炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 鉱山軌道◇明延編

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大学生の頃、一度は明延の1円電車(明神電車)に乗ってみたいと思い3泊4日の旅をしました。

まずは、京都に1泊(^-^)
安宿の2階小部屋で、2万5千分の1の地形図を眺めながら1円電車に思いをはせる・・・。

2日目、いよいよ山陰線で和田山へ、そこから播但線に乗り換え新井(にい)へ行ったのかな?
そこから神子畑の選鉱所まで歩いた? 記憶が定かではありません(-_-;)

明延鉱山といえば、すず・銅・亜鉛など多品種の非鉄金属鉱山として知られていて、古い記録によると奈良の大仏建立の時にも明延の銅が使われたとか。
その鉱石を神子畑(みこばた)の選鉱所まで運ぶために敷設されたのが、このときの探索目標である鉱山軌道であります。(つづく)


撮影日:1978年9月12日
撮影地:神子畑選鉱所の明神電車乗り場付近

◆1/2.5万 地形図 神子畑(昭和49年12月28日発行)

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長いトンネルにまもなく入ります

一回目に引き続き神子畑を出たばかりの電車です。
斜めの屋根の荷物車?、そして客車を2両連結した明神電車は明延に通じる長いトンネル(3900m)に向けてゆっくり進んでいきます。〔この写真は、後追いの写真です〕
砂防ダムも見え隠れするこの山腹を越えれば明延です。
トンネルの入り口の標高は約400m、最高で834mの峰の地下をほぼ水平に一直線に走り抜けます。

☆参考☆ 1/2.5万 地形図 神子畑,大屋市場(S48.12.28発行)

撮影日:1978年9月12日
撮影地:神子畑付近

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明延に到着です

思いかなって、明延に到着です!(^^)!
実は、かの有名な1円切符も購入することなく、神子畑にて乗車・・・。
そして、明延にて泊まる宿のあてもなくとりあえず乗車・・・。

それでも、狭く暗い車内に揺られてとにかく着きました(^_^)v
いやー、我ながら若かったもです。
となりには、プッシュプル方式の無線操縦による電気機関車牽引の鉱石列車が止まっていました。

撮影日:1978年9月11日
撮影地:明延の乗降所にて

★追記★
お気づきのように、1978年9月11日に到着。この日の明延は雨上がりの天気でした。実は、神子畑での写真はこの次の日の写真で、明延を後にした時のものです。12日は生野まで足を伸ばし、駅前旅館に泊まりました。(この記憶ははっきりしているのだ)

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駅舎側から電車をのぞむ

到着した日は天気も悪く、この駅舎付近で数枚の写真を撮っただけでお開き(*_*)
明日の探索に期待して鉱山を下りました。

で、とにかくしっかり宿には泊まりました(@_@)
屋号は思い出しません・・・、記録も残ってません・・・。
次回は、この日9月11日の残りの写真からです。

撮影日:1978年9月11日
撮影地:明延の乗降所にて

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朽ちたナベトロ

明延の乗降所を少し神子畑よりに行ってみると・・・

朽ちたナベトロがお出迎え('_')
奥深い山奥の中腹に放置されている様は、もの悲しさをさそいます。

奥には、前回紹介した鉱石列車の機関車が見えます。


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木製トロッコと坑口

鉱山事務所近くを、少し散策・・・

これまた、朽ち果てた木製のトロッコと廃坑を発見(^^;)
雨に濡れれた木々の緑が目にしみます。
しばし構図を考えて、一枚撮影。


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バッテリーロコの出番

バッテリーロコの充電施設でしょうか・・・

ちょうど転車台にのって回転しているところです。
木造・スレート屋根の建物にも年季が入っています。
この建物を目にしながら『明延の冬には、どれほどの積雪があるのだろうか?』と思いを馳せました。


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この先に興味津々

さて、建物の先まで散策を試みしました・・・

鉱山事務所などの施設の先に伸びる線路があることは、地形図で確認済みです。
線路は岩肌を削ずって先まで伸びています。
錆びてはいないので、ここをトロッコ列車が行き来していることは確か!(^^)!
どんな列車が走っているのか? この先どんな景色が展開するのかとても興味津々です。
木製架線柱の“徐行”の掲示板と水たまりがいいアクセントですね。

明日の探索に期待を持ちながら、鉱山を後にしました。 


撮影日:1978年9月11日
撮影地:明延鉱山にて

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1/2.5万 地形図で撮影地の確認

明延訪問2日目です。
朝の一番電車をねらいます。

1/2.5万地形図にて、地上部分を確認しましょう。
神子畑を出た電車は約3.9Kmのトンネルを抜け、短い地上部分(約400m)を走行します。
そして500mのトンネルを越えると明延に到着です。

この約400mの短い地上部分が今回の撮影地です。
線路脇を明延川の支流が流れています。

◆国土地理院 1/2.5万 地形図大屋市場 昭和49年2月28発行(一部)


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一番電車が走ります①

明延から、神子畑行きの電車がやってきました。

明延川の支流は、山に囲まれた谷間を流れます。その谷間をちょうど400mの等高線に合わせるように762mmの線路が敷設されています。(高低差はほとんどありません)

朝靄のなかの一枚です。


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一番電車が走ります②

石垣の上を、電車がだんだん近づいてきます。

写真下の道を、明延の町から歩いてやってきました。
今日の天気も今ひとつ('_')・・・ まだ少し薄暗い山の谷間です。

機関車の次位には、元貴賓車だった唯一のボギー式人車“くろがね号”そして“わかば号”、書類運搬車。
幸いにもこれらの車両を含めて、すべての明神電車の車両が保存されていることは非常に喜ばしいことです。
地元の方々の、“1円電車”にかける思いが今も強いのだと感じます。

次回は、この撮影地のすぐ先にある、明神電車唯一の鉄橋上からです。(つづく)


撮影日:1978年9月12日
撮影地:明延~神子畑

◆参考文献:岡本憲之著『全国鉱山鉄道』 JTB 2001年10月1日発行

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トンネルをぬけ、神子畑から電車がやってきます

前回の撮影地から、少し神子畑寄りにやってきました。

ここは、明神電車の短い地上部にあり、かつ唯一の鉄橋上の写真です。
鉄橋の横から撮影しようかなど、構図をあれこれ悩んだ記憶があります。

結局、トンネルを出てすぐの鉄橋を渡る電車を、正面から撮影することにしました。

実は、トンネルを出てすぐのところで、電車は一旦停車して神子畑からの乗客を降ろします。
トンネル出口付近にカーブミラーがありますね。
その手前が乗降所となります。

次回は、この写真のカットのつづきからです。


撮影日:1978年9月12日
撮影地:神子畑~明延

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トンネルを出てすぐに停車です

前回の続きです。

3.9㎞のトンネルを越えると、電車は乗降所に一旦停車です。
3名ほど、朝の通勤だと思います。鉱山関係者の方達でしょう。

地形図を確認すると、近くには坑口の標記はありませんが、何らかの施設があったのは間違いないと思いますが、これ以上のことは私には分かりません。


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明延までもう少し

先の電車の後追い写真です。

線路の川側に1本、山側には5本のパイプが縦にきれいに並んで敷設されいます。
排水用でしょうか?

撮影日:1978年9月12日
撮影地:神子畑~明延

今回から、3回に渡って資材置き場の報告です。
一番電車を撮影した後に、旅館に戻って朝食。
その後に昨日の宿題?にしていた鉱山周辺の探索開始(^_^)v

ところで、お盆に里帰りをした折りに、当時のメモ等を発見しました!(^^)!
なぐり書きのメモですが、いくつか写真にあわせて載せていきたいと思います。

で、さっそく今回のメモは・・・ではなく“領収書”(?_?)
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泊まった旅館が判明しました。
「松本屋旅館」でした!!

1泊2食で4.000円だったんですね。
お世話になりました。

さて、今回の撮影場所を地形図で確認しましょう。

地形図で坑口を確認

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ズリ山に立っているような明延鉱山のすぐ下部に、今回の資材置き場があります。
川をはさんで2つの坑口が見えますね。
ここが資材置き場です。

◆国土地理院 1/2.5万 地形図大屋市場 昭和49年2月28発行(一部)

それでは、2枚の写真をどうぞご覧あれ。

坑木などの資材を運びます

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1枚目は鉱山の真下にある坑口です。
標高約300mにあります。
ここから明延鉱山の竪坑下に通じていると思われます。

2枚目は、川にかかる橋の方からです。
私の後ろには坑口があり、西の方向に坑道が続いていて、標高557mの山を越えて西側の谷すじに通じています。
(地形図にて確認してみましょう)

ここから毎日BLの坑木運搬車が出て行くようです。
(つづく)

撮影日:1978年9月12日
撮影地:明延鉱山

カメラをかかえ、うろちょろしながら
作業中のおじさんに話しかけたところ・・・

ここからは、1日1回午後1時頃に西部鉱区に向けて
坑木列車が発車するとの情報を得ました。
が、予定では13:00発の神子畑行きの1円電車に乗ることに(>_<;)

そしたら、「動かすから、写真撮っていきなさい」と親切なお言葉。
すぐに甘えて、しばしの撮影会と相成りました。

ご丁寧に、まずはトンネルから出てくるとこらから始まって、
橋を渡り、道路にてしばし一旦停車。
(ひとりごと・・・ここでのカット同じようなの3枚あり)
そして、ゆっくりと仕事場の方へもどって行くBL。

ありがとうございました。

ところで、このBLには羽根付きのニチユエンブレムがついています。
鉱山軌道を代表するようなBL(蓄電池機関車)ですね。
(つづく)

わざわざ動かしてくれた坑木列車

トンネルの中から、BLのお出ましです。左の線路はインクラインに通じます。
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橋には、右方向の坑木置き場につづく線路がみえます。
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よく、廃鉱探検みたいな報告で見かける警報機とトンネル跡は、この場所だったのかな?
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坑木積みのお仕事中にもかかわらず、運転ありがとうございました。
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撮影日:1978年9月12日
撮影地:明延鉱山

久々の更新です(*^_^*)
お待ちかね? (ほとんど関心ある人ないかも・・・)

インクライン下の坑木列車のつづきです。
木工所がある南側の全景を見てみましょう。

線路が二股に分かれれて、木工所や坑木置き場に続いています。
この先は、川を渡ってさらなる坑口へ。
(下の、メモ参照)

斜めに立った電柱が時代を感じさせてくれますし、
左には、45°ちかくの急角度でズリ山の下部が見えます。

このズリの上に、明延の1円電車の線路や鉱山関係施設がありました。
(つづく)

木工所の全景です

二股に分かれた線路の先は、橋を渡り坑口につながります
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手前が西部鉱区行きの坑口、左に分かれる線路もあるな・・・
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おまけ・・・訪問当時のはしりがきメモ用紙
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撮影日:1978年9月12日
撮影地:明延鉱山

今回も、久々の更新です(*^_^*)
お待ちかね?  いよいよ、明延鉱山のクライマックスに近づいてきました。

インクライン下の坑木列車を撮影した後は、いよいよ本日のお楽しみ!(^^)!
以前に紹介した、鉱山事務所脇から北が伸びるナローの線路探索です。
まずは、再度 1/2.5万の地形図にて線路の確認をしてみましょう。

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          ◆国土地理院 1/2.5万 地形図大屋市場 昭和49年2月28発行(一部)

明延鉱山の竪坑から、約380mの等高線に沿って1本の線路が北に伸びていますね。
鉱山の事務所などの建物群を抜け、大きく右にカーブして谷間をはいつくばるようにして線路は進みます。ここにも、4つの建物があるのが読めます。その後も山肌をぬう様にして400mくらい走った線路は、大小2つの計500mのトンネルを抜け、ズリ捨て場に向かいます。

当時のメモを次に載せておきます。
このズリ捨て列車は、1週間に運行されるのが1~2回ほどのメモがあります。
訪問した日が、ズリ捨て列車の運行日に当たっていて幸運でした。
私は、世に有名な“1円電車”よりも、このズリ捨て列車の方がお気に入りです。

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それでは、鉱山事務所脇を抜け山肌を縫うようにやってくるズリ捨て列車をご覧あれ。

谷間の向こうから、ズリ捨て列車がやってきます

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◆事務所脇を抜け、山間の谷間をぬってズリ捨て列車がやってきました。(左端の黒い車体に黄色のパンタグラフがついた機関車です)こうしてみると、どうしててどうして雄大なスケールのロケーションではありませんか!(^^)!

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◆ゆっくりした足取りで、その姿が近づいてきます。初めて目にする明延鉱山500mm軌道の電気機関車です。
(つづく)

撮影日:1978年9月12日
撮影地:明延鉱山

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