炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 西鉄紀行

イメージ 1

夕暮れの、櫻咲く土手から俯瞰した西鉄600形の大牟田行き急行です。

すでに、ブルーの車体にイエロー帯時代の1000形,1300形は特急の運用から退き、新造の2000形が特急列車として颯爽と疾走していました。この急行も、ほんの少し前までは300形が運用についていましたが、すでに引退が進んでいて宮地岳線に都落ち・・・。

かつて、西鉄大牟田線(現在は、天神大牟田線)は、このように朝夕の多客時には大牟田行き急行の設定もあり、文字通り幹線でした。しかし現在の大牟田線の南部は、甘木~大牟田間の各駅停車ワンマン運転の7000形が2両編成で普通列車の運用についていて、わたしにはローカル線の観を呈しているように思えます。
特急だけは今も福岡天神~大牟田間を走っていますが、終点の大牟田市の人口がかつて20万人を超えていたのが、今や13万人ほど(しかも高齢化が進んでいる)では致し方ないでしょう。

この600形の旧塗色は懐かしい西鉄色です。5000形が続々と投入される中、1976年4月9日の西鉄大牟田線倉永駅付近でした。


★追記★
コメントのご指摘は、ごもっともです。私の思いについて少し説明足らずでしたので、「しかし・・・」以下の本文などを一部補足・修正いたしました。
〔これでも、現状認識がおかしいかもしれませんがお許しを〕

イメージ 1

西鉄紀行2枚目は、やはり大牟田線随一(例によって私の勝手な思いこみによる)の車窓が楽しめる矢部川にかかる中島の鉄橋です。

中島駅のすぐ南側は、漁港がつらなる矢部川の河口付近となっています。竹竿がさされ、たくさんの漁船が係留されています。今でも、ここを通ることがあると身を乗り出し、しばし矢部川の風景を眺めます。
車窓から見る限りでは、有明海沿岸道路の橋脚工事が目に入ること以外は30年前とあまり変化してないように感じますが、実際に歩いてみたら違っているかもしれませんね。

この頃の2000形は2扉の時代で、1989年デビューの8000形が登場するまでは西鉄の花形でした。最近マイクロエースから発売された2000形の模型も、この2扉の方が人気があるように感じますが、これもわたしの思いこみかも(*_*)
もちろんロゴマークも“西”の字をあしらったマークでした。
夕暮れ近くの(何だかここのところ夕暮れが多くない・・・)福岡行き特急です。

しばらくは、30年前の中島の鉄橋からお送りいたします。(つづく)

撮影日:1978年4月2日
撮影地:西鉄中島~江の浦

イメージ 1

中島の鉄橋シリーズ第2弾は、1000形の下り大牟田行き各駅停車です。

大牟田側から、中島駅の方角を撮った春の夕暮れ時の一枚です。
中島駅を発車した列車は、ゆっくりと鉄橋を渡って行きます。写真を見ていると、鉄橋を渡る“ゴトン、ゴトン・・・”という音が今にも聞こえてきそうな気がします。

そういえば西鉄中島駅の魅力は、この鉄橋の風景と駅のすぐ先(福岡側)にある大牟田線唯一の信号所でしょう。信号所の側線に入った各駅停車のわきを、単線区間を走り抜けてきた特急列車が瞬く間に通過していく様は、各駅停車の車内から見ているといつもドキドキさせられます。

★追記★
2000形の登場とともに特急の座を明け渡した1000形でしたが、しばらくは元の特急色であるブルーにイエローのままで2扉でした。昭和51年から3扉・ロングシートへの改造が行われ、この写真が撮影された年に全24両の改造が完了しました。(まだ、クーラーの取り付け工事は行われていません)
お別れ運転で、元の特急色に身を包んで引退したことは記憶に新しいことと思います。


撮影日:1978年4月2日
撮影地:西鉄中島~江の浦

イメージ 1

600形急行

中島の鉄橋シリーズ第3弾は、600形急行大牟田行きです。
(たぶん・・・それにしても、車内に人のシルエットがぜんぜん見うけられんな・・・あやしい記憶です)

西日が随分と傾いてきました。
中島の漁港には、陸に上げられた船もあります。木造の漁船です。

有明海は、豊かな海として知られています。
ノリの養殖に、アサリ、ムツゴロウ、タイラギなどなど・・・。
有明海でしか見られない魚介類も沢山あります。

近年、諫早湾の干拓事業による影響か?さまざまな異変がおきていることが報道されてきました。
有明海内の潮の流れの変化や、九州山地に元を発する川からの豊かな水の供給が減少するなど、
有明海を取り巻く環境は厳しいものがあります。

荒尾や三池港の浜で、ざくざくとアサリがとれていた頃の環境に戻すことができるでしょうか(-_-)



撮影日:1978年4月2日
撮影地:西鉄中島~江の浦

イメージ 1

鉄橋を渡る20形

3連の20形普通電車が鉄橋を渡っていきます。
1000形に似たマスクの20形のシルエットはいいですね。

100形や300形の普通電車が、まだまだ大牟田線で活躍している頃です。
でも、ほとんどこれらの電車にカメラを向けたことがありませんでした (-_-;)

みなさんも同じような思いをされたことがあるでしょう・・・

“あの時、もっと撮っとけばよかった”

20形は宮地岳線に転出して120形となりましたが、鉄道趣味はしばらく休眠状態でしたので二度とお目にかかることはありませんでした。


【中島の鉄橋シリーズはとりあえず今回にて終了/次回からは甘木線です】


撮影日:1978年4月2日
撮影地:西鉄中島~江の浦

イメージ 1

鉄橋を渡る200形+60形

30年前の西鉄甘木線を散策してみましょう。

1枚目の写真は、大刀洗川の鉄橋を渡るモ200+ク60です。

中島での撮影の1ヶ月ほど前、1978年2月26日好天につられるようにして甘木線を訪れました。
記録のよると、古賀茶屋(こがんちゃや)にて電車を降り、甘木方面に向けて線路沿いを歩いての撮影行です。

まずは古賀茶屋駅のすぐ先、甘木方面に行ったところにある鉄橋で1枚!(^^)!

小春日和の暖かい日差しを受けての1ショットです。
[ひとりごと・・・本物のコダクロームスライドを見ると、もっといい発色してるんだけどな]



イメージ 2

ク62がやってきました

同じく、古賀茶屋駅の近くでもう1枚。

大川線からの転入車両である60形を先頭に、甘木行きがやってきました。
昼間の閑散時には、このような2連の運行もあったと思います。

サ250を組み込んだ3両・4両の編成からなる堂々の200形もいいですが、2連のこの電車もなかなか可愛いでしょ(^_^)v

枚数は10枚ほどと少ないのですが、しばらくは甘木線をお楽しみ下さい。


撮影日:1978年2月26日
撮影地:西鉄甘木線/古賀茶屋駅付近

イメージ 1

水神さまが見守る西鉄甘木線

甘木線シリーズ第2弾も古賀茶屋からです。

水神さまの祠(ほこら)をかすめながら、200形電車が行きます。

撮影日:1978年2月26日
撮影地:西鉄甘木線/古賀茶屋駅付近

ここでちょっと、筑後川と水神様にまつわるお話をば少し・・・(^_-)
西鉄甘木線のすぐ南には、阿蘇の外輪山に源を発する筑後川が流れています。
利根川が“坂東太郎”と呼ばれるのに対して、筑後川は“筑紫次郎”と呼ばれてきたことは皆さんご存じですかな?
この筑後川は、東の利根川とともに暴れ川として知られていて、過去に数々の洪水を引き起こしてきました。
中でも、1953(昭和28)年の大水害は、筑後川史上最大の被害をもたらしたと聞いています。
(ひとりごと・・・洪水のおかげで肥沃な筑紫平野があることも事実なのだ)

さて、筑後川と密接にかかわってきた筑紫平野では、古くから川や水を司る神々を信仰してきました。なかでも水神や河童は、水禍をもたらす荒神として恐れられただけでなく、川の恵みを司る神・水難除けの守護神としても敬れてきたものです。
(ちなみに、久留米市にある水天宮は、水難除けの神として全国に分布する水天宮の総本山です)

やっと、写真にある水神さまの祠に行きつきました(^-^)

そういえば、筑後地方の子ども達は、首に小さなヒョウタン形をしたお守りを吊していたことを思い出しました。
(私は身につけたことは一度もありませんでしたが・・・)
あの首の小さなヒョウタンは、川や水路で泳ぐ子供たちがカッパに引かれないようにと吊していると聞きましたね。

そんな、筑後川の歴史や流域の暮らしをのせて、西鉄甘木線は筑紫平野を走ります。

宮の陣から数えて4つめの駅、北野駅にやってきました。

この日の撮影では、60形の編成に何度か出くわしました(*^_^*)

当時の編成は記録によると・・・
204+62,210+63(Mc+Tc)ですね。

60形は、もともと旧宮地岳線の前身である博多湾鉄道汽船が造ったガソリンカーです。
この4両のガソリンカーは、大川線に移籍後1951年に大牟田線に移籍され電車化されています。
その後、甘木線での専用車両となり活躍していました。
また、この62・63の2両は、200形同様に外板が改造されていたようです。

ま、とにかく4枚窓の前面が気動車スタイルで、往時を彷彿とさせてくれますね(~o~)
(ひとりごと・・・よく見ると63の前照灯てえらく高くない?)

なお、この記事を作成する際には以下の資料を参考にいたしました。
◆山本 魚睡・松島 克広 著 『日本の私鉄16 西鉄 』 保育社(1982年)
◆山の日常ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/hiroyuki0751 
 詳しい資料が上記のブログにあります。興味のある方は、ぜひこちらのブログをご覧下さい!(^^)!

北野駅での60形 列車交換風景

イメージ 1

イメージ 2

撮影日:1978年2月26日
撮影地:西鉄甘木線/北野駅

ここでちょっと沿線散歩 その1 北野天満宮
北野といえば、やはり北野天満宮でしょう。

北野町の名前のもととなった北野天満宮です。
神社に伝わる縁起によると、1054年(平安時代)に建てられました。
祭られているのは、もちろん学問の神様で有名な菅原道真です。
詳しく知りたい方は、上記北野天満宮のHPを見てみましょう。

さて、天満宮に伝わるエピソードとして、ここでも河童がでてきます。
本殿には、今も「カッパの手」が伝わっているらしいのですが、25年に1度公開されるそうですよ。
今度公開されるのは何時なんでしょう(?_?)

今回の散策地図を用意しました。
1978年当時ではなく、最近の地形図です。
(ひとりごと・・・ん、こがのちゃや?!)

1/5万 地形図で確認を

イメージ 3

◆国土地理院 1/5万 地形図 甘木 平成8年8月1発行(一部)

宮の陣から数えて5つめの駅、大城駅近くまでやってきました。

北野駅を出た電車は、床島用水と筑後川に細く流れ込む陣屋川を越え大城駅へと進みます。
民家の脇をかすめて、4連の200形がのんびり走ります。


北野~大城間を行く200形電車

イメージ 1


イメージ 2

撮影日:1978年2月26日
撮影地:西鉄甘木線/北野~大城

ここでちょっと沿線散歩 その2 今村天主堂
大刀洗の「今」には今村教会と呼ばれる美しい赤煉瓦造りの建物があります。
筑紫平野のど真ん中に、どうしてこんなにも堂々とした煉瓦造りの天主堂があるのか(?_?)
誰もが驚く、その規模のすごさにロケーション!!
一度は、訪れたい“全国赤れんが建築番付で西の横綱”と称される建築物です。

ところで、「今」の地域は江戸時代の長きの間、キリスト教禁教のもと“隠れキリシタン”としてひそかに信仰を守り続けていた人々が住んでいた場所です。
信仰が自由になった明治時代には、フランス人神父ソウレが今村にきて、木造の教会が建てられます。
そして、この赤煉瓦造りの教会は、本田神父の時代にフランスなどからの寄付や信者の努力によって1913(大正2)年に完成しました。
美しいステンドグラスや絵はフランス製、柱は高良山の杉、煉瓦は迎島(旧佐賀県神埼郡千代田町)瓦は城島で焼かれたものが使用されています。
そして、この教会の設計者はかの鉄川与助であります。


今回も散策地図を用意しました。

今村は、大城駅の北、直線で約2キロの地点にあります。
(地図中には、「今」と標記されている)
老人ホームの標記近くに今村天主堂があります。

1/5万 地形図で確認を

イメージ 3

◆国土地理院 1/5万 地形図 甘木 平成8年8月1発行(一部)

イメージ 1

撮影日:1974年10月20日
撮影地:西鉄大牟田線 東甘木~倉永

西鉄特急 最高速度アップ(^_^)v 3月末ダイヤ改正

西日本新聞の2/13付朝刊に、西鉄の話題が掲載されました。
以下、記事の抜粋です。

西日本鉄道(福岡市)は12日、天神大牟田線の特急列車の最高速度を現行の時速100キロから同110キロに上げ、福岡天神‐大牟田間の所要時間を4分間短縮させると発表した。3月末のダイヤ改正から特急すべてで実施する。同線特急の速度アップは1983年以来25年ぶり。
特急は現在、上下計61本運行(平日)。今回の措置で福岡天神‐大牟田間の所要時間は上りが62分から58分に、下りは63分から59分になる。
西鉄は速度アップを実現させるため、列車のブレーキの圧力を強くしたり、線路カーブの傾きを調整したり、必要な措置を約14億円かけて実施した。

しばらくの間、西鉄にカメラを向けたことがありません・・・。
1000形引退の時も、西鉄福岡駅から筑紫車庫まで運転席後ろのかぶりつき席(@_@) にて乗車したのみでした・・・。
この書庫も、昨年の9月から実質運休状態(>_<;)

久々の更新は、25年ぶりのビッグニュース?ということでご勘弁を・・・。

さて、写真は1974年10月の西鉄2000形です。
ローレル賞を受賞した直後で、円形の受賞記念ヘッドマークをつけています。
もちろん2扉 2000形登場時の特急列車の姿でございます。

↑このページのトップヘ