





わしたちの 大 牟 田

大牟田市内の小学校社会科では、
『わたしたちの大牟田』という冊子で郷土の学習をしていた。
わたしが、倉永小学校で手にしたのが1967年版『わたしたちの大牟田』
3年生だったと思う。

この冊子、小学校卒業以来いまも手元にあって時々眺める。
ちなみに・・・
 編集:大牟田市小学校社会科部会 
 発行:大牟田市立教育研究所

調べてみたら 『インターネット教科書 わたしたちの大牟田』
のHPを発見(*^_^*)

いまも大牟田の小学生達は 『わたしたちの大牟田』で郷土の学習を
していることを知って嬉しく思う。




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ああ、大牟田 松屋・・・


7月も今日で14日になってしまいました

今頃、大牟田 松屋 の解体作業は終了してしまったでしょうか・・・

6月1日以来、大牟田に行く機会がないまま

まもなく、大蛇山を迎えるような季節になりました

三池港開港100年の年に消えゆく(消えた) 大牟田 松屋

屋上にあった 松屋 のマークが目に焼き付いてはなれませぬ



もう一度、展望台にて 大牟田の市街を一望したかった・・・





大牟田 松屋からの眺め

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撮影日:1958年 大牟田 松屋 屋上より


松屋屋上の金網越しにみた大牟田の街並
北方を撮影したもので、すぐ右下には大牟田川にかかる思案橋が見える
その橋のたもとには、映画館「GRAND CINEMA」
看板からすると・・・時代劇が上映されているようだ

映画館の右隣は薬局・・・その先が西鉄栄町駅
さらに北側に、炭鉱電車の築堤と紡績工場を望む

煉瓦造りの紡績工場が古き時代を偲ばせる
この場所は、後には高い板塀に囲まれた染料の売店があったが
いつ頃からあったのだろう・・・


昭和33年、私が生まれる1年前のわが家のアルバムより







2008.7/21(月)大牟田 松屋・・・

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2008.8/31(日)大牟田 松屋・・・

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▲ 黒崎公園 南海岸  View of South Beach,Kurozaki Park   築町 山田屋本店発行
大牟田駅よりバスで30分  左端鳥居の前 148の石段を登れば玉垂宮あり

磯で遊んだ幼き頃の記憶

5歳の頃だったろうか・・・

有明海にのぞむ岩場の磯で遊んだ記憶がかすかにある

そこがどこだったのか 私の中でずっと疑問だった


小学校の遠足で 黒崎公園を訪れた

展望台からは 広い農地の先に有明の海が見渡せる

似ているけど こことは違うな

あの磯は いったいどこだったのだろう・・・


後年 やっとその疑問が解けた

黒崎の磯は 干拓でその姿を消していた


この絵葉書のような 美しい景色の記憶は 間違いなかったのだ



南筑唯一の名勝地 黒崎

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▲ 1:50.000 地形図 大牟田(一部)   昭和37年発行    

詳しく干拓の歴史などは調べていないが、
昭和37年発行の地形図を見ると、まだ磯は残っているようだ。
黒崎の北側で有明海にそそいでいる隈川河口から、干拓工事が進んでいる様子が分かる。

ちなみに、黒崎の北西に浮かぶ丸い人口島は初島ではなく、開発中の日鉄鉱業有明鉱である。


本木 栄 著『三池山夜話』をもとに、“南筑唯一の名勝地”である黒崎の探勝を少しだけしてみようか・・・

黒崎は、実に山海の勝景を共に満喫することの出来る南筑唯一の名勝地である。
大牟田の北約一里、銀水村字岬の西北に位置する海抜僅かに五十八米の小山である。
倉永山脈は、東より西に臥龍の如く横たわりその尖端は海中に突出して所謂黒崎山を作している。
白砂青松歩を運ぶ事数百歩、海中に屹と立つ大鳥居の側に行く。
此の間奇岩、巨岩大小様々の岩石散在し波濤に洗われている。 (後略)

                    本木 栄 『三池山夜話』 私家版 1934.2 発行より 

黒崎公園の展望台近くには、上島鬼貫の句碑がひっそりと佇む。

「遠干潟 沖は白波 鴨の聲」

ここ黒崎の美しき眺望は多くの人々の心をとらえ、
「古来幾多の学者知名の士の杖を引く者の、等しく嘆賞措く能ずして句を残し詩を吟じ歌を作った」
とういう。   (「 」は、本木 栄『三池山夜話』より引用)



今の黒崎海岸を歩く

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▲ かつての海岸線と黒崎山 : 先の絵葉書と同じ場所(鳥居は隠れて見えない)  


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▲ 正面から見た、今の大鳥居 : 磯にあった鳥居は石段のすぐ前に移された  


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▲黒崎公園より干拓地を望む : 緑の絨毯が広がり 遠く雲仙岳が見渡せる   


撮影日:2008年8月14日
撮影地:大牟田市岬  黒崎

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▲昭和初期の「辰巳屋」 ~目でみる「南筑後の100年」より~


“TATSUMIYA” ~辰巳屋~

大学に入学した時、初めてスーツを作ってもらったのは・・・新栄町「井筒屋」

福岡に戻り、就職時にスーツを作ったのは・・・大牟田「松屋」

そして、カジュアルなジャケットを初めて買ったのは・・・大牟田「松屋」前の「辰巳屋」


VANやJUNなどがはやっていた時代

「辰巳屋」にて、当時はやりのタック入り綿パンやポロのシャツを買った

そういえば・・・高校時代にはVANのコートを着て、チャリ通してたな・・・



新栄町「井筒屋」、大牟田「松屋」、大牟田「松屋」前の「辰巳屋」  

どれもが過去帳入りとなります



メンズハウス/タツミヤ 完全閉店のはがき

今日、郵便受けに見つけたはがきは・・・
〈完全閉店 店じまいセール〉 TATSUMIYA

はがきには・・・

合資会社 辰巳屋本店は、大正5年(1916年)創業以来、92年間の事業経営の中で、幾度となく、取扱い品目の変更や店舗内容の充実や見直しを行い、事業の適正化や内容の効率化・充実化を図ってまいりましたが、この度、紳士服・洋品部門のメンズハウス/タツミヤの店舗を完全閉店することとなりました。
永年に亘りご愛顧を賜りましたことに心から感謝を申し上げ、ここに完全売り尽くしの為の閉店セールを21日より行います。
ご来店を心からお待ち申し上げます。

とありました・・・(は~~~)

先月閉店した「紀文のかまぼこ」に引き続く閉店です(*_*)

また一つ、『わたしの大牟田』が消えていく思いがいたします
ここ数年、正月の初売りには必ず訪れていた「辰巳屋」

今年限りの営業となりました


PS 婦人服飾とユニフォーム・タツミヤオリジナルのスーツ関連の事業は継続して営業されるそうです



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▲昨年 12月23日の “TATSUMIYA”

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