炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: わが家のお散歩

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▲旧富岡製糸場  正門     2013.12.27 

 
 昨日、「国際記念物遺跡会議」(イコモス)が、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の世界遺産登録を勧告したと発表しました(^o^)
日本では初めての近代化遺産の世界遺産登録となるのは確実です
 
来年の今頃~三池炭鉱を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」についても、イコモスから同様の発表があるはず(かな?)
今年の夏は、大牟田にてイコモスによる現地調査が予定されています。来年の発表がどうなるのか?今からその結果が待たれます
 
ともあれ、今回のイコモスの発表は喜ばしいことです
来年の発表に向けても弾みがつきそう
 
それでは、世界遺産登録決定を祝って、富岡製糸場の様子を少しだけ写真にてご紹介しましょう
 
 
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              ▲東繭倉庫の通用門   富岡製糸場のシンボル的存在

 
 
 
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▲東繭倉庫通用門では、明治五年と記されたキーストーンが私たちを見下ろしています。

 
 
 
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▲西繭倉庫の全景 2階で繭を保管しました。1階は、明治時代は石炭置場や撰繭場でした。

 
 
 
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▲繭倉庫は地元の杉材で骨組みを作り、瓦職人がつくった煉瓦を「フランドル積み」しました。

 
 
 
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▲繰糸所の小屋組の構造は、洋式のトラス工法が用いられました。

 
 
 
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▲繰糸所の窓ガラスは、当時フランスから輸入されたもが現在でも一部使われています。

 
 
 
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▲ブリュナ館 ポール・ブリュナはフランス人で富岡製糸場建設の首長を努めました。

 
 
 
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▲富岡製糸場は、鏑川沿いの高台に位置しています。右奥の寄宿舎は片倉時代のものです。

 
 
 
それにしても、明治5年に建設されたこれらの建造物が、昭和の時代に至るまで現役で使用され、今もこのような姿で保存されていることに敬意を表します。
かつて、三池炭鉱関連の多くの建造物は閉山と共に壊されてしまいました。非常に残念な思いがありましたので、富岡製糸場の保存状態を見るにつけ、改めて保存のための様々な方々のご努力に敬意を表した次第です。
 
 
(おわり)
 
 
 
 
 

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▲終着駅 長崎の風景
 
  撮影日 2013.11.29
  撮影地 JR九州 長崎駅

 
終着駅 長崎の風景が変わろうとしています。
 
先日(23日)には、長崎車両センターにてお別れイベントが開催され、多くの鉄道ファンでにぎわったところですが、長崎駅横の現長崎車両センター敷地に、新長崎駅が建設される事になっております。
 
この工事は、浦上~長崎間の高架化と長崎新幹線の開通にのよる新駅建設の2つの目的があるようです。
 
*詳しくは以下のHPを参照してください↓↓↓
 
工事の完成は平成32年の予定ですので、まだまだ先の事ですが、高架化によって長崎駅の雰囲気もずいぶんと変わることでしょう。
さて、今回は、昨年に訪れた長崎駅と車両センターの様子を、ほんの少しだけ紹介したいと思います。そこで、長崎駅と言えば~頭端式ホーム(*^_^*)
頭端式ホームは、私鉄では数多く見ることができますが、JRでは数駅のみです。何と言ってもJRの頭端式ホームといえば、旅情を誘うというか、旅の風情が漂うものですよね。たぶん高架駅になっても頭端式ホームになると思いますが、やはり地上駅というところが旅情には欠かせないところでしょう!(^^)!
 
ではでは、そんな長崎駅の風景を少しだけご紹介します~
 
 
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▲~線路は、ホームの端でとぎれております ~ここからどこまでも線路はつづくよ~

 
 
 
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▲ホームの西側には、長崎車両センターを見ることができます ~稲佐山も見ます~

 
 
 
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▲4番線の脇には洗浄線もあるよ ~かつての“さくら”や“あかつき”をもう一度見てみたい~

 
 
 
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▲長崎は雨も似合うけど、夜もいいと思う ~国鉄色のキハ66,67を見たかった・・・~

 
 
 
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▲やっぱり、この風景ですよ、このアングルですよ ~改札口から眺める列車は格別です~

 
 
 
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▲駅前の風景も変わることでしょうね ~市内電車のある風景はいいもんだな・・・~

 
 
(おわり)

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▲上信電鉄 デキ1   2013.12.27 

 
昨年の暮れ~
東京での用事をすませ、ちょっくら高崎までお出かけしました
 
東京駅から、上越新幹線「MAXとき」の2階建て新幹線に揺られ、やってきました高崎へ~(本日は、記録的な積雪になってるようで・・・)
高崎に着くやいなや、“デキ1”を目指して、JR高崎駅西側の上信電鉄の車庫へ
 
うぉー、これぞかの有名なシーメンスの凸型電気機関車 
思わず近寄ってなでてあげました(^_^)v
(もちろん、写真撮影の許可を得ました~線路内には立ち入らないように)
 
わが炭鉱電車の20t電車(NO.1~4、1号機は大牟田市が保管、2・4号機は廃車体で現存、3号機は廃車解体)も、もとはといえばドイツ:シーメンス社からの輸入機関車でございます。上信電鉄の3両のデキ1形電気機関車は、1924年製造で機械部分の製造はM.A.N社となっていますね。(わが20t電車達も、機械部分の製造はM.A.N社だったのかな)かたや、わが20t電車の製造年は1911年で、13歳年上ということになります・・・しかし、悲しいかな原型ではありませぬ(>_<) 運転席部分が拡幅されているのでございます。そして、上信電鉄のデキ車体にあるような製造所を示す銘板がありませぬ
上信電鉄のデキさん達は、原型をしっかりとどめた状態であることから大変貴重な存在であり、そしてまた、三池の機関車とは兄弟のような関係なのであります
 
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         ▲車体に残る銘板 NO.1952は、上信電鉄デキ3でございます 

 
 
 
ところで、ドイツ国鉄をはじめ数多くの電気機関車を製造しているシーメンス社ですが、日本には数両しか輸入されていません。旧国鉄のED57(後にED24)2両、三井三池の20tB4両、上信電鉄デキ1が3両、そして尾西鉄道EL1(→名鉄デキ1)1両、合計ちょうど10両ですね。これら10両の内、今も現役である機関車が今回訪ねた上信電鉄のデキ1形の2両(NO.1,3)というわけです。ちなみに、旧国鉄のED57(1928年製造)は箱形の機関車で、国鉄最後の輸入電気機関車、尾西鉄道EL1(1924年製造)は後の名古屋鉄道デキ1で、三池の20tBとよく似たスタイルの凸型機関車であります。
 
解説はこれくらいにして、以下高崎にてご対面したシーメンス社製電気機関車を写真にて紹介しましょう
 
 
 
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▲3号機の正面写真~ シーメンス独特の、機能的で優雅な雰囲気をもつ凸型電気機関車

 
 
 
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▲これも3号機~ ローアングルにて写してみました。いかにも頑丈そうで無骨な台枠

 
 
 
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▲角が丸く銀色に縁取られた窓がいかにもシーメンスです~ 素敵だよー

 
 
 
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           ▲ボンネット側面の点検扉って片側だけでしたっけ

 
 
 
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▲社紋、車番、銘板、手すり、ドア、ドアノブ・・・どれもがドイツの香りがするよな~

 
 
 
 
 
おまけです~
まずは、上信電鉄ED31 6 廃車体。この機関車って、伊那電鉄デキ6 → 国鉄ED316 → 上信電鉄なんですね。しかも、かつては箱形ではなかった(?_?) ちなみに、芝浦製作所製(1956年)。
 
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お次は、新幹線なり~
2階建て新幹線には初めての乗車でした。行きは2階で眺め重視、帰りは1階でのんびり駅弁&を楽しみました。
 
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(おわり)
 
 

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         ◇◆わが家の紅梅が咲きはじめました◆◇

 
わがやの紅梅が咲きはじめました
今日の福岡の気温はなんと20度近く
 
ピンク色の梅の花が青空のもと艶やかに咲いてます
一気に春めいた九州です
 
 
太宰府天満宮の梅も咲き始めました
西鉄電車も天神から太宰府行きの観梅列車が運行されます
 
いまは“飛び梅号”とは言わないの?
3月からは、太宰府観光列車“旅人-たびと-”の運行も始まるらしい
 
九州からの花便りでした
 
 
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▲たけお茶寮 ◇TAKEO SARYO◇   2014.1.5 

 
 
1月5日(日)~佐賀県武雄市にお散歩にお出かけました(*^_^*)
 
佐賀県武雄市といえば~
一躍、図書館が全国的に有名になったことで皆さんご存じのことでしょう
 
TSUTAYAで知られる「カルチュア・コンビニエンス・クラブ」」(CCC)を指定管理者とし、図書カードにTポイントカードを導入したり、スターバックスカフェを併設したりと、これまでの公立図書館のイメージを覆す図書館として注目を集めています
(以下のHPより引用)
 
▼興味がある方は、「武雄市図書館を検証する」を参照して下さいませ↓↓↓
 
 
今回は、この武雄市図書館のすぐ近くにある“たけお茶寮”にてランチタイム
これがお値段の割には、お味&ボリュームともに大満足のランチでございました
そこで、久しぶりに食べ物ネタで迫りたいと思います(^_^)v
 
 もちろんお目当ては図書館でしたが~このランチがまた大正解でございました
 
 
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▲通されたお部屋は~和室がほとんどのこのお店の中で、貴重な洋室でござーい

 
 
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           ▲たけお茶寮は、古い豪邸を改装したフレンチレストランです

                              ◆改装の詳細はこちら ⇒  http://www.likeiart.com/pg63.html
 
 
 
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▲前菜とサラダ・・・イカ、サーモンなど海の幸を素材とした前菜~サラダはお代わり自由です

 
 
 
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▲自家製パンとスープ・・・真ん中にある手作りのローズ入りのバターの香りが抜群

 
 
 
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▲本日の肉料理・・・煮込みハンバーグでございます~結構なボリュームありですぞ

 
 
 
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▲本日の魚料理・・・パイ生地で巻いたほぐし白身魚(だったかな?)~器も素敵でしょ

 
 
 
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▲ご飯にお味噌汁・・・有田焼の器に、純白のご飯が食欲をそそります~

 
 
 
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▲デザート&コーヒー・・・昼真っからフルコースのお食事に大満足でございます~

 
 
 
ところで皆さん~このお料理でお値段はいくらだとお思いですか?
予想・・・
 
答えは、以下の“たけお茶寮”のHPから検索下さいませ(^_-)
 
どうですか~、みなさんご満足いただけたでしょうか(?_?)
最後に、夕暮れの武雄市図書館をご覧いただきながら、お開きといたしましょう
 
 
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▲夕暮れ時の「武雄市図書館」  背後は御船山の山影~

 
 
 

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▲黒島天主堂 佐世保市黒島をさるく (1)   2013.11.10 

 
 
縁あって、11月に長崎県佐世保市の黒島に行ってきました
そこで3回ほどに分けて、黒島をさるくプチ旅のご報告をいたします(^-^)
 
黒島は、長崎県北部の北松浦半島西沖合にある佐世保市の離島でございます。
面積は約5.3㎢、周囲約12.5㎞で人口は500人ほど
 
何が有名かというと~
TOPの写真にある教会でしょう(*^_^*)
 
今年、大牟田の三池炭鉱を含む「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」と「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の2つが、共に2015年夏の世界文化遺産登録を目指して競っていたことは記憶に新しいことです。黒島天主堂は、もちろんこの「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の一部に含まれております
 
さて、黒島に行くには、相浦港(最寄り駅は松浦鉄道相浦駅)からフェリーに乗り、
途中高島を経由して、所要時間約50分の船旅でございます。
11月10日は、あいにくの曇天&小雨の朝でしたが、自宅より高速道路を利用して相浦港に到着(^O^)早速、船に乗り込みました
 
 
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▲車は駐車場に駐め、いざニューフェリー“くろしま”に乗船~運賃は往復で1,330円なり

 
 
 
ここで、長崎や黒島のキリスト教史を繙きたいところですが~、ずいぶんと長いことになりそうなので今回は割愛いたします(というか、管理人には解説は無理(>_<)
 
興味のある方は、HP「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」にて学習して下さいな。
 
 
黒島港に着いてからは、港のすぐ南側の高台を周回する道路を目指します。
今回はガイド付きのツアーに参加したのですが、到着するやいなや手作りの饅頭をいただきました(*^_^*)
お饅頭の名は~「ふくれまんじゅう」
ふっくらした生地の中に、手作りあんこがみっちりと詰まっていて、とっても美味しかったですよ。“サツマサンキライ”の葉に包まれた「ふくれまんじゅう」をほお張りながら、のんびりと黒島をさるきます
 
めったに車は通ることはないし、まるで歩行者天国でございました!(^^)!
 
 
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▲道路からの眺めです~小島は左が伊島、右が幸ノ島、奥にうっすらと見えるは平戸島なり

 
 
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“サツマサンキライ”の葉に包まれた、手作りの「ふくれまんじゅう」は素朴で美味でした!(^^)!

 
 
 
しばらく歩いてやってきたのは島の南側~
蕨(わらべ)集落です。
黒島には、本村(ほんむら)・東堂平(とうどうびら)・古里(ふるさと)・日数(ひかず)・根屋(ねや)・名切(なきり)・田代(たしろ)、そして蕨(わらべ)の計8集落があります。その内、港近くの本村と島の北東端にある古里は仏教徒の方々が多く、その他の6つの集落にすむ方々はほとんどがカトリックであるとのこと
 
このカトリックの6つの集落は、黒島にバラバラに散らばって位置しています。それには理由がありまして、江戸時代の禁教令下の寛政12(1800)年頃、迫害と食料難から逃げるために「潜伏キリシタン」が黒島に移ってきた時に、彼らはむかしからの住人である仏教徒の集落に遠慮して、村外れの荒れ地に住みつき、開拓をして集落を形成していったとのこと・・・
そんな集落の一つが、蕨(わらべ)の集落です(^o^)
 
 
時代によって状況が違うので、研究者の間では次のように使い分けがされているようです。
・キリスト教伝来(1549)~徳川禁教令(1614頃)‥‥キリシタン
・徳川禁教令下の潜伏時代(1614~1873)‥‥潜伏キリシタン
・キリスト教解禁後、カトリックに復帰した者‥‥復活キリシタン
・キリスト教解禁後、カトリックに復帰せず、潜伏時代の信仰を守り通した者‥‥かくれキリシタン
⇒一般的には「潜伏キリシタン」と「かくれキリシタン」をまとめて‘隠れキリシタン’とされていますね(^-^)
 
 
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蕨(わらべ)集落~実は集落といっても一軒一軒は離れていて散村のような感じです(^O^)


 
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         ▲防風林のアコウの木の内側に年老いたヤギの姿を見つけたぞ~

 
 
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▲蕨(わらべ)集落は、このような切り立った断崖に防風林に守られてありました(^-^)

 
 
ご覧になったように、海・防風林・家屋・畑の順番に海岸線から順番に配置されていて、開墾の様子が歴史的景観として残っているところが面白い!(^^)!
しかも、移住してきた方々(主に西彼杵半島の外海地区などから渡ってきた人が多いらしい)には分家の習慣があったらしく、次々と家々が散らばっていって、現在の集落を形成してきたらしい
黒島は、単に天主堂を見るだけでなく、景観にもいろいろな歴史が読めて面白いところです。また、暖流である対馬海流の影響で温暖であり、植生的には亜熱帯系の植物が多く自生しているところも面白い(^_^)v
そこで、先ほど紹介した“サツマサンキライ”~漢字で書くと“薩摩山帰来“でして、分布地は九州南部から沖縄でござーい
聞くとlこによると~黒島が“サツマサンキライ”の北限らしい(^O^)
 
そこで“サツマサンキライ”~、さるく道すがら見つけましたよ“サツマサンキライ”
 
 
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▲名の由来は~薩摩地方に多い“サンキライ“(サルトリイバラの別名)が由来らしい

 
 
 
蕨(わらべ)集落を後にした管理人~
こんな瓦を目にしながら、天主堂にだんだん近づいていったのでした(*^_^*)
 
というところで、今回はお開きでございます。
続きは、またその内に・・・
 
 
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(つづく)
 
 
 
 

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▲さらば~徳島運転所   2013.11.24 

 
ちょっと用事があって徳島に行きました
少しの暇を見つけて撮り鉄も~最終回(^_^)v
 
いよいよ徳島を旅立つ時間がやってきました~
様々な気動車達が集う運転所の風景はいいものです
最後に、ちょっと遠景気味に広角にて撮った写真でございます(*^_^*)
 
さてさて、九州への帰還の途中に、ほんの30分の撮り鉄でござーい
どこかって?
それは、写真を見れば一発でお分かりでございましょう(^_-)
 
 
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そうです!(^^)!
ここは岡山駅前の路面電車でござーい
 
新幹線待ちの短い時間でしたが、夜の撮り鉄を楽しみました~
 
 
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たま電車に水戸岡鋭治氏デザインの9200型などなど~
9200型は、第一回日本鉄道賞 グッドデザイン賞やローレル賞など多くの賞を獲得した超低床式路面電車ですな
 
イルミネーションなどもあって、楽しんだ新幹線待ち時間でした(^O^)
 
 
 
 
さて、この旅の最後を飾る写真は~
瀬戸内海に沈む美しい夕陽といきましょう
 
 
 
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(おわり)

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▲蜂須賀家政公銅像   徳島中央公園 2013.11.24 

 
ちょっと用事があって徳島に行きました
少しの暇を見つけて撮り鉄も~つづき(^_^)v
 
今回も徳島運転所の気動車達を観察したいと思いますが、駅の裏手にある徳島中央l公園側から覗いてみましょう
その前に~蜂須賀家政公にご挨拶m(_ _)m
蜂須賀家政公に関する詳しいことはこちらからどうぞ~
 
銅像がある徳島中央公園は、徳山城跡にある公園です。
戦前は、家政公の父であり蜂須賀家の家祖である蜂須賀小六正勝公の銅像があったらしいが、戦時中に供出されたとのこと。
また、家政公はここ徳島に製塩や製藍の産業をもたらしたとのこと。有名な阿波踊りも、家政公の時代に始まったと伝えられているが、徳島に経済的な余裕をもたらしたということかな
 
 
さて、本命の鉄道・鉄道(*^_^*)
早速、公園側からみた徳島運転所の光景をご覧にいれましょう。
 
 
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▲キハ185系 2両編成の “剣山” だよ~(~o~)

 
 
 
 
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▲公園と運転所の間には堀が残っています。かつてはもっと広かったでしょうね~

 
 
 
 
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▲古い木造の建物も残っています。ここだけは、昭和30年頃の風情が漂ってきます(^O^)

 
 
 
 
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▲鉄道好きにとってはたまらん眺めですね~(^_^)v

 
 
 
 
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▲ターンテーブルも健在ですぞー 黄色い運転台がかわわいい&1000形の何かが違う(^O^)

 
 
 
 
最後に、私も忘れないでね~
 
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▲公園内に展示されいる ハチロク 68692  大正12年生まれです!(^^)!

 
 
(つづく)
 
 
 
 
 

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▲徳島駅前の郵便ポスト◇阿波踊りのブロンズ像付き 2013.11.24 

 
ちょっと用事があって徳島に行きました
少しの暇を見つけて撮り鉄も~つづき(^_^)v
 
さて、前回に引き続いて徳島運転所の気動車達を観察するとしましょう。
今回はお昼時の様子を紹介します
(止まっているものばかりですけど・・・)
まずは、たらこ色を挟んだキハ47からどうぞ~
 
 
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▲たらこ色の気動車もいるんですね~間に挟まず、先頭車にしてくれ!(^^)!

 
 
 
お次からは、JR四国最新鋭のキハ1500形気動車ですぞ
実は、現地に来るまでこのような気動車が走っていることを知りませんでした~
ちょっとだけ調べてみたところ・・・
 
経年30年以上のキハ28・58・65形を置き換えるために開発された新形一般形気動車。 バリアフリーの設備として、車いす対応便所や車いすスペースを設置するとともに、車両 床面高さを低くすることによる出入口のステップレス化をはじめ、扉開閉チャイムや停車駅表示装置を行っている。
(鉄道ファン・車輌図鑑解説より)
 
よく見ると、窓は今時珍しい2段式なんですね。
扉も3枚あるし~、コーポレートカラーの水色ではないし~
今までのJR四国にはなかったコンセプトかな
今回は乗車はできなかったのですが、乗り心地はどうなんでしょう(?_?)
 
 
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▲ステンレス車体に緑色を配したキハ1500形気動車です(^-^)

 
 
 
1500形につづいて1000形も紹介しておかねばなりますまい(^O^)
1000形の前面はレールバス的な~まるで“しょくぱんまん”のような~
それに比べると、1500形の方は現代風のお顔立ち
 
並べてみると、顔立ちの違いが際だちますね(~o~)
(車内も大幅に違っているようですけど)
 
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▲1500形と1000形が仲良く横並び~(*^_^*) 

 
 
 
最後に、1500形の走行写真を一枚紹介して、今回は終了です。
(次回につづく)
 
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▲1500形って、数字のフォントも違っているんだよね~加速良さそう(*^_^*)

 
 
 

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▲徳島県庁前の新町川より眉山を望む   2013.11.23 

 
ちょっと用事があって徳島に行きました
少しの暇を見つけて~撮り鉄も(^_^)v
 
2週間前の高松と同じ文句だな・・・で~
7年間愛用してきたコンデジに替わって、カシオのコンデジを即購入(^_-)
(型落ちで、ヨドバシにて安く購入したなり)
早速のお試し撮りと相成りました
 
夕方に、やっとこ暇を見つけて徳島駅界隈で撮り鉄!(^^)!
JR四国の列車が登場するのは、当ブログでは初めてですな
 
 
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▲JR四国の塗色は水色がポイントですね(^O^) 吉野川とかをイメージしたのかな?

 
 
 
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▲キハ185系 2両編成の “ホームエクスプレス阿南” だよ~(~o~)

 
 
 
徳島運転所の列車を眺めながら、徳島駅の高松寄りの跨線橋にやってきました
ちょうど、鳴戸行きのキハ47がエンジン音を響かせながら通過~
 
駆け上がった跨線橋から、縦バージョンを撮った後に、振り向きざまにもう一枚ものしました(^_^)v
薄い煙をたなびかせ、列車は徳島駅を発車
 
 
 
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             ▲キハ47の2両編成鳴戸行きが発車していきました(*^_^*)


 
 
 
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 ▲振り返りざまに、もう一枚撮影(^_-)  うっすらと煙を残して列車は出て行った・・・

 
 
 
最後にもう一枚~
夕暮れ時より、昼間の順光で撮った写真がやっぱり美しいですね
 
カシオのコンデジにて撮影した今回の写真はいかがでしたか?
 
 
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 ▲線路の曲線が美しいですね~ 徳島駅の裏手はこんな風に緑に覆われています(^o^)

 
 
(つづく)

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