炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 国鉄時代

今回まで、“にちりん”の写真です。
(あさかぜ様は、次回にまた登場予定)

5番線には、博多駅終着の“にちりん”1号が、
そして、6番線からは始発のキハ82系の“にちりん”3号が独特の音と煙を残して発車していきます。

両者が、ちょうどホームの端で顔あわせ(^-^)
(ひとりごと・・・鉄ちゃん仲間が隣のホームにもいたんですね)

DCとEC“にちりん”の2ショット

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5番ホームにやってきました。
485系の“にちりん”号も撮りましょうね。

ボンネット特急健在なり

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こんな斜めの構図はいかがですか?
新幹線のホームも望めますし、博多の駅名標も入ります。(^_^)v
そして、JNRのマークが輝いてみえます。

今年開業の新幹線も仲間に入れてやろうかな

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撮影日:1975年10月26日
撮影地:博多駅4,5,6番ホーム

久々の“あさかぜ号”の登場です(^_^)v
(ひとりごと・・・題名のわりには主役がめったに登場しません)

前回の博多駅にての撮影行を終え、次なる撮影の構想がわいた私。

次は、博多駅から竹下客車区への回送シーンを撮るぞ。
そして、竹下客車区と南福岡電車区もついでに訪問だ!(^^)!

2ヶ月後の12月、何とか博多~竹下間の線路脇に入り込みカメラかまえて回送“あさかぜ”を待ちます。
この区間は、列車の本数が多いのでちゃんと撮せるかちょっと不安です。

そうこうしてる内に・・・
回送線をED73に牽引された“あさかぜ”がやってきました。

ED731006牽引の回送“あさかぜ”

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竹下客車区に入線するために、一旦停車中の“あさかぜ”です。
そばを、これまた回送列車の485系“にちりん”が通り過ぎて行きます。

よく見ると、7号車・ナハネフ23かな? 乗降口の扉が開いたまんまです。

“にちりん”回送列車とすれちがいます

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大好きな20系“あさかぜ”の長~い編成写真が撮れて満足でござんす。
いやー、やっぱり20系はすばらしい!(^^)!

回送列車は、ゆっくりと竹下客車区の洗浄線へと入線していきます。

すばらしい(*^_^*) 15両の20系“あさかぜ”編成

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撮影日:1975年12月14日
撮影地:博多~竹下


竹下客車区の南端まで歩いてやってきました。

32年前の竹下客車区です。
のんびりした雰囲気が伝わってきますね。カニのすぐそばで、子どもが遊んでます(@_@)
当時は、ちゃんとした柵もなく、近所の子ども達のいい遊び場だったんでしょう。

この洗浄線は今もありますが、“あさかぜ”なき後は入線する客車もなく寂しい限りです。

竹下客車区で一休みの“あさかぜ”

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撮影日:1975年12月14日
撮影地:竹下客車区(当時)

今回で博多駅シリーズはひとまず終了です。

竹下客車区にて20系“あさかぜ”を撮影した後、ついでに南福岡電車区まで足を伸ばしました。
もちろん徒歩です(^_^)v

で、今回も主役の“あさかぜ”はお出になりませぬ(>_<;)
お出迎えしてくれのは・・・

クハ481形先頭のボンネット“有明”です。
スカートは、赤で60Hz用のクリーム帯付き。
私は、この赤いスカートの方がお気に入りでしたね。きりりと締まって見えます!(^^)!

南福岡電車区のボンネット“有明”

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お隣を覗いてみましょう・・・
こちらは、クハ481形200番台先頭車の485系“にちりん”と583系の“金星”です。
当時の南福岡は、国鉄型の特急電車のオンパレードでした。

電車区に憩う特急列車達

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撮影日:1975年12月14日
撮影地:南福岡電車区



◆今回で、博多駅シリーズをひとまず終了ということで、おまけの写真を用意しました。

この写真は、井上孝治撮影のポストカードです。
唐草模様の風呂敷といい、日本食堂のネオンサインといい古きよき時代を感じさせてくれます。
現在、九州新幹線の博多駅開業向けて工事が進行中ですが、今のビルが過去帳入りするのも時間の問題ですね。

さて、この写真は私のお気に入りの写真集の1つである、井上孝治さんの写真集『想いでの街』の中の1枚です。
(詳しくは、先の井上孝治のリンク先をお読み下さい)
「福岡にゆかりのある方なら、ぜひお家に1冊はおきたい」そんな素敵なレトロな写真集です。

1956(昭和31)年の旧博多駅

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◆S31.11.19~S32.3.9
 東京-博多(下り)7レ “あさかぜ”の編成は以下の通りでした。

 1号車 スハニ32
 2 〃  ナハネ10
 3 〃  ナハネ10
 4 〃  ナハネ10
 5 〃  ナハ10
 6 〃  ナハフ10
 7 〃  マシ35
 8 〃  スロ54
 9 〃  マロネ40
10 〃  マロネフ29        ちなみに、九州での牽引機はC59です(@_@)

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撮影日:1975年12月14日
撮影地:長崎本線・鳥栖付近



DD51重連の1レ さくら号が、鳥栖駅を発車し一路終点の長崎・佐世保をめざします。
この頃の長崎本線はすでに電化工事が始まっていて、この築堤下の線路にはずらりとコンクリートのポールが立ちはじめていました。

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撮影日:1975年12月14日
撮影地:長崎本線・鳥栖付近


DD51重連の1レ さくら号が、鳥栖駅を発車し一路終点の長崎・佐世保をめざします。
窓枠のHゴムもまだグレー時代の14系 さくら号です。

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撮影日:1973年7月中旬
撮影地:鳥栖駅にて


鳥栖駅6番線ホームの先端にたたずむ“さくら”号牽引機関車DD51619
この撮影時には、ヘッドマークが取り付けられていた
ホームから駆け下り夢中で撮影した一枚
 

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撮影日:1975年10月26
撮影地:鳥栖駅6番ホームにて



鳥栖駅6番線ホームの 14系“さくら”号です。
メモ帳によると、この日の鳥栖までの牽引機はED72 10号機でした。
ここからは、DD51の重連牽引となります。

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撮影日:1975年12月14
撮影地:肥前麓~鳥栖



“さくら”号撮影の予行演習(^_-)
肥前浜発のDD51牽引 334レが、背振の山系を背景に築堤を登ってきます
一日に3本(夜行の“ながさき”を含む)しかない貴重な客車普通列車でした

  

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撮影日:1976年 1月 5日
撮影地:佐賀駅


1976年の正月、まだ地上駅だった頃の佐賀駅
新大阪発の臨時列車“あかつき51号”が入線してきました
14系の座席車と鄙びた佐賀駅の一番線が朝日に照らされます

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撮影日:1976年 1月 5日
撮影地:旧佐賀駅付近


1976年の正月 1月5日はとても寒い朝でした
かじかんだ手を震わせて撮った一枚です
旧佐賀駅を出たDD51重連“さくら”号は、ゆっくり築堤を登り
次の停車駅「肥前山口駅」を目指します

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