炭鉱電車が走った頃

当ブログは、かつて大牟田・荒尾の街を走っていた“炭鉱電車”をメインにしています。かつての「三池炭鉱専用鉄道」の一部は、閉山後も「三井化学専用鉄道」として運行され、2020年5月まで凸型の古風な電気機関車が活躍しました。“炭鉱電車”以外にも、懐かしい国鉄時代の画像や大牟田・荒尾の近代化遺産を紹介していますので、興味がおありの方はどうぞご覧下さいませm(_ _)m         管理人より  

カテゴリ: 炭鉱電車◆客車編

前回の、煙突を入れての写真撮影の前に、四ツ山に登ったのでした。

この日は、自転車にて宮浦~万田~四ツ山へと線路沿いを巡ってきたのです。
途中、運炭列車に遭遇することはなく、ここ四ツ山に到着。
国鉄の特急やブルートレインばかりを追っかけていたのが、やっと? いつも見慣れた炭鉱電車に興味がわいてきた頃です。

四ツ山から、すぐ下を通る炭鉱鉄道の線路と大牟田の町に眺め入ります。

中央に延命公園の小高い丘、遠くには三池山に連なる山々が望めます。
三池港駅を発車した炭鉱電車は、築堤をゆっくり走り抜け四ツ山のヤードに進入していきます。


2両の客車に比べて、機関車が短くて可愛いこと。
自転車ほどのスピードでやってきたのに、機関車と架線柱が重なってしまった(*_*)

もう一度この場所で撮影しようと思いながら、ついに通勤電車の廃止までにこの場に立つことはありませんでした・・・。


四ツ山からの眺め

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撮影日:1976年1月18日
撮影地:四ツ山にて

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     ▲築堤上の万田駅と炭鉱電車

     撮影日:1978年 4月 7日
     撮影地:万田駅 

1978年4月7日の万田駅の炭鉱電車です。

正月1月2日に、 旧万田駅の駅のホームを見た時・・・ 思い出したカットが3つありました

一つは、すでにこの書庫にUPした「万田駅の炭鉱電車」
二つ目は、同じホームに降り立つ2人のおばさんの景

そして、今回紹介する「築堤上の万田駅と炭鉱電車」の写真です

駅のホーム自体も気になりましたが、「築堤を降りて、田んぼから眺めてみたい」と思いました
霜の降りた田んぼの畦道を歩み、万田駅ホームを写真におさめたのでした

子ども達が田んぼでキャッチボールをして遊んでます
その先に、三池港行きの炭鉱電車が静かに発車の時間を待ちます
乗客は一人もいません

車掌が一人座席に座っているだけ・・・


30年前の春の光景です


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     ▲万田駅に到着した炭鉱電車

     撮影日:1978年 4月 7日
     撮影地:万田駅 


万田駅に到着した炭鉱電車

1978年4月7日の万田駅の炭鉱電車です

正月1月2日に、 旧万田駅の駅のホームを見た時に思い出したカットの二つ目は・・・
万田駅ホームに降り立つ2人のおばさんの景

コハ103とホハ204、2両の炭鉱電車の乗客は2人だけでした


標準レンズ先のうつむくおばさんの景

少し傾いた〈まんだ〉の駅名標

穴のあいたスレート屋根

小豆色した三池マルーン色の客車

錆び付いたホーム階段の手すり

春の麗らかな日の築堤上の万田駅



今にしてみればどれも懐かしく愛おしい



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     ▲土場にて稼働中のL型電気機関車

     撮影日:1979年 1月 6日
     撮影地:大牟田市岬町 


いつもお世話になっている「炭鉄」様の掲示板にて、
“ガタガタ橋”とナローの坑外軌道が話題になっていましたので、写真を一枚UPいたしました(*^_^*)

三川坑から諏訪川を“ガタガタ橋”で渡った先には、坑木などの資材置き場がありました。
現在では、家族連れや子ども達の歓声が聞こえる「諏訪公園」となってる場所がそれです。

この坑外軌道は、三池港へ通じる道路を越えることから架線が高く、小さなL型の車体には似つかわしくないような背の高いパンタグラフを身につけた電気機関車が活躍していました。
釧路の太平洋炭鉱の電気機関車達を思いおこさせてくれますね。


大牟田在住の頃は、「いつでも見れるしその内に写真でも撮るか」
なんて思っている内に・・・

大牟田の地を離れ、趣味自体も長い休眠に突入してしまいました(*_*)

今では、手元に4枚のスライドが残るのみ。
肝心の“ガタガタ橋”を行くシーンも撮らずじまい・・・


斜めに傾いた架線柱がやたらと林立する、ここ資材置き場でした。
写真左手が諏訪川で、川岸から荷揚げされた坑木が山積みされていました。
写真奥には、簡易なホッパーが見えます。
坑内で使用する資材と思われますが、この白い砂状のようなものは何だったのでしょう?

小さな炭車達がホッパー下に潜り込んでいます。


今からちょうど30年前の光景です。

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    ▲今月の一枚より 小春日和の玉名支線 宮内駅
      撮影日:1978年4月7日
      撮影地:玉名支線 宮内駅


31年前の春・・・
玉名支線の一コマ

大平駅を出て、切り通しを通過した“炭鉱電車”が宮内駅に到着

荒尾での買い物を終えたおばちゃん達の声で、ホームが賑やかになります
発車の合図である、笛が鳴ります

美しく整備された5号機の運転室にて
運転士の腕がノッチのびています

短いホイッスルの後
ゆっくりと、“炭鉱電車”が宮内駅を発車していきます


春爛漫の玉名支線の忘れえぬ光景です

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    ▲今月の一枚より : 春うらら ~築堤をのんびり走る“炭鉱電車”~
      撮影日:1978年 4月 7日
      撮影地:玉名支線 大平~原万田


春うらら・・・
穏やかに晴れ上がった、春の昼下がり

われらが“炭鉱電車”が、のんびりと走ります


ここは、大平と原万田を結ぶ築堤

今では、宅地開発されたり道路が貫通し
このようなのんびりした築堤の景色は失われてしまいました


あらためて写真を見てみると・・・

なんと、可愛い電気機関車であることよ
なんと、味のある客車達であることよ
なんと、三池マルーン色の妙なることよ

そして・・・

築堤上の“炭鉱電車”のサイドビューの、なんと美しいことよ

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   ▲まもまく宮内駅に到着
     撮影日:1978年 4月 7日
    撮影地:三池鉄道玉名支線 宮内駅



大牟田市に保存されている20tB5号機を見るたびに思い出す光景があります

2両の鄙びた客車を牽引して活躍していた頃・・・

三池港を発車した“炭鉱電車”は、本線上を走行して原万田駅を過ぎると玉名支線にすすみます
荒尾の市街地を望む築堤を過ぎれば、そこは大平駅

大平駅を発車した“炭鉱電車”は、短いコンクリート橋を渡り切り通しへ
すぐ脇を未舗装の道路が寄り添い、緩やかなカーブを自転車並みのスピードで走り宮内駅にさしかかる・・・

切り通しから顔を出した“炭鉱電車”を125个遼庄鵑蚤えました

いまも往時の姿を留める宮内駅
訪れる度に、ありし日の“炭鉱電車”の姿をまぶたに思いうかべます

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   ▲平井駅での31号機 機廻し
     撮影日:1979年 3月 2日
    撮影地:三池鉄道玉名支線 平井駅



平井駅での31号機 機廻し作業

ここは、三井三池港務所専用鉄道 玉名支線の終点平井駅
三池港から炭鉱電車が到着し、機関車が切り離され機廻し線へ

春の息吹を感じはじめた、春3月の夕暮れ
係員に伴われた31号機が、ゆっくりとこの支線末端へと進み行く

原点回帰・・・1001回目の投稿を記念し、ブログ『炭鉱電車が走った頃』をはじめた当時の原点に立ち返って、この鉄道をあらためて眺めていきたいと思った



TOPの写真、実は撮影者である自分の影が映し出されている
機廻し線のはずれ、電柱を背にしてカメラをかまえた自分がそこにいる
あたかも、炭鉱電車と一緒に記念撮影をしたかのように

いつまでも見守っていたかった鉄道・・・

凸型の、瀟洒でいつも美しかった電気機関車
自転車並みのスピードで、無骨な2両の客車たちを牽引していたあの姿
その姿を目にすることは出来ないが、幸いここにこうして30数年前の姿を目にすることが出来る


わが鉄道と自分を写真に重ね、原点回帰の三池の鉄道風景をこれからもお伝えしたいと願う




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  ▲春の日の菜の花畑と炭鉱電車
    撮影日:1978年 4月 7日
    撮影地:三池鉄道玉名支線 大平駅



  “春麗ら”

  柔らかな春の日の午後

  菜の花畑の先に 炭鉱電車が停車する


  大平駅の乗降客はなし

  扉を開けたまま 車掌が発車の合図をおくった


  ゆっくりと ゆっくりと炭鉱電車が走り出す


  いまだ覚めやらぬ背後の山笑う頃

  菜の花畑の黄色が鮮やかに目に映る


  菜の花が わが世の春のごと みだれ咲く

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 ▲二つ目玉の17号機が行く
    撮影日:1978年 4月 7日
    撮影地:三池鉄道本線 万田駅にて



万田駅横の本線を、大きな二つ目玉の17号機が空炭車を牽引して通過していく。

万田駅に到着した炭鉱電車の機廻しも終わり、再び三池港への発車を待つ間の一コマ。


宮浦坑と万田坑を結ぶ間は、明治時代に築造された高い築堤が続く区間である。

鉄道風景を遮るものはなにもなし。

ただ、架線柱や鉄塔が連なってはいたが。


それにしても、大きな二つ目玉?の45t機は珍しい。

古い電灯式のライトを、キャブ前面に2コ掲げた姿はやはり見慣れたそれとは印象が異なる。


なんだか、金魚にたとえると “でめきん”

ちょっとユーモラスな風情を感じさせる、大きな二つ目玉の17号機である。





 

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