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【写真①】“ガメ電”こと、15tB形5号電気機関車(現在は三川坑跡にて保存されている)


                                   “ ガ メ  電 ”  物 語    


〈はじめに〉
 “ガメ電”・・・はて、いったい何?“ガメ電”と聞いて、「かつて三池炭鉱専用鉄道で活躍していた電気機関車」と言える方は少ないことでしょう。今回の物語の主役は、国内に現存する最古級の電気機関車、通称“ガメ電”でございます。“ガメ電”・・・なんとも奇妙な呼び名ですが、何はともあれ写真をご覧下さいませ。【写真①:保存されている“ガメ電”】
 現在“ガメ電”は、旧三川坑跡地に展示・保存されていて、正式な名称は15tB形電気機関車(保存機は5号機)といいます。
 
〈名前の由来〉
 皆さん、“ガメ電”の「ガメ」は何を意味するかご存じでしょうか?筑後地方の方言で、「亀」のことですよね。よって、“ガメ電”は「亀電車」ということになります。ちなみに、三池炭鉱専用鉄道では、電気機関車のことを“電車”と称していました。それでは、なぜ「亀」なのでしょう?それは、一つはその平らな形状から称される様になったと思われます。運転席側が亀の頭と見立てて下さい。そして、この“電車”のスピードは亀のようにのろかった。単に“ガメ”とも呼ばれたこの“電車”は、1908(明治41)年のアメリカ生まれです。




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         【写真②】保存されているGE社製機関車


〈パナマ運河で船を曳いていた〉
 突然ですが、パナマ運河の一部区間では船を電気機関車が牽引しています。そのパナマ運河で「“ガメ電”が船を曳いていた」という話を聞いたことがありますが本当かな?実は、パナマ運河開通から40年間ほど使用されていた電気機関車は、アメリカのジェネラル・エレクトリック社製で、“ガメ電”も同じ会社で製造された電気機関車です。(現在のパナマ運河では、日本製の電気機関車が使われています)パナマ運河で使用されていた電気機関車も平らな形状をしていますが、両端に運転席がありました。【写真②:保存されているGE社製機関車】
 パナマ運河の開通が1914(大正3)年、牽引力や形状からしても“ガメ電”そのものがパナマ運河で使われたとは思われませんが、製造した会社が同じであること以外にもう一つ、両者にはある共通点がありますが、それは次のお話しで述べましょう。



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【写真③】ダンクロと“ガメ電”


〈三池港専用の電気機関車〉
 そもそも“ガメ電”は、三池港の開港に合わせてアメリカから計10両が輸入され、三池港での石炭荷役、炭車の入換用として使用されました。具体的には、坑口から三池港の貯炭トンネルに送られた石炭を、ドックに面した船積機(通称:ダンクロ)に運ぶのです。【写真③:ダンクロと“ガメ電”】
実は、この“ガメ電”には、まさしく日本最古の施設が貯炭トンネル内に設置されていました。それは、第三軌条方式と呼ばれる集電システムで、この方式は1911(明治44)年に国有鉄道(当時は鉄道院)初の電化区間(信越本線:横川~軽井沢間)に採用されたことで知られています。ところが、その3年前に三池港の貯炭トンネル内にすでに設置されていたのです。ただし、記録によると取り扱いが不便であったことなどから、設置1年後には撤去されたらしい。この第三軌条方式とは、3つめのレールを敷設しそこから電力を得る方式で、東京地下鉄の銀座線や丸ノ内線などは、開業当初からこの方式で運行されています。先に紹介したパナマ運河でも、この方式が採用されていたのでした。



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【写真④】 導入当初の“ガメ電”


〈寝そべって運転していた〉
 最後に、“ガメ電”にまつわる逸話をもう一つ紹介して、物語のお開きとしましょう。それは、「寝そべって運転していた」・・・どうしてその様なことになったのか?導入当初は、車端真ん中の運転席に座って運転していたのですが、炭車を押して運転するときに前が見通せないという問題が発生。
【写真④:導入当初の“ガメ電”】そこで、運転席を両脇に広げたところ、寝そべるように横になって運転する羽目になってしまった。ちなみに、“ガメ電”の運転席には前面の窓から忍び込みます。
皆さん、“ガメ電”に会いたくなったでしょう。ぜひ、旧三川坑跡地を訪ねてみて下さい。



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▲“ガメ電”の運転席